第十四夜 車裂き
「いくら呼んでも来ることはない。彼女は死んだ」
「なあ、私たちと手を組まないか」
「そうだ、丁度いいから話してしまおうか。私と一緒に、新しい世界を作らない」
「やられた」
妖怪、それは人の世に潜む異形の者。
そして人に仇なす妖怪を人知れず始末する彼らもまた、
怪物と呼ばれた──
鬼火に照らされた部屋の中、黒戸は老爺と相対する。
「それで、計画は進んでいるのか」
「まあ、私の力を持ってすれば造作もないことですから。ただ」
「ただ、何だ」
「お金が無いのです」
「なんだと」
「ご心配には及びません。無いのなら奪うだけのこと、特に手っ取り早いのは弱い者から奪えばいいのです。表の社会にも裏の社会にも頼れない者を」
静まりかえった部屋に、憂介は壺を運び込む。巧はそれを訝しげに見ていた。
「何ですか、それ」
「漬物だ。どうやらここに長居はできないらしい」
「逃げるってことですか」
「ああ、さっきここに眼が隠れてた」
驚き、あたりを見回す巧に憂介は淡々と続ける。
「いつ奴らが来るか分からない。支度しろ、すぐにでも行くぞ」
「でも、これから学校なんですが」
「命とどっちが大事だ」
「親に心配をかけます」
「若いうちはな、心配かけるくらいでちょうどいいんだよ。心配してくれる親がいるだけいいだろ」
と、扉が開く。そこにいたのは暴力団風の男だった。憂介が前に出る。
「すみません、もう店じまいでして」
「おねげぇします、人の命がかかってるんです」
「それは困りましたね。参考までに、いくらまでなら出せますか」
男がスーツケースを取り出す。そこには札束が詰まっていた。
「これまでの儲けのすべてです。これで、なんとか」
「やりましょう」
中に招き入れる。
「それで、どのようなご用件で」
「輸送車が襲われました」
「と言いますと」
「自分らは、運び屋をしてたんです。相方と二人で。危ない荷物も、無茶な依頼も、二人なら乗り越えてこられた。それなのに」
男の声は震えていた。
「相方は、殺されました。そして荷物も奪われて、信用も失って、命からがら逃げてきました」
「では、依頼は護衛ということでよろしいですか」
「はい」
日が傾きはじめた。扉が開き、白衣の男が現れる。と同時に、憂介が身構える。
「またお前か、黒戸」
「口封じに来たら君たちがいるとは、奇遇ではないか」
「白々しい。眼を飛ばせばすぐに居場所は分かっただろうに」
「分かっているなら話は早い。君たちには死んでもらう」
両者は円錐を取り出し、ベルトに差し込み回転させる。ベルトから音声が流れる。
「葬着」
鎧に飛び込む。そのまま車輪で加速し、憂介は距離を詰める。拳がすぐそこまで迫っているというのに、黒戸は動じない。
「いいのか、こちらにばかり注目して」
拳を振り抜き、黒戸を吹き飛ばした憂介が振り向く。床に空いた穴から、長い手が伸びている。手の先には円錐、依頼人に刺そうとしているようだった。彼は叫ぶ。
「小僧、その手を止めろ」
巧はベルトに円錐を差し、回転させる。モンスター・サプライズド・ユー。ベルトが告げる。
「返身」
獣の棍で叩くが、その時には手を引っ込めていたようだった。次々に床が破られ、手が出てくる。それはまるでモグラ叩きのよう。円錐が依頼人に突き立てられる。彼の身体がメキメキと音を立て、歪んでいく。そしてついに怪物に変貌してしまった。目も鼻もなく、巨大な口だけが判別できる醜い姿。憂介が黒戸に詰め寄る。
「何をした」
「あの円錐形の部品、モンスターシンボルと言ったか。素晴らしいものだ。人を妖怪に変える技術など、私にすら作れなかった」
「どういうことだ」
