五 逡巡 ①
〈賢者の賜〉教会には、一般信者の立ち入りを禁じている部屋があった。間取りは狭く厚い扉に閉ざされ、小さい窓から入る光はごくわずかであり、昼にも関わらず肌寒い。朝のミサはとうに散会し礼拝堂も閑散としたある日の正午前、告解を行っているわけでもないのに、薄暗がりに覆われたその部屋に二つの人影が蠢いていた。ひとつは椅子に座る手足に枷を嵌められた男。もうひとつは首にストラをかけ、祈祷書を手に立つリベラのものである。
「汝を滅ぼさん、いとも汚れし霊よ。すべての悪の力よ、地獄からの濫入者たちよ、すべての悪霊たちの群れよ。イエス・キリストの御名において汝を滅ぼし、神の創りし者から立ち去らせん」
リベラは、治療の儀式を執りおこなっていた。被術者は、青白い顔をした青年である。職場で執拗ないやがらせを受けて転職を希望したが、体面を気にした両親の強い反対に遭い、板挟みに耐えかねておかしくなってしまったのだという。異変に気づき精神科に診せたものの病状が改善されなかったため、シモーネの紹介で教会に送られてきた患者だった。
「我らの主なるイエス・キリストの御名によりて、主の御母にして終生貞淑なるマリア、および大天使聖ミカエル、使徒聖ペトロ、および諸聖人の取りなしに強められ、我らは諸聖人の信頼のうえに悪魔の攻撃及び欺きを追放せん。主は敵を追い散らし、主を憎む者を退け給う。かまどの煙の消え入るが如く、火の前に蝋の流るるが如く、主の御前にて悪を滅ぼさん」
狭い部屋に朗々と響きわたるラテン語の祈祷文は、悪魔へ退散を迫る文句と聖人たちへの祈りを主としていた。とりわけ、かなりの頻度で大天使聖ミカエルへの庇護を呼びかける。新約聖書中の「ヨハネ黙示録」にて、大天使ミカエルが軍を率いて悪魔を地獄へ追放する描写があるためだ。神と悪魔の戦いを想起させる表現をもって、悪魔の退散を目的とする祈祷文と定められたのである。
「このいと狡猾な敵共は、罪の汚れなき子羊を憎悪と怨恨で満たして泥酔させ、我らの聖なる財産に不敬な手をかけん。牧者が打たれ羊が散らされるとき、聖なるペトロの聖座にして世の光のための真理の座が据えられし、まさにその聖なる場より、彼らは邪悪な策略もて忌まわしき不遜の王座を起こさん」
青年は初めの頃、いかにも弱々しい表情で大人しく椅子に腰かけていた。しかし祈祷文を聞くうち、次第に様子が変わる。にわかに眉間に深い皺を刻み、頬を引きつらせ、思いきり歯を喰いしばって唸りだす。手足を大きく震わせ、両腕を枷の鎖が千切れんばかりの力で左右に広げようとした。
「その耳障りなお題目を止めやがれ」
青年が顔に苦悶の色を浮かべ、数滴の唾とともに口汚い言葉を吐く。平時の青年とは何もかもが違っていた。普段は細い声がこのときは野太く、気弱な性格が災いして職場で苛められたとは思えないほど物腰も荒い。何も知らない者がこの豹変ぶりを目にすれば、さぞかし驚くだろう。リベラも初めて立ちあったときは信じられなかった。しかし悪魔に取り憑かれたと思しき者、悪魔憑きは特定の条件下でこうした変化を見せる。
また二人のやりとりも、大抵の者には奇妙に聞こえるに違いない。会話は互いにイタリア語でありながら、リベラは祈祷文のみラテン語で詠みあげる。これに対し、大学まで理系ひとすじの青年は筋が通る反応を示すのだ。
「止めろって言ってんのが聞こえねえのか」
「名前を言えば、楽にしてやろう」
「貴様に教えてやる筋合いはない」
取り憑くものがまだ力を有していると見たリベラは、青年の額に十字を切り聖水を振りかけた。すると獣のような鳴き声があがる。額を拭おうと手足をばたつかせてもいた。
「キリストの名において、汝の名を名乗るのだ」
青年が苛まれている不調のうち、もっとも深刻なのは頭痛だった。まともに口も利けなくなるほどの頭痛が、内科の薬を呑んでもシモーネの治療を受けても治らなかった。患部らしき箇所に聖水を降りかけ、十字を切る行為は被術者に治癒をもたらすものとされている。実際に効果があるのか、青年は何度か唇を開閉させて細々と息を吐いた。
「分かった。言うよ。事務室で自殺したロベルト」
「ではロベルト、もういちど言う。真実の名を名乗れ」
リベラはなお険しい顔で十字架を青年の胸に当てる。エクソシストは任命の際、必ずいくつかの注意を受ける。そのひとつが「取り憑くものの言葉を容易に信ずるべからず」というものだった。
「だから私はロベルトと言っているだろう」
ロベルトと名乗るものは、やたらとゆっくり喋る。声も急に嗄れたものに変わっていた。むろん喉が枯れるほどに喋りすぎてはいない。
「いとも高き主が汝に命ず、汝の全く傲慢において、未だに汝が等しと主張せるかの御者、全ての者が救われ、真理を深く知ることを望み給う御者。主なる御父が汝に命ず、主なる聖霊が汝に命ず。キリスト、人となり給いし主の御言葉が汝に命ず、キリストは汝の嫉妬によりて打ち負かされし我らの同朋を救わんがために、自ら遜りて死に至るまで従う者となり給えり。また堅固なる岩の上に正しき教えを広め、地獄の門はこれに打ち勝つことなかるべしと宣えり」
「止めろ、止めてくれ。なぜ私を苦しめる」
問答をやめて再び祈祷文を読みあげると、今度は波のように揺らいだ芯のつかめない声をあげた。地獄の者たちに対する神の勝利を謳う聖句に苦しんでいる。しかしリベラは構わず祈りを続けた。祈りは被術者が回復するまで、何ものが被術者を苦しめているかを聞きだすまで続けられる。
