視聴者2:鏡 侑里香
夜更け。
自室の照明を少し落として、机の上のノートパソコンだけを灯した。
NHKの特集『プロフェッショナリズム ― 仕事の流儀:一ノ瀬直也という現象』。
再生ボタンを押すと、低いギター音とともに、あの人の声が画面から溢れた。
……息を飲んだ。
見慣れているはずの人なのに、レンズを通すだけで、まるで別の人物みたいに見える。
サンフランシスコ空港からの帰国シーン。
羽田の到着ロビー。
淡々と指示を出す声。
机に向かう背中。
八幡平での現場。
そのどれもが、私の知る “職場の上司” と同じでいて、同じじゃない。
映像の中の彼は、いつもより少し静かで、少しだけ遠い。
それでも、言葉の一つひとつが沁みてくる。
ナレーションが「世界が注目する次世代エネルギー連携モデル」と言ったとき、心の奥でひそかに「そんな言葉、軽々しく使わないで」と呟いていた。
世界を動かしているのは、直也さんによる途方もない努力の山――。
私たちが必死になって積み上げてきた現実なのだから。
グラタンの湯気、食器の音。
そこに映る“家の灯り”。
ナレーションではただ「家族」とだけ。
でも、声を聞けば分かる。
“直也さん” と呼ぶ、あの柔らかい響き。
――保奈美さん。
胸の奥に冷たいものが走った。
驚きじゃない。
ただ、現実を突きつけられた感覚。
あの人が “どこに還るか” を、映像で可視化されただけ。
私がどんなに彼の言葉を追っても、
その帰着点にあるのは、あの食卓の灯。
いつか自分自身が彼にとっての、その帰着点になるためにも、私はまず、その外側で支える側にいなければならない。
映像が切り替わる。
松尾鉱山跡。
夕暮れの風の中、RICO――莉子さんがステージの位置を指している。
あの細い腕が風に揺れるたびに、直也さんがそれを確認する視線の温度が、なぜかこちらにまで伝わってきた。
あの二人の間には、もう言葉がいらない。
彼女は音で語る。
彼は構想で応える。
職業も年齢も違うのに、理想の座標が完全に一致している。
それを見た瞬間、胸の奥の何かがきゅっと収縮した。
直也さんが「祈り」という言葉を口にした。
いつもなら絶対に使わない言葉。
ロジックで物語る筈の人が、あの瞬間だけは詩人のようだった。
その声に莉子が頷いたとき、風の音が一瞬だけ止んだように感じた。
彼の “現象” は、もはや仕事の領域を超えている。
誰かの人生を、静かに変えていく。
たぶん莉子もその一人。
……そして私自身もそうだ。
でも番組の終盤で唐突にそのフレーズが舞い込んだ。
――自分以外の“守るべき誰かの笑顔”が必要になる――。
そしてその「誰か」が誰なのかを示唆するようなラストシーン……。
気づけば、画面を見つめながら涙が滲んでいた。
自分でも、理由は分からない。
感動しただけではない。
嫉妬というのとは全然違う。
ただ、彼の理想の中心にある “原点” を直に見せられて、自分がまだまだその輪の外側に立っていることを実感しただけ。
でも――全然それで構わない。
彼を理想の実現を支えるのが私の仕事。
彼の理想が崩れないように、地面を均していくのが私の役目。
あの人の未来に、必ず自分が寄り添えるようになる。
そう信じて――。
GAIALINQという “舞台” を守り続けるのは誰よりもまず私自身でなければ。
そうでなければ、彼にとっての “守るべき笑顔” の当事者になんか、絶対になれない。
なる資格すらない。
そして私にはその資格を得る事ができる筈だ。
モニターの光がゆっくりと消えていく。
画面に映った自分の顔は、少しだけ強くなっていた。
「……よし。」
小さく呟いて、パソコンを閉じた。
夜の窓に、街の灯がぼんやりと滲んでいる。
その光の向こうに――
まだ働いている誰かの姿が見えた気がした。




