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第一話 転生したら馬車と馬と、よく分からないスキルがありました

目が覚めたとき、最初に思ったのは「布団が固いな」ということだった。


次に「空気が草の匂いがするな」と思った。


三番目にようやく「あれ、ここどこだ」と気がついた。


藤井颯太──いや、今この瞬間から名前がレオン・ファルカスに変わったのだが、それはひとまず置いておいて、ゆっくりと身体を起こした。背中に感じていた固さは、乾いた草を束ねた粗末なベッドのものだった。頭上には木の梁。窓の外には見知らぬ村の景色。


三十二年の人生で百か国を旅してきた身としては、「知らない部屋で目を覚ます」という体験にはそれなりに慣れていた。だが今回はさすがに様子が違う。


前世の記憶が、まるで昨日のことのように鮮明だった。残業続きだった最後の夜。帰り道の横断歩道。突然の衝撃。そして──ここ。


「異世界転生、ですか」


声に出してみると、思ったよりずっと落ち着いた声が出た。


まあ、なんとかなるだろう。


それが藤井レオンという人間の、根本的な気性だった。アフリカの砂漠で水が尽きかけたときも、南米の山奥で道に迷ったときも、東南アジアの屋台で腹を壊して三日間動けなかったときも、最終的には「まあ、なんとかなった」のだ。今回もきっとそうだろう。


    ✦  ✦  ✦


部屋を出ると、年配の女性が炊事をしていた。どうやら彼女がこの小屋の主らしい。


話を聞くと、三日前に街道の脇で行き倒れていたところを息子に運び込まれたのだという。所持品は一切なかったが、不思議なことに怪我も病気の痕跡もなく、ただぐっすりと眠り続けていたと言う。


「何か食べるかい? 粥しかないけどね」


「ありがとうございます。いただきます」


差し出された木の椀の中身を見て、レオンは内心で眉をひそめた。粥といっても穀物を煮ただけのもので、塩気もなく、具もない。色も白というよりは灰色に近い。


──これは、人が食べるようなものじゃない。


百か国を旅した経験の中で、レオンは貧しい食卓というものを何度も目にしてきた。飢えている人の食事というのは、こういう顔をしている。


だが今は余計なことを言う前に、自分の現状を把握することが先だ。レオンはひとまず粥を完食し(思ったよりは食べられた)、礼を言って、村の中を歩き始めた。


    ✦  ✦  ✦


村は小さかった。家が二十軒ほど。住人は百人に満たないくらい。農村らしく、周囲には畑が広がっているが、育っている作物はどれも痩せて見えた。


村はずれに差し掛かったとき、レオンは足を止めた。


大きな幌馬車が一台、木陰に停まっていた。


馬車の外壁には工具がずらりと吊り下がっている。(のみ)、鋸、鉄鎚、やすり。荷台の後部には折り畳まれた木製のカウンターがくくりつけられている。どう見ても屋台の設備だ。馬繋ぎ場には灰色の老いた馬が一頭、こちらをじっと見ていた。


「……これ、俺のか」


馬車の御者台に腰を下ろしてみると、しっくりとくる感触があった。革製のエプロンがそこに折り畳んで置いてあり、着てみると身体にぴったりだった。


御者台の脇の小箱を開けると、羊皮紙が一枚入っていた。そこには流麗な文字でこう書かれていた。


──旅人よ。君にこの馬車と、グレイと、五つのスキルを授ける。存分に楽しみたまえ。by 某神


「某神って何だ」


レオンは思わず空を見上げたが、何の反応もなかった。


スキルについては、どうやら意識を向けると確認できるらしい。目を閉じて内側に意識を集中させると、淡い光のようなものが五つ浮かんだ。


【工房 Lv.3】 道具の制作・改良・修理に関する技術と直感が向上する。

【調理 Lv.3】 食材の調理・加工・保存に関する技術と直感が向上する。

【鑑定 Lv.2】 物体・素材・植物の性質を大まかに把握できる。

【回復 Lv.1】 適切な食事・薬草の処方により、人の回復を緩やかに促進できる。

【解毒 Lv.1】 毒性を持つ素材を識別し、中和する処方を直感的に導き出せる。


レオンはしばらくそれを眺めてから、静かに目を開けた。


「……全部、戦えないやつだな」


まったく問題なかった。むしろ理想的だと思った。前世でもレオンは、人と争うことよりも何かを作ることと食べることの方がずっと好きだったのだ。


「よろしく、グレイ」


灰色の馬に近づいて首筋を撫でると、グレイは一度だけ低く鼻を鳴らした。気難しそうな目をしているが、嫌がる素振りはない。レオンは前世でも動物とは不思議と仲良くなれた。


