聖夜 狙われないクリスマス
これは、少し前のお話。
放課後、巧と瑠璃は二人並んで歩いている。街には雪が降り、電飾が輝いていた。
「クリスマスですね」
「そうだね」
「クリスマスなのに暇なんですね」
「僕にそんな資格はない」
顔を曇らせる巧に、瑠璃が笑いかけフォローを入れる。
「いいじゃないですか。あの胡散臭い事務所で暮らすクリスマスも」
「胡散臭いって、それ本当に良いと思ってるのか」
「本当ですよ。お菓子あげますから、機嫌直してください」
彼女はスナック菓子を取り出し、開ける。激辛と書かれた袋から、香辛料の匂いが漂う。
「とんだブラックサンタだよ。辛いのは好かない」
「辛いのダメなんですね、意外です」
「ダメというか、好き好んで辛いものを食う奴の気が知れないだけだよ」
「大丈夫ですって、そこまで辛くないやつですから」
瑠璃は袋から一枚取り出し、食べてみせた。彼女は眉一つ動かさない。その様子に油断し、巧も一切れ口にする。彼の口内に、痛みに似た感覚が走る。飲み込んでもそれは消えず、舌が痺れ続ける感覚。慌ててカバンからお茶を取り出し、一気に飲み干すが痛みは消えない。涙目の彼は、咳き込みながら言った。
「何だこれ、辛っ」
「そうですかね。私は平気なんですが」
「いや辛いよ。辛いから。無理だから」
「すみません、辛いの無理だったんですね」
「だから言っただろ」
二人は歩き続ける。
一方、陰陽堂では典子が依頼人の応対をしていた。依頼人は痩せこけた、指先の綺麗な優男。
「なんで、ここに来たの」
「辛いんです」
「何が」
「もう全てが」
「病院には行ったの」
「行きましたよ。それでも、こんな症状は見たことないって。きっと呪いなんです」
愛想も何もない典子の問いに、依頼人は取り乱しそうになりながらも必死に答える。そこに、台所から憂介が現れた。クッキーがいっぱいに載った皿を両手に持っている。
「あれ、お客さんか。典子、お客さん来たら呼べって言っただろ」
「いいじゃん。たまには私だってやってみたかったし」
「ダメだ、お前には任せられん」
顔をしかめて見せてから、彼は依頼人に向き直る。
「すみません、お見苦しいところ見せてしまって。今日はどのようなご用件で。お菓子焼いたんで、よかったら食べてみてください」
「やめてください、食べたくなんかないです」
「そんなに拒絶しないでくださいよ」
憂介は内心傷ついていたが、それを隠すように苦笑して見せる。しかしすぐに違和感に気付いた。依頼人は、何かに怯えている。それはおそらくクッキーに対して。何かただならぬ事情がありそうだと、彼は直感した。
「これは失礼しました。事情を聞かせてください」
「僕は、一流のパティシエでした。自分で言うのもなんですが、かなり才能もあって努力もしていたと思います。当然、結果もついてきていました。それが妬みを買ったのか、ある時期から嫌がらせを受けるようになりまして。だからこれもきっと、奴らの呪いなんです」
「呪いとはどういったもので」
「辛いんです」
「もう少し具体的に教えてください」
「触れたもの全てが激辛になるんです。これじゃ、お菓子なんて作れっこない」
依頼人の言葉には、怒りと悔しさが滲んでいた。確かめるまでもないように思えたが、万全を期すために憂介は検証をする。
「失礼ですが、実際に見せてもらってよろしいですか。その呪いを」
「疑ってるんですか。いいですよ、あなたが食べてください」
依頼人はクッキーの一枚をつまみ、憂介に差し出した。彼はそれを受け取り、すぐに典子に投げた。彼はこと食において潔癖のために、他人の触ったクッキーが食べられなかったのだ。典子が口で受け止める。よほど辛かったのか、悶えながら走り回る。
「これでわかってもらえましたか」
「はい。そして依頼は、その呪いを解くということでよろしいですか」
「いえ、呪った奴らを突き止めてください」
「復讐ですか。あまり意味はないでしょうが」
「次また何かされないように、手を打つって言ってるんです」
「いえ、そうではなく。人を呪わば穴二つ、と言うでしょう。呪いは掛けた側の身に跳ね返り、懲りざるを得ないことになる」
「それでやめるかは分からないでしょう」
