第四話 郭嘉、違和感に気づく
曹操が去ったあとも、補給幕舎の空気は落ち着かなかった。
視線が痛い。
明らかに扱いが変わっている。
「……おい、新入り」
昨日まで怒鳴っていた補給責任者が、妙に丁寧な声で話しかけてきた。
「これ、確認してくれるか」
差し出されたのは輸送計画書だった。
前なら雑に押し付けられていた仕事だ。
(出世って怖いな……)
俺は苦笑しながら木簡を受け取った。
内容をざっと見る。
出発時刻、経路、消費予定量。
――そして、すぐに気づいた。
「あれ?」
「どうした」
「この経路、遠回りしてませんか?」
男が眉をひそめる。
「安全な道だ」
「でも補給隊ですよね。速度優先じゃないと、本隊が止まります」
俺は地図を指差した。
「こっちの谷道なら半日短縮できます」
「だが狭い」
「荷を分散すれば通れます。記録上、余裕ありますし」
男はしばらく考え込み、やがて唸った。
「……確かに」
ただ計算しただけだ。
だが周囲の兵士たちは妙な顔をしている。
まるで、あり得ないものを見たような。
*
その頃。
軍議用の天幕では、一人の男が酒杯を傾けていた。
痩せた体躯に気だるげな姿勢。
だが目だけは鋭い。
郭嘉――曹操軍随一の奇才と呼ばれる軍師だった。
「最近、軍の動きが妙に軽いですね」
誰にともなく呟く。
側近が答えた。
「補給が改善されたとか」
「補給、ですか」
郭嘉の指が止まる。
戦の勝敗は将の才で決まる。
そう言われる。
だが実際には違う。
軍が動けるかどうか――それは補給次第だ。
「誰がやったんです?」
「新しく入った雑務係だそうです」
沈黙。
次の瞬間、郭嘉は小さく笑った。
「雑務係?」
面白そうに目を細める。
「帳簿を変えただけで軍の速度が変わるなら、それは雑務ではありませんよ」
酒杯を置き、立ち上がった。
「少し見に行きましょうか」
*
補給幕舎。
俺は計算に頭を悩ませていた。
(輸送量と進軍速度の関係、もう少し最適化できるな……)
前世の癖で、効率を考えてしまう。
その時。
「楽しそうですね」
背後から声がした。
振り向くと、見知らぬ男が立っていた。
力の抜けた立ち姿。眠そうな目。
だが、なぜか視線を逸らせない。
「えっと……どちら様で?」
男は軽く笑った。
「ただの軍師ですよ」
周囲の兵士たちが慌てて姿勢を正す。
「郭嘉様!」
――あ。
終わった気がした。
郭嘉は帳簿を覗き込む。
ページをめくる速度が異様に速い。
だが目は確実に内容を追っていた。
「……なるほど」
短く呟く。
「あなた、未来でも見えるんですか?」
心臓が止まりかけた。
「い、いえ?」
「兵糧消費の予測が妙に正確だ。普通は経験でしか分からない」
鋭い視線が突き刺さる。
やばい。
この人、勘が良すぎる。
「ただ計算してるだけです」
そう答えると、郭嘉は数秒黙った。
そして、ふっと笑う。
「計算、ですか」
楽しそうだった。
まるで新しい玩具を見つけた子供のように。
「面白い人材を拾いましたね、曹操様は」
そう言い残し、彼は去っていった。
残された俺は、しばらく動けなかった。
(絶対、疑われてるよな……)
だがこの時、俺はまだ知らなかった。
郭嘉という男が、一度興味を持った相手を決して放っておかないこと




