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アークライト公爵家が誇った大邸宅が、奈落の瘴気に呑まれて漆黒の墓標へと変わっていく様を、私は冷ややかに見届けていた。
かつて私を虐げ、都合の良い道具として貪り尽くした「家族」の悲鳴は、今や奈落の神殿の柱に刻まれ、永劫の劇痛を奏でる家畜の鳴き声へと成り下がった。だが、私の胸にある飢餓感は、これっぽっちの復讐では到底満たされはしない。
「ヴァルター、進軍の準備を」
「はっ。すでに王都を取り囲む街道のすべてを制圧しております。陛下が指先をひとたび動かされれば、あの偽りの栄華にまみれた王都など、一晩で骨と灰の海へと変えてみせましょう」
ヴァルターは私の足元に深く跪き、燃えるような紅い瞳を輝かせながら応えた。彼の纏う漆黒の鎧から放たれる殺気は、周囲の空間を物理的に歪ませるほどに濃密だ。
私は満足げに微笑み、奈落の魔力で編み上げられた漆黒の魔獣「冥府の黒狼の背へと優雅に腰掛けた。
白銀の長髪が、引き連れる瘴気の風に美しく揺れる。私の行く先々で、大土は腐り、草木は黒く枯れ果て、かつてアールヴ王国が誇った肥沃な大地が、またたく間に冥府の領土へと書き換えられていく。
王都へと向かう一本道。そこはかつて、私が「聖女」として民を救うために、血を吐きながら馬車で何度も往復した思い出の道だった。
当時の私は、身体中に巻き付けた包帯の痛みに耐えかねて、意識を失いそうになりながらも、「これで民が救われるなら」と健気に神へ祈りを捧げていた。……なんと反吐が出るほどに愚かで、憐れな少女だったのだろう。神なんていない。
「見ていなさい、かつて私を拝み、そして手のひらを返して罵った愚民よ。あなたたちが崇めた『奇跡』が、どのような災厄となって帰ってきたのかを」
行く手の空は、すでに私の接近を察知して、昼間だというのにどす黒い夜の闇に覆われ始めていた。不気味な紫色の雷鳴が走り、王都を守るはずの「大結界」が、私の放つ圧倒的な魔圧の前にビキビキと悲鳴を上げてひび割れていく。
街道沿いにある宿場町や村々からは、すでに言葉にならないパニックの叫びが響いていた。
「ひっ、空が……空が死んでいく……!」
「魔獣だ! 悪魔の騎士たちが攻めてくるぞ!」
彼らは武器を手に取る気にすらなれず、ただ押し寄せる死の軍勢のプレッシャーに腰を抜かし、互いを踏みつけ合いながら逃げ惑う。私はその光景を、まるで行進するアリの群れでも眺めるかのように、冷徹な目で見下ろしながら通り過ぎた。私の目的は、この国の心臓――あの傲慢なる王族の首、ただそれだけなのだから。
アールヴ王国の王都「ルミナス」。
白大理石で築かれた堅牢な三重の城壁と、神殿の最高位魔術師たちが常時展開する「神聖大結界」によって、建国以来一度も敵の侵入を許したことがないという、絶対不落の象徴。
だが、現在のその姿は、まるで死期を迎えた老人のように惨めなものだった。
私が王都の正門へと続く大橋の前に降り立った時、そこには王国が誇る「近衛魔術師団」と、生き残った数千の正規軍が、文字通りガタガタと全身を震わせながら防衛線を敷いていた。
「ひ、怯むな! 我らには神の加護がある! 結界は健在だ!」
魔術師団長らしき男が、声を裏返らせながら叫ぶ。
城壁の至る所に設置された魔導砲が、一斉に私へと狙いを定めた。
私は黒狼の背から静かに降り立ち、大理石の橋の上を、まるで夜会への花道を進むかのように優雅に歩いた。カツン、カツンと、私の漆黒の靴が鳴らす足音が、不思議なほど鮮明に彼らの耳へと届く。
