第4話 遅すぎる初恋
――衝撃だった。
中庭に馬車が止まり、兵たちが整列する中に現れたその女性を見た瞬間、カイエンの胸に稲妻が走った。
プラチナブロンドの髪が陽光を受けてきらめき、淡い青の瞳は澄んだ湖のように揺れている。
気品をまといながらも、どこか守ってやりたくなる可憐さが同居したその姿は、これまで一度として見たことがないものだった。
(……こんなに可憐な女性が、この世に存在するのか……!?)
心臓が早鐘を打つ。戦場で死線をくぐったときですら、これほど胸が乱れたことはなかった。
だが同時に、脳裏に冷ややかな情報がよぎる。
――彼女は王家の秘宝を盗んだ罪で、辺境送りとなった。
報告を受けたとき、カイエンは即座に信じはしなかった。だが無視もできない。
「冷徹」と呼ばれる所以は、情に流されず事実を見極める姿勢にある。
だからこそ、自らの目で真実を確かめようと決めていた。
冷静でいなければならない。そう思った。
なのに口をついて出た言葉は――。
「……遠路ご苦労だったな」
硬い。冷たい。声が震えていた気すらする。
彼女がどんな顔をしたのか、もう覚えていない。気づけば背を向け、兵を従えて去っていた。
(何をしている、俺は――!)
逃げるように背を向けた自分を、思い出すだけで顔が熱くなる。
罪を見極めるべき立場なのに、まともに目も合わせられなかった。
しかも、だ。
その横に立つ少年。
黒髪に淡い青の瞳――。
やたらとフィオナに親しげに寄り添い、耳元で何かを囁いていた。
(なんだあれは。俺の妻になる予定の女性に、なぜあんなに近づける!?)
護衛からは「命を救った少年が随行している」と聞いていた。
だが報告と違い、二人の距離はあまりにも近い。
(ただの恩人? 馬鹿な……! まるで長年の知己のようではないか!)
しかもフィオナも、少年の言葉を自然に受け入れ、不安げに視線を向ければ即座に返事をもらっている。
そのやり取りは親密そのもので、胸の奥がざわついて仕方がなかった。
(なぜだ。報告にはなかったはず!なぜあんなにも心を許している!?)
その渦を断ち切るように、カイエンは足を速め、執務室へと向かった。
重い扉が閉まり、執務室の静けさが戻る。
カイエンは椅子に腰を下ろしたものの、胸のざわめきは収まらなかった。
彼女に親しげに寄り添う少年の姿が、何度も脳裏にちらつく。
苛立ちを持て余していたそのとき、扉を叩く音がした。
老執事セバスチャン――通称セスが姿を現す。
「若様、ひとつご報告がございます」
「……なんだ」
「奥方様のご希望により、あの少年を臨時の護衛に配置いたしました。すでに奥方様のお部屋へご案内済みです」
カイエンは一瞬、言葉を失った。
「……は?」
「奥方様が強くお望みでしたので、“ご承諾いただいたもの”として処理を――」
「はぁっ!? 俺は承諾していないぞ!!」
机を叩きつけ、思わず声を荒げる。
セスの白い眉がピクリと跳ね上がった。
冷徹と名高い主が怒鳴る姿など、長年仕えてきて初めて目にする。
「……おやおや。若様が声を荒げられるとは。これはまた、珍しい」
「なぜ勝手に許可した、セス」
「奥方様が心細げでしてな。襲撃のあと、傍に護衛を置くのは当然と思い、臨時で配置したまでのこと」
「俺の許可なく決めるな!……承諾など、していない」
カイエンは言い返したものの、自分でも何に怒っているのか分からない。
彼女の傍にあの少年がいる。……そのことがどうしても許せなかった。
セスは深いため息をつき、静かに言葉を重ねる。
「……若様。奥方様は“王家の秘宝を盗んだ罪人”として王都を追われ、この地へ送られてきたのですぞ」
「……っ」
「その真偽を若様ご自身が確かめねばならぬことは重々承知しております。
ですが、奥方様にとっては不条理きわまりない処遇。――ご本人の胸中はいかばかりか。
ゆえに、護衛を望まれるのも無理からぬこと」
セスの視線が鋭く光る。
「若様が心を閉ざしたまま接すれば、奥方様は“辺境ですら冷たく突き放される”と誤解なさるでしょう。そうなれば、誰が真実を確かめられるというのです」
カイエンは言葉を失った。
「氷の仮面をかぶったままでは、奥方様の心はますます遠ざかりますぞ」
図星を突かれ、喉の奥で息を飲む。
「せっかくのお可憐な奥方様に、初対面であの調子……。これでは心を閉ざされても仕方がございません」
「……っ」
「戦場の修羅場をくぐった男が、笑み一つ浮かべるのは難しいことで?」
皮肉げな問いに射抜かれ、カイエンは視線を逸らすしかなかった。
(どうしてだ。彼女の前に立つと、冷静でいられない――!)
セスはそんな主を見て、小さく嘆息する。
(なるほど。遅すぎる初恋、というわけですな。だが奥方様は“王家の秘宝を盗んだ”とされ、心細くこの地へ送られてきた……。
長年仕えてきた目からすれば、あのお方が本当に盗みを働くとは思えませぬ。
いずれにせよ若様が変わらねば、この婚姻は根元から揺らぐやもしれぬ……)
老執事は心中でそう結論づけ、静かに決意を固めた。
(……奥方様を支えることは、若様の心を守り、領地の未来を守ることにもつながる。ここは老骨、このセスの腕の見せ所ですな)
それから数日後。
使用人たちの胸には、なお「盗みの嫌疑」という影が残っていた。
だが、フィオナは変わらなかった。
誰にでも丁寧に礼を述べ、侍女の失敗にも優しく手を差し伸べる。
その自然な誠実さは、次第に館の人々の心を揺らしていった。
セスは静かに人々を集め、短く言い放つ。
「奥方様を害する真似は許さん。――その方々の態度が、若様の名をも傷つけるのです」
老執事の言葉に、館の空気が引き締まった。
それを境に、冷えきっていた屋敷に少しずつ温もりが戻り始める。
風がやわらかく流れ、どこかで鈴の音が響いた。
こうして、奥方フィオナを迎える準備は整った。
――カイエンはまだ知らない。この日、屋敷に訪れた“変化”が己の心までも動かすことを。




