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番外編:俺はお前を忘れない

 あの墓参りから、2日が経った。


 テレビから流れるニュースは相も変わらず興味を持てない内容を垂れ流し、朝食のトーストを食べる俺はそれをどうでもいいと思いながら聞き流している。


 たった一人の、マンションの一室で。


 何だか、妙に静かだと、そう思った。


 俺には、峰岸ハジメには家族がいない。6年前、俺が西オサムの記憶を取り戻す切っ掛けとなった事件の際、父親は死んでしまったからだ。母親の存在は知らない。まだただの子供だった当時の俺は自分にどうして母がいないのか父から聞いていなかったし、前世を思いだしてからは大して気にならなかったからだ。


 叔母さんなら何か知っているかも知れねぇけど……


 俺は首を振る。今更だし、何よりあの人は、俺を憎んでいるから。


 父を殺してしまった俺を。


「……はぁ」


 小さく、ため息を吐く。何で今になって家族のことなんかを思い出してしまうのだろう。


 考え、脳裏に浮かぶのはとある少女の笑顔。


 俺に、本当に大切な言葉を伝えてくれた聾唖のあいつ。


 ……あぁ、そうか。


 気づき、俺は小さく苦笑を浮かべてしまう。


 何のことはない。ただ単純に俺は、いつの間にか隣りにあって当たり前だと、そう思えるあの子がそこにいなくて、だから有体に言えば、寂しさを覚えてしまったんだ。


 あの泣き崩れてしまった日まで、俺にはそんなことを考える余裕もなかったから。


 俺は、食べ終わった食器を流し台に置き、時計に目を向ける。時刻は9時少し前だ。行き帰りの往復を考えて1時間くらいだし、そろそろ家を出るとしよう。


 昨日、秋月に選んでもらった黒いパーカーに袖を通し、靴を履いて家を出る。その際、一度振り返って、


「行ってきます」


 その言葉を言ったのは、本当に久しぶりだった。


 俺以外誰もいない家だ。当然答えなんて帰ってこない。きっと少し前の俺ならそんなことを言わなかっただろう。


 もういない父に言葉をかけるなんてことは。


 それをしたってことはたぶん、俺自身気付いていないけど、きっと――俺が少しだけ、変わった証明だと、そう思った。




 春休みのせいか、平日の今日でもそれなりに人が目につく国道。その歩道を歩いているとふと見覚えのある後姿があった。俺よりも大分高い背丈に短く纏まられた黒髪のそいつは、


「寺崎」

「あ……峰岸か!」


 俺の声が聞こえたんだろう。前を向いていた寺崎は足を止め振り返る。その顔にはどうしてここに、と言う疑問があったがすぐに得心したようだ。


「峰岸も、制服か?」


 その言葉に「あぁ」と頷く。寺崎の言う通り俺は今日、中学校の制服を受け取りに向かっていた。


 それは、昨日のことだ。秋月に誘われて俺は昨日一日、秋月と俺とそして日野の三人で買い物に行くことになった。心境としては娘の買い物に付き合う父親の気分だ。秋月は言うに及ばず、日野も俺の姪っ子だった訳だからな。


 最初に本屋、次に何故かゲームセンターに行き、秋月の意外な特技に驚かされつつファミレスで昼食。そして最後に服を選ぶことになった。


 その際日野が言ったのだ。


『そういえば、お父さんの中学校の制服ってもう届いたの?』


 秋月のことを考慮してメモに綴られたそれに、俺は『お父さん』の部分にバツを付けて明日出来上がる旨を伝えた。


 あの墓での一件で、どうやら日野は俺が西オサムであると勘付いたらしい。まぁあんなことを口走ってしまったのだから仕方ないが俺としては今更西オサムとして生き直すことなど出来ないし、言っても信じられないだろうからあの時のことは無意識に言ったことで覚えていないとシラを切った。


 他の家族はそれで納得してくれたようなのだが、我が姪っ子は諦めきれないようで時折ひっかけ問題のように言質を取ろうとしてくる。


 まぁそれだけあの子に好かれていたということは叔父として嬉しいのだが。


『じゃあ、明日はお披露目会ね!』

『断る。俺の制服姿なんざ見ても面白くないだろ?』

『私は見たいわ! ならオッケーでしょ!?』

『何が「ならオッケー」なんだ?』

『可愛い姪っ子のお・ね・が・い』


 思わずきょろきょろと周りを見渡してしまった。


『誰のことだ?』

『それ、いっちーがお父さんじゃないって言う意味で!? それとも「可愛い」の部分で!?』


 とりあえずご想像にお任せした。


 記憶の中の日野は『ぐぬぬ』と唸って、秋月の肩に両手を置く。


『ひめのんも、いっちーの制服姿見たいよね!?』

「……」

「ひめのん?」


 反応がない秋月に日野と俺が目を丸くすれば秋月はハッと気付いたように急いでメモを綴った。


『ごめんなさい! ちょっと考え事をしてて』

『大丈夫か? 悩みがあるなら聞くぞ』


 先ほどの様子から単純な内容じゃない気がして尋ねると、秋月は首を横に振った。


『ううん。ハジメ君に似合う服って何かなって』


 ちなみにここは女性用のファッションセンターである。


『ひめのん! ひめのんはいっちーに女装させたいのね!?』


 俺の姪っ子がこんなに残念なはずがない……と本気でそう思った。


 日野のメモに、秋月はぶんぶんと首を振る。


『違うよ! その あの えっと』


 大分焦った後、改めて日野が先ほど書いたメモを見て、


『ハジメ君の制服姿、私も見たいよ?』

「……」

『見て、面白いもんじゃないぞ?』

『そんなことないよ!

