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後編

「リリイ、お誕生日おめでとう!」

「わ、ありがとうミモザ!」

 一日早いけどね、と笑いながらプレゼントを渡してくれる彼女に「嬉しい」ともう一度お礼を伝える。

 ミモザの言葉通り、私の誕生日は明日なのだけれど、学校は休みになるので、前倒しで今日に合わせてくれたのだろう。

「試験も終わったし、気が抜けちゃうわね」

「まだもう一つ残ってるんだから、気は抜けないわよ」

 ミモザも私も文官になる為の試験を終え、無事合格した。残すところは職業試験になるわけだが、そちらは筆記試験は形ばかりの、面接が重要な試験だ。まあ、就職活動と同じだと考えればいいのだろうと私は思っている。

「希望職、ミモザはもう決めているの?」

「私はいくつか受けようと思っているの。迷ってるから……」

 そういえば、前に図書館で働きたい気持ちもあるけれど、役場のが向いているかもしれないなんて悩んでいたなあ。ミモザならば、どちらでもやっていけそうな気はするけれど。

「リリイは、国主館に絞るの?」

「うん……少し迷ってる」

 私の言葉に一瞬だけ目を丸くした彼女は、しかし得心したかのように頷いた。

「ああ――そういえば、もう明日よね、投票結果が出るの」

 ミモザの言葉に、私は首肯する。

 驚いた事に、国主は半獣制度撤廃を本当に実現させようと、尽力し、とうとうここまでこぎつけた。議会と国民それぞれが投票し、いよいよ明日、撤廃がされるかされないか決まるのだ。私はもちろん、撤廃賛成に一票を投じた。

「てっきり議会だけの投票になるかと思ったけれど、国民投票にしたのは、やっぱり通った後の混乱や反発を避ける為なのかしら」

「そうね……きっと、成立した後に形だけのものにならないようにでしょうね」

 ミモザの言葉に頷いて答えると、ミモザも神妙な顔つきで「そうよね」と頷いた。

「これから先も、問題は山積しているのでしょうけど……大きな一歩だわ」

「ええ。だからこそ――私が出来る事は何か、きちんと考えたいの」

「あなたならきっと、何かを成し遂げられるわ」

 応援している、と微笑むミモザに、ありがとうと笑った。

 

「お嬢様! 起きてください!」

 メイドの声に眉根を寄せながら、ベッドヘッドに映し出されている時刻を見ると、まだ朝の六時を少し回っている時間だった。普段ならばもう起床時間だけれど、休日はいつも八時に起きているので、いくらなんでもまだ早い。私はぼんやりと私を揺さぶる女性へと視線を向ける。

「んん……どうしたの、ルル、今日は学校もお休みじゃない……」

「今日がどんな日か忘れたんですか!? 国報を早くご覧になってください!」

 ん? テレビ? テレビがどうしたというんだ。いやこの世界じゃテレビって言わないんだけど……ん? 今日?

「! まさか」

 ルルの言葉に飛び起きて、私は慌てて指先で四角を描いた。すると指でなぞった内部は切り落とされたように真っ黒になる。私は迷わずそこへ手を突っ込んだ。これは空間魔法の一種で、いわゆる持ち運べる収納スペースのようなものだ。念じれば、しまっていたものが掴めるようになっているけれど、想像力がないと使いこなすのがなかなか難しい。私はそこから、テレビのリモコンを取り出した。いや、こっちじゃテレビって言わないしリモコンもリモコンとは言わないんだけどさ。

 私はベッドと真向いにある、壁に下がったガラス板へと魔力を送りつつリモコン――操作機を向ける。するとガラス板が映像をうつしだした。これがこっちでのテレビみたいなものだ。チャンネルとかないけどね。何か重要なお知らせをする時に国が使っている魔法だ。全国版の新聞みたいな役割だけど、もっと早く国全体に知らせる媒体をとこれが作られたらしい。新聞のようなものも、この世界にはあるのだ。

 映像は、国主が国民に挨拶をするところから始まり、そこから淡々と、投票結果について、今後はそれによって世の中がどうなっていくかについての説明をしているものだった。

 国主の口から、本当にこれが現実なのかと思う言葉が発せられた。

「半獣制度の、撤廃が……決定?」

「そうです!」

「じゃあ……カイは、他の、半獣の人たちは」

「役場に行ったら、腕輪を外してもらえるんです!」

「…………」

 まさか、本当に?

