第12話 握手は友好のまやかし
「とはいってもですね……」
銀次はゆっくりと腰を掛け、まだ燻っている葉巻を吸いつつ、Sirに視線を流す。
「雇うのは貴方の一存。言われた通り30回の殺しは成功させましたが、誓約書も契約書も書いていない。反故にされたらそれまでなんですよね」
Sirは頭の中で様々な思惑を巡らせる。目の前の「人間」をどうやったらコントロールできるのか。自身が死なないため、アメリカの国益のために彼がすることは何か。途轍もない重圧が彼の双肩にかかっていた。
「まあ、失職したならしたでいいんですが。いつの時代も“暴力”には一定の需要がある。それを欲するところに収まればいい。マフィアなりギャングなり」
「……ッ! それは!」
(それは、それだけはダメだ。この能力者とまだ不透明な協力者が徒党を組んで非合法組織に入ってしまえば手が付けられなくなる。現在保有しているアメリカの能力者を総動員してもそれを打ち倒せるか……)
(だから、どんなに足元を見られても雇うしかない、これが彼のシナリオ通りだとしても)
「随分と怖い顔をしていらっしゃいますが、お体の調子でも悪いので?」
「わかって、言っているだろう? ……採用するよ。ところで……一つ疑問に思っていたことがあるんだが、どうしてアメリカに? それって売国になるんじゃないのか?」
しばし何かを思案するように銀次は瞳を閉じて、再びSirを見つめ直す。
「Sirから見て、日本ってどんな国に見えますか?」
「平和で治安の良い国だと認識しているが」
「私もそこは美点だと思っておりますよ、……ただ」
銀次は心底辟易とした表情をし、言葉を続ける。
「大半の人間が『平和』というものが無料で、無償で、そして無限に与えられるものだと勘違いしている。口を開けて『平和』という名の餌を待っている雛鳥のように」
「夥しい数の屍の上で自分たちが安穏と過ごしている事実に気づいているのはいったい何人いるんでしょう?」
ここで銀次が放った「屍」には過去の自分も当然入っている。単純な戦禍による犠牲者だけではない。他人に、社会に、世界に蹴落とされた者のなれの果てを形容していた。だが生粋の軍人であるSirはそれに気づかず、WW2(世界大戦)の話だと受け取った。
「アメリカでも軍人や傭兵といった者に対して嫌悪感を示す人間は幾らでもいる。何せ自由の国だ。安全圏にいるものが好き勝手に論ずることは、よくあることだよ」
「そうですね。ただ私はその平和ボケに嫌気がさして国を飛び出したわけではありません。話は変わるんですが戦闘機の燃料ってやっぱり特別なものを使っていますよね?」
全く予想だにしていなかった質問に対して、Sirはぽかんと口を開け、数瞬間をあけて質問を質問で返す。
「Mr.銀次。何故そんなことを?」
「私が液体金属になれることは先ほど申し上げた通りなのですが、『形を変えられる』ということの万能性がどれほどの脅威であるか、貴方はわかりますか?」
「……?」
「すでに自動車の模倣は日本で済ませてあります。夜中に誰もいない駐車場で液体金属を流し込み、形状を把握。金属で代替できない部分。ゴムやガラス、ガソリンを体内にしまっておけば私は自動車としての運用が可能です」
「なるほど、君がアメリカを選んだ理由はそれか」
「ええ。私に“ステルス航空機”を一機コピーさせてもらっても良いですか?」
「だが、戦闘機のフレームは金属ではないぞ?」
「問題ありません。密度等の操作により、ある程度思い通りの弾性、靭性、強度の外骨格は作れます」
「わかった。私の権限でそれくらいの用意はできるだろう」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる銀次。ただ彼は今までの言動から分かると思うが欲張りな性格をしている。
「あと、ありったけの銃火器や戦車も、コピーしたら返しますので」
「もうね、足元を見られるのはわかっていたことなんだ。要求するものすべてなんでも言ってくれ」