「撃て! 撃てェェェッ!」
団長の号令と共に、凄まじい光量の神聖魔術や魔導砲の砲撃が、私を目がけて一斉に放たれた。空間を焼き尽くすほどの熱量と光の嵐が、私の身体を完全に飲み込む。
「やったか……!?」
兵士たちから安堵の声が漏れかけた、その瞬間。
「……それが、あなたたちの全力ですか?」
煙の奥から、何一つ傷ついていない私の姿が現れた。
それどころか、放たれた神聖魔術の「光」は、私の身体に触れた瞬間にどす黒い反転を起こし、すべて奈落の瘴気へと変換されて周囲を汚染し始めたのだ。
「な……ば、バカな……っ! 最高位の対魔術防壁だぞ! なぜ傷一つ付かない!」
「当然です」
私はふっと、妖艶に唇を歪めた。
「あなたたちの使うその魔術の『術式』、もとはといえば、私が国中の呪いを効率よく吸収するために、神殿に教えてあげた浄化術の応用でしょう? 私が教えた力で、この私を傷つけられると思ったのですか?」
驚愕に顔を染める彼らに向かって、私は右手をそっとかざし、そのまま空間を「引き裂く」ように指を動かした。
バリィィィィィィン!!!
王都を数百年にわたって守り続けてきた神聖大結界が、まるで薄いガラス細工のように、一瞬で粉々に砕け散った。その凄まじい衝撃波だけで、城壁にいた魔術師たちの半数が精神を焼き切られて血を吐いて倒れ、魔導砲は次々と大爆発を起こした。
「嘘だ……、結界が、我が国の誇りが……っ」
「さあ、ヴァルター。門を開けなさい」
「御意」
ヴァルターが巨大な大剣をひと振りすると、厚さ数メートルを誇る鉄製の正門が、まるで紙切れのように真っ二つに両断され、凄まじい轟音と共に内側へと倒れ込んだ。
「ギャァァァァッ!」
「助けてくれ! 化け物だ、化け物が来たぞ!」
防衛線は一瞬にして崩壊した。
逃げ惑う兵士たちを押しのけ、私は死霊騎士の軍勢を引き連れて、王都市街地へと足を踏み入れた。
かつて私を「薄汚い包帯女」「偽物の聖女」と蔑み、石を投げつけてきた王都の民たちが、今や泥に塗れて這いつくばり、私のドレスの裾が近づくだけで恐怖のあまり失禁して命乞いをしてくる。
「エレナ様! お許しください! 私たちは何も知らなかったのです!」
「すべてはジュリアン殿下と王家がやったことです! 私たちはただの民です!」
彼らは涙と鼻水にまみれた顔で、必死に私にすがりつこうとする。
私はその者たちの前で足を止め、哀れむように目を細めた。
「何も知らなかった、ですか。……いいえ、あなたたちは知っていたわ。私が毎晩、全身に血をにじませながら結界を維持していたことを。それなのに、リリア様という若くて美しい『新しい聖女』が現れた瞬間、あなたたちは私を嘲笑い、罵声を浴びせた。……その罪の重さを、今ここで思い知りなさい」
私が軽く息を吹きかけると、周囲の民たちの身体から、一斉に「過去に私が治してあげた病」が再発した。ある者は激しい肺病で血を吐き、ある者はかつて消え去ったはずの悪性腫瘍が急激に膨れ上がり、苦痛にのたうち回り始めた。
彼らの悲鳴を聞きながら、私は一度も振り返ることなく、王都の中央にそびえ立つ、成金趣味の黄金の王宮へと歩みを進めた。
────
王宮の最深部、国王が君臨する「玉座の間」。
厚い純金で装飾された扉を、私の魔力で粉々に吹き飛ばし、私はその中へと足を踏み入れた。
広大な部屋の奥、一段高い玉座には、アールヴ王国の絶対権力者である現国王――ジュリアンの実父が腰掛けていた。彼の周囲には、生き残ったわずか数十人の近衛騎士たちと、恐怖で理性を失いかけている数人の老臣たちが、剣を抜いて身構えていた。
