第八十九話「目覚め、旅立ち」
まるで深海から浮かびあがるように意識が浮上すると、セリアの匂いがした。
なんだか、最低最悪で、嫌悪感が湧き上がる夢を見ていた気がする。
気のせいか。
だってここに、俺の大好きな嗅ぎなれた香りがあるのだから。
体は気だるく、目蓋を開くことさえおっくうだ。
目が覚めたはずなのに、再び沈んでいこうとする。
二度寝はあまりしない性質だが、仕方ないか。
体が言う事を聞かないんだから。
俺は目蓋を一度も開くことはなく、再び眠りに落ちた。
次に意識が戻っても、同じだった。
目蓋を開く気力も力もない。
でも、変わらずセリアの匂いはした。
それだけで安心させてくれる。
さすが俺の嫁は偉大だ。
まだ、目蓋を開かなくていいだろうか。
もう少しくらい、寝てていいよな。
何か、だらしなく寝てても誰にも怒られないし。
というか、耳が聞こえない。
外界から音を閉ざすように、無音の世界だ。
きっと体の調子が悪いんだろう。
治癒魔術で治るかな、まぁ、いいか。
とにかく今は、また眠ろう。
体が、眠りを求めているのだから。
次の目覚めは、おかしかった。
セリアの匂いが少し減った気がする。
あの俺の大好きな甘い香りは、どこへ行ってしまったのか。
汗の匂いも好きだし、全てが好きだけど。
もしかしてセリアの匂いが減ったのは俺のせいだろうか。
まだ加齢臭を漂わす年齢でもないと思うが。
まぁセリアはそんな事気にしないだろう。
いや、さすがに気にするかな?
とにかく、眠ろう。
起きる意味なんてないと思うし。
俺は変わらず目蓋は開けず、意識を強引に沈めていった。
次の目覚めの前に、声が聞こえた。
懐かしい、聞き間違えもしない声だ。
『起きて』
いつも俺を守ってくれる風が俺の意識を撫でる。
でも何で、懐かしく感じるんだろう。
「レイラ、なんか久しぶりな気がするね」
久しぶり? 自分で言ってておかしいと思う。
俺は前まで何をしてたっけ。
どんな旅を、してたっけな。
『久しぶりでもないし、ずっと見てるよ』
「そりゃそうだよね、ずっと一緒にいるし」
おかしな話だ。
自分の心に、違和感しか感じない。
『アルベル、かっこわるいよ』
「確かに皆と比べたら美形じゃないだろうけど、格好悪いは言いすぎでしょ」
『アルベル、その程度なの?』
「何がだよ……ほんとに話が通じないな」
何で、こんなに苛々するのだろうか。
レイラに対してこんな事思うのは間違いな気がする。
もう、通じ合っていたはずなのに。
あぁ、そうか。
「ごめんよ」
気付いて、謝る。
話が通じないと言ったことに対して。
そんなことは絶対に言ってはだめだった。
絶対に忘れてはいけないことがある、話の噛み合いなんて関係ない、レイラは俺を深く愛し、想ってくれている。
それに、多分。
話が通じてない原因は俺にあると思った。
『起きれたら、アルベルは頑張れるよ。まずは、目を開いて』
「何か、ずっと寝てたいんだ。体も動かないし」
『ダメだよ。セリアが好きなら、起きて』
「うーん……そう言われたら、起きないとな……」
別に従う義務はないのだが、レイラの言葉に途方もない重みを感じた。
起きないと、セリアへの気持ちを否定されるかのように。
レイラに限らず、家族に、仲間に。
起きてみるか。
『いい子だね』
「まぁ、レイラから見れば俺なんて子供なんだろうけど……」
『そうだよ、アルベルなんてまだまだこれからだよ』
「はいはい」
母に諭されるような気分だが、悪くはない。
今だけは、子供のように駄々をこね、甘えたかった。
起きれば、大人にならないといけない現実が俺に迫り来ると、心が悲鳴をあげ、訴えていた。
「じゃあ、行くよ」
『うん、頑張れ』
永遠の別れになるような気持ちではなかった。
自宅から、行ってきますと出かけるような気分。
俺は、再び旅立った。
目蓋を開くと、見覚えのある天井だった。
