第四十三話「それぞれの出発 後編」
私は傷心していた。
生まれて初めてこれほど心に穴が開いたことはなかった。
ランドルに抱えられ宿のベッドに横にされると、動かなかった。
何日そうしていたか分からない。
このまま死んでしまおうか。そう思ったが、兄が救ってくれた命だと思うと捨てれなかった。
身代わりの指輪をつけたことは後悔していない
セルビア王国で兄が傷付いた姿を見て自分が傷を負う方がマシだと思った。
もし兄が生きていれば私を叱りつけるだろうが、反省する気もない。
自分の命より、兄のほうが大事だから。
なんで私はこんなに兄のことが好きなのだろうか。
恋愛感情というものを私は知らないが、世間で言われるそういう感情ではないのだろう。
母が私より兄を可愛がったからだろうか、もちろん私も愛されていたが。
私にとって兄の優しさは心地良く離れがたいものだった。
今、兄はどこにいるだろう。
色々推測を立てるが最終的な結論はいつも同じだった。
最後にセリアお姉ちゃんの所へ行ったんだと思う。
あの腕に出血量、あのボスを倒せる程の闘気を纏ったのだとすれば.
もしセリアお姉ちゃんの所に治癒魔術を使える人間が居ても……。
そう考えてしまうと、視界は暗く澱んだ。
枕元に置かれた冒険者カードを見る。
兄の名前が刻まれたカードだ、これでは生きているのか死んでしまったのか分からない。
でも、兄を感じられる物はこの刻まれた名前しかもうなかった。
残った腕は迷宮を出てすぐに燃やして埋められた。
回収した兄の大事にしていた剣はあるが、まるで今の兄を表すように折れてしまっていた。
こうなったのも、元はといえばトライアルのせいだ。
私は唯一冒険者で好意を抱いていたトライアルのメンバーを憎んでいた。
レオンが訳の分からないことをしなければこんなことにはなっていない。
レオンを殺してやろうかと今でも悩んでいる
しかし、私がレオンを殺したら兄は悲しむだろう。
兄はレオンのことが好きだったから。
何故、代わりに兄が尻拭いをしなければならないのか。
その後、私が動くまで兄を助けようともしなかったトライアルのメンバー。
それはランドルも同じだが。
ランドルに対しては今まで通り嫌いなだけで、更に嫌いになった訳ではない。
むしろランドルが私に怒りたいはずだろう。
なのにランドルは私に何も言わない、文句を言わない、叱咤しない。
私とランドルの共通点は兄が好きでついてきたことだ。
それだけが共通して一緒にいるだけで私達はお互いを嫌っている。
きっと兄は、一緒に戦おうとしたランドルに私を託したのだろう。
ランドルは嫌だった筈だ、何故好きな兄を見捨てて嫌いな私を救わないとならないのかと。
私が反対の立場だったらぞっとする。
それが分かっているから、ランドルには皮肉を言えなかった。
嫌なことばかり考えていると、ノックもなしに扉が開いた。
そこにはランドルが立っていた。
「食え」
それだけ言って食べ物を机に置いて去っていく。
料理ではなく果物だった。
私はベッドから降り、机に赴いて果物を手に取る。
外は凍えるように寒いのだろう、果物は冷え切っていた。
私は何も考えずにそれを齧る。
口の中に甘酸っぱい味が広がった。
私は餓死しない程度には食べていた。
私が死んでしまったら兄は悲しむだろうから。
でも、もう生きている意味なんてない。
そう思ってしまうほど、兄は私にとって大きな存在だった。
それから何日過ぎただろうか。
暗い部屋で腐っている内に誕生日も過ぎてしまったようだった。
水浴びもしないで、ただ部屋でうずくまっていた。
それからまた数日過ぎた頃。
扉が乱暴に開くと、ランドルが立っていた。
また何か食べ物を持ってきたのだろうか、そう思ったが。
ランドルは何も持たずに扉を閉めると扉を背にして腕を組んだ。
何なんだ、密室でこの男と二人でいるなんて気が狂いそうだ。
私が少し睨みつけると、ランドルは私を馬鹿にするように鼻で笑いながら言った。
「ハッ、アルベルに見られたら幻滅されそうな格好だな」
そう言って私の体を見る。
確かに、水浴びもしてないし一切着替えてもいない。
今の私を兄に嗅がれでもしたら私は狂ってしまうだろう。
だが、もう取り繕う必要もない。
「煩い、貴方には関係ない。用がないなら出てって」
「関係あるさ。俺が困ってる」
「何に困ってるの、もう私に構わないでいいから好きに生きたら。お兄ちゃんはもういないんだから貴方がここにいる意味はないでしょ」
「アルベルに頼まれた。お前が一人で強く生きる気になったのなら消えるけどな」