「ん? 今なんでもって言いましたよね」
背筋にゾッとした悪寒が走る。銀の悪魔にケツの毛一本残らないほど毟られるかもしれないという身震いだ。だが続けられる銀次の言葉は要求ではなかった。
「想像に難くないと思いますが水道インフラの通っている区域全てが私の暗殺テリトリーです」
「途方もない能力だな」
「けれども私はこの『水道暗殺』をあまり使いたくないのです」
「……その心は?」
「能力の露見、即ちそれは弱点の露呈。情報の矛は私の心臓さえ捉えうる」
「だから、握手でもしましょうよ。Sir」
銀次は立ち上がり微笑を浮かべながら左手を差し出す。それを見て嘆息するSir。
「日本ではあまり握手の文化はないらしいから知らないのも無理はないが、左手での握手はこの国でやると『敵意』を表す」
「知っています。だからこそとも言えますね」
訝しみながらも、渋々左腕で握手に応じるSir。手が握られた瞬間。銀次の指の一部が液状化し、Sirの結婚指輪にまとわりつく。大きさも見た目もほとんど変えることなく液体金属の指輪をつけられた。
「……ッ!!」
「この握手をもってお互いの『敵意』の清算といたしましょう。男性が男性に指輪をプレゼントするというのは些か不自然ですが」
「どういう、ことだ?」
「情報漏えいのリスクを負いたくないってことですよ。ご家族もいらっしゃるっておっしゃってましたよね。出来る限り平和的に行こうじゃありませんか」
「違う。私が訊いているのはこの指輪がどういった意図でつけられたかという……」
「おっと。説明が遅れて申し訳ありません。その指輪は盗聴、盗撮、通信、戦闘が私の意思で可能なものです。くれぐれも口外のないように」
「冗談だろ? 万能だ、万能だとは思っていたが、そんなことまでできるわけがない」
「宗教と同じく信じるも信じないも貴方の自由ですよ。私のハッタリだと賭けて誰かに話すのもいいでしょう。ただ、その際はご自身と奥さん、ご子息の命を賭け銭にしてもらう必要がありますが」
Sirは自身の奥歯が震えるのを自覚していた。アフガン紛争で地獄を見てきた彼が。戦友と明日も同じ飯を囲える保証のない戦争を生き抜き、数々の武勲をあげ、若くも佐官に任命されている彼が。職務も国益もすべてを放り投げて逃げ出したい衝動にかられた。
(そうか、彼が求めていたのはこれか。アメリカが合法的な殺しを認めるわけにはいかない。だからたった二人きりになった場面で指輪をつける。これを出会った瞬間から計画していた……ッ! だが妻も娘も無関係だろう!)
Sirは温度のない紅い瞳を見て考え至る。
(いや、こいつにとってもそれは無関係か……)
「だ、だが。私を脅したところで決定権は」
当然、能力者の存在を知っていたアメリカが、決定権を持つ国防省長官に銀次を接触させることなどしない。
「だからですよ。Sir。貴方には媒介になっていただきます」
銀次は手のひらを机にかざす。そこからまるで手品のように指輪がカラカラと溢れ出てくる。その数、十数個。
「貴方にも上官はいますよね? そのまた上もいるはずです。マラリアを保有する蚊のように、貴方には指輪を感染させる役目を担っていただきます」
「それは、我々アメリカとの全面敵対をする。ということでいいのか?」
「とんでもない。私は健気にも30の試練を頑張っていたのに、29回目で頭を撃ち抜かれてゲームオーバー。本来アメリカの筋書きだとこうだったのでしょう?」
大量に生成された指輪をジャラジャラと弄びながら二の句を継げる。
「だからこれは保険なんですよ。米軍ならば私を使い倒して用済みになったら始末する。そんなこともできてしまう。だからこれは力関係を均等にするいわば楔のようなものだと思っていただければ」
「つまり君の要求をのめばこれまで通り働くと?」
「Yes」
「君を切り捨てたり、裏切ったりしなければ。我々に危害は加えないと?」
「Of course(勿論)」
「わかった。信じることにするよ。だが指輪に関しては待ってくれないか? 私は良い。ただ明確に君に敵対する上層部人間がいた場合、つけさせる。それでいいか?」