起きればこの天井が見え、すぐ横で可愛らしく寝ているセリアの寝顔を眺めるのが日課だった。
でも今は夜で、部屋は薄暗い。
しかし、見なくとも分かる。
俺の隣にセリアはいない。
熱すぎるほどの体温は感じない。
すがるような気持ちで隣を見るが、からっぽだった。
いつも温もりを分け与えていたベッドで、俺は一人。
上半身を起こし、壁を見つめる。
次第に石壁がぼやけていき、涙腺が壊れる。
俺の瞳から涙が決壊した。
「あぁ……」
全てを、現実を実感してしまい、ただ泣いた。
膝を抱え、子供のように、情けなく。
どれほど経っただろうか。
分かるのは、一晩は経過したということだ。
朝日が差し込み、俺の涙を枯らし、濡れた頬を乾かすように部屋を照らしていた。
俺はようやく自分の体を見回し、いつの間にか着替えさせられていた部屋着を捲くった。
傷はない。
あれだけ血を流したのに貧血で頭がくらむこともなければ、闘気の負荷もない。
一体どれほど、俺は止まっていたのだろうか。
どれだけの時間、セリアを放ったらかしていたのか。
考えたくもないが、受け止めなければいけない。
しかし、頭は真っ白だ。
打開策も何も浮かばず、ただ悲しみに身を包むことしかできない。
ラドミラは、この光景が見えていたのだろうか。
本当に、もう彼女が何を考えていたのか分からない。
ブレて見えていた決戦の未来が、最悪の方向に転んでいったのか。
誰にも見抜けないような悪人だったのか。
それにしては行動が矛盾しすぎていて、考えれば考えるほど謎の深みにはまっていく。
とにかく、起きよう。
立ち上がると俺の鳴神が立掛けられているのが視界に映る。
小さな机の上にはセリアの剣。
いつも着ていた服はなかった。
戦闘を思い出すが、元々ぼろぼろだったのにもう血塗れになっているのだろう、着ると変質者どころか殺人鬼にも見えそうだ。
その代わりに、素朴な剣士服が置かれていた。
新品だ。何の魔物の素材か分からないが、茶色の皮の素材で出来ていた。
普段着ではなく、剣士服がここに置いてあるという理由。
誰が置いてくれたのかもわからないが、俺が剣を振ると信じてのことだろう。
今はとにかく、その服に袖を通した。
俺は剣帯に大事な二振りの剣を掛けると、部屋から出た。
災厄戦の直前に俺が破壊したリビングの扉が直っていた。
扉の前に行くと、気配で分かる。
全員がそこにいる。
会話は聞こえず、重苦しい雰囲気なのだろうと想像できる。
その理由はセリアと、きっと俺のせいだ。
俺は数秒瞳を閉じ、決意するように扉を開けた。
「起きたか」
全員の視線がぎょっと俺に集中するなか、クリストが真っ先に労うように声を掛けた。
俺は頷くと、居心地の悪い空気を飛ばすように席についた。
ランドルは壁に背を預け、筋肉に編まれた腕を組んで瞳を閉ざしている。
俺が座ると、エルとエリシアが俺の両サイドについた。
何も言わないが、心底俺を心配してくれているのだろう。
そういう気遣いが、痛いほど伝わってきた。
「どうなってるの、かな……」
対面するクリストに恐る恐る聞くと、物静かな面持ちだった。
「どうもこうも、何を言えばいいか……もう何も分からない、ラドミラが何を見たのかも、な」
「セリアは……」
「いない。あいつの言葉が真実なら、もう出てこない。次は何十年後か、百年後なのか……」
「……」
「でも、一つだけお前にとってはいい知らせがある」
俺は俯きがちだった顔をぱっと上げる。
セリアに関して、何か光明があるのか。
俺がごくりと生唾をのんで待っていると、クリストは言った。
「セリアの親父は、生きてるぞ」
「え!?」
気がかりだったというか、嫌な記憶を封印していた。
あの状況で、生きているとは思えなかったのだ。
首は半分に裂け、確実に致死量の血を流していた。
俺が驚愕に目を見開いていると、クリストが続けた。
