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天馬ゆくところ  作者: 天ノ川清
第八章 ジャルマ雪中行
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08-04 ジャルマ野草園


 目が覚めると寝台で寝ていた。誰も使っていない部屋らしく、机の上にも壁にも何も飾られていない。窓の外に光があふれている。雪はやんだらしい。

 布団をめくった。長靴と上着だけ脱がされている。腕時計を見た。なんと昼前だ。ほんの一、二時間だと思っていたのに、丸一日ちかくも眠りつづけてしまったのだ。

 寝台横の机に置かれている内線電話で、責任者に面会したいと申し込むと、すぐに昨日の中年の職員が部屋にやってきた。

「管理部長のベルフスだ。よく眠れたか」

「アキツです。疲れはすっかりとれました。薬はどうでしたか」

「おかげで皆、快方に向かっている。あのままもう半日もしたら、何人かはたすからなかっただろう。しかしあの猛吹雪の中を、たいした男だな、君は」

「馬の力ですよ。あ、おれの馬は」

「係の者が世話をしている。すばらしい馬だな。だがあんな猛獣のような種馬をよく乗りこなせるもんだ」

「あれくらいの悍馬でなければ、こんな無茶はできませんでした。ところで、おれが門を開けた時刻はわかりますか」

「記録を調べておいた。十二時十七分だ」

 わずか十七分の遅れですんだのは上出来だ。カイザンの最後の頑張りがなかったら、行倒れになりかねなかった。

「園長は、君の都合のよい時にいつでも会うそうだ。その前に食事をどうだ。腹が減っているだろう」

「まず顔を洗いたいんですが」

「これは気がつかなかった。風呂に案内しよう。こっちだ」

 と先に立って歩きだした。

「洗濯機もあるから、入るときに服をほうりこんでおけば、出る頃には乾いているよ」

「風呂はどうやって沸かしているんですか」

「温泉だよ。電気も地熱発電だ。こんな山奥に施設を建てたのも、地熱が利用できるからだ」

「すると部屋の暖房も」

「床下の暖気管に熱風を通してあたためているんだ。あとは暖炉かな。なにしろまわりは森だからね」

「暖炉で薪ですか」

 祐介はつぶやいた。林の少ない南の草原地方では木材は高価で、暖炉で薪を燃やすというのはたいへんな贅沢だ。目的も暖をとるよりは雰囲気づくりである。草原地帯に木炭を運んだら儲かるかもしれない。


