Part 3-2
ATC-Parbright ,UK Mar. 26th 2014
2014年3月26日 イギリス パーブライト 陸軍訓練施設
続けて五分の間に1700ヤード(:約1554m)で2発撃った。二発目は最初の左横0.4インチ(:約1㎝)──X点の印刷の中心に触れそうなほど迫り、3発目のCal.50BMGはなんとその中心に孔を穿った。ウィリアムが評価してくれたのは、その中心を──10点を彼女が勝ち取った事ではなかった。二発が風向きも風の強さも違う条件の異なる狙撃でバイタルゾーンを撃ち抜いている結果だった。
「レイ、お前のシューティングはタイピングだ──悪くない。場所を変える。ライフルを抱えろ」
タイピング? また知らない言いまわしを、と麗香は思いながら、ハリス製バイポッドを伸ばしたままAX50を両腕で抱きかかえ立ち上がった。タイピング──タイプライターを打つ事だわ。淡々と撃っていると言いたいのだろうかしら?
彼が薄手のマットを巻いているのを見ていて彼女はマットの敷かれていた先端の少し先の土が横に向け抉られている事に気づいた。マズルブレーキから噴き出したガスが土を掘ったんだわ。なら──と麗香は彼に提案した。
「ウィリアム、シャベルはないですか?」
「どうするんだ?」
「発砲のガスで地面が抉られ砂埃が舞い上がるのを防ごうと思って──予めマズルブレーキの下を掘っておこうと」
彼女がそう言った直後、彼が顔を上げ丸くした瞳で彼女を見つめた。
「お前、本当にライフル射撃は初めてなんだろうな?」
? 麗香は何かマズいことを言ったのかと困惑した。
「私、変なことでも言いました?」
「マズルブレーキの下土を掘ったり固めたりするのは長距離スナイパーのベテランがやってる事だ。狙撃を始めたばかりの新兵が気がつく事じゃない」
言いながらマットをまとめた彼はそのまま歩き出した。おいてけぼりはかなわないとばかりに麗香はバックパックを背負った彼の背中を見つめ追いかける様に歩き出し考えた。ベテランと疑われた。誰でも気づきそうな事じゃないのと彼女は思ったが、悪い気はしなかった。彼の中で評価は低くない。大きく外したのは初日の一発目だけで、50口径に挑みだし九発、いずれも標的を外すミスはしていない。だけど自分には射撃に対しての基礎がないとわかっていた。
積み重ねその中で手にした経験こそが、自らの力を底上げする。
それがない技術は乱れだしたら、おさまりがつかないと何かが警告していた。
「ウィリアム、どこへ行き、何を撃つんです?」
「黙ってついて来い。考え事をしている」
あぁ、本当に扱い難い人だわ。麗香は眼を細め彼の首筋を睨みつけた。抗議するように彼女は抱きかかえたライフルのボルト・ハンドルを指二本で操作し、最後の一発を排莢しそれを三本指でつかみ損ね足元に落とした。そのまま数歩歩くと彼に怒られた。
「拾って来い」
歩き戻り発砲してないカートリッジを拾い上げ彼の後ろへ駆けて追いつくと麗香は尋ねずにいられなかった。
「ウィリアム、何が気に入らないんですか?」
すぐに彼は返事すらしなかった。そうして五十ヤード(:約45m)歩きやっと口を開いた。
「殆ど経験のないお前が躓くであろう壁を考えていた。経験のある者はそこから抜け出す解答をえる。だがお前にはその経験量の絶対値が足らない。俺が教え続ける事は不可能だ。いずれお前は自分で歩み出す。その時にお前を狙う誰かの手から自力で命を勝ち取らないといけない」
あぁ、この人は私の事を本気で心配してくれている。会ってまだ二日目の私を──そう考え麗香は本心を素直に語った。
「ウィリアム、私は兵士になる事はなく、だからこの先殺し合いも経験しません」
「それでもお前はライフルを棄てない。ロングレンジ・シューティングに魅了されて背を向けない」
麗香は眉根を寄せた。確かに射撃を面白く感じ始めていた。でも私が狙われるなんてありえない。
「ええ、あなたの言うとおり的を撃つのは面白いから射撃は続けても──」
「なら、今、お前にその壁を見せないといけない」
