黄昏 閉ざされた部屋
体育館には、二人の男女だけが佇んでいた。窓から入り込む斜陽が、埃まみれの空気を照らしている。カラーコーンの並べられたそこは妙に広く感じられた。男が言う。
「帰らなきゃいけないのになぁ」
「しょうがないじゃん、体育委員なんだからさ」
「押しつけられた結果だけどね」
「そんなにあたしと一緒にいるのが嫌なの」
「そんなんじゃない」
「じゃあ、どんなんなの。いつもすぐ帰っちゃうしさ」
「それは」
彼には、人に言えない事情があった。彼は人間ではない。狼男の血を引く彼は、月を見るなと厳しく戒められていたのだ。夜が来る前には、帰らなければならない。
「それは、何なの。巧っていつもそう。昔から、大事なことは何も答えてくれないよね」
「亜紀、ごめん。今はまだ言えないけど、きっといつか話すから」
しばし見つめ合う。彼女は一つ溜め息をつき、それから口を開いた。
「わかったよ。さっさと片付けて帰ろう」
コーンを両手に持ち、二人は歩き出す。体育倉庫に置き、出ようとするが扉は閉ざされていた。
「あれ、おかしいな」
巧は鍵を回すが、動かない。
「どうしたの、巧」
「開かない」
亜紀も試すが、結果は同じだった。扉は開かない。扉の他には明かり取りのための窓が一つだけ、それも格子がはめられている。
「もしかして、閉じ込められたのかな」
「そうみたいだね」
「多分、先生か誰か来るよ。だから、それまで待てば大丈夫」
亜紀が座り込むと、巧もそれに続いた。薄暗くカビ臭い体育倉庫の中、男女が閉じ込められている。それはひどく非日常的で、いかがわしさすら覚えるほどだった。二人の間に気まずい空気が流れたのも無理はない。
「変なことしないでよね」
「しないよ」
「そう即答されるのも、ちょっと傷つく」
「じゃあ何と答えればいいんだよ」
「あたしのこと、どう思ってるの」
「好きだよ」
「それは、どういう意味」
「そのままの意味だ」
「そっか」
彼女はその先を聞きたかったが、同時に恐れてもいた。沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、第三の存在だった。
「お取り込み中すみません」
「誰だ」
巧が立ち上がり、声のする方を見る。
「名乗るほどの者ではありません」
棚の陰にいるのは瑠璃だった。後に巧と深く関わることになる少女。しかし棚とマットと跳び箱に遮られ、巧にその姿は見えていない。巧が返答する。
「いや、名前はいいんだけどさ。何者かだけ教えて」
「巧くんのファンです」
「そう。ところで、ここから出る方法知らないかな」
「よくぞ聞いてくれました」
瑠璃はしたり顔で語り始める。
「これは学校の七不思議の一つ『キスするまで出られない部屋』です」
「じゃあ、キスしようか」
「違います、そうじゃないんです」
声のトーンが跳ね上がる。彼女は続けた。
「そこに彼女さんがいるでしょう。キスして出たらいいじゃないですか」
「彼女とか、そんなんじゃない」
「なら、なんで私だとよくて彼女じゃ駄目なんですか」
「それは、なんというか、照れる」
巧が顔を赤らめ、目を伏せる。それを見ていた亜紀は口を開いた。
「巧、嫌いってわけじゃなかったんだ」
「そりゃあね」
「じゃあ、キスして」
「わかった」
目を閉じた彼女に、彼は口づけをする。そして扉に向かうが、扉が開くことはなかった。巧は振り向き、見えない第三の存在に言う。
「どういうこと、話が違うけど」
「すみません、嘘をつきました。本当は、キスをすることで呪われるんです」
倉庫の中に、赤ん坊の泣き声が響きわたる。
「なんで、こんなこと」
「すぐ近くで見たかったんですよ。不思議なことが起きるのを」
赤ん坊の声が大きくなると、亜紀の腹が膨らんでいく。よろめいた亜紀を受け止め、巧は声をかけた。
「大丈夫、何とかなる。というより、何とかする」
そう言うも虚しく、彼女の腹は膨らみ続ける。泣いていた赤ん坊の声が、少しずつうわごとのような言葉を紡ぎだした。
「聞こえる、ママ、って言ってる。お腹の中でうごめいてる」
亜紀の声は震えていた。
「なあ、どうすればいいんだよ」
巧が、倉庫の奥の瑠璃に飛びかかる。しかしかわされ、壁に飛び込む形になった。
「止める方法なんてないですよ。膨らんで破裂して、化け物を産んで死ぬだけです」
「だったら、お前はどうやって逃げる」
「逃げるつもりはありません。ここで死んだとしても、悲しむ人はいませんから」
「そんな悲しいこと言わないでくれよ」
有効な策は思い浮かばない。それでも、動かずにはいられなかった。巧は器具を片っ端から取り出し、調べる。その奥の奥に、錆び付いた金属の箱を見つけた。足で押さえ、両手で引っ張り、こじ開ける。
「なんだよ、これ」
腐臭が漂う。そこには、赤ん坊の死体が入っていた。
時刻は少しさかのぼる。憂介は車を走らせていた。後部座席から、典子が問いかける。
「どこ行くんだっけ」
「仕事だ。学校に潜入する」
「どうやって」
「それが、まだ思い付かない。そうだ、お前の見た目ならいけるかもしれん」
典子は妖怪だが、姿は人間の少女に似ている。
「冗談やめてよ」
「本気だ。制服は用意してある、俺は父兄という体で同行するから早く支度しろ」
彼女はしばらく悩み、それから着替え始めた。
「後ろ、見ないでよ」
「いいけど事故るかもしれないぞ」
「うそうそ、見ていいって」
「それもまた誤解を生む言い方だよな」
着替えを済ませ、セーラー服の典子は鏡で姿を確認する。
「さすがにバレないかなぁ」
「嘘つけ、化かすのは得意だろ」
「というか、なんでセーラー服持ってたの。もしかして盗んだの」
「そんなわけないだろ。これは学校側からの依頼だ、それにあたって借りたんだよ」
「それで、どんな依頼なの」
「赤ん坊の泣き声が聞こえるんだと」
車を停める。すでに下校時刻のようで、生徒たちは帰り始めていた。グラウンドからの運動部の声を背に、学校に入る。校長室に挨拶をし、それから体育館に向かった。中から、部活動の声が聞こえる。
「人がいるようだな、アレを使うか」
彼はベルトに円錐を差し、回す。天板に人魂の象られた円錐。モンスター・サプライズド・ユー。ベルトが告げる。
「葬着」
鎧を纏う。白く透明な、幽霊のような姿。彼は体育館に入る。しかし、それに気づくものはいない。幽霊になったためだ。
「お出ましか」
体育倉庫の前では、巨大な赤ん坊が扉を塞いでいる。葬着することで憂介は一時的に幽霊になった、そのため幽霊を見ることができたのだ。赤ん坊の霊を殴って吹き飛ばし、中に入る。中の光景を見ると、彼は直感した。
「俺が来るまでもなかったってことか」
赤ん坊の死体を、瑠璃が抱き締めている。葬着を解き、憂介は瑠璃に話しかけた。
「なあ、そいつを渡してもらえないか」
「誰ですか、あなた」
「エクソシスト、とでも言おうか。そいつを、あるべき姿に戻しに来た」
困惑した様子ではあったが、彼女は彼に赤ん坊を渡した。再び校長室に報告し、彼は寺へと車を走らせる。
「憂介、結局どういうことだったの」
「きっと母を探してたんだ、本当の母に捨てられてな」
その赤ん坊は、手厚く弔われたという。




