表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/21

第3話 仮面の領主

 

 馬車は揺れながら山道を進み、やがて開けた視界に小さな町並みが現れた。

  岩肌に沿って並ぶ石造りの家々。市場には笑い声が満ち、活気が溢れていた。


 一見すれば、王都に比べて粗末で不便そうだ。

 だが――人々の表情は驚くほど生き生きしていた。

 忙しく働きながらも笑い声が絶えず、互いに肩を貸し合い、支え合う気配が町全体に満ちている。


(……辺境は厳しいと聞いていたのに……皆、力強く暮らしている)


 フィオナは思わず胸の奥でつぶやいた。

 噂に聞く冷徹な辺境伯が治める土地だというのに、この温かさはどういうことなのだろう。

 隣に座るダニエルが、そっと微笑む。


「ここは、僕が未来で暮らしていた場所です。

 王都の華やかさはないけれど……領民同士が家族みたいに助け合って、父上もその暮らしを陰で支えていました」

「……あなたが、ここで」


 フィオナは少年の横顔を見つめた。

 馬車の窓から差し込む光に、彼の瞳は真剣に揺れていた。


「だから、僕にとっても大切な場所なんです。母上にも――きっと分かっていただけます」


 その言葉に胸が熱くなり、フィオナは息をのんだ。

 冷徹と噂される人物が治める領地は、想像とはまるで違っていた。

 そして、この先で彼と出会うのだ――。


 町を抜け、さらに石畳を登っていくと、やがて巨大な影が現れた。

 切り立つ崖を背に、黒々とした石で築かれた重厚な屋敷。

 陽の光を浴びてもなお冷たさを失わず、堅牢さと威圧感を兼ね備えていた。


(……これが、辺境伯の館……)


 フィオナは自然と背筋を伸ばした。

 馬車が中庭に止まると、制服姿の兵たちが整列し、無言で一行を迎えた。

 その背筋の揃った姿に、領地の規律がうかがえる。


 張りつめた空気の中心に、ひとりの男が立っていた。

 長身で、漆黒の髪が風に揺れる。

 陽光を反射する金の瞳が、一瞬で空気を凍らせる。

 見据えられた者は、息をすることさえ忘れるほどだった。

 矢のように伸びた背筋。

 ただ立っているだけで人を圧する、鋼のごとき存在感。


「辺境伯――カイエン・ルグランツ様!」


 護衛の声が高らかに響く。

 冷徹と噂の辺境伯、その人であった。

 フィオナは胸の鼓動が速まるのを抑えられなかった。


(この方が……私の夫になる人……?)


 その瞬間、隣でダニエルがぐっと身を乗り出し、小声で囁いた。

 漆黒の髪は父に、淡い青の瞳は母に――そのどちらもを受け継いだ少年が。


「大丈夫です、母上。……今見せているのは、領主としての仮面です。本当の父上は違います」


 冷徹な金の瞳と、未来から来た息子の言葉。

 二つの現実に挟まれて、フィオナの心は大きく揺れていた。


 カイエンの金の瞳がゆっくりとフィオナに向けられた。

 その視線は鋭く、まるで本心を探ろうとする刃のようだった。


「……遠路ご苦労だったな」


 低く冷ややかな声が、中庭に落ちる。

 氷のように張りつめた響きに、兵士たちが思わず背筋を伸ばした。

 フィオナは緊張で胸が詰まり、返事すらできずに立ちすくむ。

 隣のダニエルが思わず小声でつぶやいた。


「え……父上? こんなはずじゃ……」


 未来で知る姿とのあまりの違いに、少年の瞳が揺れる。

 だがフィオナは唇を結び、震える心を必死に抑えた。


(これは……領主としての顔。領地を背負う人だから、冷徹であろうとしているだけ。

 ……そう、きっとそうに違いない)


