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第八話 「見張り」

 城内の案内役はアルド自身が買って出た。

 わけの分からない勇者に付いて行くという危険な役回りを、子分どもにやらせるわけにはいかない、と言う。取り巻きのうち一人を己に従わせ、もう二人を地下への隠し戸がある貯蔵庫に残す。そうして状況の変化に即応し、采配を振るってみせる姿は、なるほど一味の長らしい。

 そのアルドを先頭にして、我らは連れ立って貯蔵庫を出た。

 アルドの話では、人質が捕らえられているのは、地上三階にある広めの一室なのだそうだ。その部屋から男も女も関係無く、数人の人間が連れ出されるのを、偶々見掛けたことがあるらしい。地下にある牢屋にも人間が捕らえられているようだが、そちらはより警備が厳重で近付けないのだとか。恐らく、牢屋には抵抗しそうな兵士や、若い男共が入れられているのだろう。

「とりあえず地上の方に連れてく。それでいいだろ」

 と、アルドは乱暴に言った。

 そんなわけで、我らは地上の部屋を目指して廊下を進んだ。ここでは光を灯せない。どこから見られているかも分からないのに、魔物ならば使う必要のない明かりがあれば、それだけで不審だ。直ぐに侵入を悟られてしまう。それでなくても不意に兵と出くわす恐れがある。壁に手を付き、ここでも慎重に歩を進めた。

 地上に出ると、窓から外の薄明かりが入り、床に淡い影を作っていた。空は暗雲に覆われているとはいえ、地下の暗がりに慣れた目には、それで充分明るく感じられる。

「----なんでこんなことになってんだか。まったく冗談じゃない」

 口ではぶちぶちと文句を垂れながら、それでもアルドの目は緊張をはらんで、油断なく先を窺う。一方、我の後ろに付いて歩くミリリアは、未だに納得しきれないのか、黙りこくってむくれていた。盗賊などと一緒に行動するのが我慢ならないらしい。その視線がアルドの広い背だけではなく、我に突き刺さるのも感じていた。僅かに陰る瞳が、どこか悲しそうにも見えた。

 アルドが腕を上げて、後ろに続く者に静止を促す。

 先を曲がった廊下から、何者かが動く物音と声が聞こえてくる。

「よう。ご苦労さん」

「そっちも。なんだか慌ただしくて大変そうだな」

 すれ違い様にかけられた挨拶か。足音が二つ分遠ざかる。

 目線で促され、我は息を殺してほんの僅か角から顔をのぞかせた。

 その廊下には、両側に幾つもの扉が並んでいるようだった。その一つに兵士が立っている。二人、か。奥にいる者の姿は見えなかったが、手前の兵士は頭から牛に似た角を生やしていた。腕や体の輪郭が、人間には似ずごつごつと歪だ。ほとんど影の中にあって、判るのはそれくらいだった。

 時折漏れ聞こえる話し声から察するに、こやつらも肩の力が抜け、見張りに集中していないようだ。

「部屋はあそこだが見張りがいる。どうする?」

 戻ると、アルドが掠れ声で囁いた。

 我は入れ替わりに角の先をのぞき見るルートを窺う。

 ルートが使う眠りの魔法は、戦っている最中などの、気を張った相手には通用しないらしい。こちらの存在に気付いていない、平常の状態でなければ効果がないそうだ。通常の仕事をしている見張りくらいならばなんとかなる、と事前に言っていたが。

 ルートは振り返ってうなずいた。

 前のように上着の中に法玉を隠して、口の中で吐息のような呪文を唱える。

「羊毛の枕----!」

 鍵となる最後の言葉は少し声高に言って、杖をそっと廊下の先へ突き出す。

 どこからか、羊の鳴き声が聞こえた気がした。

 メェェェ……と、間延びして響くその声に、こちらにまで余波があったわけでもあるまいに、我は意表を突かれて口元を緩める。間もなく、魔物の兵士は二人とも、とろけるように膝から床に座り込んだ。規則正しい息遣いが聞こえる。

