助っ人あらわる1
ゆっくりと開かれる視界に飛び込んできたのは、薄い雲がたなびき太陽を半分覆った青空だった。灰色がかった青色をぼんやりと眺めて、それから勢い良く起き上がる。
薄茶色と鼠色の地面が、時折なだらかな曲線を描いて遠くまで繋がっている。視界のほぼ全てがそんな砂で覆われていて、左の遠くの方にだけくらい緑の森が見える。それを見たときに視界の脇に入った自分の肩には体をすっぽり包めるマントがかかっていて、しっかりとした生地が体を包んでいる。
素肌が出ている手首から先に粒子の荒い砂が付いてチクチクした。持ち上げた左手は右手と同じ見慣れた色をしていて痛みもない。炎に炙られた筈の頬も足も何ともない。身に着けているのは学校の制服ではなく、ロランツさんのお屋敷で揃えて貰った洋服だ。
「やっ……たー!! 帰ってきたー!」
私の絶対絶望するもんか精神が勝ったのか、黒い生き物の食欲が勝ったのか。
喜びの勢いで立ち上がって、砂場のような地面の上で何度か飛び跳ねる。厚めの生地で出来たマントもズボンも少し重く、腰に付けたポーチが揺れている。夢じゃないと伝えるようなその軽い負荷も、着地すると沈むような砂の地面も、冷えた風も嬉しかったけれども。
「ここどこー! フィカルー!!」
生まれてこの方砂漠とは縁のない生活を送ってきた私にこの仕打ちはどうかと思う。
「お腹空いた……」
太陽がほぼ真上にあるので、今はお昼時のようだ。魔術師ルタルカがいたカーナヤに着いたのが日暮れ頃だったので午後6時くらいとすると、大体18時間くらいだろうか。喉も乾いているけれど苦しむ程に飢えているということはないので、数日経過しているということはないようだった。
腰の小さいポーチから干した果物を取り出して口に含む。濃縮された甘さに口の中が潤ってきた。遠くの方に目を凝らしてみたけれど、風で砂が形を変えて丘陵のようになっているせいか小さく見える森の他には何も見つけられない。
北西でも端の方に程近いカーナヤからよほど東南の方へ離れていない限り、街も見えないこの場所でぼんやりと過ごすことは危険だ。肌寒い風には毒の気配はないようだけれども、王都より北西の方角は格段に魔獣が強くなる。魔獣でなくても獰猛な野生動物にすら敵わない自信があるので、とにかく街を探すか、安全な場所を探さないといけない。アズマオオリュウもいない正真正銘の一人ぼっちなのだ。
「あっ」
砂地を転ばないように歩き出そうと地面に目を向けて、私は足元の砂に白いものが混じっていることに気が付いた。くすんだ色の砂の中で、白くて細かい砂が細かく線を描くように伸び、私の周囲に円を描いている。
私は咄嗟につま先で砂を掘り返すようにして足元の線を崩した。魔術陣は完成させた陣に魔術師の魔力を流すことで発動する。仕組みは詳しくは覚えていないけれど、コントスさんに説明を受けたときに電気回路のようなものかなと思ったのだ。これが魔術師ルタルカの描いたものであれば、崩しておいて損はないだろう。ついでにすこし離れた場所に握っていたはずの剣が落ちているのを見つけた。何が起こるかわからないので、鞘をしっかりベルトに固定して、抜きやすいように調整しておく。
半径2メートルほどの円陣のあちこちを足で消すと、私が歩き回った跡にジャマキノコがぽこぽこと生えていた。50センチ間隔で生えているので結構な数になっている。目に痛いほどのハロウィン模様が妙に懐かしく感じて、足元に生えた厚い傘を撫でる。
「キノコ達がいるから一人じゃないか。いや、人じゃないけど」
今回は生食は避けたい。そう決意をして立ち上がると、私はまず森を目指すことにした。生き物が生息しやすい場所は危険も多いだろうけれど、食料になるものがある可能性も高い。樹上が安全であれば寝床を作ることも出来る。