国王は、私の姿を見ても、未だに自らの「権威」が通用すると信じているかのように、傲慢に深く腰掛けたまま、鋭い眼光を向けてきた。
「……来たな、アークライト家の出来損ないの娘、エレナ。いや、奈落の化け物と言った方が正しいか」
国王の声は、威厳を保とうと低く響いていたが、その膝がわずかに震えているのを、私の目は見逃さなかった。
「お久しぶりですね、国王陛下。相変わらず、その黄金の玉座がよくお似合いですこと。衣服の下で、身体が腐り始めているのにも関わらず」
私の言葉に、国王の顔がピクリと跳ねた。
彼の首筋には、すでにうっすらと黒い呪いの斑点が浮かび上がっていた。私が王宮に近づくにつれ、彼がこれまで王族の特権として私に押し付けてきた「最高位の呪詛」が、因果の糸を伝って逆流し始めていたのだ。
「黙れ、無礼者! お前は我が王家が育ててやった、ただの『道具』に過ぎん! その分際で、王都を蹂躙し、我が最愛の息子ジュリアンを拉致するとは、万死に値する反逆だぞ!」
「育ててやった、ですか? 笑わせないで下さい」
私は階段の下で立ち止まり、扇で口元を隠すようにして、くすくすと冷ややかに笑った。
「私を聖女として縛り付け、アークライト公爵家と結託して、あらゆる国の暗部や呪いを処理させるゴミとして利用したのはあなたでしょう? ジュリアン殿下が私を奈落に突き落とした時も、裏で許可を出したのはあなただ。違いますか?」
「それが国家を維持するための、王族としての正しい判断だ! 汚れた器は、新しく清らかな器に取り替える。当然の措置だろうが! お前はそれで満足しているべきだった」
国王は立ち上がり、腰に差した「王家の聖剣」を抜いて私に向けた。その剣は、建国始祖が神から授かったとされる、燦然たる金の光を放つ最高位の神聖兵装だった。
「この聖剣の光がある限り、不浄なるアンデッドなど、我が前に跪く定めなのだ! エレナ、いや奈落の魔女よ。今すぐその邪悪な軍勢を退かせ、ジュリアンを返し、再び我が王家の奴隷として呪いを吸い尽くす器となれ! さもなくば、この聖剣の錆にしてくれる!」
老臣たちも、国王の言葉に調子を合わせるように叫ぶ。
「そうだ! 反逆者め!」「神の光に平伏せ!」
彼らの傲慢さは、もはや滑稽を通り越して哀れだった。
彼らは未だに理解していないのだ。自分たちが立っているその場所が、すでに崩壊した空中楼閣であるということを。
「ふふ……、あはははは! あはははははははは!!」
私はお腹を抱えて、玉座の間に響き渡るほどの高笑いを上げた。白銀の髪が激しく揺れ、私の瞳から放たれる紅い魔力の炎が、広間の純金装飾をまたたく間に黒く溶かしていく。
「とてもおかしいわ。陛下、あなたはその『聖剣』の本当の価値を、一度でも考えたことがありますか? 私はあなたのおかげで知った」
私は笑うのをピタリとやめ、冷酷極まりない目で国王を見据えた。
「その聖剣が、なぜそれほどの清らかな光を放ち続けられたのか。……それはね、私達という器が、その聖剣が発する『使用者の生命力を削る反動』や『蓄積する魔力の歪み』を、裏で毎日毎日、すべて代わりに引き受けていたからよ」
「な……何だと……!?」
「あなたがその剣をひと振りするたびに、私の肉体は内側から焼け焦げるような劇痛を味わっていた。……引き受け手を失ったその聖剣が、今、どのような状態にあるか、その身で確かめてみるといいわ」
国王が驚愕して手元の聖剣を見た、その瞬間。
パキィィィィィィン……!