 それを確認してから振り返ったルートが、我の顔を見て怪訝に首を傾げた。

「なんですか?」

「暢気な術だ」

「放っといてください。

 こういう魔法なんです」

 ぎくりと表情を歪める。照れ隠しに不機嫌を装って、そっぽを向くとルートは言った。

「おーい、なにしてる。早く来い」

 いつの間にか、アルドとミリリアが目的の部屋の前に行き、扉を開け放っていた。

 アルドが手招きする。

 あれの話では、この廊下は定期巡回の経路になっている。次の見回りが来る前に立ち去り、眠らせた兵士を何事もなかったように目覚めさせておかなければならない。あまり悠長に構えている時間は無かった。

 床で心地よく眠る兵を避けて、我は足早にアルドたちに追い付いた。

 不意に現れた闖入者に、室内は息を呑んだような沈黙で満たされていた。

 部屋は奥に長い。何に使われていたのか。現在は厚手の絨毯が敷かれ、幾つかの長椅子や足の短い卓が運び込まれているようだ。それらが普通には見られない配置で並べられている。卓の上の角燈に火が点され、橙の影が揺らめいた。奥の窓から入る弱々しい光が、ぼんやりと室内を照らす。

 男、女、老人、子供。

 囚われている人間の数は三十足らず。

 それぞれが思い思いの場所を陣取っている。独りでいる者、数人がひと固まりになって互いを庇い合うように身を寄せ合っている者、様々だ。

 それらの視線が、戸口に立つ我らに集中していた。

 声のさざ波が立つ。

「なんだなんだ」「人間よ」「助けが来たのか」

「それにしては妙な組み合わせだ」

「角があるぞ……」

 それは、我が召喚された時の、あの魔法陣の部屋を思い起こさせた。

 だが部屋を満たす空気が違う。

 あそこにあったのは、希望と安堵。

 ここにあるのは不信、戸惑い、そんな疲弊しきって不安に囚われた感情。

「みなさん、大丈夫ですか!」

 そんな中、真っ先に声を上げ、手近な女共の固まりに駆け寄ったのはミリリアだ。

 さっきまでの不機嫌はどこへ行ったのか、愚直なほど素直な娘は真摯な眼差しで膝を付き、中心にいる老婆の手を躊躇いなく取る。

「大丈夫ですか。体の具合は悪くないですか」

 心の底から心配し、偽りなく労る。

 そんなミリリアに、脇に立っていた若い男が声を掛けた。

「あなたがたはいったい……。

 何者ですか……?」

「我は勇者だ」

 部屋の中へ進み出て、内部を観察していた我は短く答える。

 男が怪訝にこちらを見たのが分った。

「勇者……?」

「そうです。この方は別の世界からお出でになった勇者様です。

 だからもう、安心してください。わたしたちはみなさんを助けるために来たんです」

 ミリリアの明るい声に、男はまた振り返った。その確かめるような眼差しを受けて、ミリリアははっきりとうなずいてみせる。身近な者と囁き交わす声が大きくなった。

「本当に……」

 男は直ぐには信じられないようだ。目を見張って、我と他の者どもを見る。

 それはそう----なのかもしれなかった。

 人間が何をもって〈勇者〉と判断するのかは知らない。しかし勇者と名乗った我には角があり、その連れは子供。魔法使いのルトランスはいいとしても、いかにもごろつき風のアルドとその子分は怪しいことこの上ない。

 それでもミリリアの真っ直ぐな人間性は伝わったか、室内のざわめきに明るいものが増えていた。

 ----その言葉には、訂正が必要だが。

 今ここで口を挟むこともない。我は勇者だ。水を差さないよう黙っておく。

 先に部屋に入ったルートが、内部の様子を見て取るや、如才なく人間共の間を回り安否を確認していた。年若いミリリアに加え物腰柔らかなルート。二人に優しく丁寧に声を掛けられ、半信半疑だった者共も次第に気持ちをとかしていく。

 ざっと見たかぎり、怪我をしている者はいたが、重傷者は見受けられない。それも手当がなされているようだ。食事は材料が与えられ、己らで調理をしていたのだとか。毛布なども豊富に用意されている。夜眠る頃になると、男共は隣室に分けられるそうだ。雑用にこき使うことはあっても、逆らわなければ魔物の兵士は乱暴を振るわないのだと言う。

