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第十八夜 訣別

「丘の上の病院だ」


「生きてていいですか、私」


「俺だって、自分が生きてていいとは思ってねぇよ」


「ありがと」


妖怪、それは人の世に潜む異形の者。

そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する

彼らもまた、怪物と呼ばれた──

 同日。外はすでに暗く、藍色の空をカラスの群れが横切っている。


「あ、そういえば」


憂介が思い出し、言う。


「そろそろ部屋に行った方がいい。もうすぐ診察時間が始まるからな」

「やっぱり妖怪の病院って夜なんですね。面白いです」

「そりゃよかった」

「もう少し様子を見てていいですか。面白そうなので」

「迷惑かけない程度にな」


そう言って憂介は部屋に戻る。窓の外が完全に黒く染まると、明かりが灯った。階段を降り、診察室らしき部屋を覗く。その中ではヌシと患者が何やら話している。明るくなったので、幾分かヌシの姿が見えやすくなっていた。それでも黒い布に覆われ、顔や体型は分からない。患者は普通の人間のように見えた。しかし、患者が突如苦しみだす。そしてみるみるうちに巨大化してしまった。


「何ですか、これ。面白いですね」


巨人は訳も分からず暴れているようだった。天井を貫く巨体が動くたびに、建物が揺れて崩れていく。ヌシが布を脱ぎ捨てる。露わになった姿は、まるで鬼神のようだった。両手で巨人の脚をとり、体勢を崩す。そして薬剤を注射し、沈静化してしまったのだ。ヌシは瑠璃を呼びとめる。


「第一問。そこの娘、憂介を呼んできてくれるか」

「どうしてですか」

「出題者は私だ」

「でも」

「ヒント、私たち妖怪は妖怪を殺せない」

「殺すって、なんで」

「第二問、尊厳死という言葉を知っているか」

「患者の望んだ死ってことですか」

「正解」

「わかりました」


完全に納得したわけではなかった。それでも、憂介があの巨人を封印すればそれで解決すると信じていたのだ。瑠璃は走る。階段を上がったところで憂介を見つけた。


「あの、巨人が暴れたんです。封印してください」

「封印か、すまない」


憂介の表情が僅かに曇る。


「なんで謝るんですか」

「ブランクシンボルが、もう残っていないんだ。今の俺にできるのは逃げることと、殺すことだけだ」


絶句する彼女の横をすり抜け、彼は階段を降りる。モンスター・サプライズド・ユー。瑠璃の背後でベルトが告げる。肉の断たれる音がし、少しすると憂介は戻ってきた。瑠璃はひどく不安だった。その正体は彼女自身にも分かっていなかったが、一つの問いをせずにはいられない。彼女が口を開く。


「何とも思わないんですか。妖怪を殺して」

「何も思わないわけないだろう。だが、生きるためなら仕方ない。そうして人は生きてきたんだ」

「もし、生きるために私が邪魔になったら」

「そんなことはしないさ。よほどのことがない限り」

「じゃあ、よほどのことがあったら」

「ないことを願う」


それ以上お互い何も言えないまま、夜は深くなっていく。



 朝が来た。院内は静まりかえっている。瑠璃が目を覚ますと、ベッドのそばに憂介が立っていた。


「ようやく起きたか」

「おはようございます」

「ドクターが、朝飯食わせてくれるらしい。味の薄い病院食だが」

「憂介さんは食べたんですか」

「いや、だが持ってきた保存食で食事は済ませた。自分以外の作ったもんは、口に入れる気がしない」

「そういえば思ってたんですが、それっていつからなんですか」

「昔からだな。前にも言ったが両親が農場やってて、そこの食べ物だけはなんでか安心して食えた。親が死んでからは飯を食ったり吐いたりの暗黒期だな。その後は妖怪退治の仕事でお金を稼いで、あとはドロタボウのモンスターシンボルを手に入れた。それで土地を買い戻して今に至ったわけだ」