 だって

ハジメ君のことだもん!』


理由になっていない、笑顔と共に伝えられたその言葉。


 ……ガラじゃないって言うのは分かってんだけどな。


『分かった。じゃあ明日、取りに行ってくる』


 苦笑と共に伝えれば秋月は何かに気付いたようにメモを書こうとして、俺がそれを止めた。それから彼女の頭を乱暴に撫でる。


 ひどく懐かしいと思う、そんなやりとり。


『子供が気遣いなんてしなくていい』


 見れば、やっぱりか。秋月が書こうとしたメモには『迷惑だったら』と書かれていた。察するに遠慮しようとしたんだろう。


 撫でられた秋月はこそばゆそうに俺を見上げる。その目は『本当?』とそう言っていて。俺が頷けば安心したように微笑んだ。


 そんなことがあったため、本日俺は制服屋に向かっていた。どうやら寺崎も行き先は同じようだ。特に別々に行く理由もないので並ぶ形になった。


 それにしてもと、寺崎を見て思う。


「寺崎は、一人で服を取りに行くのか?」


 背が高くガタイがいいため寺崎は見た目だけならもう中学生でも通用する。それでも中身はまだ子供のはずだ。だからこういったことには親が同伴するもんだと思っていたんだが。


 俺の言葉に、寺崎は少し照れくさそうに鼻元をこすった。


「あぁ、まぁ……うん。いや、その……自分一人で出来ることは、出来るようになりたいって思ってさ」

「……」

「制服代も出してもらって、サイズ選びの時も母さんと一緒だったのに何言ってんだって思うんだけどさ、少しずつでもいいからちゃんと、自分に責任が持てるようになりたいんだ」


 恥ずかしそうに、だけど迷いなく自分の意見を言う寺崎に、俺は変わったなと、そう思った。


 秋月をいじめていた時とは違う、自分が楽しければそれでいいとそう考える本当の馬鹿じゃない、ちゃんと考えて、行動するようになったと。


 俺なんかよりもずっと、物事を見据えている。


 子供の成長は早いなと、素直にそう思った。


 だから、


「へへ、やっぱり似合わないよな」


 そう言う寺崎の背を、軽く叩く。驚くそいつに、俺は思ったままを伝えた。


「いや、立派だとそう思うぞ」

「……」


 寺崎は、何も言わなかった。ただそれは、何だか大人に褒められて上手く言葉が出ない子供のような反応のように俺には見えた。


 と、そこでふと思い出す。


「なぁ寺崎、秋月が帰る日なんだけど皆で見送りに行くことになってる。話は聞いてるよな?」

「ぁ……あぁ」


 何だか妙に歯切れが悪い。まぁ、分からないでもないが。


 大方秋月をいじめた自分が行っていいのかと悩んでいるんだろう。今の寺崎はきちんとそう言うことを考えられる、本当に頭の良い子供だから。


 そんなこいつを、少しでも手助けしたいと思う俺も、少しは変わったのかも知れない。


 俺はポケットから携帯電話を取り出した。「峰岸?」と寺崎が訝しむ中メールを送り、そして数十秒後に返って来たそれを寺崎に見せる。


 内容は、以下の通りだ。


『寺崎がお前の見送りに参加したいって言ってる。大丈夫か?』

『来てくれるの? うん! すごく嬉しい!』

「……!」


 寺崎が驚く。そんなこいつに俺は携帯電話をしまいながら、


「あいつはな、俺達なんかよりもずっと優しくて、聡い子なんだ」

「……あぁ」

「だから、その秋月がこういうんなら、お前は来ていいんだよ」


 寺崎は少しだけ、黙った。その顔は何かを堪えるように空を見上げている。それからどこか困ったように、けれど救われたように笑った。


「分かった。秋月に俺も行くって伝えてもらっていいか?」

「あぁ」


 当然のように俺が頷けば、寺崎はどこか苦笑するように、


「俺、峰岸には一生頭が上がらない気がする」


 そう言った。




 制服を受け取り、俺の視界にマンションが見える頃には腕時計は10時少し前を指していた。日野が本日は夜勤のため約束は午前中だったのだ。帰り付く頃にはマンションの前に見慣れて影がある。


 秋月に日野、そして恐らく日野が面白がって呼んだのだろう。五月女もいた。元気よく手を振ってくる秋月に手を振り返し三人に近づいた。


『おはよう!

 ハジメ君!』

『あぁ、おはよう。秋月は今日も元気か?』


 俺の問いに笑顔で大きく頷く秋月。そうか。うん、よかった。頷き、それから五月女に目を向ける。


「五月女も悪いな。どうせ日野に連れて来られたんだろ?」

「えっと、あはは」


 困った様な笑顔が俺の考えが合っていることを教えてくれていた。ふむ、まぁお土産になるかは分からないが。


「俺も丁度寺崎と会ってな。ついでだから連れてきた」

「あ、ども……」

「え!? カズ君!?」


 こいつが来るとは思っていなかったんだろう。目に見えて驚く五月女。ちなみに『カズ君』とは日野が寺崎に付けたあだ名だ。名前が『和真』だかららしい。


 寺崎は少し居心地が悪そうに頭をかいている。その目はまだ真っ直ぐに秋月を見れていない。一人があんまり遠慮すると空気が変になるモノだが……例に漏れず妙な空気になってしまった。