 それ故か、この人間共からは淀んだ空気を感じなかった。疲れきっているが、概ね無事と言って良い。それでもミリリアは眉根に憤りを滲ませた。

 アルドと子分は扉近くに陣取って、我関せずと見張りに余念がない。

 一通り見て回ったルートが、我の横、部屋の中心にやって来る。薄暗い室内をぐるり見て、首を傾げた。

「ところで、王女様はどちらですか。

 一緒に捕らえられたと聞いているのですが」

「!」

 はっとしてミリリアが顔を上げる。目の前の人間を思い遣るあまり、それだけで頭がいっぱいになって、すっぽり抜け落ちていたらしい。

 問われた途端、人質共の表情が曇った。そこここで顔を見合わせ、項垂れる。

 痛々しい沈黙が落ちた中で、怖ず怖ずと進み出たのは最初に話し掛けてきた男だった。ルートとは違った意味で人の良さそうな、悪く言えばノルンのように押しに弱そうな顔付の男は、痛ましく眉を険しくする。

「ここには……いません。

 どこにいるのかも分かりません」

「俺たちがここに連れて来られて直ぐに、魔物の隊長とかいうヤツが来て、連れてってしまったんだよ」

 別の男が先を続けた。女共で固まった群からも声が上がる。

「あたしたち、庇おうとしたんですよ。

 服を取り替えて身代わりになろうと……」

「あいつら人間の見分けなんてついちゃいないんです。だから」

「でも、王女様が辞退なさって」「自分は大丈夫だからって……」

 お労しい……という声が、幾つもわき起こる。

 また別の所から声が上がった。今度は灰色の髭を伸ばした老年の男だ。

「あのお人は本当に立派だ……。

 いつでも周りの者のことを考えて下さって」

「魔物に捕まってしまったのだって、城や町の民が逃げるのを優先して、御自分を後回しにされたからなんですよ」「それで逃げ遅れちまったんでさ」

「なんてお優しい方」

「まだお若いのにあたしたちを守ろうと必死になって」

「ここでも精一杯、我々を励まして気遣ってくださいました」

「そうだったのですか……」

 ぽつりぽつりと、人質共は苦く重い声と表情で語り、ここにはいない王女とやらを称賛した。そんな王女の人柄に胸打たれて、ミリリアまでが深く感じ入っている。

 我はゆるく腕を組み、黙って話を聞いた。

 中年の男のひとりが、怒りに拳を握る。

「それなのにあの魔物ども、王女様を魔物の国に送るとか言って……!」

「あの仮面の野郎……許せねェよ」「王女様を、物かなにかとしか思ってないんだ」

「自分の出世の道具に使おうってのか……!」「ひょろっとしたナリのくせに」

「一発くれて、強面の仮面の下のツラぁ、拝んでやりたかったぜ!」

 そうだそうだ! と、男衆から同意の声が上がる。王女を連れ去った魔物の隊長に対して憤りを露にし、話す声にも熱が籠る。ここにいる全ての人間が、少なからず同じ想いでいるのが、室内の空気から伝わった。

 我に言わせれば----、

「……」

 その王女とやらは、ただの愚か者だ。

 王女という立場は、このサンクルティアラン王国において、重要な意味を持つようだ。その人物が魔物に捕まってしまえば、味方である人間が不利になる。我にはどちらも理解し難い感覚だが、それを自覚しているのならば----していなかったとしても、王女は何を置いても己が真っ先に逃げなければならなかった。

 こやつらの言う王女の行為が、どれだけ勇敢で健気なものかは知らないが、そうしなかったからこうして面倒な事になっている。自らが守ろうとした者を守れず、足枷になっている。