 呆然とする私に抱きつくルルの体温をどこか遠くに感じながら、テレビに映る国主の話す言葉を、ゆっくりと脳に浸透させていく。

『まだ問題はあります。これは終わりではなく、むしろ始まりでしょう。私たちは今、新しい歴史へと足を踏み出したのです』

 ――新しい歴史。

 差別のない、みんなが笑って、自由に過ごせる世界。

「カイ……」

「あ、お嬢様、そんな寝姿のままで! お嬢様!」

 ふらり、と足を踏み出した私を慌てて止めるルルの声が聞こえたけれど、私は無視して扉を開け、走り出した。

「カイ! カイ! どこにいるの!」

 叫びながら屋敷中を走る私に、みんなが目を丸くし、やがて微笑んだ。みんな、私が常日頃から何を願っていたのか知っている。カイではない半獣の者もいる。そういえば、その人たちにもおめでとうを伝えたい。ああでも、おめでとうなんて言っていいのだろうか。わからないけど、でも。

「カイ!!」

 玄関ホールで、両親が出かけるところだったのか、二人が出ていく後ろ姿と、見送っているカイの後ろ姿が見えた。彼に聞こえるようにと精いっぱいの声で呼ぶと、私に気付いた彼は一瞬だけ目を丸くして、しかし飛び込んでくる私を受け止めるように慌てて腕を広げた。

「お嬢様――そんな薄着では風邪を召されます」

「そんな事はどうでもいいの!!」

「大事なお体です」

 カイに抱きつきながら説教されるのが少しおかしくて笑ってしまう。けれどとにかく、今は、嫌われてもいいから伝えたい。

「カイ――幸せになりなさい」

「!」

「絶対に、この国の誰よりも幸せになりなさい――命令よ」

「お嬢様……」

「主人として、最初で最後の命令よ!」

 こらえきれずに流した涙をそのままに、顔を上げてカイを見る。そんな私のぐちゃぐちゃな顔を無表情で「鼻水が出ていますよ、はしたない」と非難しながらも、私の顔を繊細な手付きで綺麗にしてくれる。

 ああ、ハンカチが鼻水に染まってしまう……。

「かしこまりました」

「え?」

「かしこまりました――リリイ様」

「! カイ……」

 ふわりと微笑んだ顔は、私の気のせいではなければ、とても嬉しそうだ。その表情の意味はわからなかったけれど、私はカイの笑顔が嬉しくて、顔いっぱいで笑って見せた。

 ねえ、本当にお願いよ。

 幸せになってね、カイ。


 その日の誕生パーティーは、盛大に行われた。本当は毎年大げさにしたくはないのだけれど、色々な兼ね合いがあるから仕方がない。毎年、家族行事を大切にしてくれる両親は、形ばかり祝われるそれが終わったあと、三人だけで改めてお祝いをしてくれるから、愛されているなあと感じる。カイも毎年プレゼントをくれるから、この日は本当に幸せだ。

 けれど、すべてが終わって、部屋に戻ってからも、カイは姿を現さない。もしかしたら、もう私の誕生日を祝ってはくれないのかもしれない。というか、今日は朝に会っただけでずっと姿を見ていない。……どうしたのだろう? やっぱり嫌われてしまったんだろうか……。

 悶々と悩んでいると、扉を叩く音が部屋に響いた。もう夜の二十二時前だというのに、誰だろう? 私は首を傾げながらも「どうぞ」と声を上げた。

「失礼致します」

「カイ!」

 部屋に入って来たのはカイだった。私は慌てて立ち上がり、さっきまで座っていたソファにカイを招いた。本来ならば主人と従者が隣り合って座るなんて事をしないのだけれど、二人きりの時はそういう線引きをあまりしていない。カイも気にした様子はなく、白いソファに二人並んで腰かけた。