「もう、人間の体じゃない。まぁ丈夫なだけだし見方を変えればいい事なのかもしれんが……」
「なら、今どこに……」
「この家にいるぞ」
くいっと顎で俺を立ち上がるように促しクリストは立ち上がった。
すぐにその背中に続くと、エルとエリシアがついてくる。
フィオレとルルが俺を見て頭を下げる。
ランドルは一度も目を開けることはなく、止まったように佇んでいた。
目が覚めてから一回も目をあわしてないから、悲しい。
どんな気持ちでいるのか、その態度からは想像もできない。
少し冷たくも感じてしまうが、俺はリビングを出た。
まだ誰も使ってない部屋の一室。
クリストが扉を開き、中に入ると。
ベッドに横たわる、イゴルさんの姿があった。
もう悪意に満ちた顔ではない、爽やかながらも凛々しい剣士の顔立ちで眠っていた。
俺も長い間寝てたと思うが、何故、目を覚まさないのか。
クリストに視線をやるも、「分からない」と首を振った。
「体におかしいところはないの。健康体だと思う。見た目は、おかしいけど」
エルが少し言葉を詰まらせながら言った。
見た目? 俺には何も分からない。
少し首を傾けると、エリシアはイゴルさんの服を少し捲くった。
そこには鍛えられた腹筋があるが、おかしかった。
腹に開いた風穴を埋めたかのように、何か歪な黒いもので埋められていた。
まるで溶かした錬鉄を流し込んだように。
「何だ、これ……」
「見たことないけど、闇魔術くらいしか思いつかない。何の役割を果たしてるのかも、分からないけど」
本当に分からない。
イゴルさんの目が覚めれば詳しいことも分かるかもしれないが。
俺が黙り込んでいると、クリストが俺の肩を叩いた。
振り向くと、エルとエリシアを連れて出て行った。
部屋に、眠るイゴルさんと二人だけになる。
俺は昔と同じ、穏やかそうなイゴルさんの顔を見ているとセリアの面影を思い出す。
申し訳なくなり、枯れ果てたはずの涙を再び流した。
「ごめんなさい……」
俺の声は届かないだろうが、謝った。
何度も、何度も。
セリアを守れなくて、ごめんなさいと。
当時は深く考えなかったが、歳を取ってから気づいたこともある。
イゴルさんには一人前と言われた日に、セリアを任せてもらったと思っていた。
俺は何も、果たせていない。
セリアと共に剣を振るとかいいながら、口だけだった。
結局彼女の隣に立つと、甘えていただけだった。
懺悔するように謝り、何時間も立ちすくんでいた。
いくら声を掛けても目覚めないイゴルさんを見ていると堪らなくなり、俺は自室に戻った。
誰も部屋には訪れてこなかった。
多分、クリストがそっといておいてやれとか言ったんだろう。
ありがたかった。
部屋が暗くなり、日が落ちたのに気づくまで、俺は考え続けた。
どうすればいいか。
この絶望的な状況を打開するには、何をすればいいか。
そして、一つだけ。
記憶を遡り、セリアの最後の瞬間を何度も思い出す。
セリアは、俺に何かを言おうとしていた。
あの時……何を。
セリアのことなら全て分かっていると思っていたが、俺は勘違いしている事が多かった。
俺の考えていることは、正しいのだろうか。
本当にそれがセリアの真意なのだろうか。
俺はセリアを知り尽くしているという自信をなくしていた。
決心が、つかない。
俺にはそんな決断をすることはできない。
セリアはお腹に子供がいるのに、そんな事言うだろうか。
頭を抱え、髪を毟るように考え続けた。
すると、幻聴が聞こえた。
いや、葛藤して壊れる自分を救うように、脳が記憶から勝手に生み出してしまったのかもしれない。
でも、俺はその幻聴と会話をした。
『分からないの?』
いや、分からないわけじゃない。
でも、一つしか思い浮かばない。
考えたくないだけだ……。
「あの時セリアは、殺して欲しいと、望んだのか」
『て』しか、聞こえなかった。
それ以外に、何があるのだろうか。