 我は小さく鼻から息を抜いた。

 ルートが小首を傾げて、話の先を修正する。

「魔物の国、ですか。大魔王の下へ連れて行こうとしているのでしょうか」

「そうみたいです」

「なんだかわかんねぇけども。日程を早めるとかも言ってたぞ」

「二日くらい前からか。急いでるみたいだった」「今日も準備で忙しいらしいな」

「それでいつもと様子が違ったのか----」

 背後で呟いたのはアルドだ。子分と二人、輪の外にいて気楽な調子で話を聞いている。

 人質の男共が、我の方を振り仰いだ。

「勇者さん。あんた、勇者なんだろう。

 だったら王女様を助けてやって下さいよ」

「魔物の国にやられちまうなんて、可哀想だ」「オレたちはいいからさ」

「頼むよ」「勇者様!」

 他の者も口々に言う。期待を通り越したすがる眼差しが、幾つも注がれる。

 人質自ら救出を放棄するのは結構だが、哀れみを強調する陰気な物言いは不快だった。

 聞きたいことはまだある。

 それには返事をせず、我は口を開いた。

 ----そんなことより。

「----」

 そう続けかけた言葉を、危ういところで飲み込む。

 我は学習した。

 勇者は人質を軽んじる発言をしないものだ。

 同じ言葉を使って、ミリリアの不評を買ったばかりだ。王女贔屓の人間が群れるこの場でそんな言葉を口にすれば、反発を免れない。

 それが分かっても、我には何がまずいのか、その判断がつかなかった。思いもよらぬところで迂闊なことを口走りかねない。そうなると、進む話も進まなくなる。だからここまで話の進行をルートに任せ、我は口を噤んでただ流れを見守っていたのだ。

 それを、たった一言で水の泡にするところだった。

「……」

 そんな気を回す己が滑稽だ。……気疲れする。

 我は尻尾で空気を払う所作を想像して、気持ちを切り替える。

 拳を口元に当て、軽く咳払い。

 仕切り直す。

「その隊長だが。他にはないか。

 普段どこにいる」

「あいつ……ですか?」

 側にいた年若い気弱な男に眼差しを向けて訊ねる。

 若い男は知らないのか、室内を振り返って他の者を窺った。

 また男共の中から声が上がった。

「あの野郎はオレたちに近付こうとしねぇから、よく分らねぇけども。

 たぶん、城の真ん中にある執務室のある辺りじゃねぇかな」

「何故分かる」

「兵どもがそっち睨んで、悪口言ってんだ。

 雑用やらされてる時に、何度も見た」

「ああ、それならぼくも見ました」

 気弱な男が同意すると、周りから「おれも」「おれも」と声が重なる。

「神経質で気が短いとか」「こうるさくて鬱陶しいとか」「偉そうとか」

「勿体つけた仮面がムカつくとか」

「なんであんなヤツが隊長になれたんだ、とか」

「兵士が叱られてるのもよく見るよな」

 溜め込んでいた鬱憤を晴らすかのように、男共の口が軽くなる。

 そういう話が聞きたいわけではないのだが。なるほど。兵士の士気の低さは、田舎に派兵されたことだけが原因ではなかったようだ。

 ルートが目を丸くした。

「よっぽど人望ないんだな。

 これが人間なら、簡単に突き崩せそうな部隊ですね。

 それよりさっきから聞いていて不思議なのですが、よくそんなことを知っていますね。

 どこで聞いてくるのですか」

「本当にしょっちゅう言ってるんです。

 あの隊長、兵士たちから軒並み嫌われているみたいで」

「雑用の最中だったりもするけどさ。

 そこの見張りの無駄話に、聞き耳立てたりもするわけよ。扉越しにさ」

「ほら、オレたち暇だから」

 男共は顔を見合わせてうなずきあった。

「昨日も言ってやしたぜ。

 『あかし』があるから、あのヤロウは隊長でいられるんだ、とか」

「副官の方が断然良かったのにー、とかな」

 ----あかし?

 なんでもない事のように言われたその言葉に、引っ掛かりを覚える。

 我はそれを言った男に向き直った。

「詳しく話せ」

「へい? それはもちろんかまわねえですが。

 ちょっと待ってくだせえよ……」

 どうしてそんな事を聞きたがるのか、といった風に、痩せた中年の男は首を捻った。それから両のこめかみに人差し指を突き立て、目を硬くつぶって懸命に記憶を引き出そうとする。

 男は頭を悩ませながら、昨日の会話を再現した。


 それは、昼の事だった。

 その日は特に用事も言付けられず、男は暇を持て余していた。

 だからいつものように扉の側に張り付き、見張りの魔物の会話を、聞くともなしに聞いていた。

 兵士の一人が気怠そうに言った。

「あーあ。まぁた鬼仮面のヤロウにうるさく怒られちまったよ。

 ちょっと蹴つまずいて、槍の束倒したくらいでさ。『弛んでる!』とか言って」

「おまえ、いっつも抜けてるからじゃないのか」

「オレは夜行性なの。昼間はねみいの。

 夜番だけならいいのに、人手が無いからって昼も働かせるから悪ぃんだ。

 どうせ人間なんて攻めてきやしないのに。

 せめてレザクダ殿が隊長だったらなあ。やる気も出るんだけどなあ」

「それは言えてる。

 実力はドルギヌス殿に負けてないだろうにな」

「そうなんだよ!