「お嬢様、夜分に申し訳ございません。どうしても今日中にお渡ししたくて」

「え……」

 カイが、そっと懐から何かを取り出す。四角い小さな箱は綺麗に包装されてリボンが巻かれ、キラキラと光っている。これってひょっとして。

「あの……」

「十八歳の誕生日、おめでとうございます」

「! ありがとう」

 無表情ながらも祝いの言葉を口にするカイにお礼を言って、開けてもいいかと訊ねれば、カイは無言で頷いた。サイズがずいぶん小さいけどなんだろう? あ、髪飾りとかかな。あとはブローチとか。

 どきどきしながら包装を丁寧にとくと、中からまたもや箱が現れた。小さい桐箱のようなものだけれど、この世界に桐は恐らくない。いや、そんな事はどうでもいい。

 このサイズで、この妙に高級っぽい箱って。

「――あ、の、カイ?」

 中から現れたものに混乱しながら、どうすればいいのかわからず思わず彼を見る。

「手を」

 私から箱を奪ったカイは、なぜか手を出せと言う。私が戸惑いながらも左手を差し出すと、カイは「そちらではありません」と淡々と言った。

 いや。いやいやいやいやいや。

 この世界で、指輪を送るというのは日本と同様、特別だ。恋人が恋人に贈る物の定番である。しかし違いがあり、この世界では人さし指に指輪をはめるのが一般的だ。そして、左手の人さし指に指輪をはめるのは友愛のしるしで、家族や本当に親しい同性の友だちなんかにも贈られる事がある。逆に、右の人さし指――要は魔力が吹き出る唯一の場所なのだが、そこに指輪をはめろと言われるのは、この先、精霊からの加護がずっとあなたに訪れますようにという願いと共に、たとえ加護がなくなったとしてもあなたを守り慈しみますという誓いを立てると同義なのだ。で、それの意味というのはもちろん。

「カイ――あの、私とあなたは主従の関係よね?」

「それも間もなく終わります」

 彼の言葉に内心かなり動揺していたが、それを願っていたはずの私が慌てるのはおかしいとなんとか自分をなだめつつ、冷静なふりをしてカイの顔を見る。

「ええと、それは、私との契約を終了したいということ?」

「はい。もう、私に枷はなくなりました」

「! カイ、腕輪……」

 気付かなかった。彼の腕に、何もない。

 そうか、一日中いなかったのは……そういう事だったんだ。

「撤廃が決定した瞬間から、役場で腕輪を外せるようになるというのは決定前から公布されておりましたので。すぐに出向いて、つい先ほど終えてきました」

「そうだったの……よかった」

「リリイ様」

「本当に、よかった……カイ」

 思わず顔をおおって泣く私に、カイは何も言わずに黙って私の涙が止まるのを待ってくれた。それは長い時間であったようにも、短い時間であったようにも思えたけれど、カイの優しさがとても温かかった。

 でも。

 腕輪が外れて、私との契約を解除して……っていうのはまあ、いいんだけど。それはわかったんだけど。

「私とあなたはもうすぐ、対等になれる」

 カイの言葉に、頷く。

「私は、職業選択の自由が認められる」

 確かに。私はまた頷く。

「旦那様に、私を正式に雇っていただけないかとお願いしました」

「それって、お父様の会社で働くという事?」

 父の会社は様々な服飾品を扱う会社だ。名前を言えば知らない者はほとんどないくらい、低価格のものから高級品に至るまで手広く扱っている。そんな大会社の採用条件は、最高学府を出ている事だ。獣人は働くことが出来ないのが通例だった。しかしカイの言葉が本当ならば、父はその条件を今後変更するつもりがあるのかもしれない。

「はい。試験を通れば雇ってくださるそうです」

「最高学府を出ていなくても、試験を通れば良いということ? これからはそうなっていく可能性があるのね?」

 私が少し慌てた様子で訊くと、カイは冷静にただ無言で頷きながらも、私の頭を優しく撫でてくれる。

 う、嬉しいけど――何かさっきから様子が変ね、カイってば。

 されるがままになった状態で頬を染めつつ俯きがちで私が黙り込んでいると、カイはやがて撫でていた手を止め、私の頬を包むとやっぱり優しい動作でゆっくりと私の顔を上向かせる。

 真剣な彼の瞳と、ぶつかった。

「出世すれば、認めてくださるそうです」

「ん? 何を?」

「リリイ様との婚姻を」

 ――ん?