 園長は五十年配の肥った男だった。彼は祐介が命懸けで薬をはこんできたことよりも、問題が起きたことをシカノフ社長がどう考えているかのほうが気になるようだった。

「今度の件について、社長はなにかおっしゃっていたかね」

「さあ、あまり話をしている時間はありませんでしたから。薬が届いたことはもう連絡されたんですか」

 園長は聞いていなかった。

「保存食糧のなかに密封の破れているものがあったらしい。運んでくる途中で穴があいたんだろうが、そんな包みの一つひとつにまでわたしが責任をもてるわけはなかろう」

 と、祐介のせいだとでもいうような眼でにらんだ。

 ベルフス部長がかわって答えた。

「通信施設が雪に埋まっていてね。手のあいている連中に今掘らせているところだ」

 祐介はうなずいた。ならばおれがジャルマに戻るまでには通信は再開するだろう。

「それでは薬の受領書に署名をいただきたいのですが」と用紙を園長の前においた。「受領日時は、おれが到着した時刻にしてください」

「時刻? そんなのがいるのか」

「ええ、契約にふくまれていますので。記入欄もあります」

 園長はためらった。

「その前に本社にたしかめる」

「なにも嘘を書いてくれとはいっていません。おれが門を開けた時刻が記録されているそうですので、それを書いてくださればけっこうです」

「日付だけの受領書ならいまここで渡す。だが時刻を入れてもらいたかったら、本社との連絡がつくまで待つんだな」

 祐介は、シカノフがなぜこの男を園長にしているのかわかってきた。

「この仕事は交易互助会を通したものなので、薬を届けたのに受領書をいただけなかったら会に報告します。互助会から抗議がくるのは社長も喜ばれないとおもいますが」

 園長はあきらかに動揺した。互助会(オルタク)からの抗議よりも、社長の反応が心配になったらしい。

「社長の交わした契約を勝手に解釈してはまずいんじゃないですか」ここぞと祐介は追打ちをかけた。

 園長はなおも逃げ道をさがしたが、しぶしぶ内線で確かめ、十二時十七分と記入した。

 祐介は受領書の内容を確認して、憎悪のこもった眼でにらみつける園長に丁寧に礼をいった。


 翌早朝、祐介はベルフスから飼料を積んだ馬一頭を借りて、野草園を後にした。

 快晴の空に雪がまぶしい。積もった雪は自分の重みでしまり、カイザンの歩みも一昨日とはくらべものにならぬほど速い。

 ロナンを残した森のほとりで一頭の狼の足跡をみつけた。吹雪がやんで、穴ぐらで空きっ腹をかかえていた狼たちがうろつきだしたのだろう。狼が人を襲うことはないが、馬は狙われる。

 祐介は鞍から騎兵銃を抜き、弾倉をはめこんだ。遊底を往復させて弾丸を薬室に送りこみ、弾頭を活性化させた。おれの腕では当たらないだろうが、脅して追い払うくらいはできるだろう。

 足跡をつけていくと、突然カイザンが緊張した。飼料を積んでいる馬も怯えた様子だ。

 祐介は鞍の上でのびあがった。さして遠くない木立の間で何かが動いた。狼の影だ。

 祐介は銃を構え、引金をひいた。乾いた銃声が澄んだ空に広がり、灰色の影が逃げていく。炸裂弾は雪にもぐりこんで爆発しなかった。しばらくは危険だが、二時間もすれば粘土になり、やがて分解してしまう。

 周囲に眼を配りながら近づいた。一帯の雪が無数の足跡に踏み荒らされている。その中心にほとんど骨だけになった無残な死体があった。ロナンだ。

 姿こそ見せぬが、狼たちはまだどこかに隠れてこちらをうかがっているはずだ。カイザンの神経も極度に緊張している。

 祐介はカイザンの上からロナンに黙礼し、ふたたび道を急いだ。

 レーナはみつからなかった。きっと雪の下に埋まっているか、ロナンのようになっているのだろう。ベルナウからずっとたすけてくれた二頭の馬を失っても引き合うだけの仕事だったのか。覚悟していたとはいえ、胸が砂を詰めたように重い。