 二人が戦ったら、あんな剣だけのヤツに負けるはずない!」

「おまえ勝てないだろう」

「うっさい!

 それにあの精悍な肉体(からだ)! 良ぃい女なんだよなあ……」

「その感覚は俺には分かんないわ。魚系はむしろ苦手だ」


「----待て」

 我は話を遮った。

「そこは必要なのか」

 男は至極真面目な顔でうなずいた。

「へい。なにぶん年食ってからは記憶が曖昧でいけねえ。

 端から話さねえと全部思い出せねんでさ」

「……」

 我はなにも言わず続きを促した。


 男は魔物にも女の好き好きがいろいろあるものなのだと、面白く聞いたからその時の会話をよく憶えていたのだそうだ。

「でも、どうしてなんだろうな。

 実力は大差ないわけだし。家柄だって、むしろレザクダ殿の方が良いくらいだろ。

 だったら隊長はレザクダちゃんだって良いはずだ!」

「それ聞かれたら、刺されるぞ」

「どっちに?」

「どっちもだよ。

 俺も上の人の考えている事は分からないが。

 それならまあ、経験の差かな。

 レザクダ殿は出自が良いから登用も早いけど、その分隊長が務まるほどまだ戦場に出てない。その点ドルギヌス殿は庶民からの叩き上げだから、無駄に経験は豊富だ。

 やっと掴んだ隊長の座ってのもあって、やたら張り切ってるんじゃないか」

「だからって威張り散らされたらたまんねえよー。

 レザクダちゃんかわいそー」

「うん。レザクダ殿も不本意みたいだな。

 こぼされているのを聞いたことがある。

 自分には『あかし』が無いのだと」

「あかし? なんだそりゃ。

 こんな僻地だ。下克上すれば乗っかるヤツはいくらでもいるぜ?」

「さあ、それ以上は濁されていたが、どうもそういうことではないらしい。

 遠征地の隊長には、特別な『あかし』が渡されるって聞いたことがある」

「肩に付けてる記章じゃなくて? それを奪えばいいのか?」

「だからそうじゃなくって。そんな目立つ物でもなくって。

 なんでも、大魔王様が隊長となる者の名前を直々に入れて、下されるんだそうだ。

 噂だよ。聞いたことないか?」

「ああ! それか。聞いたことあるある。

 それがないと〈母なる森〉の加護を受けられない、てヤツだろ。

 下っ端の間に広まる、眉唾もんの伝説だと思ってたわ」

「俺も。人間に知られたらまずいから上層部だけの秘密とか言いながら、わりとみんな知ってるからな。からかわれただけかもしれん。

 でも、ドルギヌス殿が大魔王様から頂いた品を大事にしてるって噂も、聞いたことあるんだよな」

「なるほどなるほど。それなら手が出せねえわ。

 そう言われると、オレも見たことあるかも。

 この前ドルギヌスの部屋に書類を届けに行った時、棚の上にキレイめの箱が置いてあってさ。それ、オレうっかり落としちゃったんだよ」

「……本当にうっかりだな」

「直ぐ謝って拾おうとしたんだぜー。

 それなのにアイツ、尻尾ではたきやがったんだ!

 かんかんになって怒って、『出てけ!』だと。

 中身は無事だったし、箱も留め具が外れただけだったのに」

「それはおまえが悪い」

「あー、思い出したら腹立ってきた。

 ドルのやろう……。

 あいつの長ーい尻尾がさ、ゆらゆらするの見るたび、蝶結びしたくなるんだよな!

