第十六話 「決戦」
「やはり、おまえが持っていたか」
「----キサマ……!」
----これが、〈あかし〉。
我はそれを拾い上げながら、しげしげと眺めた。
手の平の上に乗る、小さな布の袋だ。金糸を織り交ぜたきらびやかな錦の袋だが、まさかこれが本体ではないだろう。小さな口を塞いでいる房飾りの紐を摘んで引く。中には小さく薄い木切れが入っていた。
細かい作業に眉を寄せて、我は指先でそれを摘み出す。
それだけ見ると、焦げた木片と判断して捨ててしまいかねない、今にも砕けてしまいそうな代物だった。墨のように黒い肌はもともと。そこに細く文字のようなものが刻まれ、金に塗られている。
その意味など分かるはずもないが、これが魔物共の故郷から暗雲を呼び寄せている元凶に違いない。たった今、我が後ろから蹴倒したドルギヌスの表情からしても、そうだ。
噂に聞こえるこやつのことだ。味方の兵士さえ信用ならないこの場所で、たった一つで戦況を左右しうる重要な品を、自ら手放すとは考えづらかった。常時肌身離さず持っているに違いない。それをどうやって出させるか。我々の目論見はそこにあった。
ちなみに、ミリリアは知らない。あの娘は素直過ぎる。直ぐに顔に出る。今頃おろおろしているかもしれない。そして後でぷりぷりと怒り出すだろうから、その前に一言詫びを入れさせておけばいい。ルートに。
相変わらず仮面で顔の下半分を覆い隠した魔物の隊長は、金の瞳に怒りと焦りを色濃く浮かべて、体勢を立て直すや我に跳び掛かった。
「返せ!」
しかし。
----こんなもの、燃やしてしまうのが手っ取り早いのだが。
我がそう考えた途端。
指先で摘んでいた黒い木切れに、小さな火が点いた。
ぽっと瞬間燃え上がり、まとめて握っていた小袋にも移る。
元の世界でならばざらにあった現象だが、人間の薄い皮膚では熱いのではないか。思わず手の平を開いたが、その火は少しも皮膚を焼かなかった。灰となったあかしが、手を伸ばすドルギヌスの目の前で、風に乗って散り散りに流れ、消える。
これには我も驚いた。
これくらいの力なら、扱えるようになっていたらしい。
我に届く前に力無く崩れるドルギヌスから、半身を開いて一歩退く。
その姿を尻目に、我は空を見上げた。
これで本当に晴れるのか。
暗く分厚い雲に覆われた空に変化はない。----が、なんだろうか。気を沈める重々しい空気が、爽やかな風に吹かれて去るような、そんな気配を感じた。
「キサマ……」
小さな呟き。危うく聞き逃すところだった。我はその声に顔を向ける。
ドルギヌスが石の床に爪を食い込まさんばかりに拳を握り、ゆらりと顔を上げた。
「キサマあッ!」
「おっと」
次の瞬間、立ち上がり様に剣を抜いて斬りつける。
我は身を仰け反らせて避けた。
怒りに任せて乱れた剣が、続けて我に襲い掛かる。
「ふざけるなッ! キサマ!
許さん! 許さんぞ!
剣を抜け! 八つ裂きにしてくれる!」
ぶん! と空気を唸らせて、魔物の隊長が剣を振る。
その剣捌きは、前回見せた熟練の腕前とはほど遠い。雑な荒れたもの。ざらりと耳に触っていた重たい声も、今は金属質の甲高い響きを持って耳を貫く。どうやらこちらが地声のようだ。大将のいつにない乱心に、部下の魔物共はまともに狼狽えて、手を出すこともできず脇に退く。
我は軽々と避けながら、己の耳を片手で押さえた。
「まあ待て。落ち着け。
まずは我にも名乗らせろ。
無作法だと言ったのはおまえだ」
我としても、こんな中途半端なこやつを倒したところで気は晴れない。
振り下ろしたドルギヌスの剣が、嫌な音をさせて石の床を削る。肩で荒い呼吸を繰り返しながら、ドルギヌスは尚も金の瞳をぎらぎらと光らせて、我を睨んだ。
「ほざけ!
キサマは私にやられたばかりではないか!
ほんの数時間で何が変わる!
結局勝てるだなどと思っていないのだ!
だからこんな作戦を立てた!
