ガルガンシア、武者修行の旅16
「やあ、君がスミレだね。俺はマルシギアス、ここの竜医師だ。よろし……大丈夫かな?」
「あ、はい。スミレです。よろしくお願いします」
頭に生きている目隠しがへばりついてきたので、私はそのまま手を出した。大きな手が私と握手する……と思ったら、この手もフィカルである。
「ちょっとフィカル、苦しいから」
「君がフィカルか、勇者の。随分と想像と違うね」
頭に巻き付いているフィカルを剥がしてみると、むぅと口をへの字に曲げていた。
一晩寝たら私の筋肉痛もほぼなくなったので、リネルダさんが竜医師のいる部屋を教えてくれた。リネルダさん自身は竜騎士と見回りに行くけれど、話は通してあるから大丈夫だと教えられ、私とフィカルで地下にある部屋へと訪れたのだ。
マルシギアスさんを見ると、小麦色の肌に濃い鋼色の髪。30代くらいに見えるけれど、笑顔が若々しい。筋肉もシッカリ付いた体型でスタイルも良くて爽やかめのイケメンである。そしてどうやらフィカルの顔認識セキュリティ的にひっかかってしまったらしい。
もしかして、フィカルは私はイケメンに弱いと思っているのでは……? 確かにイケメンはいいし美女もいいけれど、決して面食いではない……というのは、夫がイケメンだけに説得力のない言い分である。まさかの私面食い説。
「はじめましてマルシギアスさん、スミレです。こっちが私の夫のフィカルです」
「よろしく。お噂はかねがね」
何を噂されていたのかと心配になったけれど、なんということはない、マルシギアスさんも「竜を愛で好む竜のための研究会」、通称竜愛会の会員だった。竜愛会は王都で開催される集会に出る決まりがあるけれど、竜に関する仕事で忙しい場合は免除される。それでも年に二回会報が出るので、竜愛会に出された論文や研究日誌などを手にとることが出来るのだ。マルシギアスさんも一年中このガルガンシアに勤めているけれど、会報で私のことを知っていたらしい。
「例のアズマオオリュウの仔竜と一緒に来ているんだろう? 俺も触れるかな?」
「触れるんですけど、今日はちょっといじけていて……」
「いじけてる? 竜が?」
昨日に引き続き、断固として岩化していたアルはスーが持ってきてくれる食事のときしか動かず、今朝フィカルが鞍の準備をしていたときなど岩壁に頭を埋め込まんばかりになっていた。よっぽどスパルタだったらしい。スーもフィカルが呼ぶと大人しく鞍を付けられていたけれど、ものすごく渋々というか、行きたくなさそう〜な雰囲気を醸し出していて少し笑ってしまったのは秘密だ。
連日で襲撃してくる竜の討伐に出ていたため竜騎士から今日は待機でいいと言われてたこともあって、スーとアルのためにも今日フィカルは休むことにしたらしい。ちなみにフィカル本人はまったく疲れを見せることなくケロッとしている。
事情を説明すると、マルシギアスさんは声を上げて笑った。結構笑い声が大きかったので、天井を通りがかったガルガンシアホウキが驚いたのか「ニェッ!」と鳴いてぽとりと床に落ちていた。毛足が長くてフサフサしているので、お腹の方は見えなかったのが少し残念だ。
「竜が嫌がるほど訓練させるなんて、フィカルは本当にすごいな! いや心強い。今年は竜が多いから助かるよ」
「皆さん今年は多いって言ってますけど、どれくらい多いんですか?」
「大体例年の2、3倍かな。記録あるよ、見る?」
「ぜひお願いします」
「少し待ってて。狭いけど適当に座ってていいから」
頷いたマルシギアスさんが、続き部屋の方へと歩いていった。狭いけど、と言ったけれど、部屋自体は決して狭くはない。頑張ればスーとアルが一緒に入れるくらいの広さはあるだろう。けれど、本や書類があちこちに積み上げられているせいで、実際に使える空間は4畳くらいしかなかった。壁には廊下につながるドアの他に、今マルシギアスさんが入ったドアがある。けれどその他は全面本棚になっていて、ぎゅうぎゅうに詰められているのにあぶれた本がいっぱい積み重ねられている。何かを書き記した紙やそれを束ねるファイルのようなものも同じくらい沢山あった。
正方形の小さいテーブルと椅子が2つ置いてあるけれど、その上にも書きかけの紙とペンが置かれている。人のための部屋というよりもほぼ倉庫のようだった。天井から紐で吊り下げられたヒカリホオズキが裸電球のように見える。埃を食べるために隙間に潜り込んでいるガルガンシアホウキもこころなしか大変そうだ。
「すごいなあ、これ全部竜関係の本だよ」
近くの山にあった大判の本を捲ると、オオリュウに関しての記述が詳細に書かれている。ファイルには竜についての目撃情報がまとめられていた。日付は随分古いもののようだ。
「この地方は特に竜が多いからね。情報だけでも膨大な量になるんだ。あとここに住む竜についても細かく記録してあるし、竜医師になったんだか書記官になったんだかわからないくらいさ」
近くにあった図鑑を開いていると、マルシギアスさんが本の山を崩さないように器用に体を捻りながら戻ってきた。見せてくれた紙束には何十年にも渡って魔獣の襲撃が記録されている。
襲撃した魔獣の種類、竜の種類。個体数、時間帯、時期、討伐した数、見回りで目撃した魔獣や竜の数、生け捕りにした竜や討伐して回収した竜の種類。それらが細かく記されていて、年ごとに比較しやすくなっている表もある。
それによると、襲撃してくる竜の増減には周期があるようだ。種類によっても差はあるけれど、どの種の竜も軒並み襲撃が増えている年がある。魔王が動き出した時期にも増加しているが、それよりももっと短い周期、大体5年ごとくらいに増減する年がくるらしかった。
「こんなに細かく記録してるってすごいですね」
「まだ知られていない竜もいるし、ここでは竜の襲撃は街を脅かす一番の原因だからね。とにかく記録して、過去の情報と比較して新種を特定することもある」
この世界にはまだ特定されていない竜もたくさんいる。普通はその種類の竜が複数いるということを確かめ、どの属性の魔力を持つのかを観察して、それから認定会議にかけられる。けれどこの北西地方ではそんなに悠長にしていられないことも多いそうだ。過去の記録から襲撃してくる竜の魔力を予測し、骨格や鳴き声から攻撃のパターンを考えて防ぎ、未知の種類でも街に危害を加えるようなら討伐する。そしてどの時期にどれほどの被害が出たかを次のために記録しておくのである。
「もうひとりの竜医師は偏屈爺さんでね、竜ばっかり触ってほとんど人前に出てこないんだ。だから俺が記録係」
自身も竜を持っているというマルシギアスさんは冒険者としても強いそうだけれど、普段はここで書類と向き合っていることが多いらしい。過去の文献も読み漁ってまとめたり、竜が負傷すればもちろん駆けつけなければいけない。ガルガンシアで竜医師を務めるのはものすごく大変そうだ。




