第九十一話「白桜」
精霊王の森から五ヶ月ほど走った。
光明が見えたことにより、以前よりか精神的な疲弊がマシにはなり、稀に眠れるようにはなった。
クリストにも睡眠を取ってもらった。
さすがにすぐに終わる旅の類ではない。
準備と時間が必要だった。
ドラゴ大陸では竜も頻繁に襲い掛かってくる。
俺達の腕前でも、朦朧とした意識で竜と戦うのは危険だった。
旅のペースが遅くなりはしたが、再び森の前へ辿り着く。
精霊の森と同じで、ここにもほとんど魔物がいない。
神秘的な理由があるであろう精霊の森とは違い、単純にここに住む森の民によって狩られているだけだが。
村に入ると、見目麗しく耳の尖った者達が暮らしている。エルフだ。
彼らはすぐ来訪者に気付き、それがクリストだと分かると陽気に声を掛ける。
以前と同じような風景だ。
違うのは、返事をするクリストに覇気がないことだろうか。
マルガレータの所在を聞くと、自宅にいるようだった。
真っ直ぐ、一直線に俺はフィオレと出会った家の前に辿り着く。
躊躇もなく扉を開けると、これも前と同じだ。
俺達が来るのを予見していたかのように、落ち着いた仕草で椅子に座り込んでいる人物。
エルフの族長に相応しい美貌、長く艶やかな金髪に、吸い込まれそうな碧眼がその美顔を際立たせている。
しかし、その優雅な美貌は俺を見るとピクっと頬を引き攣らせた。
「貴方、精霊はどうしたの?」
久しぶりとかそういう挨拶はない。
魔族からすれば、この数年なんて数日ぶりの感覚だろうから、そんな感情を抱いているのは俺だけだろうが。
「色々ありまして、今は居ません」
「そう、もう一つだけ。何で、フィオレがいないの?」
心配気な表情で、少し目蓋を下ろしていた。
そうか、俺とクリストだけで戻ってきたら、嫌な想像もするよな。
「カルバジア大陸に居ますよ。急ぎの旅なので連れてこれませんでした」
実際はランドル以外とは別れも交さず、勝手に旅立ったのだが。
フィオレ宛にも書いた謝罪の手紙、ちゃんと読んでくれただろうか……。
師匠と慕ってくれてる子だったのに、俺は師として失格だった。
しかしマルガレータはフィオレが健在なことに安心したのだろう、ほっと胸を撫でると目蓋を通常まで開き、碧眼を光らせる。
ここに来た理由はただ、聞きたいことがあっただけだ。
本来はここまで北に上ってくる予定はなかった。
それもおかしな理由で、どこの町に寄っても、魔竜の鱗が流通してなかったのだ。
あれだけの数を討伐したのに、不可解なことだった。
結局、エルフの村に辿り着くまで素材の在り処はつかめなかった。
ドラゴ大陸の魔族はあまり拠点を動かさない、噂さえ聞けなかった。
「魔竜騒ぎからすぐに旅立ってしまいましたが、魔竜の素材は今どこにあるんでしょうか。どうしても必要なんです」
「あぁ……魔竜の素材なら、デュランね」
「は……デュランって……」
クリストと顔を見合わせるが、肯定するように頷いた。
もうここまで来たらあまり変わらないが、更に北に上らないといけないのか。
世界の果てと呼ばれていた鬼族の村とそう離れていない。
「全部、ですか?」
「さすがに全てではないけれど大体はね。鎧ならデュランより手前の町で出回ってるとは思うけど」
「鎧ですか……剣は、ないですか?」
「魔術を弾く鱗を、わざわざ剣にする者なんていないわよ」
それもそうか……。
着ているだけで弾いてくれるのに、剣で斬ろうとする奴なんか居ない。
鎧を元にして、剣につくりかえてもらえるだろうか。
しかし、ドラゴ大陸の通貨は持ち合わせていない。
さすがに盗んで脅すのは気がひけるし、少し稼ぐ必要があるか。
俺がこれからの予定を立てていると、背中ごしにクリストの声が掛かる。
「もうどうせここまで来たんだ。デュランまで行けばいい。金も掛からないだろうしな」
「さすがに盗んで脅したりはしないよ。途中で魔物を狩らないとな……」
「いや、必要ないさ。なぁマルガレータ、鱗を買い占めた馬鹿ってバーンだろ?」
バーン、その名前は聞き覚えがあるというか、顔まではっきり覚えている。
自分の鳴神に視線を落とす、この剣が収められている鞘を作った人物だ。
「そうよ、出回ってる防具のほとんどはバーンが作者でしょうね」