キサマが負けても良いように!」
----それはちがう。
我は返事をせず、ただ口の端を上げた。
ドルギヌスが息を詰めて、一歩、足を退く。
我を見据える瞳に、怒りとは別の影が過る。
確かに、城を奪う作戦は立てた。
しかしそれは、我が負けても良いようにではない。
それはお膳立てだ。
我がこやつと、心置きなく戦えるように。
その土地を我がモノにしたいのならば、そこの頂点にいる者を己の力のみで倒せば良い。遥か古より、そういうものだと決まっている。その過程にどれだけ他の者の力を借りようと、だから我は、そこだけは譲らなかった。
そして、
我は一度負けた相手に、何の勝算もないまま再び挑むほど愚かではない。精一杯力を尽くして頑張ればなんとかなると思えるほど、お気楽にもなれなければ、幼くもないのだ。
我は、剣を抜いた。
「!」
ドルギヌスが距離を取る。
確かなものなど何もない。
思い浮かべるのは----我に挑んだ数々の勇者たちの姿。
記憶にあるその動きを、真似る。
ゆっくりと引き抜いた剣が弧を描き、真横に宙を斬る。
手首を返し、柄を握る手を顔の前へ。
切先を天に向け、大地とは垂直に刃を立てる。
そして、両の瞼を閉じる。
彼らが----決戦の前に必ず見せた礼の作法。
一度、聞いたことがある。その儀礼の意味を。
我に負かされて地に伏せた勇者は、苦々しく答えた。
それは----誓いなのだ、と。
昨晩した話の続きだ。我が世界で信仰が失われた理由。
それはあの世界を、我が支配したせいだ。
人間がどんなに神に祈っても、供物を捧げても、天から来る我という災厄を神は退けてはくれない。救ってはくれない。奇跡は、起きない。何も為さない神に意味などない。
いつしか人間は祈るのを止めた。
そうして神という信仰は失われたのだ。
ではそんな人間共が、無事や成功や勝利を望み、それを叶えたい時どうするのか。
彼らは誓うのだそうだ。
己の真に。己が積み重ねてきたもの全てに。また身近な者に。
全霊を懸けて戦うことを。勝って無事に帰ることを。
----誓う。
残された者は、その誓いを信じて待つ。
それは----我には分かり難い感覚だ。
しかし、ここは敢えてそれに倣おう。
我もまた、ここでは人間だ。人間だから借りることのできた、勇者の剣技と共に。その作法も真似る。
我は、誓う。
絶対に勝つ。
勝ってこの城を手にする。
誓いとはつまり、己の全てを賭して約束することだ。
ならば我は、我自身に。
ついでにこの場を整えたルートに、ミリリアに、アルドに、その他の盗賊どもに。
そして、勝手にその技を拝借させてもらう、これまで我が負かしてきた勇者に。----あやつらにしてみれば、不本意極まりないのだろうが。知られたら、総出で討伐されかねない……。しかしそれはお互い様だ。
我は勝つ。
そしてその先で、必ずこの世界を手に入れてみせる。
「----」
ちなみに。
あの世界が〈天庭〉と呼ばれるもう一つの説はこうだ。
『天君の遊ぶ庭』。
天君とは、天より来る暴君----つまり我のことだ。人間共は----それ以外の種族も、我が耳に入らないだろうと踏んで、しかも我がそんな細かい事で文句を言わないだろうと踏んで、陰口めいた説を唱えて憂さを晴らしているのだとか。この敬称なのか、それに見せ掛けた蔑称なのかよく分らない名称にしても、そうだ。従者気取りのココ・ラドが聞きかじって、面白がって告げ口したのだが----。
大いに不満だ。
「……」
剣の陰で、我は口の端を上げて笑った。
冷笑ではない。あの世界を思い浮かべただけで、何故だか笑みがこぼれていた。
瞼を上げる。
瞳は黄の強い翡翠色。
「我が名はシェロ・ナ・ナルテ・ギラ。
天庭より来た、この地を平らげる勇者だ」
空を切って剣を振り下ろす。
笑みを消し、正面で構える。
「いざ、参る」
我は地を駆けた。
眼前に見据えるのは、これまで我に挑んだ中で最も強かった勇者の姿。それがあの世界で最も強い剣術かなど、我は知らない。それはどうでもいい。ただ我にとって、奴が一番強い人間だった。それに己の動きを重ね合わせる。体格やそこから生み出される身体の基礎能力には違いがある。それ以外は忠実に再現する。
怪訝に目を眇めて我を眺めていたドルギヌスが、慌てて身構えた。
それまでのただ力任せの大上段とは違う。
無駄のない力の乗った勇者の一閃が、ドルギヌスを斬る。
「!」
正面から受けたドルギヌスの剣を、易々と弾いた。
虚をつかれたドルギヌスはそのまま後退する。
一歩下がった足を大きく跳躍。露台の端の石の縁に、音も無く着地して手を付く。その先はもう、光を内に秘めた白い煙が満たす、正面の広場だ。徐々に薄まる白い幕の中から微かな物音が聞こえてくる。風に吹かれて上方に漂ってきたその煙に誘われるように、ちらと目をやってから、ドルギヌスは眉間を寄せ我を振り返った。
「……なるほど。
貴様も意気込みが違うというわけか。
良いだろう。受けて立ってやる」
ゆらりと立ち上がる。
風を唸らせ、目の前の白煙を斬り裂いて剣を振る。
見れば、頭上高くにある暗雲もまた、その厚みを薄くしていた。遠い空から薄明かりが照らし始める。もはや時間はない。
ドルギヌスの金の瞳が、高みから強く我を睨む。
「今一度、我が剣の下に跪け!