もしそうだとしたら、俺にその選択ができるのだろうか。
しかし俺の記憶が生み出してしまったレイラは、言い切った。
『違うよ』
「じゃあ、何を……」
『セリアも、女の子だからね』
あの時、セリアは剣士ではなかった。
俺にすがるだけの、ただの女の子のような。
そうか。そうだよな。
自信を持て。
喝をいれるように自分の膝を殴るように叩く。
もし仮に違っていたとしても。
セリアを誰よりも想っているのは、俺なのだから。
俺は立ち上がった。
心の中で、もう消えてしまったレイラに礼を言う。
考え込む中で、一つだけ仮説を立てていた。
まだ決心はつかない、つくわけがない。
でも、止まっているわけにはいかない。
俺は絶対にセリアを追いかける足を止めてはいけない。
もう一度、行く必要がある。
ドラゴ大陸に。
俺は腰に剣を掛けると、荷物をまとめた。
棚にある、折れた白桜に目を見張る。
セリアの置いていったイゴルさんの剣を残し、俺は布で包んだ白桜を鞄に入れた。
そして、扉と窓を視線をさまよわせるように交互に見た。
窓から飛び出し、誰にも気付かれないままこの国を出るのか、悩んでいた。
俺を愛し心配する家族に、仲間に、何も言わずに?
それは最低な考えだ。
でも、俺は。
旅立つ前に家族に会い、何を言うんだ?
セリアを連れて絶対に帰ってくるよなんて、都合のいい事をいい、皆に嘘を吐き、偽の安心を抱かせ、去っていくのか?
俺の気持ちは、揺らがないだろうか。
俺についてくると言ってくれる仲間を、拒絶するのか?
ついてこられると旅の足が遅くなると、セリアを、俺を心配する皆を拒絶できるのか。
一秒でも早く旅を進めたいのに、助かるよなんて言いながら、皆のペースに合わせるのか。
できない。
一人が都合がいい。
でも、何も伝えずに去っていくことなんてできない。
俺は紙と筆を取ると、生まれてから一番丁寧な文字で、書き綴った。
きっとセリアがカロラスで俺に手紙を残した時と、同じ気持ち。
でも、セリアとは違い、長文。
俺を愛してくれた感謝、そして心底家族を愛していることを、震えながら書いた。
紙いっぱいに気持ちを残すと、俺は窓を開けた。
最後に短い間だったがセリアと過ごした部屋を一瞥し、飛び降りた。
綺麗に刈り取られた草が生い茂る地面に着地すると、声が掛かった。
「よう」
腕を組み、屋敷の石壁に背を預けていたのはランドルだった。
何で、こんな深夜にこんな所に。
無表情で、まるで威圧するようにも感じられるかもしれないが、それはランドルを何も知らない他者が抱く気持ちだ。
俺には変わらない、いつも通りの、俺を思いやってくれる仲間のランドル。
俺はその表情を見て、悪戯を見られた子供のような苦笑いを装いたかったが、上手く作れなかった。
ひたすら苦い顔で、唇を軽く噛む。
別れる前に、仲間の気持ちを拒絶したくなかった。
俺のそんな表情を察したのか、いや、違う。
最初から何を言うか決めていたように、ランドルは言った。
「もうお前と会ってから何年経ったか、クソみたいな出会いを思い出すと、感慨深いな」
「ランドル……俺は……」
「心配すんじゃねえよ。ここで待ってたのはお前の荷物を軽くしてやろうと思っただけだ」
「荷物って、何も持ってないよ」
俺の手持ちなんて、鞄一つで手ぶらとあまり変わらない。
もちろんランドルの言いたいことは物理的なものじゃないのだろうが。
俺はすっとぼけるように、言葉をそのまま受け止めた。
ランドルはそんな俺の素振りにも無機質な表情を変えなかった。
「この前の戦いも、やっぱり俺は何にもできなかったな。仲間だって言いながら、情けないこった」
自分に呆れるように、言い終わると吐息する。
「そんな事ないだろ。ランドルがいなかったら、そもそもあの戦い方は成立してなかった」
「いや、違うな。本当に何もしてねえ。いいから、聞け」
「……」
口を挟むなと副音声が聞こえ、俺は押し黙った。