「まあ、なんとかなるだろう」


レオンはもう一度そう呟いて、馬車の荷台の扉を開けた。


    ✦  ✦  ✦


荷台の中は二つのスペースに分かれていた。


前半が工房スペースだ。壁際に作業台が固定されており、工具が整然と並んでいる。棚には金属の塊、木材の端材、名前の知らない鉱石や粉末が瓶に詰めて保管されていた。鑑定スキルで確認すると、それぞれの素材の性質がふんわりとした感覚で伝わってくる。


後半が居住スペースだ。折り畳みベッド、小さな書棚、食料庫。書棚には白紙の帳面が何冊か置いてあった。


レオンはその帳面を一冊取り出し、最初のページを開いた。そして羽ペンで、こう書いた。


大陸食技録 第一巻 著:レオン・ファルカス(旧名:藤井颯太)

この本は、エルテナ大陸に存在するすべての料理・食材・調理技術・保存技術を記録することを目的とする。各地を旅しながら、見て、食べて、作って、書き残す。誰かの役に立てばなお良し。

書いてみると、なんだか本当に旅が始まる気がして、レオンは少し嬉しくなった。


それから馬車に積まれた食材を確認した。小麦粉、岩塩、乾燥豆、干し肉、数種類の香草。調理道具は鉄鍋一つと、小さなかまど。


「これだけあれば、まずは一食作れるな」


    ✦  ✦  ✦


夕刻、レオンは馬車の後部カウンターを展開した。


火をおこし、鍋に水を張り、干し肉と乾燥豆を入れてじっくりと煮込む。途中で香草を加え、岩塩で味を調える。前世の百か国の旅で口にした、無数の家庭料理の記憶が手を動かしていた。スキルの補正もあるのか、香草の組み合わせが直感的にわかる。


豆と肉のスープが出来上がったころには、夕焼けが村を橙色に染めていた。


匂いにつられてきたのか、子供が一人、馬車の近くをうろうろしていた。レオンは椀によそったスープを持って近づいた。


「食べるか?」


子供は最初おそるおそるといった様子だったが、スープの匂いに勝てなかったらしい。受け取って一口すすると、目を丸くした。


「……おいしい」


「良かった」


その一言が広がるのは早かった。子供が家に戻り、しばらくすると大人も何人かやってきた。レオンは鍋いっぱいのスープを、順番に振る舞った。


「旅のお方、このスープはどうやって作ったんです? うちのはいつもこんな味が出ないんですが」


中年の女性が目を細めて尋ねた。レオンは少し考えてから答えた。


「豆を煮るとき、最初から塩を入れていませんか?」


「ええ、そうしますが」


「塩は最後に入れる方がいいんです。最初から入れると豆が固くなる。あと、干し肉は先に少し炒めると旨みが出やすくなります」


女性は「まあ」と声を上げた。「そんなことで変わるんですか」


「変わりますよ。あと、この香草──」レオンは馬車の棚から瓶を取り出した。「これと、これを一緒に使うと、豆の臭みが消えます。どこかで採れますか、この辺で」


「それならあの丘に生えてますよ。雑草だと思ってました」


レオンは帳面を取り出して、香草の名前と用途、採取できる場所をさらさらと書き留めた。大陸食技録の、最初の一ページだった。


    ✦  ✦  ✦


翌朝、世話になった老女の家に礼を言いに行くと、昨夜のことが村中に広まっていたらしく、何人かの村人が馬車の前に集まっていた。


「旅の方、少し時間をもらえませんか」


村の長らしき初老の男が、少し気まずそうな顔で言った。レオンは構わないと答えた。


「実は……村が困っていることがありまして」


話を聞くと、この村は内陸にあり、海から遠いため塩が慢性的に不足しているという。塩は交易商人から買っているが、値段が高い上に、月に一度しか商人が来ない。塩がないと食材の保存ができず、冬になると食料が慢性的に不足する。