「やっぱりな。アルベル、あいつに剣を作らせたらいい。あんなんでも、ドラゴ大陸の中じゃ屈指の鍛冶師だ」
この上等な鞘を数日で製作したバーンの腕は間違いない。
もうここまで来たら、デュランまで行く時間を惜しむこともない……か。
「分かった。すぐに行こう。マルガレータさん、ありがとうございました」
「いいのよ。ねぇ、クリスト。一つだけ伝言を頼めるかしら」
「何だ?」
「フィオレに、いつでも帰って来ていいと伝えておいて」
「……あぁ、伝えるよ」
俺に言わなかった辺り、心象が覗える。
クリストは何も言わないが、俺はそんな酷い顔をしているのだろうか。
一度強く瞳を閉じ、昔の表情を形成しようとするが。
もう、自分がどんな顔をしていたか分からなかった。
強く首を振ると礼をし、マルガレータの家から、エルフの村から、俺達は再び旅立った。
エルフの村から旅を進めて、十日ちょっとだろうか。
俺達はデュランに辿り着いていた。
ドラゴ大陸に転移してから、初めて訪れた町。
前と同じで行き先は一つしかなかった。
今度はクリストに案内されることはなく、俺は先頭に立ち、覚えている道を歩き始めた。
石造りの工房に足を踏み入れると、カンカンと甲高い金属音と共に熱気が漂う。
熱すぎる部屋の中で、止めどなく汗を流しながら錬鉄を叩く男がいた。
艶があるように見え揺れる黒髪は、その実、汗と油に塗れているのだろう。
伸びきった髭も動作と共に揺れ、外見に無頓着というレベルを超えて不衛生だ。
そして、大量の鱗が積まれているわけではないが、あった。
大粒の魔竜の鱗が何枚か、壁に立掛けられている。
全て消費したわけではないだろうが、他のはどこにあるのだろうか。
いや、在庫事情はどうでもいいか。
俺は剣を作ってもらえたらいいんだから。
「バーンさん」
声を掛けるが、バーンは規則正しく鎚を振り上げ、振り落とす。
来客に気付いてないのか無視しているのか、一切俺に視線を移そうとしない。
何度も繰り返し名前を呼ぶが、反応はない。
苛立ちと同時に足を一歩動かすと、クリストが俺の肩を叩いて前に出た。
バーンの背後に迫ったクリストは力強くグーで拳を握り締める。
その後、躊躇なしにバーンの頭に拳骨を落とした。
「痛ってえな!」
その衝撃で鎚を落とし、怒りを吐露しながらもようやくバーンは首だけ振り向かせた。
「急ぎの仕事がある。頼む」
「いつも急ぎじゃねえか。いい加減にしろよ。たまには待て」
「一年どころか一秒も待つ暇はない。今回もこいつの剣の事だ」
「あぁ? ……あの時の小僧か」
ようやく俺の存在にも気付いたのか。
顔ではなく真っ先に鳴神を見て、俺だと認識する。
そして次第に視線があがり俺の顔を通過すると、皺だらけの顔なのに更に眉間がくしゃくしゃになる。
「……何の用件だ」
「魔竜の鱗で剣を作って欲しいんです。今すぐに」
訝しげな表情で俺の目を覗く、一秒、二秒、三秒。
四秒後には、バーンは「ふん」と鼻で笑うように俺から視線を外し、落とした鎚を拾った。
もう、俺どころかクリストにも目を向けることはなかった。
「あの、聞いてますか?」
「聞いてるよ。答えはノーだ。やなこった」
真摯の願いなど関係なく、バーンは言い切った。
俺が拳を握り震わせていると、クリストも追撃した。
「お前が買い占めたからわざわざここまで上ってきたんだ。責任取れよ」
「何度言われようが、俺は打たない。鱗なら持っていけよ。そんで他の奴に頼め。邪魔だから消えろ」
「最悪はそうするよ。でもお前と同等の腕を持つ鍛冶師を探すのも手間だし、時間も掛かる。金もないしな。大体何が不満なんだよ」
普通なら、金を払わないところだろうが。
バーンは再び俺の目を一瞥すると、吐き捨てた。
「死人に打つ剣なんてねえよ」
「生きてますが」
即答する俺に、バーンが持っていた鎚が飛んでくる。
脳天に突き刺されば死に至るのは間違いないが、俺は顔を逸らして軽く避ける。
バーンは避けられたことに腹が立ったようで、また投げるのか乱暴な手つきで新しい鎚を取る。
俺は観念するように、自分と少し向き合い、言った。
「死の覚悟が必要なくらい、強大な相手でして」
強張った唇を開き、なんとか口にすると鎚は飛んでこなかったが、バーンは俺を小馬鹿にするように笑った。