 五月女はサプライズに動揺したままだし寺崎は必要以上に緊張している。その空気を察して秋月は何と言えばいいのか分からない様子だ。


 とはいえ、まぁあまり気にしていない。


 ここには、日野がいるからな。


『ふむ。さてはカズ君、いっちーの制服姿を見たくてついて来たのね! そうはさせないわ! いっちーのレア写真の権利は第一にひめのん! 次に私にあるんだから!』

『いや、何で俺が峰岸の制服姿を見たがるんだよ!?』

『何ですって!? 聞き捨てならないわ! 今の発言はいっちーをディスったと見なす!』

『い、いやそんなつもりは……』

『じゃあやっぱりいっち―を見に来たのね!? 薄い本が厚くなる!』

『その二択やめてくれませんかねぇ!?』


 二人のやりとりを見ていた秋月と五月女が、耐えきれなくなったように吹き出す様に笑った。内容もそうだがそれがメモでやり取りされているのもツボに嵌ったんだろう。


 途端、寺崎が恥ずかしそうに頭をかいた。対し日野は計算通りと言うように笑った。


 ホント、こういうことをやらせると日野はすごいと思う。いわゆるムードメーカーとはこいつのことを言うんだろうな。


 場の空気が少し和んだことを察したようだ。秋月がメモを綴り、寺崎に見せた。


『寺崎君も、一緒に遊ぼう』

「……」

『いいのか?』

『うん! 皆一緒の方が楽しいよ!』


 秋月の言葉だからだろう。寺崎はそれ以上何も言わず頷いた。そんなこいつに秋月は嬉しそうにメモを続ける。


『だよね、梓ちゃん!』

「う、うん! 私もカズ君が一緒の方が、その……嬉しい……」

「お、おう……」


 ……なんだろう、この空気。


 さっきとは微妙に違う雰囲気に俺は首を傾げる。まぁいいか。今はそれ以上に気になることがあるしな。


俺は秋月と五月女に目を向けた。


『二人ともバッグを持ってきてるけど、どうしたんだ?』


 答えようと秋月がメモに手をやって、それを日野が止める。


『それは、後からのお楽しみ』


 ……まぁ、別にいいが。


 とりあえずいつまでもマンションの前に立っているのは迷惑なので。俺達は部屋に向かった。


 リビングで女性陣を待たせ、俺と寺崎は俺の部屋で制服に着替えると、秋月達に見せた。公立の中学らしい、黒の学ランだ。高校のように制服のバリエーションなどあまりないそれで、俺から言わせば『普通』以外の感想が出ない訳だが、彼女達は違うらしい。


 五月女が俺達――というより寺崎は見て、顔を真っ赤にしている。気持ちは分からないでもない。こいつははっきり言ってスポーツが似合うタイプの美系だ。背も高いし学校の噂で聞く限りモテていたからな。


 俺の記憶にある五月女と寺崎の関係はあの件があったためそこまで良好ではなかったはずだが、


「その、カズ君……似合ってるよ……」

「あ、えっと。サンキュ」


 ふむ、きっと俺が眠っていた間に何かあったんだろう。話では寺崎は二人を守ってくれていたようだしな。子供たちが仲良くなるのはいいことだ。


 うんうんと俺は頷く。そんな俺の服の袖を、秋月がそっと引っ張った。見れば彼女はとても嬉しそうに笑っている。


『ハジメ君

 すごく

 すっごく似合ってる!』

「……」


 それはきっと、お父さんのスーツ姿を褒める娘のような心境なんだろう。


 それでも真っ直ぐな感想が少し嬉しくて、俺は秋月の頭に手を置いた。


『秋月、楽しいか?』


 俺のメモに彼女はきょとんと目を丸くして――それから花が咲いたように微笑む。


『うん!』


 そうか。


 と、ふと視線を感じてそちらを見ると、日野が俺と秋月を見て、微笑んでいた。どこか懐かしむような、そんな表情だった。


「どうした?」

「ううん。ただちょっと、変わらないなって、そう思って」


 言葉の意味が分からないほど、流石に俺も頭は悪くなかった。


 あぁ、そうか。


 俺は――西オサムはこうやって、日野を、優陽を撫でていたから。


 日野は携帯電話を取り出して、


「いっちー、写真撮ってもいい?」


 その言葉にどんな意味があるのか。俺はあえて考えず頷いた。


 一通り野郎の制服姿という全く嬉しくないお披露目会の後、日野がメモを取り出した。


『ねぇいっちー、いっちーの部屋を借りてもいい?』

「……」

『何でだ?』

『それはもちろんベッドの下のお宝を――』

『今すぐ家に帰るか?』

『冗談! 冗談だから!』


 慌ててメモを書きなぐる日野。


『変なことしないから、お願い!』


 そう書いて日野が頭を下げる。うん、全く信用出来ないな。


 そんな俺の服を、遠慮がちに秋月が引っ張る。


『ハジメ君、私からもお願い』

『分かった。俺の部屋は汚いから空いている部屋でもいいか?』

『対応の差! 私とひめのんの間にはどれだけの差があるの!?』


 絶対に超えられない壁だな。納得いかないように「ぐぎぎ」と唸る日野。彼女は何故か秋月と五月女と一緒に立ち上がった。うん? 俺は首を傾げながら空いている部屋――父が使っていた部屋に連れていく。


 毎週末定期的に掃除しているため、ほとんど汚れていない父の部屋。改めて中を確認し問題ないと俺は3人を部屋に通した。どうやら俺がいると都合が悪いとの事なので部屋を出て行く。