眩い光を放っていた金の刀身に、どす黒い因果の「亀裂」が一瞬で走り、次の瞬間、凄まじい爆音と共に粉々に砕け散った。
それだけではない。砕け散った刀身から溢れ出したのは、数百年分の「聖剣の呪い」――使用者の血を吸い尽くし、魂を汚染する邪悪なエネルギーの奔流だった。
「ぎゃあああああああああああああっ!!!」
国王の絶叫が広間に響き渡る。
聖剣を握っていた彼の右腕が、一瞬にして乾いた木切れのように干からび、骨の形が浮き上がった。呪いは瞬く間に彼の全身へと広がり、内臓を、筋肉を、容赦なく貪り喰らっていく。
「陛下! 国王陛下!」
近衛騎士たちが駆け寄ろうとするが、彼らもまた、自身の身体から噴き出した「過去の傷」の逆流によって、次々と血を吐いてその場に倒れ伏した。
「あが、あ、……何だこれは、痛い、熱い……! 身体が、魂が消えていく……っ!」
国王は玉座から転げ落ち、床に這いつくばりながら、私に向かって震える手を伸ばした。
「た、頼む、エレナ……っ! 吸い取ってくれ、この呪いを! 私が悪かった! お前にこの国のすべてを譲る! 女王として、この玉座に座ればいい! だから、この痛みを、早く、早く……っ!!」
かつてこの国で最も偉大だった男が、今は私の足元で、涙と血にまみれて惨めに命乞いをしている。
私はゆっくりと階段を上り、国王の目の前まで進むと、彼の頭を上から冷酷に見下ろした。
「いいですよ、陛下。お望み通り、私はこの国の『女王』になりましょう。……ただし、私が統べるのは、生者の国ではない。――死者と絶望が蠢く、永遠の『死の国』よ」
私が右手を軽く握り締めると、国王の身体を取り囲んでいた呪いのエネルギーが爆発的に膨れ上がった。
「ぎゃ、あ、あ、ああああああああああ!!!」
国王の絶叫は、彼の肉体が完全に黒い灰へと変わるまで、数十秒にわたって神殿のような広間に響き渡った。
アールヴ王国を数百年支配してきた王家の血脈は、今、ここに完全に断絶した。
────
国王が灰となった玉座の間に、静寂が訪れる。
生き残ったわずかな老臣や騎士たちは、もはや恐怖の限界を超え、言葉を失って床に額を擦り付けたまま、ただ震えることしかできなかった。
「ヴァルター」
「はい」
「王宮の尖塔に、我が冥府の旗を掲げなさい。今日、この瞬間をもって、アールヴ王国は消滅しました。これからは、この土地のすべてが私の領地となります」
「御意のままに、我が女王陛下」
ヴァルターが深く頭を垂れ、彼の合図と共に、外に控えていた数万の死霊の軍勢が一斉に勝利の咆哮を上げた。その地鳴りのような叫びは、王都の隅々にまで行き渡り、生き残った民たちに「新しい時代の到来」を、そして「終わらない絶望の始まり」を告げていた。
私はゆっくりと、純金から漆黒へと変色した中央の玉座へと歩みを進め、そこに深く腰掛けた。
背後には、奈落の瘴気が巨大な翼のように広がり、王宮の全体を包み込んでいく。
「ジュリアン、リリア、お父様……。あなたたちが見捨てた私が、今や世界を飲み干す王座を手に入れたわ。……特等席から、私たちの新しい国が繁栄していく様を、永遠に呪いながら見つめていなさい」
私の脳裏に、奈落の底で今も茨に貫かれ、絶え間なく再生と崩壊を繰り返している彼らの「悲鳴」が心地よく響いてくる。
空は完全に漆黒に染まり、王都ルミナスは、死者たちの新しい楽園へと生まれ変わった。