「ハッ、格好つけてんじゃねえよ。そんな大層な信念を持って戦う剣士の剣なら喜んで作ってやるさ、武器でも、防具でもな」
「……」
「お前から勝ちたいだとか、負けたくないとか、そんな意思を感じねえ。ただ死のうとしてる奴と共倒れになる剣なんて、誰が打つかよ」
違う、そうじゃない。
いや、違わないかもしれないが、決定的に違うことはある。
「……絶対にやり遂げないといけないことがある。
あんたにはただの死にたがりに見えるのかもしれない。
でも、そうじゃない。誰よりも強い意志は持ってる」
真剣に、バーンの瞳を覗き込む。
バーンは眉を寄せながらも、視線は逸らさない。
熱気で汗が滴り、睫に粒ができ、瞳に落ちて濡らしても、瞬きもしない。
何分か見つめあっていただろうか、バーンは瞳を閉じ、諦めるように頷いた。
「チッ……分かった……数日待ってろ」
渋々といった様子だが、了承を得られたことに安心はする。
そしてもう一つ、バーンの仕事に希望があった。
俺は荷物の中から布に包まれた刀身を晒すと、バーンに手渡した。
その折れた剣を見て、バーンは顔をしかめる。
「折れた剣は俺でも直せねえ」
「いえ、鞘でも柄でも、どこでもいい、少しでもこれを使ってもらえませんか」
「何でだよ。これより上等な剣を作るのは約束してやる」
「これは俺が自分の道を選べるように贈ってもらった物なんです。今回はこの剣じゃないと、最後の瞬間に迷うかもしれない」
「銘はなんだ?」
「白桜といいます」
「分かった。もう行け」
気が散ると付け加え、バーンは白桜を手に、作業を始めた。
ずっと見届けたい気持ちもあるが、職人の仕事場に居座るのも野暮だろう。
俺は工房を後にした。
一ヶ月程経っただろうか。
数日と言っていたのに時間が掛かるようだった。
たまに様子を覗きにいって声を掛けても、返事が返ってくることは一度もなかった。
俺にとって予想外な時間の経過は辛いものだったが、俺の為にしてくれているのだからと、辛抱強く待った。
その間、ずっと剣を振り続けた。
いつから、この気持ちを忘れていたのだろうか。
いや、忘れてはいないか、足りてなかっただけ。
昔は今と同じように、必死だったのにな……。
初心に戻り、彼女だけを想い、腕を磨き続けた。
そこからまた数日経った。
工房に立ち寄ると、一仕事終えたように一服しているバーンの姿があった。
その様子から完成したのだろうと周囲を見回すと、ボロボロの石机に置いてあった。
久しく鞘に収まっている剣を見る。
まるで白桜が息を吹き返し、蘇ったようだ。
俺は口を閉ざしたままその剣を手に取るが、片手で扱うのは無礼だと思い、闘気の腕を形成し、両手でゆっくりと抜いた。
まるで鳴神のように、その刀身は黒ずんでいた。
以前の白桜が備えていた純白の輝きはないが、一級品の剣として生まれ変わっていた。
ここまで使ってもらえるとは思ってなかった。
「少しだが刀身も混ぜておいた。満足か?」
そう言われると、漆黒の刀身が一瞬白く光った気がした。
実際にはそんなわけがない、脳が錯覚して生み出したもの、つまりは気のせいだ。
しかし、色は違えど同じ剣だという実感はあった。
鞘に収まるのだから、形状は白桜と同じだ。
以前より少し、重くはなっている気がするが。
俺は鳴神が掛かっている方とは逆の左側に白桜を掛けた。
バーンと向き合い、深く礼をする。
「ありがとうございました。バーンさんに頼んで良かったです」
「そうか、もう行きな。お前のせいでまだ仕事が残ってるんだ」
「はい。失礼します」
去り際にもう背を向けているバーンにもう一度頭を下げると、俺達はデュランを後にした。
白桜に手をあてると、力を分け与えてもらうような気分になる。
迷うな、進めと。
これで準備は整った、決意するように強く、声に出した。
「行こう」
ルクスの迷宮に。
セリアの、所に、
「……あぁ」
クリストは儚げで、声に力がなかった。
でも、俺の意思を尊重するように、内容のある話は振ってこない。
その器の大きさに、心の中で感謝すると、空を見上げた。
空は抜けるような青さで澄み切っている。
この空から彼女を連想できるものは何一つなかった。
ただ眩しいだけの日差しに目をしばたくと、広大な大地を一歩、踏み出した。