「…………カイ?」

「はい」

「あの、私ね」

「はい」

「今何か空耳が聞こえたみたいなの。もう一度言ってもらえるかしら」

「リリイ様、私と結婚してください」

「…………おかしいわね、疲れているかしら」

「リリイ様、右手を」

「…………」

 いや。いやいやいやいやいやいや!

「どうしちゃったのよカイ! あなたさっきからおかしいと思ったけど! まさか偽物!? 双子のお兄さんか弟さんでもいるとか!?」

 私はカイから距離を取ろうとソファから立ち上がった。一歩退き、奪われそうになった右手を引っ込めて左手で覆い隠すように懐へと仕舞う。危機感なのかはわからないが、あの指輪をはめてはいけないような気がしたのだ。

「チッ」

「舌打ちした! やっぱり偽物ね!? 危うくだまされるところだったわ!」 

 あっぶねー! 恋する乙女心を利用するとはなんたる不届き者! 誰だ一体こいつ!!

「リリイ様、俺の事好きですよね?」

「……はい?」

「あんなに昔から獣人制度に反対して、俺のために泣いたり笑ったりするような女の子が、よもやただの正義感だけでここまできたなんて言わないですよね?」

 なんか、どんどんカイ(仮)の顔が怖くなっていくんだけど。ついでになんか、寒気が……。

 思わず一歩、また一歩と後退していくが、いくら広いとはいっても部屋は部屋だ。やがて壁にぶつかるのは必然である。むなしく、背中がかたい何かに当たる感触がした。

 その瞬間、ドン、と壁を叩き壊す勢いで大きな手のひらが私の左側に迫った。顔の数センチ横だ。少しずれていたら顔面が潰れたのではないかと恐怖におののく。私は慌てて反対側に逃げようと思ったが、それも読まれていたのだろう。すぐさま同じようにカイの左手が私の顔の右側にこれまた壁に穴でも開ける勢いで叩きこまれた。

 こ、こわいよおおおお!

「リリイ様。現時点で、俺があなたに出来るのはせいぜい、これくらいなんです」

「カイ……?」

「本当ならすぐ結婚したい。放っておけばいつどこから縁談が舞い込んでくるかわからないような立場のお嬢様だ。だからせめて、あなたの右手に指輪を贈るのだけは許してくださいとあなたのご両親にお願いしました」

「えっ!?」

「きちんと了承もいただきました。あとはリリイ様が首を縦に振ってくれればすべて丸くおさまります」

「いやいやいや! そこがもっとも重要なところだからね!? なに本人の承諾なしに交際宣言すらすっ飛ばしてプロポーズしてんの!? 意味わかんないし!」

 おもいっきり前世の素が出たけれど、なんてことはない。カイには散々みせてきているから今さら驚きはしないだろう。

「好きです、結婚を前提にお付き合いしてください」

「今済ませようとすんな! じゃなくて! あんた私の事好きなの!?」

「さっきからそう言ってます」

 リリイ様の脳みそは学問以外に発揮されないのですか、て笑ってない瞳で口だけ笑ってそういう悪辣な事を言うんじゃないよ! このやろう!

「いやあのさ、私がカイを好きになってもさ、カイが私を好きになる理由がないじゃん?」

「――っ、サラッとまたあなたは……っ、なぜそう思われるのですか」

 少し頬を赤くするカイを思わずまじまじと眺めていると、ものすごい眼光で睨まれた。……ごめんなさい、さっさと続きをお話します。

「それは、だって……私とカイは主従関係で、カイはいつだって私に逆らえなくて、強制された関係で――」

 私が口ごもりながらも言い辛かった今までの悩みのあれこれをぶちまけると、カイは「はーっ!」と呆れきった様子で深く長いため息を吐いた。

「リリイと俺のどこにそんな強制力があった?」

「え」

「命令はしたくない、二人きりの時は敬語じゃなくていいとまで言ったリリイお嬢様と私の、どこに、主従関係なんて存在しましたか? あったとしてもそれは、形だけのものでしょう」