「去年の冬は、老人が二人……」


村長は言葉を濁したが、レオンには意味が分かった。


レオンはしばらく考えた。塩そのものを作るのは難しい。しかし保存食の問題なら別の手がある。


「燻製と、発酵と、乾燥。この三つを教えましょうか」


「燻製は聞いたことがありますが……発酵、とは?」


「時間と微生物の力で食べ物を変化させる技術です。難しく聞こえますが、やることは単純ですよ。材料と、容器と、少しの塩と、待つ辛抱さえあれば」


レオンは馬車から道具と食材を出し、作業を始めた。


    ✦  ✦  ✦


まず乾燥保存を説明した。薄く切った野菜や肉を、通気性の良い場所に干す。それだけだが、切り方と干し方にコツがある。レオンは包丁の使い方から実演した。


「薄く均一に切ること。それと、重ならないように広げること。日当たりと風通しが大事です」


工房スキルが意外なところで役立った。乾燥を効率的にする簡単な干し棚の設計図を、レオンはさらさらと描いて見せた。材料は村にある廃材で十分だった。


次に燻製だ。石を積んで簡単な燻製器を作り、木のチップを使って肉を燻す。煙の温度と時間の管理さえ覚えれば、誰でもできる。


「この匂い……なんというか、すごく食欲が湧きますね」


村人の一人が鼻をひくつかせた。レオンは笑った。


「燻製肉は、うまく作れば数週間は保ちます。冬の備蓄にいい」


村人たちは最初こそ半信半疑だったが、燻した肉の色が変わり、独特の香りが漂い始めると、次第に目の色が変わっていった。特に子供たちは煙の出どころに群がって、燻製器を覗き込もうとしては大人に叱られていた。


レオンは煙の温度を手のひらで確かめながら、同時に工房スキルを働かせていた。燻製器の構造を頭の中で改良しながら、もっと効率のいい形を考える。石の積み方を少し変えれば、空気の流れが良くなって温度が安定する。それを村の鍛冶屋らしき老人に伝えると、老人は目を輝かせた。


「こういう構造なら、魚も燻せますよ。川は近くにありますか」


「村の東に小川がありますが、大した魚は取れませんで」


「大した魚じゃなくていいんです。小魚をまとめて燻して干せば、それだけで立派な出汁の素になります。前世で……いや、遠い国で教わったやり方ですが、小さな魚の燻製を砕いて粉にして、鍋に少し入れるだけでスープの味が格段に変わる」


老人は腕を組んで唸った。「出汁……聞いたことのない言葉ですが、やってみる価値はありそうですね」


レオンは食技録に書き足した。燻製小魚の出汁粉──試作予定、と。やることのリストはどんどん増えていく。それが楽しかった。


最後に発酵。これは時間がかかるので、今日中に完成品を見せることはできない。代わりに、レオンは簡単な漬物の仕込みを実演した。塩少量と野菜を合わせて重石を乗せる、ごく単純なものだ。


「二日後には食べられます。うまくいったら、次は塩をもっと減らした長期漬けも試してみてください」


「こんな簡単なことで……」


村長は少し呆然とした顔で言った。レオンは帳面に手順を書き写した紙を何枚か作り、手渡した。


「文字は読めますか」


「ええ、私は。若い者は少し怪しいですが」


「なら読める人が教えてあげてください。絵も描いてあるので、なんとかなるかと」


レオンは食技録にも同じ内容を書き加えた。保存食の項目一ページ目。実にあっさりと埋まった。


    ✦  ✦  ✦


その日の昼、レオンが馬車の工具を整理していると、村長がやってきた。今度は別の相談顔をしていた。


「実は、もう一つお耳に入れたいことがありまして」


「どうぞ」


「この村に、バルトという行商人が月に一度来るのですが……」


話によると、バルトは塩を独占的にこの村に売りつけており、相場の三倍近い価格を要求しているらしい。しかも村人が他の商人と取引しようとすると、街道の組合に話を通じて妨害するという。


「去年、若い者が王都から別の商人を連れてきたんですが、その商人は翌月から来なくなりました。バルトに何か言われたんでしょう。それ以来、みんな諦めて……」


レオンは話を聞きながら、腕を組んだ。


なるほど、そういう構造か。


「バルトが来るのはいつですか」


「次は五日後です」


「その日まで、私はここにいますよ」


村長が少し安堵したような顔をした。レオンは続けた。


「ただ、私は何もしません」


「……と言いますと?」


「保存技術が村に広まれば、塩の必要量は自然と減ります。発酵食品が定着すれば、塩がなくても冬を越せるようになる。そうなったとき、バルトは誰に向かって高値を要求するんでしょう?」