麗香は絶句した。この人は本気で撃ち合いを懸念している。その場で私に混乱させないと宣言している。その後は話し辛くなり、ひたすら麗香は彼の後を追いかけた。それから十五分近く歩き続けまたいきなりウィリアムが立ち止まると歩いてきた方へマットを引き伸ばした。麗香はここが新しい狙撃場所なのだと理解し、まず左手だけでライフルを抱きかかえ、空になったマグを彼に差し出した。立ち上がったウィリアムはそれを受け取りバックパックから新しい弾倉と折り畳まれた小型のシャベルを取り出し彼女に渡した。麗香は二つをマットに置くと、シャベルを縦に開き、握り手を引き伸ばしリングを回し固定するとマット先端のすぐ傍の地面をマットに沿って掘り下げ底をシャベルの裏で叩き固め、元のように折り畳むと彼に手渡した。そうして彼女はマットに乗り込むと腹這いになりAX50のストックを右肩に引き寄せた。だが、まだ銃を身体に固定せずに弾倉を交換すると儀式のようにボルト・ハンドルを指で操り初弾をライフルから排莢した。
息を大きく吸い込み肺を満たす。
そうして空気を静かに鼻から絞り出しながらズームダウンしたスコープを覗き込んだ。
すぐに見つかると思っていた遠くの射撃場の盛り土が見あたらない。それどころかスコープの視野に空が見えている。彼女は銃が上を向きすぎてるのだとストック下のモノポールを地面から浮かせ銃口を下げた。
やっと小さく盛り土が見えていた。小さく? あんな幅の広い盛り土がとても小さい。嘘よ!? 麗香は急激に倍率を上げ並ぶ標的を探した。それが微かに眼にとまった。お米を立てたより小さな標的──印刷されている数字すら読めない標的の中心──X点が判別できなかった。さらにズームアップしようとリングを回したら最後まで回しきっていた。標的の高さがレティクルの最小のライン間の半分もない。意味する値を無意識に即算した。23.6インチ(:約60㎝)のものが0.2ミル弱──0.22ミルに見える距離──恐らく2982ヤードより遠い。
「ウィリアム、まさかこのレンジ──ゼロインの十倍も──!?」
「そうだ。3000ヤード(:約2743m)ある」
麗香はそう教えた彼すら数回の狙撃しか成功した事がない極大射程にいた。
#2031 Boing 777-300ER West-Liner LAX Los Angeles CA., U.S. AM 10:20 Aug. 13th 2015
2015年8月13日 午前10:20 合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス ロサンゼルス国際空港 ウエスト航空 ボーイング777ー300ER 2031便
右の副操縦席に座らされたクリステンセン上院議員はしばらく二人のハイジャッカーに耳を傾けていた。
「どうだ? 連中は配置についてるか?」
マーティン・ルフェイン中佐と名乗ったリーダーと思われる男が機長席との間でライフルを構える男に尋ねた。
「いや、まだ人ひとり滑走路やその先のフェンスまで誰も入ってない。動きがあるとしたら少なくともあと半時間先だろう」
ライフルを構える男は滑走路上に現れる対策部隊の者を警戒してるのだと上院議員は理解した。なんの遮蔽物もない滑走路に入ったら絶好の標的となる。それを対策本部の連中に報せないと無駄に人命が失われてしまう。クリステンセン上院議員は無線のスイッチを入れたままにして、なんとかそれを伝える事が出来ないだろうかと機長の顔を見た。そうしたら機長と眼が合った。だが二人のハイジャッカーがいる手前、無線機の事を言うわけにもゆかずなんとか方法はないかと考え、上院議員は顔を振り向け後ろに立つルフェイン中佐に声をかけた。
「ルフェイン中佐、君が何を望みこの様な事をしでかしてるのかはわからんが、機外の者と交渉するため以外ではないだろう。だが対策当局はハイジャッカーと取引をしない。私が間に入る事で取引ができるかもしれないぞ」
「クリステンセン上院議員、無駄口は叩くな。これから私自ら合衆国と一方的な取引をするし、その事は可能なんだよ」
これ以上の意見は不要だと言われ、上院議員は顔を戻しかかった刹那、機長が頬の脇から口角に延びているムーヴマイクを数回指で叩いたのを眼にした。そうして機長はハイジャッカー二人に振り向き声をかけた。
