第13話 切羅と銀次の過去と今
「君さぁ……」
「え? 私何か変なことしました?」
水瀬銀子は首をかしげる。銀次の時よりも少し長い銀髪が揺れ、殺人鬼特有の冷たい紅い瞳が驚き丸まる。スーツの似合わない低い身長で、さらにその低い身長に似合わない豊満な胸。まるで妖精や夢魔のような少女。相対するは頭二つ分身長の違う金髪オールバックの軍人。
「…… Transsexual」
「ん? 今なんと?」
「ああ、いやなんというか。それほど変化がないな。元々中性的な顔立ちであるし」
「トランスセクシャルって聞こえましたけど?」
「ああ、職務上なるべく早い段階で人となりをつかむ必要があってね、勉強したんだよ、今はほら、価値観や考え方が実にフレキシブルだろう? 私が下士官であったころには考えられないことだ」
「……それでTSですか? 私は別に意識していなかったで……」
銀次の言葉を遮るようにSirが比較的大声で、かつ早口でまくしたてる。
「ただ君のは少々いただけない。まず見た目がそれだと、ばれうるよ。君が水瀬銀次だと。あとTSってのは原則むさ苦しいおっさんがかわいい女の子になってしまって戸惑いながらも『あれ、自分ってこんな可愛かったっけ?』『トイレって男子と女子どちらですれば?』みたいな葛藤があるからいいのであって……」
「……ストップ。ストップですSir。後半ただの願望じゃないですか。なんでゲームのことはさっぱりだったのに、TSにそんな造詣があるのかを聞きたいところですが、深淵に触れそうなので止めておきます」
「あのー。何かトラブルでしょうか? ……ッ! ドウ大佐! 失礼いたしました! ……そちらのお嬢さんは?」
「客人だよ。業務に戻ってくれ給え」
「承知いたしました」
何かを察したかのように受付嬢は戻っていく。エントランスでは銀子とSirを見つめる視線もいくらかあったが次第に興味を無くしたのか業務に戻る。
「貴方、部下にも名無しって呼ばせているんですか?」
「……本名なんだよ。ジョン=ドウが」
「いろいろとびっくりな事実が咲き乱れる日ですね。今日は」
「私、何日寝ていないと思う? 上への根回し、部屋の準備、他の……『君みたいなの』のお相手。五日だよ。そりゃTS狂いにもなるわ」
「関係ないんじゃあないですかね……」
□□□ 存在しない階層 地下28階 水瀬銀次の私室
決して広くはないが、備え付けのベッド、デスク、本棚。地下室故に窓はなく閉塞感の感じられる部屋だが、ネットも通っていて、風呂トイレも別。テレビや冷蔵庫といった各種家電も取りそろえられている簡素な部屋。そこに銀次は通される。
「秘密基地みたいでワクワクしますね」
「みたいではなく秘密基地だな。私は地下30階にいるから連絡は固定電話か指輪を使ってくれ。あと君の『切断』だが戦力に関しては申し分ないと報告しておいたよ」
「それとご要望通り、26から28階層をぶち抜いた運動場も君の部屋の隣にある。好きに使ってくれ」
「何から何まで感謝いたします。あー、そうだ」
旅行用トランクからボイスレコーダーを取り出す銀次。
「この部屋及び廊下、監視カメラと盗聴器。及び私を封印する仕掛けがないことを宣言してもらえますか? もしすでにあるならば今なら撤回しても許します」
「もう、私の心は完膚なきまでに折られている。反抗する気はないよ」
「まあ念のためということで、今後も良好な関係を築きたいもので」
「わかった。『この私が用意した設備に君を害する仕掛けは一切施されていない』……これでいいか?」
「ありがとうございます。しかし隈がひどいですね。お休みになられては?」
「そうさせてもらうよ。君もゆっくり羽を伸ばすといい、正式な挨拶に関しては一旦待ってくれ。流石に眠い」
