第61話 九月の見学
葛の香りが漂う、秋風が心地よいある晴れの日。
ブナはいつもより早起きし、日課の走り込みと掃除、食事を済ませて、早めに身支度をし始める。
いつもより丁寧に髪を梳き、一部の髪を三つ編みにして耳の高さの辺りで一本に縛りリボンを結う。
手鏡に映し出される顔を左右に動かし、バランスを確認する。
「よし」
ポーチに櫛と手鏡を畳んでしまい、先日買った白い鞄にしまう。
ポーチと櫛、手鏡はリボンを使うなら必要だろうと、一緒にヨウムから誕生日にもらったものだ。
小ぶりだが機能的で使い心地は良い。
「どこまでも気の利く人だ」
ブナは感心する。
「さて、やりましょう」
ブナは腰に手を置き、気合いを入れて濃紺のワンピースと黒のケープを睨みつける。
身支度が済んだブナは緊張しながら、居間へと続く自分の部屋の扉に手をかける。
何と言われるだろう……。
急に鼓動が早くなり、手に熱を帯びる。
扉に頭をコツンとぶつけて浅い呼吸をする。
なぜこんなに緊張するのだろう。
ブナは理由も分からぬまま緊張しながら扉を開ける。
ヨウムはブナの身支度を待っている間、居間で学生のレポートを確認していた。
例の眼鏡をかけており、老人のような外見に少しホッとする。
だが、その安堵も束の間。ブナに気付いたヨウムは眼鏡を取り、レポートをすっかり片付け、ブナをしげしげと鋭い目つきで見つめてくる。
視線が痛い。
「編み込みの髪が浮き上がってるな。小顔だから余計に目立つ」
ヨウムはそう言って眉間に皺を寄せたままブナの目の前に立ち、ブナの髪に手を伸ばす。
指で髪の毛に触れ、引っ張ったりしながら出来栄えを確認している。
顔が火照る。息がうまくできない。
「座って。髪だけやり直そう」
結局、髪はヨウムが結い直すことになった。
その間、ブナの気持ちはずっと落ち着かず、何か話題はないかと考える。
「そういえば、何でケープが必要だったんですか?」
「ああ。一種のステータスだな」
「ステータス?」
「魔導士は身体を動かして働かなくても、魔法で解決することができる。デザイン重視の動きにくい服を着られるのは、昔から魔導士のステータスの証だったんだ」
ヨウムはブナの髪を梳きながら続ける。
「まだ魔法が学問として確立していなかった頃は、魔導師は各々の術式を秘匿として人に見せるのを好まなかったんだ。
それでケープで手元を覆ったり、袖口が広いローブやマントのようなもので手元を隠しながら魔術を使っていた。だから、ケープやローブなどは魔導士のシンボルとして認知もあり、同時に憧れの対象にもなってるんだ。
学長も常にローブを羽織っているだろう。あれは学園の魔導師だという象徴なんだ」
「なるほど。ヨウム先生の外套も袖口がゆったりしてます」
「まあ、私のはフードがあることの方が重要なんだけどな」
「……先生の外套もお高いのですか?」
ヨウムは苦笑いをする。
「高いな。私のは魔晶石が一緒に織られてるから高い」
「あそこのお店でお買い求めに?」
ブナは、ヨウムがあの高級ブランド店の雰囲気に慣れていたことを思い出す。
「ああ。ノビリスは魔導士向けの服を多く扱っているし、質もいい。女性店の他にも男性店と子ども専門店もあるから……」
「その外套、もしかして子ども服なのですか?」
「店の格式が高いから子ども服でも洒落たものがあるんだ。男性店にはあまり小さいサイズは取り扱ってないから」
「……オシャレな子ども服ですね。子どもなんて汚すし破いてしまうのに」
「そういう、やんちゃな子はあまりあの店にはこないかもな」
ブナの髪を結い終わったヨウムが声を掛ける。
「うん。これで良いだろう」
今日も……かわいいはなかったか。
そんなことを残念に思いながら、ブナは礼を伝えた。
*
「職員が集まる前に早く行こう。学長も早く来て待ってると言っていたから」
ヨウムはブナを促す。