 説教くらってる時なんか特に!」

「それは分かる。

 俺もあの人の後ろ歩いてると、扉の隙間に挟めばいいのにとか思って、つい見てしまうんだよな……」

 そんなところで、ただの愚痴合戦になりつつあった会話は、交替がやって来て打ち切られたのだった。


「扉の隙間か……」

 我は組んだ腕の片方を口元に当てて唸る。

「気になったところはそこでいいのか」

 アルドが訝しげな声で訊ねた。

「そうは言うが。あれで厄介なのだ」

 何を隠そう、我は挟んだことが一度とならずある。

 もちろん、扉の素材などより我が鱗の方が頑強だ。何ら痛手にはならない。

 しかし隙間に引っ掛かって、知らず足止めされた時の居たたまれなさと言ったらない。

 己も挟んだことがあるくせに、従者気取りが笑いを堪えたのが分かって、腹立ちまぎれに壁の一部ごと扉を粉砕してしまったほどだ。

「『あかし』がどうのという話じゃなかったか?」

 深い共感をもってそんな話をすると、アルドの声が疑念を深める。

 ルートが横で咳払いしたのは、笑いを誤魔化すためか。

 魔物の会話を話して聞かせた男が、所在なくこちらの様子を窺う。

「こんな話で、お役に立ちやしたか」

 ----充分だ。

 向き直って、そう応えようとした時だった。

「おい! どうした!」

 部屋の外から、鋭い声が割って入った。

 続く騒々しい足音に、我は戸口を振り返る。一時、明るい雰囲気にさえなった人間共が息を呑んだ。扉の横にいたアルドの子分が、硬い表情で頭領の顔を振り仰ぐ。

 我は剣に手を掛けた。

「眠っているのか?」

「おいっ! しっかりしろ! 何があった!」

「むぅ……にゅる……」

「くそっ! 人間か!?」

 扉が乱暴に開いた。

 部屋中の視線が集中する中で、そこに姿を現したのは、当然魔物の兵士だった。

 刺々しい赤い背びれをひらひらさせた魚顔の兵士が、室内の状況を見渡すよりも先に、

 脇に控えていたアルドがその胸ぐらを鷲掴みにして、力任せに引きずり込む。

「どぅわっ!」

 赤い魚の魔物は堪らず床に転がった。

 それを無視して我は走る。

 戸口に立ち尽くしたまま、その様を驚いて見ている昆虫顔の魔物へ。

 ピーーッ! と、鋭い笛の音が響いた。

 慌てて剣を抜こうと手を掛ける。その間を与えず、我はそやつを斬り伏せる。刃は鎧に阻まれた。後退した拍子に何かにつまずいたのか、魔物が後ろ向きに倒れる。鈍い音がして、そのまま動かなくなった。狭い廊下だ。壁に頭を打ち付け、昏倒したようだ。戸口の横では見張りの二人が、こちらは気持ち良さそうに眠りこけていた。

 石の床に警笛が跳ねて転がる。

 それを目で追い、我は顔をしかめた。

 見回りが戻ってくるにはまだ早い。交替要員だったのか。ともかくも今の笛は聞かれてしまったに違いない。遠く、ざわつく気配が伝わってくる。

 剣を収め振り返ると、部屋の中でも赤い魚の兵士が床に転がされていた。

 こちらはルートの仕業だ。

 腕と胴、それに両足を、トゲのある細い輪っかのような物で縛り付けられている。雷でできた縄のようにも見えるそれから、周囲の空気に小さな火花のようなものが散った。空気に混じる焦げた臭いと、魔物のヒレ先が燻っているのを見ると、全身に雷が走ったのかもしれない。兵士は完全に目を回していた。

 人間の女共が身を寄せあって、恐々とそれを見た。

 我はルートの顔を振り返る。

「見付かった。逃げる」

 ルートは室内を見渡して、逡巡してからうなずいた。

「同意だ! さっさと行こうぜ!