そう言い残してSirは部屋を後にする。残された銀次はベッドに横になり眼を閉じる。誰もいなくなった私室に銀次のため息が響く。
「これで良かったのか」
(晴れて雇われの殺人者となった。そのために殺した。30回も。すべてに感慨がないわけではない。しかし罪悪感もまた、驚くほどに、無い。初めて殺したあの日からそこは何も変わりはしない)
(奪うものがあり、奪われるものがある。その摂理に組み込まれているだけのことだ。そこに憤りもする。だがこうして奪うものとなってからは、これが世の理なのだとすんなり腹落ちしている部分もある。それが却って、不気味なのだ)
(あれほどまでに僕の脳を食い荒らした苦しみも随分落ち着いている。本当にこの道で良かったのだろうか。他に道はなかったのだろうか。しかし今さら後戻りができないことも確かだ)
(……降って湧いた『液化金属』という奇跡。僕はそれを殺す手段として用いた。大義はない)
(もう戻れない)
■■■
──────12年。恋い焦がれた。人生の半分以上の時をたった1人の想い人を愛し続けた。まだ小学生だった私がその感情が恋慕と気付くに要した時間はそう長くはなかった。……もし彼に恋人がいたら、もし彼が結婚していたら。私はどうなってしまうのだろうと。眠れぬ夜に震えていた時期もあった。
──────発狂するか、自殺するか、はたまた相手の女性を殺害するか。どう転んでも明るい未来は待ってはいない。だから最初に彼に会って流した涙は安堵の涙。次に流れたのが哀憫の涙。そして最後に歓喜の涙。どれも同じ私の涙で、黒崎切羅以外の誰にも推し量れないことではあったが。
□□□
「せつらちゃんのお家っておとーさんいないんだって!」
「おかーさんはエッチなお店で働いているって私のママが言ってた!」
「変態だ! ヘンタイ!」
──────私には父親がいない。いないと言ったら語弊がある。逮捕された。まだ弱冠7歳である私を犯そうとして。母が半狂乱になりながら警察に通報して幸運にも未遂で終わったその事件。その漸く物心がついた時分に性交渉の意味なんて分かるはずもなかったが、ただなんというか“そういう目”で見られることに対して吐く程の嫌悪感を覚えた。
──────愛されたいとは希った。でも同時に性的な目では見られたくないというある種矛盾した恋愛観を持つことになった。その矛盾を無くすため整合性を取る努力をしたが徒労に終わった。
「切羅ってさ……w」
「あの子ってさ……w」
「黒崎さんてさぁw」
「マジで? 売女の娘じゃんw」
「父親が誰かもわかんないんだろw」
──────仕方のないことだと思う。職業に貴賎なしなんて言うけれど、そんな綺麗事じゃあ全てが全て罷り通ることは無い。だから仕方がないのだ、どうしようもないのだ。子は生まれてくる親を選べない。小児性愛者の父と、やりたくもない仕事をしてまで私を育ててくれる母。でも、いや、だから。私の母への侮辱は許せない。まだまともな語彙さえない子供の自分が食ってかかろうとした時。
「親なんて関係ないだろ。人間の価値なんてそんなことで決まりはしない」
──────そこに立っていたのは、私にとってのヒーローだった。銀髪で紅眼の決して喧嘩は強くなさそうな華奢な体躯をしていた。だけれども、どんな筋骨隆々のスーパーマンにだって負けない、最高で最強の、私の英雄。
「なんだコイツしゃしゃり出てくるんじゃねえよ」
「ていうかなんでコイツ白髪なの?」
「もしかしてこの女のこと好きなの? ウケる」
英雄は蔑むように鼻を鳴らし、飄々とした態度で言葉を返した。
「下らない。僕は寄ってたかって、ましてや上級生が下級生に対して、暴言を吐くお前らが気に入らないだけだ。一人じゃ怖くてこんな少女にも勝てないのか?」
「親でも環境でもなく、彼女を見ろよ」