「すまないが、トイレに行かさせてもらえないか? それと緊張から喉が乾く。飲み物を取ってきたい」
「いいだろう。五分で戻れ。一秒たりとも遅れるな。その一秒毎に乗客を一人づつ殺してゆくからな」
ルフェイン中佐はそう言いながら左袖をめくり腕時計のストップウォチを作動させた。それを見ながら機長はヘッドセットを外しスラストレバー前のスペースに置き、ライフルを構えるハイジャッカーの狭い横を身体を捻り通り抜け客室へと出て行った。
そのヘッドセットを見つめ、クリステンセン上院議員は必ず対策本部が機内の様子をモニターしてるはずだと思った。彼らが必要とするものは何か? まずはハイジャッカーの情報──人数、武装、配置、他に何があるか? こいつらの逃げ道をふさぐ事。そのためにはこいつらを混乱させる事。上院議員は横を振り向きハイジャッカーのリーダーに再び切り出した。
「ルフェイン中佐、君が破綻の道を歩むのに仲間や、関係もない人々を巻き込めるなどと思わないほうがいいぞ」
「黙れと言っただろう、クリステンセン!」
ルフェインは怒鳴りつけサブマシンガンの銃口を振り上げ上院議員の横顔に向けた。
「いいや、黙らぬ。この身に爆薬を括ろうとも真実をねじ曲げる事などできぬ。銃声をこの耳で聞いたぞ。もう、何人殺した? 君の醜い欲望ために」
「何人殺しただと? きさまら目先だけの政治家と真実から目を逸らし続ける国民から、最果ての地に送り込まれ、祖国に戻ればろくな報償も与えられず、軍の中でさえ手余し者の様な扱いを受けるのが欲望のためだと!? フハハハァ──」
急に笑い出したルフェイン中佐にクリステンセンは気が触れているのかと眉根をしかめた。その目先で中佐はライフルを構えるマーカスの横に身を乗り出しスラストレバーの先に置かれたヘッドセットを左手でつかんだ。その動作にクリステンセンは顔を強ばらせた。無線通信を知られていた! 中佐はそのコードを目一杯引き伸ばし上院議員の顔先に突きつけた。
「対策本部の連中に言うがいい。おまえらはアフガニスタンへ派兵した者達を本気で怒らせてしまったのだと、な! 明確な攻撃対象であるアルカイーダをいったんは追い詰めながら、それでも自発的に加わるテロリストらへ際限のない攻撃を命じ続けられる意味がどこにあるというのだ! 終わりのない戦争を始めたのはきさまらだ!」
違う。あれは元はといえばアルカイーダが仕掛けた9・11テロが根元にあるのだとクリステンセンは言い返しそうになり口を噤んだ。上院議会へ提出された中央情報局の報告では、旧ソビエトのアフガニスタン侵行に対しての武装抵抗組織を育てあげ、その者達がソビエトが撤退後に中東の複雑な背景から、ビン・ラディン率いる組織が反米組織としてテロを行うようになったのだ。この兵士が言うように元はという指示を出したのは合衆国議会であり、上下院議会に責任があった。
ルフェイン中佐とクリステンセン上院議員がにらみ合っているところにサンドバーグ機長が戻ってきた。
「おい、機長!」
振り向き中佐は今度は機長に銃口を向けた。
「我々が、何の知識もなしにこの機を選んだと思うなよ──きさま、無線のスイッチを入れっぱなしにしていたな!」
機長はハイジャッカーらが操縦計器類に知識があるなどとはまったく思いもよらなかった。操縦室出入り口に立ち尽くす機長は言い逃れが出来ない立場にあると悟った。弁明の機会も与えられず、いきなり銃口が火を吹き彼は手にしたポットを床に落とすなりその場に崩れ落ちた。
HCH(/Hijack countermeasure headquarters) LAX Los Angeles AM 10:20 Aug. 13th 2015
2015年8月13日 午前10:20 合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス ロサンゼルス国際空港 ハイジャック対策本部
スピーカーから流れてきた銃声に部屋の中に緊張が走った。
「撃たれたのは機長か?」
クルーガー空港保安局部長に尋ねるFBIロサンゼルス支局のハンス・ベレンジャー捜査主任を他の数人の男女が視線を移し見つめた。
「話しの内容からそうとしか──」