 それは――そうだったかもしれないけれど、でも。

「お父様に雇われて、私みたいな面倒なお嬢様に二十四時間つきっきりだったのよ? これが強制じゃないなんておかしいわ」

「俺が望んだんですよ」

「えっ」

「本当は、他に数人雇う予定だったんです、あなたの教育係や、護衛係を。けれどそれをすべて必要ないと言ったのは、俺です」

「えっ、な、なん」

「俺みたいなリリイに惚れる第二、第三の半獣を作りたくなかったから」

「!」

「あなたは、この世界の道理に憤ってくれた。半獣の獣化した姿を厭う人間も少なくないのに、時にはいっしょに眠りたいと狼である俺を願ってくれた。それが、どれだけの救いだったか、あなたにわかりますか」

「それは――私が」

「なんだっていいんです、あなたがどんな存在で、どんな場所から来たのかなんて。もしこの世界ではないどこかで生きていたのだとしても、皆が皆あなたのような人間になるわけではないでしょう?」

「! カイ、私のこの性格の理由、わかってたの?」

「なんとなくですけどね。想像した結果です」

 私はずっと、同じように生まれ落ちた人間がいれば、自分と同じような考えを持つはずだからと、どこか私自身を否定しているところがあって。だからこそ、そこに惹かれたと話す目の前のカイに、飛び込んでいいのかどうか、迷いが生じてしまうのだ。けれど……。

 無表情のまま私をじっと見つめるカイは、まるで私が私であるだけでいいと言ってくれているような気がした。

「あの、ほんとうに、私でいいの?」

 それでも、怖くて、カイに訊ねてしまうのは、卑怯で弱い私がいるからだ。それなのに、カイは呆れるでもなく、失望するでもなく、ただゆっくりと、私に微笑んでくれる。

「――私の自由は、あなたの傍にいることなのです」

「!」

「私の本当の願いは、一生、あなたの傍にいることなのです」

「――っ、カイ」

 段々と歪んでいく視界に、自分がこんなにも涙もろくなるのは、目の前の男に対してだけだと気付く。それだけで、もう彼を拒否する理由なんてない気がした。

「リリイ、俺と、結婚してくださいますか?」

 右手をそっと取られて、私は頑張って涙を止めようとごしごしと目元をこすると、カイが「赤くなる」とやんわり止める。カイの手で、そっと優しく拭われる感触に、すっかり慣れてしまった。

「カイ、私はあなたが大好きよ。私の初恋の人、私といつか、結婚してくれる?」

 カイに右手を取られながら彼の瞳を見て笑うと、カイは目を丸くして、やがて少し苦そうに笑った。

「本当は、今すぐにでも結婚したい――愛しています、リリイ」

 すっと右手のひとさし指にはめられた指輪は、私がもっとも得意とする風を司る魔法に由来する、緑色の石がついていた。きらきらと輝くそれが、まだ夢なんじゃないかとどこか思ってしまう。

「出来なくはないんですよ」

「え?」

「この世界は魔力さえあればまあ、どうにか生活出来るから。逃げてしまっても生活は出来る」

「え!?」

「でもそれは、リリイの幸せが欠ける事になりますからね」

「カイ……」

「まあ、晴れて恋人同士ですし、もう遠慮はしませんけどね」

 ――え?

「あの、カイ」

「とりあえず、我慢に我慢を重ねたこの八年間分の報酬でもいただきましょうか」

「いや、あの、展開が急すぎ」

「むしろ遅すぎるくらいです」

 うわあああ! この人なんで私を担ぎ上げてるの! ていうかお姫様抱っことかじゃなく俵持ちってなんなの! ムードもへったくれもない!

「ああ――あと」

 どさ、と少し乱暴に落とされたものの、柔らかい場所だから特に痛みもない――ってこれ、どう考えてもベッドの上ですが!?

「リリイ様はご存知ではないかもしれませんが、俺は嫉妬深いし独占欲も強いですから。少しでも他の男にかっ攫われそうなったらその時は容赦しません」

「え? それはどういう――」

「この世界は魔力さえあればどうとでもなりますからねえ」

 さ、さっきも聞いた! 聞いたよそれ!