依頼人が声を荒らげる。憂介は少し慌てていた。
「落ち着いてください。とにかく私たちにできるのは、呪いを解くことだけです。何より、幸せに生きてみせることがその人たちへ最大の復讐になります」
「そう、ですね。じゃあ、それでお願いします」
「わかりました。それでは料金の方ですが」
彼は説明する。料金は決して高くなかった。文字通り食べていけるほどに、憂介は資産を有していたからだ。ひとしきり説明が終わり、依頼人が尋ねる。
「それで、どうすれば治るんですか」
「呪いというのは、その人が嫌がることを実現するものです。だから、嫌じゃなくなればいいんです」
「ふざけないでください。できるわけないじゃないですか、そんなこと」
依頼人が机を叩き、立ち上がる。憂介は必死に平静を装い、返答した。
「大丈夫です、そのための策を今から考えますから」
「ノープランってことですか」
「そうも言えますね」
「もう帰ります」
依頼人が扉に向かったところで、扉が開く。現れたのは巧と瑠璃だった。
「お疲れ様です」
「ガキども、辛いのは得意か」
「はい、一応は」
瑠璃が答える。そして辛い菓子しか作れなくなったパティシエと、どんな辛味にも動じない女の最強バトルが始まるのだった。
第一陣、激辛ショートケーキ。陰陽堂の台所を借り、依頼人はケーキを作った。そして今、瑠璃の前へと出される。
「いただきます」
彼女はフォークで一口分を切り取り、食べる。辛いクリーム、辛いスポンジ、辛い桃の断面が舌に触れる。辛い。辛いには辛いが、彼女への有効打にはなり得ない。彼女は苺を最後に残すタイプだった。ケーキ本体を完食し、苺が最後に残っていたのは彼女の無意識の習慣からだったのだ。苺を口に含む。辛いというより、痛い。苺の表面のざらつきが、舌を痛めつけていく。そう、舌触りと辛さはいわば乗算なのだ。お互いがお互いを高め合い、最悪の相乗効果を発揮していた。
「どうってこと、ないですよ」
口に苺を含んだまま彼女は強がり、噛み砕き、飲み込む。
「ごちそうさまでした」
手を合わせ、彼女は言う。
第二陣、激辛シュークリーム。またも彼女の前に置かれた。
「いただきます」
シュークリームの皮は硬く、すでに一撃を受けていた彼女には多少痛かった。そしてシュークリームが真の恐ろしさを発揮したのは、二口目。中のクリームが溢れ出し、口の中を辛味が満たした。それは不意打ちにも等しい。小籠包にかぶりついた際に、熱々の汁が溢れてくるのにも似ている。しかしこれも、彼女をダウンさせるには不十分だった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
そう返した依頼人を見て、彼女は少し申し訳なさそうに言う。
「すみません、ちょっともうお腹いっぱいになってきました」
「もう少しだけ、付き合ってくれると幸いです」
第三陣、激辛タルト。そう、賢明な読者諸君ならこの恐ろしさがわかるだろう。舌触り。ザラザラとしたタルト生地は辛味と相まって、時にヤスリのように傷をつけていく。さしもの瑠璃も怖気づいたのか、一度席を立つのだった。そして戻ってきた時、彼女の消耗は嘘のようだった。次から次に、口の中へと入れていく。あれよあれよという間に、彼女はそれを完食していた。
「いったい、どんな手を」
憂介が呟くと、瑠璃は舌を出して見せた。彼女の舌はクリーム色だった。
「そうか、二枚舌」
二枚舌。それは激辛界に古くから伝わる幻の技。舌にチーズなどをコーティングすることでダメージを最小限にする、行儀が悪いため禁忌とされてきた技。
「ごちそうさまでした。美味しかったです、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
依頼人は涙を流していた。そうして彼は「今の自分が作る菓子を美味しいと言ってくれる人がいる」という承認を得て、呪いを脱したのだった。
数日後、巧と瑠璃はケーキ屋を訪れていた。
「瑠璃って、甘いものも好きだったんだな」
「甘いもの好きと辛いもの好きは両立し得ますから。でも今日は、そうじゃなくて」
彼女は冬の新メニュー「激辛タルト」を買い、店を出ていくのだった。