せめてキサマの首を手土産にしてくれる!」
石の足場を蹴った。
一直線。持ち前の強靭な脚力で我に迫る。
振り抜かれる剣を、我もまた避ける気はなかった。
あの勇者ならば、真っ向勝負は正面から受けて立つ。
刃と刃がぶつかり合う。
激しい音。
そして、
互いに弾かれ後ろに跳ぶ。
ドルギヌスとてここで引き下がれないのは我と同じ。
その表情には未だ強い怒りと我への畏れを残していたが、
その一撃には怯えや雑さは消えていた。
油断ももはや無い。
慢心ではない確かな自身が、ドルギヌスの全身に漲るのが分かる。
我は腹の底から声を発し、瞬時に前へ出た。
足捌きや身のこなし。あの勇者はそれらももちろん優れていたが、なにより特徴があったのは、その正直さだ。とにかく前へ出る。隙あらば攻撃する。あの人柄にしては奇妙なほどに、正直な剣だった。
集中する。
ドルギヌスも既に受ける体勢ができている。
そこに突進力を活かした鋭い突き。
それを弾かれたところで刃を持ち直しての斬り下ろし。
下がって避けられれば、前へ踏む込んでのすくい上げ。
そして再びの突き。
我もあやつのこの執拗な追撃には辟易したものだが、また休む暇もなく楽しませてもらった。あそこまでの強烈さはさすがに再現できないものの、我の激しい剣を、ドルギヌスはなんとか捌ききり、----跳んだ。
頭上を越えて身をひるがえす。それを目で追って、振り仰ぐ。
そこからついでのように繰り出された一撃を、軽く弾く。
そのまま背後に着地。
ばねを使った刹那も置かない斬撃。そう予見して我は身構える。
----かと思えば。
ドルギヌスはさらに跳ねた。
「!」
片足を地に着けた瞬間、もうそこにはいない。
旋回するように身を捻り、さらなる死角をとって右手に回る。
無理矢理に身を捩る。
危うく剣で受けた。
ぎりぎりだ。また器にひびを入れるわけにはいかない。加減は弁えている。しかしその分上手く力を入れられず、体勢が崩れて後ろに跳び退かざるをえなかった。
ドルギヌスは攻撃の手を休めない。
間を空けず追ってくる。
「昼間は出し惜しみでもしていたか。
この短時間で見違えるほどましになったな」
仮面の下でくぐもった声に、皮肉じみた笑みが混じる。
合わせて、刃が飛んだ。
下がりながら一手、弾く。
石の床を擦って踏み止まり、二手目を受け止める。
腰を据えて開いた両足が、力強く大地を捉える。
我は剣を振るってドルギヌスを押し返した。
しかしまたいない。
反動を利用して身を沈め、今度は地を滑るように刃の下を潜る。後ろへ回る。
見えていた。
そして勇者の技ならば、対応できる。
我は拍子を取るような無理のない足捌きで反転する。
まるで示し合わせていたかのような呼吸で、下から振り上げる剣撃を打ち落とす。
ドルギヌスは再び跳ねた。
空中で回転。
上から叩き下ろされる剣を、身を横に開いて紙一重、かわす。
着地と同時の胴を薙ぐ一閃は剣の根元で受け、下段にいなして反撃に転じた。
踏み出しての刺突。
その切っ先がドルギヌスの顔の横、憤怒の面を浅く掠めた。
ドルギヌス自身は体を真横に倒して、危うげなく回避する。
一瞬姿を見失うような柔軟さで、深く沈む。
そこからの地を浚う回し蹴りが、我の足を刈る。
「ッ!」
上体が揺らいだ。前にかけた重心を、後ろへ引き戻そうとした瞬間だった。
横倒しに倒れ掛かる。
ドルギヌスはもういない。完全に、背後を取られる。
なんとか片足をついて持ち堪えたものの----。
上段から振り下ろされる刃。
----見切る、
防戦からの切り替えの鮮やかさも、あやつの持ち味だ。