「何様なの、貴方なんかに一生介護されるなんて吐き気がする」
「俺もだ。お前みたいな女の面倒一生見るなんてごめんだ」
「喧嘩売りに来たの……?」
私は精一杯低い声を出して睨みつけ威圧するが、ランドルは無表情だった。
本当に、この男とは相性が悪いどころの話ではない。
私と相性のいい人間なんて家族とセリアお姉ちゃん以外いないだろうが、この男だけは別格だ。
するとランドルは、普段なら揉めるところだが話を切って言った。
「もう一度言うが、お前の面倒を見るのはごめんだ。
俺は今すぐにでもやりたいことがある」
「やればいいじゃない。お兄ちゃんが死んだのに切り替えるのが早いね」
軽く言うランドルにむかついて、初めて兄のことで皮肉を言ったが。
この男は表情を一切変えなかった。
「だからお前を頼まれたって言ってるだろ。俺は今すぐにでもこの町を出たいのに、お前は腐ってやがる」
「何度も言わせないで―――」
「俺とお前の目的は一緒だと思ってたから別に問題ねえと思ってたけどな。そう思ったらうじうじうじうじ何日も、ふざけんなよお前」
そう言って私を凄み睨みつけるランドル。
常人ならその顔を見て逃げ出すのだろうが、私はズレている。
こんなの何とも思わない。
「貴方と目的が同じな訳ないでしょ。気持ち悪いこと言わないで」
「同じさ。こんなに嫌い合ってる俺達の共通点は一つだろ。何で狂ったように兄を好きな妹がアルベルを探しにいこうとしねえんだよ」
そんなの、生きてると思ってたらそうしてる。
こんな奴に言われるまでもない。
「ランドルも見たでしょう。あれで生きてると思って――」
「生きてると思ってるから探しに行こうとしてるんだろうが。あのボスは化物だった。でもな、あのボスを倒したアルベルも化物だ。いまだにあれに勝ったなんて信じられねえけどな。あんな化物に勝てる奴が、死んでる訳ねえよ」
確かにあのボスは魔術師の私にでも強さがよく分かった。
あの時の私の心は、兄をなんとか救うか一緒に死ぬことしか考えてなかった。
でも私は治癒魔術をよく使っているから分かる。
兄の傷を直接見たわけではないが、流れていた血は確実に致死量だ。
闘気の負荷も考えるとやっぱり生きてる可能性はゼロに近い。
しかし、そんな私の考えを無視するようにランドルは言った。
「なぁ、腐るなら現実を目にして、聞いてからにしろよ。
お前もあいつが転移したならどこかは大体検討はつくだろ?
腐ってくのはせめてセリアに話を聞いてからにしろ」
「…………」
「それにアルベルが生きてたら一番心配してるのはお前の生死だ。
アルベルが好きなら安心させてやれよ。
今日はもう戻る、一晩考えとけ」
そう言って、私の返事も待たずに乱暴に扉を開けて出て行った。
返事をするつもりもなかったが。
しかし、考えてしまった。
ランドルの言葉で考えを変えるのは癪だが、ランドルの言葉は私を救う言葉だった。
兄が生きている可能性を考える。
もしそうなら、私にできることも。
兄に、私は生きてると伝えたい。
貴方が命を賭けて守ってくれたおかげで生きていると。
そして生きているなら兄は左腕を失っているのは確実だ。
剣士で左腕がないのは致命傷だろう。
兄の近くに上級の治癒魔術を使える者はいるのだろうか。
いや、私が治してあげればいい、兄の傷は私が治したい。
上級の治癒魔術を習得できる場所があるとすれば、コンラット大陸の魔術大国。
確か、南のエルトン港からコンラット大陸に渡ればもう魔術大国の領土だ。
そう思うと道が広がり始める。
まずカロラスに一度帰る。
兄が生きていたとしたらどこへ向かうかは分からないが、絶対に手紙を出す。
イーデン港は封鎖されているので、ルカルドに出しても南に経由することを考えると最速で二年。
いや、お金の管理は兄がしていた、兄は大金を持っている。
早馬で出せば、もっと早い。
そしてここに留まっているか分からない私達よりも、絶対にカロラスにいる母に情報がいくように母宛に手紙を出すだろう。
それなら、私達がここからカロラスに向かうまでに手紙が届いてるはず。
まずはカロラスに帰り、結果がどうあれエルトン港からコンラット大陸に渡る。
魔術大国で上級の治癒魔術を覚え、セリアお姉ちゃんの情報を聞いて探す。
いや、兄がコンラット大陸にいるとすれば兄の情報も回ってくるはずだ。
兄は強いし、ルクスの迷宮を攻略したことは世界中に知れ渡る。
決めた。ここで止まっているより、私が幸せになれる可能性を信じよう。