「構いませんよ。私が不利になる状況さえ作られなければ、それでいいですよ」
「でだ、要求は三つあります。まずは金。給料は幾らほどもらえるんですかね?」
「今の君は上層部にとって人間模倣というショボい能力だからな。あまり高給取りというわけにはいかないと思う」
「それならば二つ目の要求で解決できそうですね。データベースに『切断』という能力者の存在を作ってほしいです。私はこれまで人間には到底不可能な切断方法で斬り殺してきました。その架空の能力者を登録していただけないでしょうか。姿は変えられるので問題ないです。写真も後で送りましょう。そしてその存在しない能力者への報酬を私に振り込んでいただければ」
「ああ、それならば可能だな。豪遊できるだけの給料は保証できる。そして最後は?」
「ペンタゴン地下でも、そうでなくとも構わないのですが、誰にも見つからないような私の私室と運動場があれば貸していただけないでしょうか?」
「私室はわかるが運動場?」
首をかしげるSir。
「何分、私も能力を鍛えたいもので」
「……ああ、二つとも私の権限で可能だ。用意しよう」
「助かりますよ、では私は拠点に戻って荷まとめをしてくるので、くれぐれも『液化金属』に関しては……」
「わかっている。君だけは本当に敵に回したくない。……ああしばらくは徹夜だよ」
「お体には気を付けて」
「君のせいなんだが……」
「では、しばしのお別れです。また来ますよ」
「ああ、給料分の仕事はしてくれよ」
「当然ですとも」
銀次は葉巻をもみ消し、立ち上がる。そのまま踵を返すと水場のほうに歩いていく。最初からいなかったかの如く、音もなく姿を消した。彼がここにいた痕跡はSirの左手薬指と机の上の指輪。そして葉巻の吸い殻一つだけ。
緊張の糸がとけたSirは長く細い息を漏らす。シガーカッターを持ち出し、葉巻を切断。火をつけ人心地つく。額には脂汗がにじみ、まだかすかに葉巻を持つ手が震えていた。
(液体金属のロボットでも相当な脅威になる。機械は人間よりも合理的に動くからな。だがあいつは人間だ。故に機械以上の脅威となる)
(悪意がある。だから能力のアドバンテージを最大限生かせる)
(欲がある。だから向上心を忘れない)
(そしてなにより恐怖がある。この臆病さこそが彼を無敵たらしめている一因だろう)
「もしかしてこの言葉も聞こえているのかな?」
間を置くことなく指輪から声が聞こえる
「私を試すのはやめてください。初回だから大目に見ますけど、次やったらその咥えている葉巻みたいに切り落とされるのは貴方かもしれない」
「すまなかった。二度としない」
(本物だ……。嘘偽りなしに彼は現状を把握できている。さてどうしたものかね)
■■■
公衆電話から切羅に電話をかける銀次。コール音一回で食い気味に彼女は通話に出る。
「早くないか、でるの」
「一刻も早くあなたとお話がしたくてですね。ずっとスマホ握っていました!」
「そう……。まあそれで伝えたいということは?」
「一つ目、あなたの携帯に発信機が付けられている、なんてことはありません。盗聴もされていない。Sirは貴方のことを今日までは取るに足らない凡骨だと思っていたみたいですよ。だから以後もその携帯で連絡しても問題ありません」
「そうか、ならば安心だね」
「ただそうでもないんですよ。Sirは貴方をどうにかコントロールしようと画策しているみたいです」
「だろうね」
「対策は講じているみたいですね。もしまた何かあれば私を頼ってください。いつでもあなたの力になりたいんです」
「……疑問なんだが、何故君はそこまで僕に尽くしてくれるんだ?」
少しの間沈黙が流れる。先に口を開いたのは切羅だった。
「ヒーロー、だからです」
「……?」
「最後に一つだけ。私にはあなたが必要です。ほかの誰でも代替できません。それだけはわかっていてください」
それだけを言い残し、照れを隠すかのように手早く切羅は通話を切った。