怪しい集団である竜の牙に攫われた経験があるからだろうか、あの時よりも不安は少なかった。まだ夢の感覚がリアルに残っているからかもしれない。ここでは家族には会えないけれど、お母さんや友達が恐ろしく変貌することもないし、炎に包まれてもいない。
あんなに苦しい思いはもう二度としたくないけれど、今の状況がまだ絶望する状況じゃないと感じられることは収穫だと思うことにした。
「行くよー」
別にジャマキノコは歩いたりしないけれど、私の後ろに並ぶように生えているそれらに声を掛ける。一つだけは収穫して抱えていくことにした。もし魔獣が襲ってきたら、魔力と栄養がたっぷり詰まったこの妖精の加護をぶつけて気を逸らせようという魂胆である。
森まで歩く間は手持ち無沙汰なので、私がピンチのときには沢山生えるようにお願いしつつ効果はわからないけれど褒めておくことにする。見た目についてはコメントしづらいので、主に栄養面や増殖力などにおいて持ち上げておいた。
「どこへ行く。何故術から逃れた?」
森を正面に見据えて歩き辛い砂丘を歩き、少し盛り上がっている場所に差し掛かった頃、私の左手を背後から掴む存在があった。
「あっまっ!」
掠れた声に灰色のローブ。あいつだ、と思うと同時に右腕が勝手に振りかぶり、抱えていたジャマキノコをドッジボールのように投げつけてしまう。どっしりと身の詰まったジャマキノコに私の力が加わり、綺麗に魔術師ルタルカの顔面へと吸い込まれていく。
「ぐっ」
ただ当たっただけであれば、魔術師ルタルカもよろめく程度で済んだだろう。しかし彼はなぜか後ろへと転び私の手を離し、そしてさほど痛くない筈の砂に倒れ込んで気絶してしまった。
魔術師ルタルカの体の下で、2個のジャマキノコが誇らしげに生えている。ひとつは足を掬うような絶妙な場所で、もう一つは魔術師ルタルカが倒れ込んだ後頭部にドンピシャに当たるような場所で。頭のところにあるジャマキノコは、心なしか傘の角度が鋭角になり、硬そうにツヤが出ている。
倒れた魔術師ルタルカは土気色の顔でピクリとも動かなくなった。
「……えっ、魔術師ルタルカ……死んだ……?」
魔術師ルタルカ、キノコ死。顔面に受けた一撃が原因か。
そんな怖ろしい新聞の一面が頭に過ぎり私は血の気が引いた。恐る恐る首元に触れてみると、非常に顔色が悪いものの生きてはいる。よかった、と思ってから、これどうしよう、という悩みが浮かんできた。
このまま放置しておくわけにも行かず、かといって彼は重罪人である。悲惨の一言では済まないような夢を見させた張本人だけれど、自分が殺人犯になってまで恨みを晴らしたいとは思わない。しかし捕まえて竜騎士団や魔術師会の人に渡すにしてはちょっと大変な環境だし、魔術師は手足を使っても魔術が使えるのだ。魔術師ルタルカが起き上がってどこかに行ってもよくないだろうし、ここで私が逃げても捕まる気がする。
せめてロープと猿ぐつわと荷車があれば……と悩んでいると、砂がざらざらと動いた。ちょっとした上り坂を歩いてきたためにジャマキノコの列がよく見える様になっているけれど、列の遠くの方で砂丘が形を変えている。そんなに風も強くないのに、と眺めていると、砂はのったりと鎌首をもたげた。
「なな、ななな」
砂と全く同じ色をしているそれは、太く、長く、ツヤツヤとしていて、鎌首の先端がしゅっとすぼまりチロチロと黒っぽい何かを出し入れしていて、両側には大きく黄色の目が付いていた。その中心には黒い瞳孔が縦に走っている。
どうみても大蛇。人間丸呑み余裕っす、という声が聞こえてきそうなほどの大蛇である。
砂ばっかりと思っていたけど、そんなことなかったね。結構生き物いるね。
カエルよろしく固まりながら、オロチと呼びたくなるその大蛇と私はしっかりと見つめ合った。