 一緒に来るならあそこに続く別の抜け道教えてやる!」

 戸口で焦っているのはアルドだ。

 その声に、部屋の内がざわめいた。

 それを見回して、ミリリアが鋭く前に出る。

「あの、待ってくださいっ! ここにいるみなさんはどうするんですかっ?」

「置いて行く。さっきも言った。今は無理だ」

 問答している時は無い。必死に訴える顔を静かに見据え、断言する。

 ミリリアは身を竦めて押し黙った。幼さの残る顔を苦々しく歪める。「そんな……」と責め立てる人間共に狼狽えるばかり。なにも言えない。

「わしらを連れて行っては下さらんのか」

「せめて子供だけでも----!」

「ごめんなさい。もうしわけありません。

 でも今は----無理なんです。あなた方を、これ以上の危険に晒すことになる。

 また戻って来ます。きっと。必ず」

 ルートが苦渋を込めた眼差しで、すがる女の手をやんわりと解き、その手を力強く握り返して言う。己もそうしたいが、できない。その言葉には、そんなやり切れなさが溢れている。

 人質どもはそれで黙った。

 勇者たちも辛いのだと、己の不満を胸の内に押さえ込んで。

 ルートが未練を振り切るように部屋を出る。そのルートに肩を押されて、ミリリアが本気で後ろ髪を引かれながら、振り返り振り返り去る。

 我は最後に部屋を後にし、扉を閉めた。

「こっちだ」

 アルドが廊下の先で手招きしている。

 その顔が、行き先の向こうを見て慌てた。

 駆け寄るうちに、我の死角となる廊下の角から刃が生える。

 アルドは間一髪それを避け、組み合わせた大きな拳を相手の脳天に振り下ろす。

 力の抜けた魔物の兵が傾いだ姿を見せ、床に落ちた。

 今の兵士もけたたましく廊下に響かせ、笛を鳴らしていた。

「早くしろ! どんどん来るぞ!」

 忌々しそうにアルドが叫ぶ。

 追い付くと、ミリリアは未だ閉じた扉を見ていた。

 それからどこか遠く、城の壁を透かして見つめる。

 その揺れる青い瞳が、我を見上げた。

「あのっ、やっぱり、王女様だけでも助けられませんか?

 今日にでも、魔物の国に連れて行かれてしまうかもしれないんですよね」

 小さな両手が我の袖を掴む。無意識か。その手の力は心細い。

 我はアルドの示す道の先に目を向けた。

「愚問だ。どこにいるのかも分からぬ」

「でも……」

 仮に居場所が分かって王女だけを助け出したとしたら。

 見せしめに、残った人間が全員殺されることも考えられる。

 思い付いたそんな可能性は口にしない。

 時間が惜しい。

「なにやってる! 行っちまうぞ!」

 やきもきして待つアルドが吠える。

 はっとして顔を上げたミリリアの手が解ける。思い詰めた顔をしてうつむく。

 体の前に引かれたその拳が、固く握られるのを見た。

「でも、やっぱり……、わたし、わたしだけでも……」

 呟く言葉は誰かに聞かせるものではない。

 虚空を見据える瞳に、決意の光が灯る。

 そして顔を上げた。

「わたし、行きます!」

「ミリリア?!」

 娘は駆け出した。

 アルドとは別の方向に向けて。

 勢い振り返って跳ねた橙の房が、我の体に当たる。

 それさえ気付かず、ミリリアの背中は廊下の先の闇の中に消えていった。

 ルートが呆気にとられて見送ってしまってから、我を慌てて振り返る。

「ど、どうしますかっ!」

「おい、いいのか? 嬢ちゃん行っちまったぞ」

 良いも悪いもない。

 我は軽く息を抜く。

 もはや幾つもの足音が直ぐそこまで迫っているのだ。

「始めに言ったはずだ。好きにしろ。

 おまえたちの行動を縛る気は無い」

 ルートがほんの一瞬、目の端を歪めた。

 薄暗い中で見たそれは本当に微かなもので、気のせいだったかもしれない。

 直ぐに顔を背け、ルートはミリリアの小さな背が消えた廊下を見る。焦れったそうにまごついたかと思うと、唐突に己の毛を掻き乱し、その手を振り下ろした。小さな舌打ちも空耳か。銀の飾りが乱雑に揺れた。顔を上げる。

「おれは追い掛けます。

 先に行ってください。

 打ち合わせの場所で落ち合います」

 言う側から、ルートは半ば駆け出していた。

 返事を聞く間もない。否、聞くつもりがなかったのか。

 その背中も、直ぐに見えなくなった。

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