「なるほど。そういえば」


瑠璃が話題を変える。


「私たち、いつまで逃げ回るんでしょうか」

「奴らの企みが続く限りだな」

「それって、長いですか」

「できるだけすぐに終わらせる」

「なら、家族に伝えに行きたいです。しばらく帰れないって」

「俺が親だったら、行かせないよう全力で止めるがな」

「そうですかねぇ。親心ってよくわかんないです」

「俺だってわからんよ。俺は親じゃないし、親はもういないしな」

「でも、憂介さんがお父さんだったらなんて」

「気持ち悪いこと言うな。だいたい、年齢的にせいぜい兄妹だろ」

「何にせよ、清算しときたかったんですよ」


憂介はよく分からずに、生返事をした。そして歩き出す瑠璃を止める。


「待て、清算ってどういうことだ」

「だから、親とのことですよ。多分これが最後なので」

「ますます分からないぞ。死ぬってことか」

「はい。だって私を育ててくれたおじさんは、妖怪連合の一員なんですよ」

「死ぬかは分からないだろう。その人が敵だってのも、何かの間違いかもしれない」

「どっちでもいいんですよ。私には帰る場所ができたので」

「それってまさか」

「そのまさかです」


瑠璃は憂介を見つめ、安堵するように笑う。彼女にとって、今この場所こそが帰る場所だったのだ。憂介は少し考え込み、それから答えた。


「ああ、行ってこい。ただし、俺もついていく」

「来ないでください。プライバシーです、気まずいです」

「そんなこと言ったって、いつまた襲われるか分かんないんだぞ」


彼女は不機嫌そうな顔をして見せる。


「分かった分かった、外で待ってるよ。何かあったらすぐに呼べ」

「ありがとうございます」


そこに、動く人形が飛んできた。


「おかえりなさい、お人形さん」


はじめのうちは少し時間が経つと円錐が抜け、動きが止まっていた。それがだんだんと活動できる時間が伸び、一晩でも動いていられるようになったのだ。それはまるで人形に魂が宿っていくよう。不思議に思わなくはなかったが、不思議に慣れすぎた瑠璃は何も言わない。自分を守ろうとしてくれる小さな彼に、彼女はただ愛着を覚えている。彼もまた、彼女にとっての帰る場所の一部だった。


「いつも、ありがとうございます」


小さく頭を下げ、人形を胸に抱きとめた。



 二人は一軒の民家を訪れた。玄関で憂介と別れ、瑠璃は中に入ってゆく。彼女が過ごしてきた居間。そしてそれは彼女の義父、浄御原にとってもそうだった。ちゃぶ台を挟んだ向こうに、彼女は彼を見つける。


「おじさん、やっぱりここにいたんですね」

「来たか、瑠璃」

「葬着しないんですか」

「愛する娘を、どうして傷つけることがあるってんだよ」

「よく言いますね。面白いです」

「無駄話をしに来たのか。俺はそれでも構わねぇが」

「あの」


大きく息を吸い込み、彼女は吐き出す。

「おじさん、気持ち悪いです」

「ちょっとひどくねぇか」

「過保護すぎるんですよ。世界を敵に回しても君を守るなんて、自分に酔ってるとしか思えないです。守るためって言っておけば、眠らせて拘束しようが許されると思ってるんですか。馬鹿ですか。巧くんにまで迷惑かけて、もう何なんですか。最低です。不器用なくせに、自分一人で解決できるとか思い込んでますよね。自体は悪化する一方ですよ。どうするんですか」


息が切れるくらいに叫んだ。彼は狼狽えながら言葉を探す。咳払いをし、平静を装って口を開いた。


「それで、何が言いたいわけよ」

「私が離れれば、きっと目を覚ましてくれますよね」

「どうして、そんなこと言うんだよ。ここまで養ってやっただろ」

「だから、お礼を言いにきました。あと、お別れも。私に使ってくれたお金も、いつか返しますから」

「そういう問題じゃない。なんでそんなこと言うんだよ」

「私には帰る場所ができました。だからこれ以上、おじさんに無理させなくてもいい」

「なんだよそれ。気遣いのつもりか」


突如、天井に穴が開く。天井を突き破り現れたのは、巧だった。


「巧くん、なんで」


瑠璃は驚き、そしてどこか安堵していた。彼がまだ近くにいたこと、自分のために来てくれたことに。しかし、何かがおかしいことに気づく。彼の動きが、あまりに獣性に満ちたものだったから。丸腰の浄御原に襲いかかろうとする巧を見て、彼女は叫ぶ。