短く連射した銃声から犯人らが所持している銃はアサルトライフルか、サブマシンガンの可能性があるとベレンジャー捜査主任は心にとめた。しかもクリステンセン上院議員に爆発物を仕掛けている可能性があった。犯人らは複数で内一人は合衆国陸軍将校を名乗っている。他のハイジャッカーらも軍人か、除隊した兵士の可能性があり戦闘には慣れていると思われた。HRT(/Hostage Recapture Team:人質奪回部隊)の手に余る可能性が高かった。
犯人側からの具体的な交渉はまだなのだが、ホワイトハウスの高級官僚をネゴシエター(:交渉人)に指定してくるからには、恐らくは実現不可能な交渉で、時間延ばしの末、状況を押さえた上での強行突入になるだろう。
「機長の他にモールスを理解できるのは?」
ベレンジャー主任捜査官に尋ねられクルーガー保安局部長は即答した。
「副機長なら操縦者なので理解してるはずだが」
犯人の口振りから無線は使えない可能性が高かった。無線をオープンにしていたために機長は殺されたのだ。
「ここに誰かモールスがわかる者はいないか?」
ベレンジャー捜査主任が問うと一人の女性管制官が名乗り出た。
「私はモールスを理解できますし、打てます」
「所属と名前は?」
「管制課グラウンド──地上管制官のキャスリン・E・リングです」
「よし、君、うちの捜査官と滑走路の端まで行ってもらう。デクスター、お前はリング管制官と小型無線機、ハンド・サーチライトを用意し、滑走路の先へ行け。コレンソ、お前も小型無線機を持ち機体後部から真下まで犯人らに視認されず近づけるかを確認しろ」
それを聞いていた空港保安局部長のクルーガーは反論した。
「無理だ。後方に回り込む前に機体サイドの窓から丸見えになる」
一瞬、ベレンジャー捜査主任は考え部下のコレソンに指示した。
「コレソン、車で空港敷地外の市道を回り込みフェンスを切り開き真後ろから接近しろ。フェンスに穴を開ける事になるが、いいですな、保安局部長?」
ベレンジャーが了承すると二人のFBI捜査官と一人の管制官が駆けるように対策本部を後にした。
この時点で、対策本部の誰もが行動が裏目に出るなど思いもしなかった。
直後、部屋の電話の呼び出し音がなり始めFBI捜査官の一人が受話器をとると短く受け答えをしすぐに送話口を手でふさぎベレンジャー主任捜査官へ引き継いだ。
「主任、ホワイトハウスのスレイマン首席補佐官からです」
☆付録解説☆
☆1【極大射程】。Military(Tactical-Shooting)/Civilian(Sport-Shooting)を問わず海外でライフル射撃を行う者達で“超”が付く射程を意味する言いまわしを聞いた事がありません。単にLong-Range-Shooting(:長距離射程)で括られてしまいます。日本語風に言葉を作るならば極大射程は'Maximum RangeやExtended Range'などになると思われますが、この様に海外で表現するとほとんどといっていいほど、それは何だと尋ね返されます。一般にライフル射撃をする者達にとってRange(:射程)の区分は0~200/300ヤードのBlank-Rangeとそれ以上のLong-Rangeとに認識されますが、Assault RifleやBattle-Rifleなどの評価や性能表現では中間のMiddle-Rangeもよく用いられているのを見聞きします。間違っても極大射程の表現をSuper-Long-Rangeなどという変な認識でお持ちにならないで頂きたいものです。
☆2【首席補佐官】(/White House Chief of Staff:アメリカ合衆国首席補佐官)。ホワイトハウスのスタッフを統括し大統領の補佐を職務としている役職です。副大統領よりも権限をもつといわれますが、官僚ではありません。
☆次話へのプロローグ☆
ウィリアムの望むシューター(:狙撃手)の条件、それを次々に満たしてゆく麗香は、さらに彼からとんでもない場所に連れて行かれます。また、ハイジャッカーらの凶弾に倒れゆく新たな者達。残虐な死によって事件が一筋縄では対処できない事実に混乱する対策本部の次話をご期待くださいませ。