普通の学生達は学園通りから正門に入るが、ヨウムの自宅は学園の裏門を抜けて十五分ほどの所に位置するため、いつも裏門から校内に入る。
早い時間ならほぼ誰にも会うことはない。
「うってつけだな」
周囲に人がいないことを確認し、ヨウムは校舎の裏口のドアの鍵を開ける。
「良くないことですか?」
ブナは不思議がって首を傾げる。
「そうだな。学長の大事なお客様を裏口からご案内するのは好ましくないな」
ヨウムは苦笑いをしながら答える。
時計の針は八時。
授業が始まる時間より九十分も早い廊下はがらんとしており、結局そのまま教員室まで誰にも会うことはなかった。
「ここが中等部と高等部の教員室。学長室は教員室の奥。初等部は別棟だ」
ブナはこくこくと頷いている。
「校内では、私はもう知り合いではないから」
ヨウムはそう一言断った。
ブナの件は極秘案件だ。
あくまでもブナは学長のお客様であって、ヨウムとは何ら関わりのない子として接しなくてはならない。
ヨウムは教員室の扉を開け、おはようございますと、すでに出勤している教員に声をかける。
ライ・ランツとジョナン・アイリスターは運動部の顧問もしており、朝が早い。
ゲーテルは研究熱心で、朝が早かったのか、校内に泊まったのか分からない。
三人はすぐさまヨウムの後ろのブナに気付き、上から下までじろじろと見定める。
ブナは無表情のまま、おはようございますとだけ挨拶をする。
ヨウムは気に留めず、そのまま学長室の前までブナを連れて行き、ノックをする。
「学長。おはようございます。本日お約束をなさっていたお客様をお連れしました」
そう言ってブナを部屋の中に通す。
ヨウムは何事もなかったかのように、いつも通り自分の机に鞄を置き、教材を取り出し、机に広げていく。
すかさず寄ってきたのはジョナンとライだ。
「ヨウム先生。今のは誰? 随分と綺麗な子だったね。どこの令嬢かな?
うちの中等部にも高等部にもいないよね。珍しい髪色と眼の色だったよね」
「何でヨウム先生と一緒にいたんですか? どういう関係です? 知り合いですか? 学長のお客のようでしたが何の目的で?」
二人は矢継ぎ早に質問をする。
「さあ。私はたまたま、職員室の前で困られていたので中に案内しただけですから」
「……よく、ヨウム君の姿を見ても、悲鳴、あげなかったね。あの子……」
隣の席に座っているゲーテルが静かに口を挟む。
「確かに」
ライとジョナンが声を揃えてヨウムを見る。
「……本当ですね。それより、お二人ともそろそろ部活のお時間では?生徒が待ってると思いますよ」
ヨウムは瞼を殆ど閉じ、教科書を広げながら静かに返した。
それから三十分もすると、教員室には殆どの教員が出揃う。
お互いが今日のスケジュールを確認しあっている賑やかな時間に、シーモアはどこぞの貴族とも思われる令嬢を連れて学長室から出てきた。
『あの学長室』に招かれた稀有な客人を、皆興味の眼差しで注目する。
あちこちで急に騒つきはじめる。
注目を浴びた客人は、力強い朝焼けの瞳で教員達を一瞥し、愛想なくまた前を向く。
長めの黒のケープの裾には黒の大きく精巧な刺繍が施され、その下から見える紺のスカートは細かい上品なレースが掛かっている。
シンプルで重厚な服装は、洗練された雰囲気を醸しだしており、愛想のない令嬢の落ち着いた品を引き立てていた。
ヨウムは一人、無関心を装い教材の準備をする。
「ああ。ヨウム君。今朝はありがとう。ご令嬢も感謝していたよ」
シーモアは教員室に響き渡る声でヨウムに言う。
話を振られた令嬢と目が合うと、軽く会釈をされる。
職員達は一斉にヨウムを見てさらにざわめく。
これは、絶対に嫌がらせだな。
「朝から学長室に案内されて……三十分も話し込んでた。学長はさ、無駄なことに時間を取るの……嫌がるよね。
あの子、何者だろうね」
ゲーテルが囁くように話しかける。
「さあ。どなたでしょうね」
この場にブレンナがいないことがせめてもの救いだと、ヨウムは心底思った。




