第十五夜 満ちる月
「輸送車が襲われました」
「あの円錐形の部品、モンスターシンボルと言ったか。素晴らしいものだ。人を妖怪に変える技術など、私にすら作れなかった」
「なんで、お前が」
「奴らは必ず追ってくる。返り討ちにすればいいさ」
妖怪、それは人の世に潜む異形の者。
そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する
彼らもまた、怪物と呼ばれた──
いつもと同じ、言葉のない夕方。彼は唐突に切り出した。
「お前を、連れて行きたい場所がある」
義父の言葉に瑠璃は困惑したが、手を引かれるまま歩き出す。玄関を出て、道を狭い方へ狭い方へと進む。暗く湿った裏通りの奥、突き当たりの路面上にある鉄の蓋を開けると地下への階段があった。二人は降りてゆく。鬼火に照らされた地下室に出たところで、彼は告げる。
「人間は、じきに絶滅する」
「何の話ですか」
理解が追いつかず、彼女は聞き返すのがやっとだった。そしてその答えもまた、彼女の理解を超えていく。
「あのお方によって、人類は滅ぼされる」
「あのお方って」
「すべての妖怪を統べる存在。人間の世界では、ぬらりひょんなんて呼ばれていたな」
「なんで、おじさんがそんなこと知ってるんです」
妖怪。その存在を瑠璃は知っていた。むしろ、知っていたからこそ驚いたのだ。目の前にいる彼が、何者なのか分からなくなる感覚。それも意に介さず、当然といった様子で男は言う。
「お父さんな。俺は人間を見捨て、あのお方にベットすることにした。生き延びるために」
「じゃあ、みんな死ぬんですか。巧くんも、私も」
「いや、お前とあの餓鬼は生き残る」
瑠璃は想像する。人間が死に絶え、自分と巧だけが残った世界を。彼女は世界が嫌いだった。滅んでもいいと思っていた。だが、巧はきっと違う。
「ということは、他の皆は死ぬんですね。駄目です、それじゃ巧くんが笑えない」
「彼もきっと納得してくれるさ。人間の真似事をして生きるのは、もう疲れただろう。あの餓鬼も、お前も」
「私は人間です」
彼女がはじめ感じたのは、単純な違和感だった。彼がおかしなことを口走った、それだけのこと。しかし、彼の言葉が本当なら。
「まだ気付いていないのか、気付いた上で知らない振りをしているのか。ベランダによじ登れる身体能力も、あの餓鬼への強すぎる執着心も、お前のものじゃあないんだよ」
「面白いですね。じゃあ、いったい誰のものなんですか」
「妖怪の力を注入した。元々は、男を惑わし堕落させる妖怪だった」
「そう、ですか」
不思議と腑に落ちて、相槌のほか何も言えない。彼は語り続ける。
「八年前、俺はあのお方の命令で盗み出したんだ。人を妖怪に変える円錐形の部品を。次の世を生き延びられるように、俺はお前を妖怪にした。だから、わかってくれ」
「嫌です」
静かに、しかし確かな力を持った声で答える。彼の行動が、彼女のためであることは彼女自身わかっていた。それでも、巧の苦しむ姿を見たくなかったのだ。それから彼女は階段を駆け上がり、地上へと逃げ出そうとする。が、地下への入口が開かなくなっている。
「お前には、まだここに居てもらわないと困る」
背後から薬を嗅がされ、眠らされてしまった。
古びた工場跡に、二人は潜伏していた。深夜、外を見張っていた憂介が巧を起こしに来る。
「もう交代の時間ですか」
「ああ、じゃあ頼んだ」
冷たい床から起き上がり、入口の方へと向かう。しばらく見張っていたが、何も起こらない。このまま何も起きないでくれたら、そう願ってみる。彼らが何かの切っ掛けで、野望を諦めてくれたら。あるいは警察や他の誰かが止めてくれたら。そんなことはきっとないのだろう、彼は知っている。それなら、この大きな悲しみの塊を自分が打ち砕かなければならない。赤くなりつつある空を見ながら考えていた。雨が降り始める。やがて、入口のすぐ外に濡れた封筒が落ちてきた。巧は驚き屋根を見上げるが、煙突に紙の紐が引っ掛けられているだけだった。雨が降ると屋根から落ちるよう仕掛けられていたらしい。彼は封筒を拾い上げ、開ける。ビニールに包まれた便箋に、固く癖のない字で書かれていた。
「女は預かった。返してほしくば今日の午前六時、ベルトとモンスターシンボルを全て持って指定の場所に一人で来い」
地図が記されている。ここからそう遠くはなかった。そして同封されている写真には、拘束された瑠璃の姿が映っている。ふと、前にも同じようなことがあったのを思い出す。しかしその時に比べると、手口があまりに丁寧だった。指定された時間はもうすぐ、考える猶予はない。ベルトを失うのが痛いのは承知している。それでも、目の前で人が死ぬのに耐えられないのだ。巧は返身し、狼の速度で駆け出した。
巧は暗い階段を駆け下りる。その終着点は、鬼火に照らされた地下室だった。捕まっている瑠璃を見つける。すぐにでも駆け寄りたかったが、その前に立つ何者かが阻んでいた。巻かれたベルトには骨の円錐が差され、葬着しているようだ。骨を纏った不吉な姿で、顔は黒く覆われて見えない。ノイズ混じりの声で喋りだす。
「ベルトとシンボルを渡せ」