ランドルの真っ直ぐな瞳を直視できず、次第に俯き始めるが、ランドルは続けた。
「お前についていって足を引っ張るのは、自分を許せないだろう。だから、俺に出来ることがあるとしたらお前の罪悪感を軽くしてやることくらいだ」
「……」
「なぁ、アルベル」
何を、言いたいのだろうか。
ランドルは俺に何を伝えたいのか。
どうやって、俺のこの罪の意識を軽くしてくれるのだろうか。
俺は黙ったまま、次の言葉を待った。
そして――。
「帰ってこなくていい」
その言葉に信じられないと目を見開き、ランドルの黒く染まった瞳を見張った。
俺の情けない視線に動じることもない、真剣で誠実な態度で俺と向き合っている。
「仲間の言葉じゃないかもしれねえが、俺にはこのぐらいしか言えそうにねえ」
「ううん、ありがとう……」
俺の気持ちをよく理解し、考えてくれた言葉だ。
冷たくない、それどころか温かさを感じる。
「借りが残ってるのがしっくりこないけどな。まぁ、これから返すさ」
それは、そういうことなのだろうか。
俺の心残りを、背負ってくれるのだろうか。
ランドルに任せられるなら、こんなに頼りになることはない。
でも、まだ借りだとか言っている。
俺はランドルの人生を、借りで縛りたくはない。
「ランドル、もう借りなんて返してもらってるし、むしろ俺が借りてるくらいだよ」
「いや、一日生きる度に考えが変わる、それは多分、いい方向になんだろう。それも全部、根っこにお前がいるからだ」
「そんな事ない、ランドルが自分で世界を広げただけだよ」
「……お前に言っても無駄かもな」
「そうだよ、何を言われてもこの考えは変わらない」
断言する。
ランドルに貸しなんてない。
もしあったとしても、もうなくなっている。
俺がどれだけ、この男の存在に感謝していて、頼りにしているか。
ランドルはようやくふっと笑うと、組んでいた腕を解き、俺に一歩近付いた。
「そういえばあの時は託されただけだったな。これは――、約束にしよう」
「約束?」
ランドルから『約束』なんて言葉が発せられるとは思っていなかった。
この屈強な男には似合わない。
ランドルは一切迷いなく、断言した。
「これから何があっても、お前の大事なものは全部俺が守ってやる。口だけじゃない、絶対にだ」
熱い、言葉だった。
ランドルは根っこは悪党で変わっただけだと自分を言うが。
この男の根源にあるのは、仲間を想う気持ちだ。
本当の悪党は十年ちょっとで、こんな言葉を口に出せるほど変わったりはしない。
でも。
「ランドル、何で俺にここまでしてくれるんだ。いい奴すぎないか」
「いい奴じゃねえよ。お前にどれだけ仲間が増えようが俺とお前の……エルも。関係は変わらねえ」
聞かなくても、何を伝えたいか分かった。
昔、このセルビアで湯に浸かりながら、俺を熱くした言葉。
思い馳せるように瞳を閉じ、しばらくして、開く。
ランドルの胸の内を肯定するように、呟いた。
「あぁ、そうだね……本当に……」
「わざわざ口にする必要もねえだろ。行ってこい」
カロラスを出た日から、俺達三人はパーティだ。
ランドルは既に俺を見送ったつもりでいるが、俺は背を向けず、ランドルに一歩近付いた。
腰に掛かっている、俺がお守りにしている剣。
セリアの剣を外し、ランドルに差し出した。
少し眉をひそめ、ランドルが手にとるが。
「何だ、信用できねえってか?」
「違うよ。ランドルに持っててほしいだけだよ」
「……そうか」
俺にとってとても大事なものだ。
ランドルに持っていてほしい。
一つだけ、願掛けする気持ちがあるとしたら。
もし、何かあった時に、ランドルを守ってくれたらと思う。
最後に、軽口を叩いた。
「エルが追いかけてこようとしたら、頼むね」
静止してほしいと思ったのだが、ランドルは首を振った。
あれ? エルはランドルの勘定に入ってないのか?
