不穏の足音6
ぎゅ、と少し力を込めて繋いでいた手を握られて、私ははっと我に返った。見上げると、フィカルが少し心配そうにじっとこっちを見ている。それがいたたまれなくて、私はそっと視線を逸らした。
今、私、すごい色々考えた。しかもあんまり良くない方向に。
魔術師ルタルカという人のところにいるキルリスさんのことはもちろん心配で、助けに行きたい。でも、私には剣を振り回す能力も魔術師に対抗できる魔力もなくて、ぶっちゃけて言えば足を引っ張るくらいの能力しかない。
自分がピンチになった時だって、フィカルに助けられることしか出来なかった。キルリスさんであればアズマオオリュウと一緒にいる私のことは探せたかもしれないけれど、フィカルとスーが来てくれなかったら私は今でもトルテアに帰れていないかもしれない。
でも、キルリスさんを助けたいからって、それもフィカルにお願いするのか?
それは私の我儘でフィカルに危険なことをさせるということだ。
夜会で話し掛けてきた貴族の人達のフィカルに対する嫉妬の嫌味や見下した態度を見た時に、私は思ったのだ。
この人達だって、もし今魔王がここにいたらフィカルに助けてって頼み込むだろうに。自分の代わりに危険なことをお願いするだろう相手に対して失礼な人達だなぁって。
そして勇者という称号や報酬は魔王を討伐したということだけではなく、そういった時に危険な役割を押し付けられることに対する見返りでもあるのかもしれないと思ったのだ。フィカルは多分、この国にいる人達の誰よりも強い。だから、誰も敵わないような脅威が現れたら、その矢面に立つことを皆が当たり前に求めるんじゃないだろうか。
そう考えるとフィカルが心配だって思っていたくせに、私こそが今フィカルにそれを求めようとしたのだ。
自意識過剰かもしれないけれど、フィカルは多分、私がお願いしたらどんな危険なことでもやってくれるという感じがする。私がキルリスさんを助けて欲しいって言ったら、フィカルは頷き1つで向かってくれるだろう。どんな実力で何を考えているかわからないような人間を相手にするのだ。私自身では不可能だし、怖くて出来ないようなことなのに。
そんな自分に対する無力感と、それでもなくならない傲慢さ、あと星石がどうなっちゃうんだろうとか、異世界人に何する気なんだろうとか、私は結局自分の保身しか考えてないのかとか、考えだしたらぐるぐるぐるぐる止まらなくて、泥水を飲んだように自己嫌悪が内側に張り付いていた。
貴族のイヤミーズにムカついてる場合じゃなかった。嫌な人間だったのは私の方だよー!
やだもう自分が恥ずかしいと思ってつま先を見ながらウジウジしていると、いきなりほっぺの両側をムニュッと挟まれて頭が上を向いた。ちょっと唇を尖らせられた顔で、無表情に見下ろすフィカルと目が合う。
「……ニュムム?」
大きな手で頬を挟まれたままフィカルの名前を呼んでみると、そのままフィカルがムニムニと私の顔を挟んだまま手を回すように動かし始めた。
ちょっと待って欲しい。両側からほっぺを押さえつけて変形させるだなんて女子高生の顔としてあるまじき形状になってしまうではないか。せめて笑って欲しい。真顔のまま表情筋が仕事をしない状態でそれを続けるのはやめて欲しい。
ギブを伝えるためにフィカルの手首を掴んでやっとフィカルによる顔面マッサージが終了した。
「スミレ」
フィカルの声はいい声なのに、喋る時は小さめに、聞こえなくても良いと思ってるのかなと思う程度に出されることが多い。そばにいるから拾えるような声だけれど、フィカルが私を呼ぶ時の発音は丁寧で、優しさや気遣いで丁寧に包装されて発せられているように感じた。
自己嫌悪抜群の今そんな風に呼ばれると非常にいたたまれない気持ちになる。そんな気持ちになるくせに、私はフィカルに助けてほしいのだ。フィカルが強くて優しいから、その大きな力を何にも出来ない私に貸して欲しいのだ。
「スミレ」
初めて感じる恐ろしさだった。フィカルは強いのに優し過ぎて心配になる。私がお願いしたことでフィカルが辛い思いをしているのではないか、出来ないことを無理に請け負っていつか取り返しのつかないことになってしまうんじゃないか。そうなったとしても、フィカルは私を恨まないのではないかと思うと、胃の辺りがふわっと浮くような不安を感じるのだ。
フィカルとトルテアで暮らし始めて、毎日フィカルが側にいて手助けをしてくれて、その手を借りるのが当たり前になっている気がする。頼りすぎないようにしようと思うのに、自分の手に余ることがあるとフィカルを呼んでしまう。
私は多分、フィカルが私にしてくれたことの半分も返せていない。
剣を振るうのが嫌だと思って最低限の練習しかしてこなかったけれど、もっと練習して強くなっていたら違っていたのだろうか。私が魔法を使えるような凄い人間だったら良かったのだろうか。
「フィカル」
自己嫌悪でぐるぐるしてる場合じゃないし、そんなことをしても何かが変わるわけじゃない。大きく息を吐いてフィカルの目を見ると、紺色の瞳は少し細められて近付いてきた。肩と首の間に重みを感じて、スリスリとフィカルの額が擦り寄る。私も目の前に広がったフィカルの首筋に頭を預けて、同じようにスリスリしてみた。持たれながら自分の頭を動かすのは少しやりにくいし、上等なマントが肌を擦る。でもフィカルの首筋は温かくてほっとするような匂いがした。これ、割と良い。
スリスリスリスリとさらに首元をくすぐる銀の髪を感じながら、私は顔を起こした。
「フィカル、キルリスさんを助けて欲しい。力を貸してあげて欲しい」
なおもスリスリを続けるフィカルにお願い、と言うと、フィカルはいつもの顔でこっくりと頷いた。
「……えっと、もういいかな?」
にっこりと笑ったロランツさん、窓際で外を見つめているデギスさん、フードを深く被っているナキナさん。その3人が私とフィカルのやりとりが終わるのを待っていたのだと気付いて、私はさらに自己嫌悪を深めることになった。ナキナさんはなぜ両手で顔を隠しているのか。
もう今日が自己嫌悪記念日でいい。