「このベルトを作った科学者は、妖怪たちの元締めに利用されていたんだ。人を妖怪に変える機械を、彼はまんまと作ってしまったというわけだ」
巧は空の円錐を、怪物と化した依頼人に刺す。
「これで元に戻ってくれれば」
「だが、そうは問屋が卸さない」
黒戸が嘲笑う。
「今の彼は、人と妖怪を強制的に結びつけられている。無理に引き剥がせば、人間の部分が耐えきれずに死ぬ」
怪物が苦しみだす。巧は慌てて円錐を引き抜いた。そのまま彼が動けなくなってしまうのをいいことに、それは暴れだす。床を、壁を、窓を、何も見えていないかのように壊し始める。
「強い怒りを持っていたらしい、見境なく破壊している」
その様子を、黒戸はまじまじと観察していた。そして何かに気づき、耳栓をする。憂介もまた気づいていた。怪物が大口を開け、思いきり息を吸い込んだことに。
「耳を塞げ」
叫ぶ憂介に、巧もまた何かを悟る。返身を解除し、耳を塞いだ。怪物が叫ぶ。それが何と言っているのか、彼らには分からない。あるいはただの咆哮ともつかないものだった。
「うわん、ってとこか。恐ろしく大きい声で、聞いたものをショック死させる」
「ご名答」
「じゃあ、あれ聞いちゃってたら死んでたんですか」
「ああ」
突然、黒戸が何かを思いついたように窓から飛び降りる。
「ほら、こっちだよ」
それを追う怪物が、壁を破って外に飛び出す。少し遅れて、憂介と巧も後を追う。彼らは畑を踏み荒らし、街の方へと向かっていった。
「憂介さん、あれ、どうしたら」
「このままでは街に被害が出る。その前に仕留めるさ」
「でも、元は人間なんですよ」
「それで迷って犠牲者を出したら、それこそヤツの思う壺だ。ヤツは心を折りにきている」
「でも、どうにかなりませんか」
「悲しいことに、どうにもならないことはあるんだ」
憂介は腕輪に氷の円錐を差し、回す。モンスター・サプライズド・ユー。腕輪が告げる。
「重葬」
鎧に飛び込む。一秒、車輪で加速する。二秒、氷の剣を創り出す。三秒、怪物を真っ二つにした。四秒、そのまま黒戸に斬りかかる。五秒、のらりくらりと躱される。
「見える、次の動きが見える」
そのまま時間切れまで決定打を与えられない。安全装置が作動し、腕輪が弾け飛んだ。それでも車輪で加速し、憂介は黒戸を追う。黒戸が走り去るより、確かに速いはずだった。それなのに、一向に距離が縮まらない。彼は異変に気付き、立ち止まる。
「幻、まさか」
そこには一匹の狸がいた。
「なんで、お前が」
手を伸ばすが、届かない。みすみす逃げられてしまうのを、ただ見ていることしかできなかった。巧を振り返り、憂介は歩きだす。
「戻ろう」
「はい」
踏み荒らされた畑の横、通路を二人歩いてゆく。
「あれで、よかったんでしょうか」
「良いわけないだろ。逃げられたんだから」
「そうじゃなく、妖怪にされた人は」
「気にするな、仕方なかったんだ。それよりも、これ以上の犠牲を出さないようにしなきゃならない」
「なら、どうすれば」
「奴らは必ず追ってくる。返り討ちにすればいいさ」
陰陽堂に到着する。憂介は荷物を風呂敷にまとめ、階下に降りていった。巧も後を追いかける。後部に荷物をくくりつけ、バイクにまたがった憂介が言う。
「乗れ」
戸惑いながら彼の後ろに乗り、しっかりと掴まった。バイクが発進する。
「どこに行くんですか」
「なるだけ遠く、人の寄りつかない場所だ。悪いな、急な出発で」
「別にいいですよ。ここに置いてきたものなんて、何もないですから」
バイクは轟音を響かせながら、夜の闇の中に溶けていった。
満月の夜、少年は怪物に変わる。
次回「満ちる月」
君のいない夜を駆ける。




