第八話 千年ニンニクとヴァリアント・ボア
北方アルヴェリア山脈、王都から遠く離れたその山中を、ヘルミーナは一人で進んでいた。
今回の目的は、王宮でも手に入らないほど希少な食材、千年ニンニクを見つけ出すことだ。
やがて山の奥へと進んだヘルミーナの目に、いくつものニンニクが群生している場所が映った。
どれも普通のニンニクより遥かに大きく、中には百年近く生きているものもあるという。
ヘルミーナはその中から十分に育ったものをいくつか収穫すると、手にしたニンニクを眺めながら首を傾げた。
「一応、かなり育ったニンニクはゲットしたけど、これは千年ニンニクじゃないね」
周囲を見渡すと、すでに何本かのニンニクが掘り起こされた跡もある。
長い年月をかけて育った百年ニンニクは、それだけでも十分に珍しい食材だ。
だが、今回探しているのはそのさらに上、千年もの年月を生きた伝説級のニンニクである。
「まいったねぇ……ん?」
そのとき、遠くの斜面で何かが動いた。
最初は小さな黒い点にしか見えなかったが、それは次第に大きくなり、こちらへ向かって猛烈な勢いで近づいてくる。
地面を揺らしながら姿を現したのは、巨大な牙を持つ魔物だった。
「ヴァリアント・ボア……」
この辺りに生息する危険な魔物だ。
巨大な猪のような姿をしており、その突進をまともに受ければ、並の冒険者ならひとたまりもない。
ヘルミーナは迫ってくるヴァリアント・ボアを見ながら、少しだけ口元を緩めた。
「あれが、この辺りに巣食う魔物ってわけかい。厄介だね」
しかし、ヘルミーナにとって通常のヴァリアント・ボアは、それほど脅威ではなかった。
突進してくる個体を軽々とかわし、すれ違いざまに攻撃を加える。
さらに別の個体が襲いかかってくるが、それも難なく回避し、次々と仕留めていく。
群れを抜け、さらに山の奥へと進んでいくと、やがて周囲のヴァリアント・ボアとは明らかに違う気配を感じた。
ヘルミーナが足を止める。
視線の先にいたのは、これまで倒してきた個体よりも一回りどころか、二回りも大きなヴァリアント・ボアだった。
その巨体だけでも圧倒的だが、何よりも異様なのは、その個体が群れの中心にいることだった。
ヘルミーナは目を細める。
「こいつが、群れの主ってやつかい?」
次の瞬間、ヴァリアント・ボアの主が咆哮を上げた。
「ブオオオオオオオオッ!」
地面を蹴り、巨体が一気に突っ込んでくる。
先ほどまでの個体とは速度も力も桁違いだった。
ヘルミーナは紙一重で突進をかわしたものの、その余波だけで身体が大きく煽られる。
「へぇ……やるじゃないか」
振り返った主が、再びヘルミーナへと向き直る。
そして、間髪入れずに二度目の突進を仕掛けてきた。
ヘルミーナは迫り来る巨体を見据えると、腰に下げていた道具袋へ手を伸ばした。
「じゃあ、そろそろ本気を出そうかね」
取り出したのは、一振りの片手剣だった。
ただの剣ではなく、刀身からは不気味な光が漏れ出し、恐ろしいほどの存在感を放っている。
ヘルミーナはそれを握りしめると、不敵な笑みを浮かべた。
「これを出したからには、私に勝てる奴はそうはいないよ!」
「ブォオオオオオオオオオオ!!!!」
ヴァリアント・ボアの主が、凄まじい勢いで突っ込んでくる。
だが、ヘルミーナもまた人間離れした速度で動いた。
牙が身体をかすめるほどの距離で突進をかわし、次の瞬間には主の視界から姿を消していた。
「ブオッ!?」
ヴァリアント・ボアの主が困惑したように辺りを見回すが、正面にも、左右にもヘルミーナの姿はない。
その直後だった。
「さて、チェックメイトだね」
ヘルミーナは、いつの間にかヴァリアント・ボアの主の頭上に立っていた。
そして、そのまま手にした片手剣を振り下ろす。
ズブッ!