 と、そこで秋月が思い出したようにメモを書いて、本当に不思議そうに訊いてきた。


『ねぇハジメ君

 ベッドの下の

お宝ってなに?』

「日野ぉ!」

「ごめんなさいぃぃぃ!」


 バタンと閉じられる扉。数秒それを見てから、俺は我が姪っ子の残念な成長に大きくため息を吐くのだった。


 リビングに戻り寺崎と二人、女性陣を待つこと数分、バンと勢い良くリビングの扉が開かれる。


「お待たせしましたジェントルメン!」

「その前にお前は俺に言うことがあるよな?」

「ごめんなさい! 本当に反省しておりますので何とぞ!」


 はぁ、まぁいい。


 俺が頷くと日野は安心したように息を吐いて、ニッコリと笑った。相変わらず見ているこちらが気持ちよくなる笑顔だ。


「さて改めて! サプライズにして本日のメインイベントのご案内! 美少女二人の制服姿のお披露目です!」


「どうぞ!」という日野の言葉に続いて現れたのは、五月女に手を引かれた秋月だ。その二人を見て俺は目を丸くしてしまう。隣りにいる寺崎も同様だ。


 何故なら二人は、俺達と同じく制服姿だったから。


 五月女のそれは、俺達が行く中学のセーラー服だ。紺色の生地に、赤い少し大きめのリボン。素朴なデザインだがそれが大人しめな雰囲気の五月女には似合っているとそう思った。


 そして秋月は――俺達とは全くデザインの違う、ブレザーだった。


 明るめの灰色の上着。ネクタイは落ち着いた紺色。そして黒と白のチェック柄のスカート。


 そうか、と俺は合点がいった。あのバッグの中身はこの制服だった訳だ。


 そして秋月のそれは、引っ越す先の学校の制服なんだろう。


 とことこと、秋月が俺に歩み寄る。


『どうかな? ハジメ君』

『あぁ、似合ってる。すごく可愛いぞ』


 俺の感想に、秋月は安心したように、それ以上に嬉しそうに表情を崩す。それからいそいそとメモを綴った。


『今日ね、本当は私が優陽さんにお願いしたの。

 引っ越す前に

 ハジメ君にこれを見せたいって』


 秋月はメモを続けるように書いて、しかしそれは途中で止まる。いつもならそんなことがないので俺が訝しめば彼女はまるでそれを隠す様に次のページにメモを書いた。


『それでね! ハジメ君にそう言ってもらえてすごく嬉しい!』


 笑顔と共に告げられた言葉。


 それはきっと、嘘じゃない。


 俺はそう思った。だけど、どこか本当じゃない気がした。





 それから数時間、せっかく集まったということでトランプやら人生ゲーム等で遊んだ後、皆が皆用事があるとのことで解散になった。


 日野はこれから仕事。五月女は親父さんのお見舞いで寺崎は習い事とのことだ。


 マンションの前で、秋月と一緒に皆を見送る。秋月は特に用事がないらしくもう少し俺の家にいるようだ。


 エレベーターで俺達は3階の俺の部屋に上がる。そこで俺はふと、こうやって秋月と二人きりになるのは久しぶりだと気付いた。


 俺が目を覚ましてからは、今思えばだけど本当に下らない理由で塞ぎこんでいたから、こいつと二人きりになるのを避けていた節があったから。


 そう思いふと隣を見れば秋月は、何かを考えているのか俯いていた。


 秋月?


 その姿がどこか寂しげに見えて、俺は彼女に問いかけようと携帯電話を取り出しメモ帳を開いて――丁度そのタイミングでバイブレータが反応する。


 電話? 日野から?


 画面に出た名前に目を丸くしながらも着信に出る。


「どうした?」

『あぁいっちー? ちょっと言い忘れたことがあって電話したの』

「言い忘れ?」


『うん。大したことじゃないんだけどね』と日野は前置きして、


『今日ひめのん、いっちーの家に泊るからよろしく!』


 ……はい?



 秋月の親父さんは仕事の都合上、当然と言えば当然だがこの町に住んでいない。だから秋月は現在、日野の家に世話になっている。とはいえ日野も看護師という仕事柄、夜勤というモノがあって夜家に帰ることが出来ない日があるとのことだ。


 俺が意識を失っている間、そんな日は五月女を頼っていたらしい。彼女も父親の件がありとあるアパートの一室で半ば独り暮らし同然の生活をしているからだ。メールで問い合わせた所五月女自身、一人は寂しかったため秋月と一緒に一晩過ごすのは楽しかったらしい。


 では何故今日に限って俺の家になるかと言えばそれは単純な理由で、五月女は父の件で今日から明日まで、遠方にいる叔父の家に行くからとのことだった。どうやら先ほど聞いた用事とはそのことだったようだ。


 日野の電話の後、五月女とメールでの連絡を取った携帯電話を眺め、俺は納得する。それと同時に、でも、とそう思った。


 別に、俺の家に泊る必要はない。


 そもそもいくら俺達が子供(俺に関しては姿だけだが)とはいえ異性が同じ屋根の下、夜を共にするというのは非常識だ。


 そう思い秋月に伝えようとして、気付く。


「……馬鹿か、俺は」


 てめぇの浅い考えに、俺は首を振った。馬鹿さ加減に自分を殴りたくなる。


 部屋に戻り、俺の隣りに座る秋月をそっと横目で見る。


 この子はついこの間まで、親の温もりを知らないでいたんだ。その上で、日野や五月女という温もりを知った。


 そんなこの子が好んで独りになりたい訳、ねぇだろ。


 思わず、ため息が出た。秋月に対してではなく、自分自身に。


 と、どうやらそれを見られていたらしい。秋月がひどく心配そうな顔で、こちらを見ていた。『ハジメ君?』とどこか不安そうな彼女に、俺は心配するなと笑みを浮かべる。


『ちょっと考え事しててな』


 すぐさま、メモが綴られる。


『考え事? 私に何か出来ることある!?』


 真剣な表情で、秋月が俺へ身を乗り出す。その真っ直ぐな視線に、俺は苦笑を浮かべた。


 そうだな、とりあえずは――


『今日の晩飯を何にしようかなってな』


 笑って、誤魔化そう。とはいえこれも本心だった。


 確かに驚きはしたが、別に秋月が俺の家に泊ることを迷惑になんて、思わないんだから。


 そうなると晩飯だが、コンビニ弁当、でいいか? 


