中編
――転生サービスセンター。
それは、僕の起居する部屋の直下にある。
ある朝、階下のやかましさで目覚めた。当センターの職員A兼、住人Aでもある僕だが、これは苦情レベルだな。
騒音の主は例によって喜緑アオさんだ。先週、突然同僚になった女の子である。
「どうしたの?」
「わたしは知りたいだけなんですよ。例の屋上の話です。実際、屋上から飛び降りたとして、本当に外に世界に行けるんでしょうか? そもそも、外の世界ってどういう所なんでしょう? あと、どうしてここにはお二人しかいないんでしょう? そんなギモンをセラさんにぶつけてたんです」
僕は上司の冷めた横顔をチラ見で確認したのち、わざとノンビリな声色で彼女をたしなめた。
「朝は挨拶、からだよねー。セラさん、お早うございます。喜緑さんも、おはよー」
「うん。伊刀くん。おはようね」
「あ。ああ、すみませんっ、おはようございます!」
これで良し。ひとまず落ち着くな。ところが。
「喜緑アオくん。さきほどの話だがね……」
あちゃー。せっかく空気読んだのに! 蒸し返すんですか、セラさん。あなたって人は。
「外の世界なんてものは、人それぞれの心の持ちようなんだよ。その世界は楽しい世界かも知れないし、辛いだけなのかもしれない。その人にとって楽園でも修羅場でもあるんだよ。分かるかい?」
「むずかしい……です。もう少し優しくお願いします」
FAXが音を立てた。三人一様に背中がピンと張った。
「さあさ、始業だよ、喜緑さん! ……あ、なんと今日の一人目はセラさんと同じ苗字ですよ? 瀬良イマコさん、八十九歳――」
ガタッ! と、イスの倒れる音がした。
「……伊刀くん? ……いま、なんだって?」
「同じ苗字だなって」
「いや。もう一度、丁寧に復唱を」
「あ。だから、セラさんと同じ瀬良さんって名前の人なんだな……と。そ、それだけです」
途端にセラさんが席を立って僕に歩み寄り、FAXを横取りした。その横顔は明らかに青ざめている。
「ど、どうしたんですか?」
「……か、母ちゃんだよ……! わたしの……ね」
受付にその、瀬良イマコさんがボンヤリと立っていた。
◇ ◇
「母ちゃん、母ちゃん。俺だよ、ツヨシだよ! 痩せちゃったな、母ちゃん!」
キョトンとした御婆さんの肩を揺するセラさん。僕はあの《セラさん》が、こんなに大きな声を出して歓喜している姿を初めて見た。
「……セラさん、《俺》って言ってましたよ、……下の名前、ツヨシって言うんですね。初めて知りました」
独り言のようにつぶやく喜緑さんの衝撃も相当だったようだ。
「セ、セラさん、セラさん! 瀬良さんがビックリされています」
「……ハッ! あ、いや取り乱したね、失敬」
こうなるのはセラさんだって分かっていたはずだ。相手は戸惑うばかりだと。なにせ彼ら来訪者には生前の記憶なんてものは、てんで無いのだから。見ず知らずの中年男に「母ちゃん」などと呼ばれて抱きつかれても、ただひたすら恐怖と嫌悪を感じるだけだろう。
だが、瀬良お婆さんは、
「良いんですよぉ。以前にお会いしましたかね。ずいぶん忘れっぽくってねぇ、ホントウごめんなさいねぇ」
「……あ、いや。こ、こちらの方こそ」
挙動不審のセラさんの鼻は、ずっとグスグス言っている。目の周りも赤い。
「ゴホッ。ゴホッ。……すまないがね。伊刀くん。あとの手続きをお願いするよ」
それだけ指示すると、セラさんはよろめきながら自分の席に戻った。
僕は仕方なく「分かりました」と返事し、いつも通りの処理に入った。
「そこにおかけください。えっと、十五で親の決めた家に嫁いだがすぐに夫が戦死し離縁。その後実家の雑貨屋を手伝って四十歳の時に再婚、出産。再婚相手の博打癖がたたり雑貨屋を売却。息子を連れて夜逃げ。その後昼夜問わず働き、息子を無事有名大学に進学させる。総合点九十二点」
へええ。典型的な昭和の肝っ玉母さんだ。すごいなぁ。
「……って待てよ、――え? これって!」
血の気の引いた僕は、セラさんの席を振り返った。
居ない!
「ち、ちょっと待っててくださいね! 喜緑さんっ、少しだけ受付頼む!」
僕は必死にセラさんを探し、見つけた。
セラさんは、食堂の隅っこで小さくなっていた。声をかけたがソッポを向かれた。
「七生目だったんですね、セラさんのお母さん。……お気持ち、察します」
「……そう、だね。母ちゃんにはね、生前苦労ばっかり掛けてたんだよ。大学を出て役所に勤めだした私を随分誇らしく思ってくれててね、いつも周りに自慢ばかりしてたよ。でも私の方はって言うと、ほとんど実家には寄り付かなくなった。終いにはムリヤリ養老施設に入れちゃったよ。……それでも母ちゃんは、ずっと私を気にかけてくれていた」
「……なんとかならないもんでしょうか」
「ルールはルール。曲げられないよ。人は誰でも最期の刻を迎える。最終人生がいくら素晴らしいものであっても、八回目の転生は誰にも与えられないんだよ。けれども母ちゃんには後悔とか、心残りとかはきっと無いと思うよ。……むしろ、あるのは私の方だろうね。ありすぎるくらいにね」
例外なく、人は人生を七回繰り返す。僕たちはそれを《七生》と呼んでいる。七度目の人生を終えた人は、天界、現世、冥界、そして地獄。七生、つまり真の人生を全うし尽くして、全ての世界から消え失せる。存在しなくなる。例えどんなに人生ポイントの評価点が高くても……。
「母ちゃん、ゴメンよ。オレが悪かった。もっと楽をさせてやりたい、おいしいもんを食べさせてやりたいって、最初はただそれだけのつもりでがむしゃらに働いてたんだ。それだけだったのに……!」
「セラさん……」
喜緑さんが食堂に駆け込んできた。
「おばあちゃんが! ……おばあちゃんが、とつぜん消えました!」
「えっ!」
「待合にお連れしてたんですが、様子を見に行ったらどこにも居なくて」
「うう……」と背中を震わせ始めたセラさんを残し、僕は喜緑さんの手を引いて食堂を離れた。
セラさんが感情の底を垣間見せたのは、これが初めてだった。
◇ ◇
翌日のセラさんはいつもの通りだった。
夕方、とつぜん喜緑さんが「飲み会しましょう」と言い出した。セラさんも僕も下戸だ。というか、彼女は未成年ではないか。
ところがセラさんがその誘いに乗った。
「いいね。付き合おう」
今まで僕は一度たりともセラさんと飲みに行ったことなんてない。面食らい返事に窮していると、
「伊刀くんは私が嫌いだとは思うが、喜緑くんの歓迎会の意味もあるからね」
「いっいいえ! むしろ僕はセラさんが僕のコトを……」
「先輩っ! ところでこの世界においしいスイーツのお店はあるんですか?!」
「す、スイーツ? 居酒屋じゃなくって?」
「わたし、未成年ですよ? 犯罪行為デス! 未成年にお酒を飲ますのは!」
僕はキョトンとしてセラさんをうかがった。セラさんも目を丸くしていた。どちらからともなく、笑いが出た。
セラさんの大きな笑い声を聴いたのは、これで二回目となった。