 カイエンはもう一度だけ彼女を見据え、短く告げた。


「休むがいい」


 形式的な一言だけを残し、カイエンは兵を従えて去っていった。

 広い中庭に残されたのは、唖然としたフィオナと、その隣で小声をもらすダニエルだった。


「……未来の父上は、もっと温かくて……母上を幸せそうに笑わせていたのに」


 その言葉が胸に刺さる間もなく、脳裏にあの鏡の映像がよみがえった。

 広い屋敷の一室で、頬はやせこけ、力尽きるように息を引き取る自分。

 最後の瞬間まで誰も傍らになく、声をかけてくれる者もいなかった――。

 孤独に朽ち果てていくその姿と、今の辺境伯の冷たい眼差しが重なり、胸を締めつける。


(……やっぱり、あの未来は幻なんかじゃない……)


「ち、違います、母――」


 慌てた声を上げ、ダニエルは咄嗟に周囲を見回す。

 兵士たちはすでに引き下がっていたが、使用人の耳に入れば大ごとだ。

 ぐっと声を落とし、囁くように言い直す。


「……違います。今のは領主としての仮面です。本当の父上は……母上を誰よりも大切にしていたんです」


 フィオナはかすかに首を振った。


(……私は王家の秘宝を盗んだとされ、罪人としてここへ送られてきた。

 歓迎など、望めるはずがない。それは分かっていたのに――)


 心の奥に冷たいものが広がる。

 政略のために嫁ぐと覚悟していたはずなのに、ほんのひと言の温かさを期待してしまった。

 その弱さが胸に刺さり、愚かにすら思えた。


 けれど隣から届いた息子の言葉が、その心を支えていた。


(……彼がそう言うのなら。信じてみよう。この冷たさの奥に、きっと別の顔があると)


 震える心を必死に押しとどめながら、フィオナはダニエルの存在に縋るように立ち続けた。

 そのとき、年配の執事風の男が姿を現した。


「奥方様、こちらへ。お部屋へご案内いたします」


 恭しく一礼した執事の言葉に、フィオナはそっと口を開いた。


「……その前に、この方を私のそばに置いていただけますか? 道中で命を救ってくださった、大切な方です」


 執事は思わず目を見開く。


「なんと……しかし、見習い風情を奥方様のお傍へ置くのは……」


 言い淀んだままの執事に、フィオナは一歩踏み出した。


「彼は、私の恩人です。罪人と呼ばれた私のために、剣を抜いたのです。

 だからこそ、傍に置きたい。私の命を預けるなら、この方以外に考えられません」


 淡い声ながら、その瞳には揺るぎない光が宿っていた。

 執事は一瞬目を見張り、やがて深く頭を下げる。


「……承知いたしました。若様には私から取り計らいましょう。

 それでは、奥方様。どうぞこちらへ。お部屋へご案内いたします」


 フィオナは頷き、ダニエルと共に執事の後に続いた。

 案内された部屋は広すぎず狭すぎず、上質な調度に落ち着いた色合いの内装だった。

 窓からは中庭の花壇が見え、ささやかな香が風に乗って届く。

 寝台の高さや椅子の配置にも心配りが感じられ、居心地の良さを第一に整えられていると分かる。


(……気遣いが行き届いている。こんな部屋を用意してくださるなんて……)


 胸の奥に、ほんの少し安堵が差す。

 だが同時に、あの冷たいまなざしが脳裏に蘇った。


(けれど、どうしてあんな態度を……。やはり私は、歓迎されていないの……?)


 長い一日の疲れがようやく押し寄せ、夜着に着替えると――

 フィオナは静かに寝台に身を横たえた。

 扉の外には、護衛としてダニエルが控えていた。


「母上……どうか安心してください。僕がすぐそばにいます」


 扉越しの声が、静かな夜に優しく響く。

 その言葉に支えられるように、フィオナは胸の奥の緊張をほどき、ようやく眠りに落ちていった。

 ――夢の底でも、あの金の瞳は、彼女の心から離れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