第六話 夏侯惇、補給の異変に気づく
前線第三営。
砂煙が立ち、兵士たちの怒号が飛び交う中、一人の武将が腕を組んでいた。
隻眼。
鋭い気配。
重厚な鎧を纏ったその男こそ――夏侯惇である。
「……妙だな」
低く呟いた。
彼の前には、山のように積まれた兵糧袋。
本来なら安心すべき光景。
だが違った。
「多すぎる」
副官が首を傾げる。
「将軍、補給が潤沢なのは良いことでは?」
「違う」
夏侯惇は即座に否定した。
「兵は増えておらん」
彼は戦場の空気を読む男だった。
兵の歩き方。
疲労の度合い。
炊煙の量。
すべてが頭に入っている。
「三百の営に、この量は要らん」
袋を一つ蹴る。
鈍い音。
「しかも減り方が不自然だ」
「不自然、と申しますと?」
「食っている気配がない」
副官は困惑した。
帳簿上、消費は増えている。
だが実感が伴わない。
その時だった。
「失礼します!」
門兵が駆け込んできた。
「本営より監査役が到着しました!」
「監査?」
夏侯惇の眉がわずかに動く。
「誰だ」
「……雑務係、と」
一瞬、沈黙。
「ふざけているのか?」
「い、いえ! 郭嘉様の印章が!」
夏侯惇は小さく息を吐いた。
「……通せ」
俺は完全に場違いだった。
鎧だらけ。
殺気だらけ。
そして――
(でかい……)
目の前の武将が圧倒的すぎる。
「お前が監査役か」
低い声が腹に響く。
「は、はい。補給確認で参りました」
「名は」
「……ただの雑務係です」
夏侯惇は片眉を上げた。
「名を持たぬ者を寄越したのか、奉孝は」
試されている。
そう直感した。
「帳簿を見せてください」
「先に言っておく」
夏侯惇は腕を組む。
「無駄足だ。問題はない」
「確認します」
即答した。
数秒。
将軍の視線が刺さる。
だが目を逸らさない。
やがて――
「……いいだろう」
竹簡を並べる。
受領量。
配給量。
残量。
数字は合っている。
完璧に。
(だからおかしい)
俺は外へ出た。
炊事場を見る。
煙。
少ない。
兵の列。
短い。
鍋。
小さい。
戻る。
「将軍」
「何だ」
「兵は満腹ではありません」
空気が凍った。
「……理由は」
「帳簿が正しすぎます」
副官が顔をしかめる。
「意味が分からん」
「本来、戦場の数字は乱れます」
俺は竹簡を指で叩いた。
「誤差ゼロは不自然です」
夏侯惇の目が細くなる。
「続けろ」
「誰かが“辻褄を合わせている”」
沈黙。
将軍がゆっくり歩き出した。
兵糧袋の山へ向かう。
一つを抜き、刀で裂いた。
ざらり、と麦がこぼれる。
――量が少ない。
袋の底に偽の詰め物。
石。
副官が叫ぶ。
「なっ……!」
夏侯惇は笑った。
獣のような笑みだった。
「なるほどな」
振り返る。
視線が俺に落ちる。
「雑務係」
「はい」
「貴様、戦場向きだ」
褒められているのか分からない。
だが次の言葉で理解した。
「犯人を炙り出すぞ」
将軍の声が響く。
「全員、集合だ!」
営がざわめいた。
そして俺は気づく。
――これはもう、雑務じゃない。
完全に事件だ。
(郭嘉さん……絶対分かってて俺を送ったな)
遠く、本営の方向を見た。
風が旗を揺らしている。
まるで次の嵐を予告するように。