「何するんですか、巧くん」


巧は瑠璃に見向きもせず、浄御原の首めがけて跳躍する。それを防ぐべく、彼はベルトに骨の円錐を差し込み回す。スターティング・アップ。ベルトが告げる。


「葬着」


現れた鎧に飛び込む。ノイズ混じりの声で言った。


「これで、お前の攻撃は通らない」

「ああ、確かにそうだ。僕の力ではその鎧は破けない」


そう答えると、巧は浄御原の腰に手をかけベルトを奪いとった。


「なんだと」

「こうすれば鎧は消える。終わりだ」


葬着が解かれ無防備になった彼に、鋭い爪が迫る。今にも首を取るようなその瞬間、瑠璃は叫んだ。


「やめてください」

「なんでだよ。こいつを消せば、君を苦しめるものは消えるんだ」


苛立ったように、巧は彼女の方を振り向く。


「それとこれとは別です。私は、必死に人であろうとする巧くんが好きだから」

「こんな僕なんか、好きにならないでくれ」

「嫌です。頼まれて好いてるわけじゃないんですから」

「なら勝手に嫌ってくれ。元々僕はこういう奴だ」

「それでも、好きなんです」

「残念だが僕は嫌いだ。邪魔をするなら、君だって容赦しない」


巧が瑠璃へと迫る。二度と会わなければ、こうなることはなかった。だから、巧は会いたくなかったのだ。瑠璃に会ったら、きっと戻りたいなんて思ってしまうから。手の震えを振り払うように、彼女へと爪を振り下ろす。


「ごめん」


パチン。その瞬間、目の前で手が叩かれる。巧は彼女が抵抗しないと思っていたし、できないとも思っていた。それだけに、想定外の事態は彼を揺さぶったのだ。瑠璃にとってそれは苦肉の策でもあり、無意識に確信していたようでもあった。彼女の猫騙しは成功、わずか一瞬の隙を生み出す。その隙を見逃さず彼女は飛び込む。彼の左手に握られていたベルトを奪い取り、骨の円錐を回す。スターティング・アップ。ベルトが告げる。


「葬着」


鎧に飛び込む。骨の鎧の中から、ノイズのかかった声で言った。


「巧くんが拒むなら、力尽くでも止めます」

「だがもう弱点は分かってるんだ」

「種が分かれば、何ということはありません。近づかせなければいいんですよ」


そして瑠璃は、ベルトの円錐を回す。フルドライブ。ベルトが告げると、地下から一本の巨大な骨が生える。と同時に、彼女は胸のあたりに痛みを感じた。骨が突き刺さったような痛み。彼女が小さく呻くのを、巧は聞き逃さなかった。


「おい、大丈夫か」

「巧くんを取り戻せるなら、この程度の痛みどうってことないですよ」


歯を食いしばり、生えてきた骨を引き抜く。それを槍のように構え、彼女は問いかけた。


「これでリーチは確保できました。まだ、続けますか」

「そんなボロボロでよく言うよ」

「こうやって軽口たたいて、ほどほどに人を助けたりして、それじゃ駄目ですか」

「駄目なんだ。もう、無理なんだ」

「戻ってきてくださいよ。私だって、憂介さんだって待ってますから。帰る場所は、まだありますから」

「帰りたいよ。僕だって、戻りたいよ」


巧は天井の穴に手をかけ、そこから逃げ去っていく。浄御原もいつの間にか消えていた。荒れ果てた部屋に残されたのは瑠璃と、彼女の懐にしまい込んだ人形だけだった。

凍える闇を溶かせるものは、きっと繋いだ手の温かさ。


次回「凍りつく闇」


君のいない夜を駆ける。

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