 俺も前世の記憶があるから作れない訳じゃないが、やっぱり味が保証されているほうがいいはずだ。


 いやだけど、俺一人ならそれでいいが秋月に、育ち盛りの子供に栄養が偏った弁当を食わせるのか? だけどそれを言えば俺の料理の方がそんな細かいこと考えていないし。


 何より、これは俺の勝手なイメージだけど――コンビニの弁当を並べられるのは、どこか寂しいんだ。


 ――脳裏に蘇るのは、たった一人で冷たいご飯を食べていた、昔の俺。


「……」

『秋月。味が保証されているコンビニの弁当と上手いかも分からない俺の料理、どっちがいい?』


 俺は、相も変わらず中途半端だ。


 決断を自分で決められず、秋月の答えにゆだねようとしている。


 なのに――


 俺のメモに、秋月は目を丸くした。


『ハジメ君、ご飯作れるの?』


 意外そうな顔に、頷く。すると彼女は疑問のそれを満面の笑みに変えて、


『私、ハジメ君のご飯がいい!』


 なのに――そう、真っ直ぐな笑顔で紡がれた言葉を、嬉しいとそう思っちまうんだから。



 

 冷蔵庫の中身を確認した所、碌な食材がなかった。基本コンビニないし弁当屋で済ませていたので当然と言えば当然だが。


 米だけは毎日炊いていたので問題ないが、他は調達が必要だな。


『秋月、ちょっと買い物に行ってくる』


 俺のメモに、秋月は素直に頷いた。だけどそこには、何か言いたそうな、でもそれを隠すような何かが窺えた。


 ? ……あぁなるほどな。


 見当がつき、俺は秋月の頭を撫でた。


『一緒に行くか?』

「……!」

『うん!』


 昔の、前世で子供だった時の俺は、親に買い物に連れて行ってもらえないと寂しかった。ガキの俺にとってスーパーはそれだけで物珍しかったし、何より親と一緒にいたかったから。


 きっと秋月も、同じ気持ちなんだろう。


 いそいそと隣りで靴を履く少女。俺達は立ち上がると、並んで家を出た。


 スーパーまでは歩いても十数分程度だ。自転車があるが買うモノもそんなに多くないだろうし徒歩でいいだろう。


 エレベーターで一階に下り、道路に出る。


 道中、秋月は嬉しそうに俺の隣りを歩いていた。きっと、買い物が楽しみなんだろう。と言っても食材ばかりなのだが、まぁ好きなお菓子とか買ってやるか。


 ――おっと。


 上機嫌なのはいいが、足元がお留守だ。道路の窪みに足を引っ掛けた秋月を、その細い手を取って支えてやる。


『平気か?』


 見た所転ぶ前に引っ張れたから怪我はないようだ。携帯電話のメモ帳に映し出された俺の文字に秋月は少しだけ恥ずかしそうに笑った。


『うん。ありがとう』

『そうか』


 ディスプレイを見せてから、掴んでいた秋月の手を放しまた歩こうとして――何故かぎゅっと、握り返された。


 秋月?


 そちらを見れば、何だろう。先ほどとは違い頬を染めて、俺の手を握る秋月がいた。彼女は何かを伝えたいんだろう。空いている手でメモを取り出し、だが筆を持つ手が足りないことに気付いたようで慌てている。


 ……もしかして、


『手を繋いでいたいのか?』

「……」


 こくりと、頷く。


 俺が携帯電話を貸してやると、秋月は片手でポチポチとボタンを打ち、


『ダメ かな?』


 ……らしくないと、そう思う。


 似合わないと、本気で思う。


 だけど俺は、秋月の手を少しだけ強く握って、歩きだした。


 俺の答えに、優しいこの子は、嬉しそうに笑ってくれた。


 スーパーにつくと、流石にかごを持たないとダメなので秋月の手を放した。親に手を放され落ち込むように秋月が少ししゅんとなるが、すぐに顔を上げて、笑顔で俺の手からかごを取る。


『私が持つね!』


 ふんす、と意気込んで小さな両手でかごを持つ秋月。


 いやいや、それは大人で男の俺の役目だと俺は取られたかごをそっと取る。


 それを更に取り返す秋月。珍しく譲ろうとしないな。


 こうなったら、折れるのは当然俺だった。


 せめてカートにかごを乗せることで俺は納得することにする。優しいこの子のことだ。きっと俺の役に立てるのが嬉しんだろう。平均より低い身長のせいでおっかなびっくりにカートを押す秋月に、俺はこいつが転ばないよう気を付けようと思った。


 さて、メインの買い物だが……


 ここに来て、俺はまだ何を作るか決めていないことに気付いた。


 普通、子供だったらハンバーグとかスパゲッティとかが好きだよな。あとカレーとか。ちなみに全部作れる。スパゲッティのミートソースだけは市販品だけど。


 でもどうせ作るなら、秋月が好きなモノの方がいい。


 確かこいつは……


 考えながら秋月を見て、止まる。そこに、何故か俯く彼女がいたから。先ほどまでの元気のないそれ。何か考え事をしているのか、俺の視線に気づいている様子はない。


 そう言えば、昨日もそうだった。どこか上の空で、それでいてひどく寂しそうで――いや、昨日だけじゃない。俺はこんな秋月を、以前も見たことがなかったか?


