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第1話 生存者

「生きている……のか?」


男は目の前の光景に息を呑んだ。


魔力を糧に人を喰らい蠢く(うごめく)もの——「ミス」に蝕まれた小さな命が、そこにあった。


光を全て飲み込んだような、真っ黒な物体と化した身体。五歳児ほどの大きさで蠕動(ぜんどう)するその姿は、もはや人の形をとどめていない。


それでも——息絶え絶えではあるものの、確かに呼吸をしていた。


男は涙を流した。


慌てて駆け寄り、「ミス」の浸蝕具合を確かめる。


よく……頑張った

君は一人で、本当によく頑張った

ありが……とう

生きていてくれてありがとう

あとは……必ず……助けるから

もう、大丈夫だから


そう心の中で語りかけながら、男はその命を両腕で大事に包み込むように抱き上げた。


男もまた独特な姿をしている。


皮膚は水に墨を混ぜたような色で、肌色というより灰色に近い。

男の手は黒い斑点だらけで、硬く凸凹しており、欅(けやき)の木の皮のようだった。


抱えた小さな命からは、ミスが滲み出してくる。まるで意思を持った捕食者のように脈動し、新たな餌食を求めて男の身体をじわりじわりと蝕み始める。


男は気にもせず、自分と抱える命がこれ以上ミスに蝕まれないよう、魔術の回路を細かく展開しながら周囲を見渡した。


褐色や黄金色、錆びた銅のような色の微粒子が、時折微かな光を放っては消えていく。深奥へ向かうほど、一切の光を飲み込む漆黒の闇へと繋がっていく。


他に生存者がいないことを確認すると、男は眼前に広がる永遠に続くかのような螺旋状の空洞を閉じるための回路を展開した。


爆ぜたミスを、閉じたのだ。


*


——十八時間前


シーモア・シーランは目の前に広がる巨大なミスを眺めていた。


ミスは乳白色のドーム状で、中はまったく見えない。周囲は蜃気楼のようにゆらゆらと揺れており、蒸気のような白い靄の中で、時折、微粒子が小さく光を放っては消えていく。


ことの発端は、彼が学長を務める魔術古語魔導アカデミーに入った緊急の救助要請だった。


ミスの消滅には魔力が必須だ。


しかし魔力を持つ者は一部に限られ、それを使いこなすにはさらに習熟した知識と技術が必要になる。

そのため、魔術を専門に教えるアカデミーには、ミス関連の援助依頼がよく入るのだ。


「報告では一か月前に突如生じたとあったが……これは一年はほっておいたな」


シーモアはミスの表面に織りなされ、生じては消えていく魔力の模様を眺めていた。


「すごく大きなミスですね。ここまで爆ぜてると、昨夜、先に偵察に行ったヨウム先生の安否が心配では?」


隣に立つライが不安げに声をかける。


「ふむ、まあ、しばらく様子を見よう。もしかしたら、全て解決して出てくるやもしれんしな」


シーモアはあっけらかんと言った。


「ご冗談でしょ。あれ程度の魔力量ではまともな偵察ができるかどうか。

なぜ、彼をわざわざ先遣に選んだんです? ヨウム先生では力不足では?」


ライはヨウムを一人で先行させたことが理解できない様子だ。


シーモアは横目でそれを見つつ、蓄えた顎ひげをひと撫でし、説明してやる。


「ライ先生をはじめ、我が校には魔力量も高い優秀な教員が揃っており、どの先生方も各々専門授業で忙しい。

その点、彼は基礎授業しか担当していない。代わりはどうとでもなる」


「確かに! 我々と違って彼の低い魔力量じゃ、高度な授業など任せられませんからね。それに、彼のあの風貌も、伝統と格式ある我が校にはそぐわないというか……。こないだも生徒が気持ち悪がってですね……」


ライの話を適当に聞き流しながら、シーモアはその巨大なミスが終息に転じているのを確認していた。


ヨウムには毎回、偵察という名目で先立って向かわせるが、一人で解決できるなら解決してこいと命じてある。


「十五時間か……。さすがに今回は時間がかかったな」


シーモアは時計を確認しながら呟いた。


「え?」


「ライ先生と私ならこのミス、力業で魔力を叩き込んで八時間程度で潰せるかの?」


「え? いや、どう……でしょう。

さらに暴走して二次災害を起こしては危険ですし、慎重にやって十時間くらい、いや十二時間くらいですかね?」


話を振られ、慌てるライの姿からは自信のなさが伺える。


「遅かったねえ。待ちくたびれたよ」


ライを後目に、シーモアはミスを消滅させて姿を現した背の低い男に声をかけた。


「申し訳ありません」


男はまったく悪びれた様子もなく、形式的に謝る。


「えっ!? ヨウム……先生?! 無事で? ミスは? え、あれ?」


予想外の状況に理解が追いつかず、すっときょとんとするライを放って、シーモアはヨウムが腕に大事に抱えるものに視線をやった。


思わず片眉がピクリと上がる。


「生存者です。保護と治療を」


「ほう。生きていると……。あのミスの中で」


思わず緩む口元を手で隠す。


「それは、素晴らしい」


「はい。とても素晴らしい生命力です」


本当に、とても素晴らしい魔力量だ。


シーモアは手の下で笑いが込み上げるのを抑えることができなかった。


ようやく見つけた。

長年待ち侘びていた卵だ。大事に育てねば。

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