「あいつはもう他者を思いやり、そいつの生き方を尊重することができる。別に、変わったのは俺だけじゃねえさ」
「……そっか、そうだよね」
もう、俺にべったりだったエルじゃないのだ。
俺の意思を尊重し、気持ちを汲んでくれる、いい子だ。
フィオレとも仲がいいし、大丈夫だろうか。
というか、弟子に何も言わずに旅に出るのは酷い師匠だな。
フィオレには申し訳ない気持ちしかない。
クリストが俺の代わりに教えてくれるだろうから、腕が衰退することはないだろうが。
「クリストは先に出てるぞ」
「は?」
俺の考えを読んだように、ランドルが一蹴した。
意味が分からない。
「お前の部屋からごそごそ音が聞こえて、先に出てった。国の外で待ってんじゃねえか」
「まじか……」
クリストがいるなら、旅が遅れるどころか早まるだろう。
俺の「まじか」はただ驚いただけだ、正直助かると思っている。
ただ、俺の家族と共にいて欲しいと……いや、ランドルが守ってくれるのだ。
そんな心配は杞憂に終わるだろう。
全てが終わったら、ちゃんとフィオレに闘神流の技を教え込むと、約束してもらおう。
フィオレとクリストは、まだまだ長い時を生きるのだから。
今度こそ、俺は背を向けた。
最後に、顔を向けて笑った。
「頼んだよ」
「あぁ」
短い言葉だが、全てが通じ合っていた。
俺は後ろ髪を引かれる気持ちが吹き飛び、歩みを進めた。
背後に、力強い存在を感じながら。
------ランドル------
不器用に別れを交し、俺は玄関から屋敷内へ戻った。
相変わらず慣れない小奇麗な家だが、これからの人生は長い。
適応していかないとならないだろう。
扉を開けると、玄関の隅っこで膝を抱えていじけてる女がいた。
気付かなかった、多分アルベルも同じだろう。
普段なら無視して通り過ぎるところだが、そんな気分でもなかった。
「聞いてたのかよ」
「うるさい。早く行って」
自室へ戻れ、ということなんだろうが。
まぁ、昔だったら「消えろ」と吐き捨てられていただろう。
俺は芋虫みたいに蹲っているエルを見下ろした後、前を向いた。
最後にぽつりと、言って。
「まぁ、そうしてるほうがまだ女に見えるな」
「死ね」
こいつは悲しみ、いじけているぐらいで、俺の目にはやっと女に見える。
有無を言わさず魔術を放ち「殺す」とかぼそぼそ言ってた頃より、遥かにマシだ。
いや、今も「死ね」とは言われているが。
俺には優しい言葉の掛け方なんて分からない。
こいつも俺にそんな事言われたら吐き気を催すだろう。
俺は振り向かないまま、自室へ帰った。
十章はこれで終わりになります。
最終章が始まれば後半はまとめて投稿する予定ですので、数日で完結すると思います。




