後編
「もうじき一年になるというのに、君は体に異常がないのか」
「まるで今までの人達は、異常をきたしていたような言い方ね」
「皆、体を壊していた。おれが何かをすると、悪化させる気がして、大した手助けも出来ず、寝込んでいる彼女達に、お湯を差し出したりするくらいしかできなかった」
死霊王との生活は、意外と快適な物だった。死霊王との同居で、監禁されているわけでも軟禁されているわけでもないので、食料品や日用品を買いに行くくらいは簡単で、資金もしっかり王宮から支給されるので、お金が足りない! なんていう悲劇も起きた事がない。
死霊王は時代の流れを感じる食事を興味深そうに見ており、聞くと湯気で味がわかるのだというので、ジャンは温かい食事をせっせと作った。
湯気をぱくりと口にして、美味しい、と笑う死霊王は、なんだか親しみがわいたのだ。
建物の冷気は体に悪いという主張を、死霊王は拒まず、ジャンは部屋を暖めて、衣類も厚着にして生活し、それでおおむね問題がなかった。
「皆あなたに遠慮して、暖炉を使ったり火鉢を使ったりしなかったせいじゃない?」
「……言われてみれば、使っていいかと聞かれた事もない……」
「だめねえ」
「つまりおれの邪悪な力云々の前に、体が冷えて体調を崩していたという事なのか……」
それはとても悪い事をしていた、と死霊王は少し落ち込み、ジャンはそれに言う。
「早く気付ければ、毎回あなたが落ち込む事もなかったのにね」
「うん」
死霊王は頷き同意して、ジャンがせっせと作っている布を見る。
「今度は何を作っているんだ」
「壁掛け。私が役割を終わらせても、壁が華やかなら、ちょっとは寂しくないでしょ」
「……そうか、君も一年が過ぎればここから出て行くか」
死霊王はそうだったと言いたげに言い、こう言う。
「この一年は、他のどの年よりも、楽しくて明るくて、居心地のいい一年だった」
「そっか、それはよかった。……じゃあ、最後の日には、あなたのお墓に挨拶させてね」
「……やっぱりそれを願うのか?」
「願うわよ。どの年の乙女も、お墓参りしていたって聞くのに、あなたは私にはだめだというのだから」
「……きっと恐ろしさで悲鳴を上げるぞ」
「その時はその時でしょ、だいたい骸骨をみて悲鳴を上げるのは、予測不足だと思う」
「そうか」
死霊王は笑った。最近は包帯が少なくなっていて、彼は元々はそれなりに端正な顔立ちだったのだと思わせるものがあった。
「死霊でも、包帯がなくなったりするものなのね。あなたの包帯が全部取れればよかったのに」
「……おれもそれはすごく思っている」
死霊王はそう言って頷いた。自分でも包帯が取れればいいと思っていたらしかった。
そして死霊王の花嫁という一年限定の役割が終わるその日、ジャンは腹をくくった様子の死霊王が、自分のお墓へ彼女を案内するというので、彼の後ろを歩いていた。
意外な事に、他の墓地から少し離れていくため、やはり年代物の訳ありなお墓は遠くにあるのだな、と思って……明らかに他とは何もかもが違う霊廟に到着し、死霊王が扉の前で立ち止まったため、問いかけた。
「ここがあなたのお墓?」
「そうだ」
「他のお墓と比べ物にならないくらい、大きいのね……」
「我が王が、罪滅ぼしだと言って大きくした」
「そっか」
懐かし気に彫刻を指でなぞった死霊王が、ジャンを見やって言葉を発する。
「ここが墓だ、気の済むまで参ってくれ」
「ここは開かないの?」
「……開くかどうか、もうわからない」
「じゃあ開けてみよう。ここからとんでもない物が出て来るとかじゃないでしょう?」
「そうだな、悪魔が飛び出すという事はない」
なら問題はない。ジャンはお墓の持ち主である死霊王に了解はとったため、霊廟の入り口に手を当てた。
そしてそっと開くと、がちゃり、とまるで待ちわびていたかのように扉の鍵が開く音がして、軋んだ音を立てて霊廟は開かれたのだった。
「綺麗な中なんだね……」
ジャンは中に入って、その美しさに驚いた。天井は色鮮やかなステンドグラスの光が差し込み、、室内を虹色に輝かせている。純白の石をたっぷり使った柱や床などに、それらの色が混ざり、至高の美と言っていい世界だ。
死霊王が何も言葉を発さないのだが、それでもきれいだと繰り返したジャンは、その中央に、四角い箱が置かれているため、そちらに近付いた。
「嘘、生きているみたい……」
近付いて、箱の上側を見下ろしたジャンは、こんな事ってあるのだろうか、と思いつつ言葉を口にした。
その箱は、いうなれば棺でありながら、たっぷりの澄んだ水で満たされていたのである。そして上に透明な板が乗せられていた。
そしてその水の中に、大昔に死んだとは思えない生々しさで、死霊王と同じ顔の青年が漂っていたのだ。
「ねえ、あなたなの?」
ジャンは死霊王に問いかけようとして、誰も周りにいないため、怪訝に思い、もう一度呼びかけようとした。
「死霊王、あなたの肉体だったものなの?」
答えは……ない。