──────がなり立てるわけでもなかったが、英雄の言葉には重みがあった。それに対抗して言葉では勝てないと悟ったのか、次にいじめっ子が用いたのは暴力だった。拳が英雄の頬を撃ち抜く、それに呼応し英雄も拳を抜く。相手の顔に同じよう返す。英雄も数の力にはどうしようもなく取り押さえられてしまったが。負けて尚、英雄は世界一恰好良かった。
──────それからあの英雄に会うことは無かった。教師にもいじめの真実が知られることになり、沈静化した。どうにかして私は彼にお礼を言いたかったが誰も彼の居所を教えてくれる大人はいなかった。わかったのは彼の名前が水瀬銀次ということだけ。そうして12年経ち、私たちが再会できたのは運命というほかないだろう。彼が私のことを覚えていないのは少々残念だったが。
──────銀次と私は似ている。合理的であろうとしながらも、誰より感情を優先させる、いわば非合理的な合理主義者。あんな名も知らない少女なんて、関わらないで遠巻きに見守っているのが最適解だろう。そちらのほうがずっと合理的であろう。でも彼が真の合理主義者ならば私は彼のことをこれほどまで愛することは無かった。
■■■
──────元々僕は勉強ができた。別に自慢や嫌味ってわけじゃない。幼少期両親に通わされた塾のおかげもあって、国語も算数も、理科も社会も人一倍できた。今思えば、あの習い事も我が子の将来を憂いたわけではなく、自分たちの見栄だったのかもしれないが。それを確かめることは僕の能力ではできない。
──────小学生のころから夢があった。スポーツ選手になるだの、アイドルになるだの同年代の子供が具体的な夢を抱く中。僕はただ漠然と誰かに必要とされたかった。それだけが頭の中を木霊し、『夢』であるにもかかわらず、『呪い』のように纏わりついて離れない。
──────先ほども言った通り、勉強はできた。だがそれ以上に、代えがたい価値を持つものがあるなんて、塾でも学校でも家庭でも、教えてはくれなかった。いやなに。僕がまだ子供だっただけという一言に尽きる。そんなものは自分で転び、起き上がり。その痛みで人間が成長していくものなのだと今ならばわかる。
──────ある時、少女がいじめられていた。教師が「いじめはいけません」とか「人の嫌がることをするな」とかそんなことを宣っていたが、僕はその綺麗事を抜きにして、自身が正しいとする信念に基づいて行動した。そこで僕は初めて気が付いたのだ。この社会で生きていくうえで最も重要なものが“協調性”であることに。
──────皆で誰かに石を投げているならばそれに参加して、悪口を言い合っているならばそれに意気揚々と混ざり、世界から排他されることなく生きていくかがどれほど重要だったのかを思い知る。人一人の抱える正義や正論など考えるだけ無駄なのだと。
──────口裏を合わせて悪者は僕だということにされ、親も教師も、そして社会もそれを是とした。転校を余儀なくされた僕は親からひどく疎まれた。兄はあれだけいい子なのに、どうしてお前は問題ばかり起こすのだと。弁明は当然した。あそこで少女を見捨てるような人間ならばただの豺狼だと。その時に母がした舌打ちの音はいまだ耳に、脳裏にこびりついて離れない。
──────医学部への進学は半ば親が決めたことだったが、僕もそれでいいと思った。人を生かしたら感謝される。必要とされる。お前は生きていてもいいのだと、認識される。だがようやく軌道に乗せた研究も、再び世界に奪われた。僕はまた、座っていた椅子から爪弾きにされた。
──────天才は秀才に。秀才は凡人に。凡人は落伍者へと転がり落ちるのにそう時間は要さなかった。必要とされるならば僕は何でもしよう。誰かを救う事も、生かすことも、さんざ否定されてきた。
ならば殺せば、誰か僕を求めてくれるだろうか。