剣が主の額の中央へ深々と突き刺さった。
その片手剣は、魔力によって相手の生命力を吸い取る特殊な魔剣だった。
「ブオ……」
巨体が大きく揺れる。
そして、ヴァリアント・ボアの主はそのまま力を失い、地面へと倒れ込んだ。
ヘルミーナは魔剣を引き抜くと、倒れた主を見下ろした。
「ついでに、こいつの肉も頂いていくかね」
ヴァリアント・ボアの主を改めて見れば、その巨体は通常の個体とは比べものにならないほど大きい。
これほど長く生き、これほど強大な力を持った魔物なら、その肉もまた極めて希少な食材になるだろう。
依頼されたのは千年ニンニクの確保であって、魔物の討伐や肉の回収までは頼まれていない。
それでも、せっかく倒した獲物をそのまま放置していく理由はなかった。
ヘルミーナは道具袋から解体用のナイフを取り出すと、まず傷の少ない部分を確認し、食材として使える部位を慎重に見極めていく。
巨大な身体を相手にしているにもかかわらず、その手つきには迷いがない。
肉を傷つけすぎないように皮を切り開き、余分な脂や食べられない部分を取り除きながら、良質な肉を次々と切り分けていった。
「この辺りはかなり上等だね。これなら持って帰れば、料理人も喜ぶだろうさ」
長い年月を生きた魔物の肉は、普通のヴァリアント・ボアとは違う濃厚な旨味を持っている可能性が高い。
特にこの主は身体そのものが巨大で、肉の質も明らかに優れている。
ヘルミーナは食材として使える部分を丁寧に切り分け、持ち運べる大きさに整えると、保存用の袋へ次々と収めていった。
「これだけあれば十分だね」
解体を終えたヘルミーナは立ち上がり、改めて周囲を見渡した。
目的はまだ終わっておらず、千年ニンニクを見つけなければ、王都へ帰ることはできない。
ヘルミーナは群生地の奥へと視線を向けると、再び歩き始めた。
百年ニンニクが群生している場所を抜け、さらに奥へ進んでいく。
周囲の植物は次第に数を減らし、代わりに岩肌の露出した険しい地形が増えていった。
ヘルミーナは足元だけでなく、斜面や岩陰にも目を配りながら、一本一本のニンニクを確認していく。
「……違う」
見つけたものを手に取っては確認し、目的のものではないと分かれば次へ進む。
しばらく進んだところで、ヘルミーナはふと足を止めた。
「ん?」
風に乗って、かすかな匂いが漂ってきた。
ニンニクの香りだ。
だが、これまで嗅いできたものとは違う。強烈なだけではなく、どこか濃厚で、長い年月を重ねたような独特の香りが混じっている。
ヘルミーナは周囲を見回した。
「こっちかい?」
匂いを頼りに岩場を回り込み、さらに奥へ進む。
すると、周囲の地面とは明らかに様子の違う場所が目に入った。
そこには一本の巨大なニンニクが生えていた。
茎は太く、葉も通常のものより大きい。
地面から顔を出している球根部分も異様なほど巨大で、周囲に生えている百年ニンニクとは比べものにならない。
何より、その周囲には他のニンニクがほとんど生えていなかった。
まるで、この一本だけを守るように周囲の植物が避けているようにも見える。
ヘルミーナはゆっくりと近づき、その巨大なニンニクをじっと見つめた。
「……これかい?」
しゃがみ込み、葉や茎を確認する。
さらに土を少しだけ掘って球根の状態を確かめると、長い年月を生きてきたことを示す、異様なほど発達した根が地中深くまで伸びていた。
これまで見つけた百年ニンニクとは、明らかに違う。
ヘルミーナは目を細めると、先ほど倒したヴァリアント・ボアの主へ視線を向けた。
「まさか、あれが千年ニンニクかい? こいつが守ってたってわけね」
どうやらヴァリアント・ボアの主が、この場所を縄張りとしていた理由もこれだったらしい。
ヘルミーナは慎重に土を掘り進め、巨大な球根を傷つけないように根元から取り出していく。
土の中から姿を現したその姿は、まさに伝説の食材と呼ぶにふさわしいものだった。
「こりゃあ、確かにすごいね」
ヘルミーナは千年ニンニクを手に取ると、満足そうに笑った。
こうしてヘルミーナは、目的としていた千年ニンニクだけでなく、ヴァリアント・ボアの主の肉という非常に珍しい食材の入手にも成功したのだった。
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