「……」
ジャンはしばし考えた。今日この日で、死霊王とはお別れである。あんまり外出はしない生活だったが、共同生活はそれなりに楽しかった。
知らない歴史を教えてもらい、彼の知らない事を教える生活は、本当に、楽しかったし、彼が料理の湯気を美味しいと吸い込んで笑うのが、うれしかった。
だから。
「……さようならの、接吻くらいは大丈夫かな」
この国で、親しい相手が死んだ後、別れの際に、接吻する事は珍しい事ではない。
死霊王はすでに死んでいるし、自分はきっと親しいと言っていい相手だった。
だから普通の人と同じように、接吻しても問題ないだろう。
ジャンは深く考えずにそう判断し、棺の上に乗り出し、透明な板越しに接吻しようと手をやって、その板がいつの間にか消えていたので、板は見間違いだっただろうか、と勝手に納得し、死霊王の亡骸だろうそれに、そっと接吻したのであった。
亡骸は数百年の歳月を思わせないほどみずみずしく、単純に昼寝している誰かに接吻したような感触だった。
「じゃあね、死霊王」
ジャンはそう言い、立ち上がって霊廟の外に出ようとして、……その体は動けなくなった。
何故か? 何かがジャンの腕を押さえて、動きを止めているからだ。
「……え?」
ジャンはさすがに振り返った。そして思いっきり目を丸くした。
「え、えええっ」
それもそのはず、ジャンの腕を掴んでいた何かは、正しく人の手で、人の手ががっちりとジャンの腕を掴んで引き留めていたわけだ。
そしてその腕の主は……死んでいたはずの、死霊王の体である。
「うわああああああああああ!!!!!!??? い、生き返ったああああああああ!!!?」
流石のジャンも思い切り叫び、腰が抜けてへなへなと座り込んだ。
そんな彼女を見て、亡骸だったはずの男は、困ったような顔になった後、手を離して、水のたまった棺から出てきて、彼女の脇に座り込んだ。
「……ごめん」
「あ、え、な、なな、何で? 死んでたんじゃ」
「死んでいた……というよりも、死の淵を漂っていたというわけなんだ」
「ごめん、あなたは王様に毒を飲まされて死んで、未練が残って幽霊になったって話しか知らないんだけど……」
「それは……正しいが正しくない」
そう言い、死霊王はジャンの脇で説明を始めた。
「確かに毒を飲まされて、死んだはずだった。だがおれは、生まれついての邪悪の力を引き寄せる体質で……その邪悪の力が、毒の力を上回って、死の一歩手前の状態になった。そしてその衝撃で魂は吹っ飛ばされてしまったんだ。そして厄介な事に、おれが恨みの感情を持つと、邪悪の力が国を覆ってしまう事までわかって……何とか当時の天才女神官、ジュディ姫がその邪悪の力を反転させる魔方陣を完成させた。そして百年に一度、一年その魔方陣が魂の近くにあって、魂が恨みの感情を持たないようにする事で、おれが引き寄せてしまう邪悪の力を繁栄の力に反転させる儀式が行われる事になっていたんだ」
「事実は微妙にずれていたんだ……」
「そうなる。我が君に毒を飲まされたのも事実、魂だけになったのも事実。邪悪の力を反転させる印の乙女と、一年過ごすのも事実。……ただ違っていたのは、おれが完全に死んだわけではないという事で」
「で?」
「邪悪の力は、おれを実にゆっくりと蘇生させていて……完全に蘇生する鍵が、邪悪な力を繁栄の力に反転させる乙女が、おれの亡骸に触れる事だった。だが、ただ触れても何にもならない。一年過ごし、百年分の邪悪の力が繁栄の力に反転して薄まって、やっと発動する蘇生方法だったんだ。そして条件がそろった時しか、霊廟は開かれない」
「私は知らないで、それを成功させちゃったわけなんだ……」
「そうなる」
「……」
「この事は王族には話を何度もしているんだ。王族は知っていただろう。そしておれの力を欲しがっていたから……復活を待っていた」
今回も、霊廟で復活が成功するか見にくるはずだ、と彼はいい、ほどなくして外が騒がしくなり、聖騎士達が中に入ってきた。
「おお、復活おめでとうございます、死霊王」
「もうその名前は使えないだろう。……初めまして、名を名乗らなければ。おれはダーリャ・ラドラス。ラドラス家はもう滅んだ家系だろうが……その名前を名乗っていた者だ」
「おお、伝承通りの名前ですね! やや、花嫁殿!! あなたが儀式を完全に成功させたのですね!! 素晴らしい!! 一緒に王宮へまいりましょう!!」
「は、はあ……」
死霊王、いいや、ダーリャの復活によろこぶ聖騎士や神官達とともに、ジャンはそのまま王宮に向い、何と国王その人に儀式成功を褒められ、今までの花嫁たちとは比べ物にならない金額を約束された後、何とそのままダーリャとの結婚が決まってしまったのである。
両親はまさか死霊王が人間に戻り、娘と結婚するなんて想定外だっただろうが、ダーリャの過去の魔法に対する知識は、父の探求心をくすぐりまくったため、彼はあっという間に家に馴染み、平和な生活が始まったのであった。