 考えている内に、秋月は我に返ったようだ。俺の視線に、先ほどの表情を隠す様に笑顔を重ねた。


 一瞬、聞こうかとも考えたが首を振る。場所が場所だし、聡いこの子のことだ。きっと自分から話してくれるだろう。


 俺は携帯電話を開いて、


『秋月、何か好きな料理はあるか?』

『ハジメ君が作ってくれるなら、何でも大好き!』

「……」


 秋月の親父さんは、幸福だな。こんなにいい子を娘に持てるなんて。


 だが、何でもいいというのが一番難しかったりする。けれど、秋月の純粋な瞳には俺が何を作ってくれるのか期待の色があって。


 ……はぁ。


 頑張ってみるか。


 作る料理を決め、食材を買っていく。豚のこま切れ肉に玉ねぎ、キャベツ。豆腐と明日の朝に食パン、牛乳。


 大まかな食材を買い終え、家に帰る頃には夕方の6時頃になっていた。


 俺は秋月にテレビでも見て待っていてくれと伝え、キッチンに立つ。久しぶりにまともに立ったそこ。身長が前世と比べまだ低いため少しだけ勝手が違うが、特に問題ないレベルだ。


 まな板と包丁、鍋等を取り出し、調理を始める。まずは鍋に水を張って、その中に切った玉ねぎを入れる。それから火をかければとりあえず味噌汁の準備は完了だ。


 それから豚肉を取り出し――何を見ているんだ、秋月?


 俺の家のキッチンはリビングと繋がっていて、正面から覗くことが出来る構築になっている。俺の腰までの壁に手を置いて、そこから秋月が俺を見ていた。


「……」


『見てて、面白いか?』


 秋月は、頷く。


『うん、ハジメ君って、すごいんだね!』


 実際、それほどでもない。


 まぁ子供の目から見ればそれなりのスピードで料理が出来るというのはすごいことなんだろうけど、慣れれば誰だって出来ることだ。


 きっとこんなことを日野に言えば『相変わらずネガティブだな~』と苦笑されるんだろうな。


 かなり現実に近い想像に俺が頷けば、秋月はもじもじと指を絡ませて、


『ハジメ君』


 そこから先が綴られるのに、数分かかった。


『もし、もしだよ?

 お嫁さんが出来るなら

 料理できる人が、いい?』

「……」


 それは多分、子供の好奇心から来る質問だと、そう思う。


 子供らしい、純粋に、聞きたくなったから訊いた、そんな問いかけ。


 だけどそれは、俺の心の中の、何かを揺さぶった気がした。


 ――きっと俺は一生、そう言う意味で人を好きになることは、ないだろうから。


 でも、それでもあえて、答えるとしたら。


『そうだな、料理が出来る人が、いい』


 それはきっと、想像の中だけで止まることだろうけど。


『それでな、一緒に並んで、料理出来る。そんな人が、いいな』


 俺は、小さく笑って続けた。


『俺にはきっと、縁のないことだろうけど』


 秋月は数秒、俺のメモをじっと見ると、とてとてと俺の横に立った。それから、メモを見せる。


『私 まだ料理出来ないけど

 お手伝いは 出来ると思う。

 手伝っても いい?』

「……」


 本当に、この子は。


 優しいと、そう思った。


 だからいつものように、彼女の髪を撫でようとして、料理中だったことに気付き止まる。そんな俺を、秋月が笑顔で見ていた。





 誰かとこうやって、食事を取るのは何年振りだろう?


 テーブルの上。料理が並ぶそこに俺と秋月は向かい合って座っていた。目の前に並ぶのは久しぶりに腕を振るった手料理。正直男の料理なので見てくれはそこまでだが、味は保証できるはずだ。


 豆腐と玉ねぎの味噌汁。千切り――は上手く出来ないので千切りに近い細さで切ったキャベツ。そしてその横に茶色のたれで焼いた豚肉。甘辛い味を匂いで出しているそれは、醤油とみりんを一対一、そして多めの砂糖で味付けし最後に擦った生姜で味を調えた――生姜焼きだった。


 西オサム時代、初めて弟に美味しいと評価を貰ったモノだ。


 味見もしたしかなり上手く出来たという自負もあるが、はたして秋月の下には合うのだろうか?


 互いに『いただきます』と手を合わせ、箸を持つ。それから俺は食べながらもそっと秋月の様子を窺った。


 そんな俺に気付いていないようで、秋月は綺麗に箸を持つと、味噌汁を一口飲み、目を瞬かせ、生姜焼きをご飯と一緒に食べると、その口元を綻ばせた。


 それから、俺に満面の笑みを向けてくれる。


 それを見れば、メモがなくても秋月が言いたいことが分かった。


 俺は、大きく息を吐く。何故そんなことをしたのかは、上手く分からなかったが。


 そんな中、俺は一つの事実を見落とさなかった。


 美味しそうに、嬉しそうに俺の手料理を食べてくれる秋月が、少しだけ、先ほどのように何か考え、俯いたことを。





 晩飯を食べ終え、お風呂に入り終わった頃には、秋月はうとうとと首を揺らしていた。昼間日野たちの話しに聞いた所、秋月はいつも九時ごろには寝ているらしい。時計を見れば九時を既に少し過ぎている。


 何だか妙に子供らしくて、俺は小さく笑うと秋月の手を引き、父の部屋に連れて行った。流石に子供とはいえ一緒に眠るのは常識的によろしくないだろう。


 秋月を、ベッドに寝かせる。虚ろな瞼はもう半分、夢の中に入っているんだろう。俺はそっと秋月の髪を撫でると、眠りを妨げないようそっと立ちあがって――秋月に、手を掴まれた。


 起こしてしまったのだろうか?