問題は海竜王がもし移動して、イーデン港から再び船が出るようになった時。
兄が私達を探してカルバジア大陸に渡ってきたらすれ違いになってしまう。
私は解決策を考え込む。するとすぐに浮かんだ。
これぐらいは引き受けてくれるだろうし、絶対に引き受けさす。
私はこれからのことを考えると、久しぶりに少し眠れた。
目が覚めると、今までの汚れを全て落とすように丁寧に水浴びをした。
ずっと着ていた服や下着も洗い、火魔術と風魔術で暖風を作って乾かした。
見違えるように全身が綺麗になると、杖と荷物を持って部屋を出た。
あまり気は進まないが隣の部屋を軽くノックする。
自分で扉を開けずに少し待つと、すぐに扉が開いた。
もう起きていたのだろう、いつも通りの顔を見せるランドルがいた。
私の姿を見て少し表情を変えると言った。
「やっとまともになったじゃねえか」
「そんなのいいから、トライアルがどこにいるか分かる?」
「丁度これから冒険者ギルドで会う予定だ」
「そう、分かった」
私はそれだけ言うとランドルから背を向けた。
歩き出すと後ろから私に続く足音がするが、まぁいい。
さすがにいくら嫌いとはいえ、兄を探すのにランドルと別行動する意味はない。
兄も再会した時にパーティの誰かが欠けていたら悲しむだろう。
兄は私達のことが大好きだから。
しかしやはり、ランドルと二人で長旅することを思うと気が重くなるが……。
そう考え少し足取りも重くなったが、冒険者ギルドへ向かった。
中に入ると、トライアルの面々がいた。
私に気付くと全員顔をしかめて一瞬下を向く。
当然だ。私は謝罪する彼らに憎しみを篭めて皮肉を言い、拒絶した。
彼らはそんなことで怒ったり私を嫌いになる人間じゃないのは分かっているが、私もあの時のことを謝る気もない。
私とランドルが何も言わずに席に座るとトライアルは焦ったような困った顔をし、レオンが口を開いた。
「エル、アルベルのことは本当に――」
「今はいいから、皆にお願いがあるの。無茶なことじゃないから安心して」
私がそう言うと、トライアルは安心したような顔を見せた。
今日はもう敵意はない。
「あぁ、俺達にできることなら何でもするよ」
「ありがとう、そのお願いなんだけど――」
私のお願いは二つだけ。
もしイーデン港が開いたら、兄とすれ違いにならないようにコンラット大陸に渡ってほしいと。
兄は目立つと思う、情報を聞きながら行けばすれ違いになることはないだろう。
兄ももしルカルドに来るなら知ってる者の名前を探すはずだ。
もう一つは、コンラット大陸で兄が見つからなかったらセリアお姉ちゃんを探してほしいとのことだった。
予見の霊人の所に手がかりがあると思うと言ったら何故かレオンが動揺した気がするが。
そしてセリアお姉ちゃんから兄の話が聞けたら魔術大国に私宛に手紙を出してほしいと言った。
絶対にセリアお姉ちゃんは何か知ってるはずだ。
兄がセリアお姉ちゃん以外の所に転移するのは想像できない。
そして今から四年以上船が出なかったらこの話は忘れていいと最後に言った。
これなら私達が旅を始めてから船が出るようになってもすれ違いになることはないだろう。
ずっと海竜王が再び眠るまで動かなかったとしたら、トライアルをルカルドに拘束することになるが。
本人達も他に行く所もないだろう、カルバジアの冒険者ならここ以上の場所はない。
話が終わると、レオンが頷いて口を開いた。
「そんなぐらい全然構わない。船が出たら全力で探そう。いいよな?」
「もちろん、私達の命の恩人だもの」
そう言って皆で賛成してくれた。
とりあえず私もその嘘のない言葉に安心した。
もう話すこともないか、そう思って立ち上がろうとした時、レオンがテーブルに袋を置いた。
袋はかなり大きく、置いた時に金属音がした。
「ルクスの迷宮のボス部屋にあった魔道具やマジックアイテムを売った金だ。金貨二百枚になった」
この町だけで無理やり売ったから値が落ちたけどな、と続けて言った。
私は困惑した顔でランドルを見ると、ランドルは無表情で頷くだけだった。
あの部屋にあったのか、あの時はそんなことに気が付ける状況ではなかった。
「俺達も気付かなかったんだけど、ライトニングが回収してくれたみたいだ。さすがに俺達は受け取れないから、エルとランドルに」
そう言って金貨を差し出してきた。
ランドルが今日会う予定があると言っていたのはこれか。
しかし二百枚も必要ないし、トライアルも迷宮探索で必要な物を用意してくれていた。