村長はゆっくりと目を見張った。


「……なるほど。塩がなくても困らなくなれば」


「そういうことです。バルトの商売の価値は、村がそれを必要としているから成り立っている。私はただ、その技術を置いていくだけです」


レオンはそう言って、帳面に向かった。食技録の続きを書くためだ。


村長は少し笑った。「旅のお方は、変わった人ですね」


「そうですか。旅をしていると、世界は広いなあと思うんです。同じ問題でも、別の場所では別の方法で解いていたりする。それを集めて回っているだけで」


レオンは羽ペンを走らせながら、前世のある旅の記憶を思い出した。モロッコの小さな村で教えてもらったタジン鍋の煮込み方。インドのおばさんに教わったスパイスの合わせ方。ベトナムの市場で見た、鮮やかな香草の使い方。


それらすべてが今、この手の中にある。


    ✦  ✦  ✦


五日後、バルトはやってきた。


太った中年の男で、馬車を二台連ねて村に乗り込んできた。従者が二人ついている。レオンはカウンターの裏でスープを仕込みながら、その様子を見ていた。


バルトは村長の前に立ち、いつものように塩の俵を並べ、価格を告げた。


村長は静かに言った。「今月は半分の量で結構です」


バルトの顔が変わった。「半分? なぜです。いつもと同じ量を買わなければ、次の月から供給を止めますよ」


「それでも構いません。今月は半分で」


バルトは目を細めて周囲を見回した。そして馬車の脇に停まっているレオンの馬車に気づいた。


「……あんたは誰だ」


レオンはスープをかき混ぜる手を止めずに答えた。「旅の者です。ちょうど通りかかったので、少し留まらせてもらっていました」


「旅の者が、村人に何を吹き込んだ」


「吹き込んだ?」レオンは少し首を傾げた。「料理を教えただけですよ。あと、燻製と漬物と乾燥保存の方法を。おかげでこの村、随分と食卓が豊かになりました」


バルトの顔が赤くなった。従者が剣の柄に手をかけた。


レオンは動じなかった。グレイが静かに鼻を鳴らしている。


「商売の邪魔をしやがって」


「邪魔はしていません。私は塩を売ることも、あなたの取引を止めることも何もしていない。村人が自分の食を守る知識を得ただけです」


「同じことだ」


「そうかもしれません」レオンは落ち着いた声で言った。「ただ、もし本当に商売が目的なら、もう少し長い目線で考えた方がいいと思いますよ。搾り取った村は、いずれ消えます。村が消えたら、あなたの商売も消える。持ちつ持たれつの方が長続きする、というのは商売の基本じゃないですか。私は百か国を旅してきて、そこはどの国でも同じでしたよ」


バルトは言葉に詰まった。従者が顔を見合わせた。


「……覚えていろ」


捨て台詞を残してバルトは立ち去った。半分の塩を売り、二台の馬車を引いて。


村長がレオンの隣に並んだ。「大丈夫でしたか」


「全然」レオンはスープの火加減を整えながら言った。「あの人、根は悪い人じゃないと思いますよ。ただ楽な稼ぎに慣れすぎているだけで。来月あたり、もう少しまともな価格で来るんじゃないですか」


「そうなるといいのですが……」


「なりますよ。来月はもっと塩が要らなくなりますから」


レオンは笑って、出来上がったスープを椀に盛った。


    ✦  ✦  ✦


翌日の朝、レオンは出発の準備をした。


グレイに馬具をつけ、工具が全部揃っているか確認し、食技録を書棚に仕舞い込む。昨日の夕方に仕込んだ漬物の様子も確認した。いい感じに乳酸発酵が始まっていた。


村人たちが見送りに来てくれた。干し肉と野菜を包みに入れて持たせてくれた女性もいた。子供たちが馬車の周りをぐるぐると走り回った。


「また来てくれますか?」


昨日スープを初めて飲んだ子供が聞いた。レオンはしゃがんで目線を合わせた。


「来ます。漬物の出来具合を確かめないといけないから」


子供はぱっと顔を輝かせた。


レオンは御者台に乗り、手綱を握った。グレイが静かに歩き始める。


村が小さくなっていく。


レオンは食技録を膝の上に広げて、今日の日付と、次の目的地らしき方向を書き込んだ。情報によれば、次の町までは二日ほどの道のりだという。途中に森があり、珍しい香草が採れると聞いた。


まだ旅は始まったばかりだ。大陸食技録の第一ページは埋まった。幻の素材「星鉄砂」の手がかりはまだない。


それでもレオンは、今日のスープが美味しかったことを覚えていた。村の子供の顔を覚えていた。


それだけで、今は十分だった。


「さあ、グレイ。次はどんな味に出会えるかな」


灰色の老馬は何も答えず、ただ蹄の音を刻んで、街道を進んでいった。

これまで、一読者でしたが、初めて作品を投稿してみました。

色々おかしな点があるかもしれませんが、暖かく見守ってください。

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