 俺が目を向ければ、そこには不安そうな顔をする彼女がいて、


『どこに行くの?』


 自分の部屋だと伝えると、秋月は俯いた。まるで、何かを我慢するように。


 でも、俺の手を握る秋月の手は、震えても、決して力は緩まなくて――


 メモは、ない。


 目も、こちらを向いていない。


 それでも、分かった。


 この子が、何を我慢しているか。


『俺の部屋は、汚いぞ?』

「……!」


 秋月が、顔を上げる。


『ベッドも、狭い』


 秋月は、頷かない。


『匂いも、あるかも』


 秋月は、頷かない。


『それでもいいなら――一緒に寝るか?』


 秋月は――頷いた。


 だから俺は、そっと秋月の身体を抱き起こす。まだ半分寝ているような秋月は抵抗せず、俺の背中に収まった。


 背中から伝わる、温かな体温。


 あの日、補聴器を一緒に探した後もこの子を背負ったけど、心なし、その時よりも今の方が重いような気がした。


 それはきっと、秋月が今、ちゃんと恵まれているからだと、そう思う。


 だからこそ、思う。


 秋月、お前は今――何を、悩んでいるんだ?


 自室につき、壁際のベッドに秋月を寝かせる。間違って落ちるといけないので壁の方に秋月を、その逆が俺になった。


『秋月、狭くないか?』


 俺の問いに、秋月は俺から携帯電話を借りて、ボタンを打った。


『うん、大丈夫。

 それに、ハジメ君の匂いがする』


 どこか眠たげに、それでいて嬉しそうに微笑む秋月。


 そうかと頷いて、俺は秋月に背を向けた。相手が俺とはいえ、秋月も寝ている所を見られたうはないだろうから。


 電気を消し、視界が暗くなる。聞こえるのは俺と秋月の息遣い。そして時折響く、外で車が走り去る音だけ。


 寝付きの悪い俺は、慣れない状況に少しだけ敏感になっていた。


 だから、気付けた。


 俺の背中で、何かが震えていることが。


 誰かなんて、知れていた。


 俺は、そっと振り返る。それから布団の中に全身を隠している秋月を、携帯電話のディスプレイで照らし、目を見開いた。


 何故ならそこで――秋月が、泣いていたから。


 咄嗟に立ちあがろうとして、俺は大きく息を吸うと、それをゆっくり吐きだした。


 慌てれば、それが秋月に伝わってしまうような気がしたから。


 秋月は、泣いているのを隠そうとしているんだろう。涙を手で拭き、笑おうとする。だけど雫はとめどなく出て、笑みを上手く作れないようだ。そんなこの子の手を、俺はそっと止めた。