彼らからすると、二ヶ月迷宮に潜って金を失っただけになるだろう。
それにたった今頼みごとをしたばかりで全て受け取るのもよろしくない。
そもそも、こんなにあっても使いきれないし仕方ない。
エルトン港の船代が高いといっても目の前の大金が必要になるような額ではない。
「半分でいい。百枚ずつにしよう」
「でもそれじゃあ……」
「いいの、譲らないから何言っても無駄だよ」
私が言うと、しばらくトライアルは顔を見合わせて困った顔をしたが最終的には納得した。
金貨を取り出し百枚数えると、布袋に入れて私に渡した。
私はそれをローブの懐に仕舞うと、ずしりと重かった。
「じゃあ、お願いね」
それだけ言って去ろうとする中、ずっと黙ってたランドルが口を開いた。
「なぁレオン」
「ランドル? 何だ?」
別れの挨拶でもするのだろうか。
私は先に出ていようと少し歩くが、足を止めた。
「お前は何でボス部屋に飛び込んだんだ?」
その言葉には関心があった。
正直、意味不明だったし許せない行動だったからだ。
しかしレオンの性格は知っている、名誉とかなんだとか言うのだろうと思った。
振り向いてレオンを見ると、少し苦しそうな顔をして言った。
「部屋の前で言った通りだよ。皆を、アルベルを巻き込んで反省してる」
やっぱりそんなところだろう。
私は再びレオンから視線を外そうとするが、ランドルが追求した。
「俺には、お前が自分の意思で飛び込んだようには見えなかったんだ」
そんなことを言っているが、私にはよく分からない。
確か兄はランドルはよく人を見てるとたまに私に得意気に話していた。
しかしさすがにランドルの勘違いだろうと思ったが。
私が見るレオンは図星をつかれたように戸惑った顔をしていた。
私は驚き、口を開いた。
「そうなの?」
私が言うと、レオンは重々しそうに口を開いた。
「予見の霊人って知ってるだろ? さっきも言ってたし」
「うん」
私が今そこに向かってほしいと言った人物の名前だ。
レオンが苦しい顔をしながら話しだす。
「カルバジア大陸に来る前に会いに行ったんだよ。
導きをもらえる人は限られてるって聞いてたから期待はしてなかったけど。
何故か予見の霊人は俺を待っていたように導きを与えた」
「何て言われたの?」
私が聞くとレオンは言った。
その言葉に、私の中の予見の霊人のイメージは崩れ落ちた。
「カルバジア大陸に渡ると信頼できる仲間が見つかると。
俺は、リュークとリネーアと出会った。
パーティ内で関係を築いたら迷宮を攻略しろと言われた。
俺は、ルクスの迷宮に目をつけた。
それで、これがまだ引っかかってるんだけど……」
言葉が詰まり先がでないレオンに、ランドルが低い声を出す
「言え」
そう言うと、レオンも諦めたように言った。
「迷宮探索が今のパーティでは厳しいと思ったら、協力者を探せって。
きっとその時に、三人の優秀なパーティが現れるって。
俺はお前らだと確信して声を掛けた」
その言葉に私とランドルは目を見開き驚いた。
全て計算されていたことだったのか?
予見の霊人の目的は一体……もしそうならば、レオンは騙されたのだろうか。
レオンはただ失っただけだ。
もちろん、私達も。
予見の霊人の言葉で幸せになった者は一人もいない、全員悲しみを背負っただけだ。
私が考えていると、レオンが申し訳なさそうな顔をして言った。
「俺も、こんなことになるとは思ってなかった。
これまでの予見の霊人の言葉は全て当たっていた。
ならば、俺に迷宮を攻略しろと言ったんだから攻略できるんだと思った。
結果は見ての通りだ」
そう言うレオンの言葉にトライアルのメンバーも驚いていた。
アニータですら知らなかったようで驚いている。
そして私に湧き上がってきた気持ちは、憎しみだった。
ランドルはそんなレオンを見ていつも通りの無表情で言った。
「そうか、分かった。色々と世話になったな」
「あぁ、本当に悪かった。旅の無事を祈ってる」
それだけ言うとランドルはトライアルに背を向けた。
私は怒りに支配され、地面を睨みつけていた。
動かない私にランドルの声が掛かった。
「おい、どうした」
「旅の目的が増えた」
「何だ?」
もし、兄が死んでいたら――――
「予見の霊人を殺してやる」
私が低い声で憎しみを篭めて言うと、トライアルの面々は体をビクリと跳ねさせた。
そんな姿を横目に私は振り向くと、冒険者ギルドから立ち去った。
私の後ろをランドルが何も言わずについてくる。
私は兄を想う気持ちと予見の霊人への殺意を抱いて、ルカルドを発った。