「カイ、あの、心の準備」

「そんなもん昨日のうちにでもしておいてください。こうなるって予想すらしないなんて本当に恋愛方面の作りが残念ですね」

「だ、それは」

「リリイ――愛してるよ?」

 にっこりと微笑むカイの表情を見て悟る。あ――これ、本気のやつだ。

 ちょ、まじで、ちょ、待って――いやああああああ!


「カイの鬼畜……」

「聞こえませんね」

 本当に容赦なかった……頭からばりばりいただかれるかと思った。

 すっかり午前中はダウンしていた私は、やっと午後になって軽食を食べ終わり、落ち着いたところでカイとの正式な契約内容の変更――というか、終わらせる事が出来た。

 契約は、書面にも残すけれど魔力によって縛られる。父から私に移ったカイとの契約は、お互いに誓約を交わし、私が彼と魔力を交換し合って無事、終了となる。書面は後からだけれど、それはほとんど形だけみたいなものだ。

「とりあえず、私とカイの主従契約はこれで完全になくなったし、もう本当に敬語とかいらないからね」

 現時点ではまだ契約期間内といえばそうなのだけれど、やはり書類の上でなので、魔力による拘束力がない分、宣誓をしている時ほどは重みがない。そういう意味でも、なるべく砕けた態度だとありがたいのだとカイには伝えてみるけれど、彼はただにっこりと微笑むばかりだ。 

「そうですね、おいおい」

「……いや、まあ、いいけど」

「リリイはこれからどうするのですか」

 敬語は抜けずとも、お嬢様呼びはほとんどなくなったカイが何故か私を膝の上にのせて微笑んでいる。……なんだろう、このくっつき虫は。キャラが違いすぎてこわい。

「それって将来的な話?」

 私の質問に、カイが頷いた。

「うーん、実はね、教師になろうかって思うの」

「……国主館勤めではなくですか?」

 カイの言葉に、私は、うん、と頷いた。

「これから半獣に対しての意識は変わっていくとは思うよ。でも、今まで当然だと思っていた事を根底から覆されるのって混乱するし、悪気なく無意識に差別してしまう事もあるじゃない? そうなった時に、それをなるべく正しい方向へ導いてあげる人が必要なんじゃないかなって思うの。で、それって、学校の先生がいちばん影響力もあって手っ取り早いのかなあって」

「――なるほど」

「カイとこうやってその、恋人になれたのは嬉しいけど……私にとっての半獣についてのあれこれって、やっぱりここで終わらせたくないんだ。なるべく、後悔したくない」

 私のお腹で組まれているカイの手に自分の手をそっと重ねて伝えると、カイは私を抱き込む腕の力を強めた。

「……リリイは、優しいですね」

「そ、そんな事ないよ、自分のエゴみたいなものだし」

 カイの言葉に少し慌てたように首を振ると、カイは私の顔を覗き込みながら笑った。

「いいえ、あなたは優しい。少なくとも、俺はあなたに救われたし、この館に住まう半獣の多くも、そう思っているでしょう」

「カイ――ありがとう」

 にっこりと微笑む恋人がまぶしくて、やっぱり夢ではないんだなあと、体の痛みも――生々しいけど――証明している。それは、幸せでは、ある。けれど、微笑むカイに力なく「そろそろ降りようかな」と伝えてみても「もう少しだけ」と繰り返されるばかりで、ほとほと困り果ててしまう。

 いつになったら懐から離してくれるのか、今日、両親が帰って来てから何と伝えればいいのか、あれこれぐるぐる考えている私を、カイは面白そうに眺めるばかり。それが不満というか不安というか。しかしそんな私すらも、彼はすべて見透かしているのだろう。

「すべて私にお任せください」

「……う、うん」

 やっぱり不安はそのままに、けれどカイの事だからあれこれ卒なくこなしてしまうだろうと頷いた。


 頼りになる従者はしかし従者ではなくなって、恋人になった。そのうち旦那様になるのかもしれない。しかし「かもしれない」なんて付けたら、目の前の男はまた凄みのある笑顔で怒りそうだなどと考える私も、たいがい浮かれているのだろうと思わないではなかった。

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