 本人よりも噂のほうが先に進んでいるらしく、隊商宿の前には、猛吹雪の中を一昼夜の急行軍をした英雄あるいは大馬鹿者を見ようと、大勢が迎えに出ていた。

 芹沢が野次馬をかきわけて、

「無事でよかった。遭難したのかと心配したぞ」

「ジャルマ製薬本社からは連絡がなかったのか」

 祐介は訊いたが、答えは聞くまでもなく芹沢の顔に書いてあった。

「他の馬は」と芹沢がたずねた。

 祐介がかすかに首をふると、芹沢は痛ましげな顔をした。

 すでに祐介の部屋は他の客が使っていて、わずかな手荷物は芹沢の部屋に置かれているという。どの宿も客がいっぱいで、遊ばせておく部屋などないのだ。

「わたしの部屋で一休みしたらいい。酒を届けさせようか」

「いや、まずカイザンの世話、風呂、飯、それから一眠りだ」

 その通りにした。


 翌朝目をさますと、狭い部屋に芹沢はおらず、折り畳まれた簡易寝台が壁にたてかけられている。自分の寝台を祐介に譲ってくれたのだ。

 顔を洗って部屋に戻ると、先に芹沢が戻っていた。部屋の礼をいおうとすると、気にするなというように手を振り、

「食堂では皆が話を聴こうと待ちかまえている。朝飯ならここで食べたほうがいい」

 と、手にしている籠を机に置いた。中には二人分の麺麭(パン)と冷肉、牛乳の朝食が入っている。

祐介は食事をしながら野草園の状況を説明した。

 芹沢は聞きおわると、

「その園長、あぶないな。あとで時刻が問題になった場合、社長に命令されれば記録を改竄するくらいのことはやるかもしれない」

「そういう男だからこそ、シカノフも園長にしているんだろう」と祐介は笑った。

 芹沢は携帯焜炉(こんろ)で淹れた熱い珈琲を飲みながら、

「君に頼まれていたこと、調べておいたぞ。報告書をつくっておいたが、簡単に説明しようか」

「あとできかせてもらうよ。それよりジャルマ野草園の光脳に侵入できるかな」

「いつでもできるさ」芹沢はあっさりといった。「待っている間にジャルマ製薬本社の光脳に入って、野草園の光脳をよびだす暗証情報を解読しておいた」

「さすがだな。で、やってみたのか」

「ああ、一度。記録が残らぬよう本社からの通信に便乗してね。簡単だったよ」

「必要がなければそれにこしたことはないんだが」


 電話で予約をとり、午後、野草園で借りた馬に乗ってジャルマ製薬本社を訪れた。

 社長室ではシカノフが愛想よく迎えた。

「いやあ、よくやってくれた。たすかったよ、ありがとう」

「すこし遅れてしまいました」

 祐介は受領書をみせた。

 シカノフは手にとり、ちらっと眼をやった。

「聞いたよ。園長が時刻を記入するしないでごねたらしいじゃないか。悪い男じゃないんだが、融通がまるできかなくてね」

「気にしていません」

 シカノフは、うんうんとうなずき、抽斗(ひきだし)から連邦発行の交易金貨を四枚とりだして机の上に置いた。

「それでは約束の報酬だ」

 祐介は胃を握り締められたように感じた。冷静になれと自分にいいきかせ、

「三十六枚足りませんね」

「なんのことだね」シカノフはきょとんとした顔をした。「十七分遅れたから、五枚から一枚減らした。それが約束だっただろう」

「約束はその十倍だったはずです」

 シカノフは憤然とした。

「いいがかりをつけるつもりか。そんな非常識な約束をする阿呆がどこの世界にいる。それにこちらには証人がいる」

 あの時この部屋には、ふたりだけだった。祐介はそれを指摘しようとして言葉を呑みこんだ。無駄なことだ。ここはシカノフの本社だ、必要とあれば証人など百人でも用意できる。

 と、隣室との扉が開き、ごつい男が二人入ってきた。盛り上がった肩の上に凶悪な(つら)を載せ、これみよがしに衝撃棒を持っている。

「なるほど、それがあんたの信用というやつか」祐介は声のたかぶるのを押さえていった。

「さっきから何をいっている。わしも忙しいんだ。さっさとその金を受け取って領収書に署名したら、引き取ってもらおう」

「薬の受領書を返せ。断わっておくが複写はとってある」

 シカノフは冷笑をうかべ、机の上の受領書を指ではじいた。


「領収書を書いたのはまずかったな」芹沢が眉を寄せた。

「あの状況ではどのみち書かされたさ。衝撃棒をくらうかどうかの違いだけだ」

「そうだな。で、どうする」

 宿の一人部屋には小さな木の机と椅子がそなえつけられている。祐介は四枚の交易金貨を傷だらけの机の上に置き、その輝きを見つめた。たしかに報酬としてはこれが相場かもしれない。だが問題は金額ではないのだ。

「泣寝入りはできない」ゆっくりと言った。「以前ある人に、人の最大の財産は信用だと教えられた。ここで引き下がったら、誰もおれが積荷や契約を命がけで守る男だとは思わなくなる。おれのあつかう商品の品質も疑われるだろうし、足元を見て買い叩かれるようにもなる。あんたの報告書をみせてくれ」

「これだ。実は計画も立ててみた」



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