「その前に、彼女を解放してください。返身を解いた瞬間にやられない保証はないので」
「なら、今使ってない分だけでいい」
円錐を渡すが、彼女を解放するそぶりはない。
「どうしてここに招いたか、分かるか」
「無駄話をしに来たんじゃありません」
相手は揺さぶりに来ている。巧はそれを悟り、話を断ち切ろうとしたのだ。
「まあまあ、付き合ってくれないと逆上して人質を殺しちゃうかもしれないんだぜ」
「なんてことを」
巧は今にも殴りかかりたかったが、必死に堪えていた。瑠璃が死ぬくらいなら、この怒りを殺してしまえばいい。それでも、彼の拳は固く握られ震えている。
「ヒント、ここは俺たちの本拠地だ」
「僕を殺すための罠ってことか」
「大外れ。俺が、お前を迎え入れるつもりだからだ」
一瞬、巧の頭が混乱する。しかし、考えてみれば妥当だった。戦うより味方につける方が効率がいい。それも巧たちは妖怪に寄っている、取り入るのは容易だと考えたのだろう。現に朽縄も、同じような話を持ちかけてきたのだ。が、彼らのやり方では誰かを悲しませる。彼は恐る恐る質問した。
「もし、断ったら」
「死んでもらう」
そう答えると、彼は巧の方へと突っ込んでくる。
「まだ、死ねない」
巧が彼の一撃を躱した。コンクリートの壁にヒビが入り、大きなクレーターができる。その背後に回り込み、巧は棍で思い切り殴る。が、手応えがない。堅固な骨の鎧に、攻撃が弾かれているようだった。そして体勢を崩さない踏ん張りは、葬着者の実力を証明していた。その堅さは当然、攻撃にも作用する。巧の方へと回し蹴りが飛ぶ。狼の超感覚と素早さで、どうにか回避する。スピードでは巧に利があった。しかし、一撃でも受けたら死んでいたかもしれなかったのだ。お互いに決定打を入れられないまま、戦いは続く。
「が、いつまで続くかな」
巧の動きが徐々に鈍っていく。体が思うように動かない。腹に拳がクリーンヒットし、吹き飛ばされてしまった。口から血を吐き倒れる。
「なんで、動いてくれない」
「長時間の葬着は身体への負担が大きいからな。葬着してこっちに来るよう時間をギリギリに指定したんだが、上手くいってよかったよ」
巧のベルトが剥ぎ取られる。男はベルトから円錐を抜き、投げ捨てた。月の円錐が転がる。ベルトを踏みつけ破壊し、彼は言い放つ。
「これで抵抗手段はなくなった。終わりだ」
そして男は瑠璃の方へと向かっていく。巧は止めようとするが、激痛に立ち上がれず転げまわることしかできない。
「何も、できないのか。僕は」
巧の全身に、絶望が回っていく。目の前で瑠璃が殺されようとしているのに、体が動かない。誰も悲しませたくなかったのに、力が及ばない。諦めに染まった視界のその端に、一筋の光明を見つける。それは男が投げ捨てた円錐だった。手を伸ばし、拾い上げたそれを自らの胸に突き刺した。彼の中に、ドロドロとしたものが流れ込む。そして、変わっていく。毛に覆われた肌、鋭い爪と牙、隆々とした筋肉。それはまさに、命を狩るための姿。そして同時に、かつて彼が恐れたおぞましい怪物の姿でもあった。腹の痛みは既に引きつつある。立ち上がり、雄叫びをあげながら跳躍した。彼が思っていたよりも速く、遠く跳ぶことができた。一歩で敵に肉薄し、拳を振り上げる。すると男は両手を挙げ、飄々とした調子で言った。
「わかったわかった、俺の負けだ。彼女は解放するから、命だけは勘弁してくれよ」
彼は縄をほどいた。瑠璃がフラフラと歩き出す。巧にこれ以上戦う理由はない。彼はただ、瑠璃が傷つくのを止めたかったのだ。相手が悪人であろうと、自分の感情だけで罰を下したくない。誰かを傷つけることは、それだけ重いことだと知っていたから。倒れ込みそうな彼女を受け止め、巧は言った。
「帰ろう」
「はい」
瑠璃を抱えた巧は、階段を上がり地下室を出る。夜はすでに明けていた。
「これから、どうしようか」
「もう、帰れないみたいです」
「何があったんだ」
「おじさんに、裏切られました」
「おじさんって、前言ってた」
「はい。あの骨の中身がおじさんです」
悲しげな瑠璃を見つめ、巧は考え込む。親代わりだった人に裏切られ、拘束されて人質に使われていたのだ。彼女に、どんな言葉を掛けられるだろう。帰る場所を失った彼女に、何と言ったらいいのだろう。それからどうにか次の言葉を絞り出した。
「じゃあさ、一緒に逃げよう」
「どういうことですか」
「また、奴らが来るかもしれないからさ。この件が片付くまでは、僕らが帰る場所になるから」
「ありがとうございます」
巧の腕の中、瑠璃は疲れた顔で笑いかけた。
隠れ家に帰ると、憂介が駆け寄ってきた。
「おい、どこ行ってたんだ」
「すみません、どうしても行かなきゃならなくて」
そこでようやく彼は、巧の変質に気づく。
「お前、ベルトはどこにやったんだ」
「壊されました」
「じゃあ、その姿は」
「ただ、元に戻しただけです」
憂介は全てを悟る。
「そうか。今はまだ理性を保っているが、危険だと判断したら即座に処分するからな」
「わかってます」
それきりお互いに何も言えないまま、明日が訪れようとしていた。
怪物に成り果てた彼に、帰る場所など何処にもない。
次回「翳りゆく月」
君のいない夜を駆ける。