 それから、真っ直ぐ彼女の瞳を見る。意識を取り戻してからまた、逸らしてしまっていた彼女の瞳を。


 何で、泣いているのか。


 俺に、何か出来ないか。


 それを、伝えたいから。


 俺と秋月の視線が交差して、耐えきれなくなったんだろう。彼女は涙を溢れさせ、俺の胸に顔をうずめる。背中に回された手は、痛いほど俺を抱きしめていた。


 まるでそう――離れたくないと言うように。


 そして――俺が携帯電話を渡せば、彼女はゆっくりと嗚咽を漏らし、綴った。


『離れたく ない

 一緒に いたい

 ずっと ずっと

 ハジメ君と 一緒にいたい』


 涙が、零れる。


『私 今がすごく楽しい。

 一番 嬉しい。

 一番いちばん 幸せ』


 嗚咽が、漏れる。


『梓ちゃんがいて

 優陽さんがいて

 お父さんがいて

 寺崎君がいて

 ハジメ君が、すぐそこにいてくれる』


 俺の胸に、秋月の涙が溜まった。


『私 馬鹿だけど

 分かってる

 お父さんが この町にすぐに住めないって』


 文字は、続く。


『私は お父さんが大好き

 お父さんと 一緒に住みたい

 皆 みんな それがいいって言ってくれる』


『でも』と、ディスプレイが揺れた。


『私 ここに もっといたい

 ワガママでも

 自分勝手でも

 皆と

 ハジメ君と 一緒がいい』


 そう、か。


 そうか……


 やっと、気付いた。秋月の、あの何か悩んでいる顔。


 それを俺は、見たことがあった。


 意識を取り戻して、リハビリして、学校にも通えるようになって。


 俺以外の日常が全て戻った時、秋月は時折、あんな風に悩んでいた。


 でも一昨日までも俺は、それを支えてやれるほど余裕がなくて――いや、言い訳だな。


 少し考えれば、気付けたんだ。


 秋月にとって、この町に来てからの時間が、特別だったことに。


 それを失うのが、どれほど恐いかなんて。


 そっと、だけどぎゅっと、秋月を、抱きしめる。


 きっと、この子は気付いているんだ。


 親の仕事のことも。


 父親に話せば、彼が無茶をして、ここに住むことを許してくれるだろうことを。


 人吉明良は、そう言う人だから。


 そしてこの子は、人吉姫乃は、そんな明良さんの娘だから。


 だから、言えない。


 父に我儘を、言えない。


 それが彼にとって負荷になることを、知っているから。


 でも、それでも、ここに残りたかった。


『昨日も

 今日も

 すごく すごく

 楽しかった』


 毎日毎日が、きっと楽しかったんだ。


『でも でも

 楽しいって 思えば思うほど

 ここにいたいって

 そう 思っちゃう』


 誰にも、言えなかったんだよな。


 父親と一緒に住みたいことも。


 でも、ここを離れたくないことも。


 誰にも言えなくて、こいつは、我慢していたんだ。


『ハジメ君

 私 わたし

 ハジメ君と 離れたく ないよ』


 ――きっと。


 きっと少し前の俺なら、迷っていた。


 答えを、出すことに。


 だけど今は、少しだけ、でも確かに違う。


 俺はまだ、俺自身を信じられない。


 変わりたいと思っている、変われると思っている。でも、変われないかも知れないと、そう思っている、中途半端な人間だ。


 だけど、確かに信じているモノが、たった一つだけある。


 それは、それだけは絶対に揺らがないモノ。


 秋月を信じる、この心だけは。


 だから俺は、秋月に、自分の意思を伝えた。


 秋月――


『甘えるな』

「――!」


 秋月が、目を見開く。


 信じられないと言うようなその表情に、俺の何かが痛むけど、俺は続けた。


『俺は、ずっとお前のそばにいてやれない。変わらないモノなんてないし、ずっとなんてものもありはしない』

「……」

『そう、思ってた』


 ――え?


 秋月の驚きの瞳は、そう言っていた。


『変わらないモノは、確かにあるんだ。

 上手く、言えねぇけど

 それでも、変わらない。

 俺の想いは、一生変わらない』


 あぁ、そうさ。


 この胸の中にある想いは、俺が死ぬまで、きっと変わらないだろう。


 秋月、俺は――


『俺は――お前を忘れない』

「……!」


 秋月が、その手を、口元に持っていく。


 そんな彼女に、俺は笑いかけた。


 少しでも彼女が、安心出来るように。信じられるように。


『たとえ、どんなに離れても

 たとえ、何年会えなくても

 俺は、秋月姫乃を、忘れない

 お前を絶対、忘れない』


 だから、大丈夫だ。


 何が大丈夫なのか、理屈はない。


 根拠も理由も、ない。


 だけど、この想いに嘘はなくて。


 俺はそっと、秋月を抱きしめた。


『だから、安心しろ、秋月』

「……」


 秋月は、少しだけ黙って、何かに頷いて、それから俺の腕の中で、ゆっくり瞼を、閉じた。


 そっと彼女を見れば、そこには安心したように眠る女の子の姿があって。


 少しでも温もりを分けてあげられるよう、小さな身体を抱きしめる。


 頑張れ、秋月。


 頑張れ、頑張れ、頑張れ。


 抱きしめる少女に、俺は眠るまで、そう伝え続けた。





 眠るその最中、一つのアイデアを浮かばせながら。





 3月27日。


 人吉姫乃は、皆との別れを終え、父と二人新幹線の中にいた。どうやら今日は空いているらしく空席がかなり見受けられる。実際姫乃と父の指定席の付近にはほとんど人がいなかった。


 だからかもしれない。


 誰もいない、そこだからこそ、姫乃はもう、止められなかった。


「……!」


 口から、言葉になっていない嗚咽が、漏れる。


 それは、ずっと我慢していたモノ。


 皆に見せれば、きっとこの別れを悲しいモノにしてしまうから。


 だからずっと、我慢していた。


 ハジメに、大切な言葉を貰ったから。


 だから、ずっと我慢できると、そう思っていたのに。


 皆と、本当に別れてしまって、それがどうしようもなく、姫乃は悲しかった。


『姫乃、大丈夫?』


 父の言葉に返そうとして、だけど、涙が止まらなくて、文字が書けなかった。


 大丈夫だと、そう伝えたいのに。


 でも、本当は大丈夫じゃなくて。


 皆から貰った手紙を、ぎゅっと抱きしめる。


 別れる際に、優陽が言っていた。


 この手紙を書こうと言いだしたのは、ハジメだと。


 少しでも姫乃に安心してほしいからだと。


(だから、大丈夫だよ)


 これがあれば、きっと、自分は泣かないでいられる。


 そう思っても、涙はなかなか止まらなくて――


 そんな時、姫乃は振動を感じだ。ポケットからだ。そこには父が買ってくれた携帯電話があって、さっき皆にアドレスを送ったばかりだった。


 まだ慣れないそれを、手に取る。


 見ると、メールが一件、来ていた。


 差出人は――『峰岸ハジメ』


「……!」


 弾かれたように顔を上げ、姫乃は携帯電話をいじる。


 不慣れなため中々行きたい画面に行けない。それでも頑張ってメールを開いて――姫乃は、涙を止めた。


 だって姫乃は、あの時のことを、夢だと思っていたから。


 ハジメの家に泊ったあの日。覚えているのは、ひどく温かい彼の体温。そして伝えてもらった言葉。


 でもそれは、夢の中の出来事だとそう思っていた。寂しい姫乃が都合よく見た夢だと。


 だけど、違った。


 あの言葉は、温もりは、本当で――


 ハジメの、優しさだった。


 メールに綴られた、たった少しの文字。


 そこには、こう書かれていた。


『俺は、お前を忘れない』


 ぎゅっと携帯電話を胸に抱えて、姫乃は何度も頷く。


 彼が、自分を信じてくれた言葉を。


 だから、姫乃もハジメを信じる。


 ――ハジメ君。


 ――私も


 ――私も


 ――ずっと、ハジメ君のこと、忘れない。


 別々の所にいても――


 違う場所を見ていても――


 同じ空の下にいるから――


 ――この想いはきっと、同じだから。


 涙を、拭く。


 それから笑顔で、父の方を向いた。


『お父さん! 次の町、楽しみだね!』

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