「イエス・キリストと聖母マリアの名において答えよ。汝の名を名乗れ」
なかなか口を割らない取り憑くものに対し、リベラは淡々と、口調を変えずに尋問を繰りかえす。青年はガイオ、イラリア、ジョルジョと名前を変えるたび、異なる声色でリベラに答えていった。そうして似たようなやりとりが十度ほど続いたあと、リベラは少しだけ声に力を込める。
「全能の主イエス・キリストと聖母マリアの名において答えるのだ」
青年に対しては半年にわたって、定期的に教会で儀式を執りおこなっていた。はじめに治療を施してから様態はつい今しがたまでほとんど同じだったが、急にがくがくと身体を痙攣させて背中を天井に向け大きく反らし、平時とも違う細い声を絞りだした。
「恐怖(Timor)」
途端に青年の全身から力が抜ける。何によって苦しめられていたか、被術者によって答えは違う。いわゆる悪魔の固有名を口にするときも、より抽象的な感情や概念のときもある。青年の場合は後者だった。リベラはこれをもって儀式による治療は役目を終えたと判断し、椅子の背もたれに寄りかかっていた背中を起こして拳で優しく叩く。固く硬直していた筋肉が徐々に解れていき、二十分としないうちに目覚めた。最後に青年の目つきを確かめ、慎重に枷を外す。
「あのう、終わりましたか」
「ええ。おしまいです」
続いて質問に答えると、青年は笑顔を見せた。表情は先ほどとは打ってかわって大人しく、態度も落ち着いている。
「本当ですか」
「はい。もうこの部屋には来なくてよさそうです。でも油断しないで。まだ少し休んでいた方がよろしいでしょう。水でも飲んでいてください」
それから青年を残し、部屋を出ていく。その先の人気のない礼拝堂には、初老の男が一人だけ椅子に座っていた。青年の父親である。リベラの姿を見とめるなり、すぐさま腰を上げて足早に歩みよってきた。
「息子は、どうでしたか」
「ひとまずは治ったと見てよろしいかと思います。ただし、息子さんに訪れる試練が一度とは限りません。人の弱みにつけこむ悪は、誰の周りにもいくらでもあります。自立してほしい、定職に就いていてほしいという親御さんのお気持ちは分かりますが、くれぐれもこのことをお忘れになりませんように」
リベラは失礼には当たらないようにしながら、父親に重ねて青年への配慮を求めた。生きていく以上は一応の強さが必要だとしても、全ての人がそれを備えられるわけではない。育った環境、その途中での巡りあいで不幸な目に遭ってしまう人はいる。何度も話をしたところ、青年はまさにそうした「悪」に付けこまれやすい性質の持ち主だった。ひととおり父親に注意を促したあと、リベラは扉越しに青年を呼ぶ。
「もうこちらに来ていいですよ」
青年が姿を表すと、父親はひと目で違いを感じとったらしい。以前は頭痛のためか、もしくはいつ頭痛に襲われるかとの不安からか鬱々としていた表情がすっかり消えている。
「父さん、もう大丈夫みたいだ」
精神科に診せて以降、決して聞かれなかった前向きな言葉が出た。父親はその一言に確信を得たらしく足を大きく前に踏みだし、息子を抱きしめた。よほど感謝しているのか、リベラの手も加減を忘れて思いきり固く握る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
父親は何度も礼を述べ、指先が汗を掻きはじめたのに気づいてようやく掌を離した。息子の方はまだ距離を置いてはいるが、じきに父親とうち解けられるだろう。教会を去る二人を見送り、手を振る。
「時間があるときは、ミサにお越しください」
治療をひとつ終えたリベラは、胸の奥底から息をついて自室へ戻った。こうしたことは年に一度や、季節のどこかで一度だけ行うのではない。悪魔祓いの依頼は年に二〇件以上あった。持ちこまれる相談のうちリベラが出番なしと判断した、悪魔憑きとは無関係と思われるほか九割以上を除いてなお二〇件超である。しかも治療は最低でも半年はかかり、中には先代のロッコが引きうけた被術者で十年ちかく施術を継続している者もいる。負担は尋常ではない。それでも誰か一人でも癒すことができるのは、やはり神の教えにかなうようで嬉しく思われるのだ。
だからこそ本棚に並ぶ書物を眺めながら、大学の研究を続けてよいのかとひとり悩んでしまう。青年の治療も、内心では果たして失敗しないかとの不安があった。以前はなかった雑念が、やはり日に日に大きくなっている。次も、その次もうまくいくとは限らない。エクソシストが頼りにできるのは、何より神への信仰心のみであるからだ。半信半疑では祈りも効果が薄れ、太刀打ちできない事態に直面する恐れがある。これまでのところ教会の援助によって、言うなれば多くの人から寄せられる布施によって生活が成り立っている。聖職を辞することはできない。ならば副業は続けられない、続けてはいけないのではないか。ロマーノの助言を聞きいれて即断は避けるとしても、いつかは答えを出さなければいけない。それをいつにするか、リベラは期日までは決めずにしばらく考えるつもりでいた。
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