崩された姿勢から、我は剣を握り直した。
「はあああっ!」
「!」
狙いすましたドルギヌスの剣の腹に沿って滑らせるように刃を走らせ、斬線を体の外側に流す。
手首を返す。
仮面の顎を目掛けて、両手で握り締めた柄の尻を思い切り叩き付ける。
「ぐあっ……!」
面が飛んだ。
ドルギヌスがまともに仰け反って、たたらを踏む。
我は力の流れのまま持ち上がった剣で、がら空きの正面から畳み掛ける。
「っ!」
ドルギヌスはそのまま尻餅をついて刃を逃れた。
更なる追撃の剣をかわして石の床を横に転がり、間を空けてから後ろに跳躍。距離を取る。そこは数歩の隙間を挟んで城の壁を背負う、露台の縁。再びその縁に膝を折って着地する。そんなドルギヌスを見て、我は二度瞬きした。
ドルギヌスは肩を上下させる息を整えながら、打たれた顎に手を添える。その時やっと気が付いた。
仮面が、無い。
「!」
己の顔を何度も探る。
足下を見、それから見開かれた金の目が露台の床を走る。
その視線につられて、我もまた放物線を描いて飛んだ仮面を思い出し、振り返った。
仮面は城の内部へと続く出入り口の近くに転がっていた。
ちょうどミリリアとアルドが姿を現し、慌てて駆け込んできたところだった。
足下に落ちる、不自然に注目を集めたそれに目を留めて、小娘は首を傾げつつも何気なく拾い上げた。憤怒の形相を象った、木製の鬼の面。手の中にある物が何なのか、気付くが早いか----ミリリアだけではない、それまで傍観を決め込んでいた兵を含めた一同の視線が、素顔を晒した魔物の隊長に注がれた。
「み、見るな!」
ドルギヌスが戦いの最中にもかかわらず、全力で顔を背けて両腕で覆い隠す。
そう言われても、もう遅い。
我はもう、見てしまった。
少し前に突き出た鼻面。その先についた小振りな鼻。横にやや長く開いた口。その間から見え隠れする鋭い牙。ふさふさした頬毛に、ぴんと張った髭。
大きな傷があるわけでもない。妙に捩じれた形をしているわけでもない。
ドルギヌスの仮面の下にあった顔は、尖った耳や目、体の印象から連想するままの、なんというのか----ありきたりな獣のそれだった。猫か狐にでも似ている。いっそ愛くるしいとさえ言える顔立ちだ。隠す理由が分からない。
視界の端で、アルドが意地の悪い笑みを浮かべるのを見た。
興味津々に首を伸ばすミリリアの隙をついて、手の中にある面をかすめ取る。
そして、
「ツノ野郎」
我を呼んだ。
相変わらずの不愉快な呼び名だ。振り返る間もなく、アルドは面をこちらに向かって投げ寄越す。合わせた視線で意図は汲めた。
「待て! 止めろ!」
あやつも気付いたようだ。
あかしを燃やした時以上の切実さをもって叫び、手を伸ばす。縁にしゃがんでいたことさえ忘れたのか、ドルギヌスは半ばそこから転げ落ちる。
無視する。
我はこちらに向かって過たず放られた面を、両断した。
空中できれいに二つになる鬼の面。
軽い音をさせて、石の床に落ちる。
それを我は、さらに足を叩き付けて踏み砕いた。一度で納まらず、二度、三度。最後には力を込めて擦り付ける。足の下で木の面が切れ切れになった。もはや、跡形も無いほどに。
----うむ。いくらか満足だ。
悲嘆に暮れてそれを見詰めるドルギヌスが、力無くうつむいたかと思うと、静かに、そして重々しく、空いた拳を握りしめた。
「キサマぁ……」
怒りを燃やした金の眼差しが、地を這う唸りを上げて我を見上げる。
牙を剥くドルギヌスに向き直って、我は首を傾げた。
「なぜ隠す?
もったいない」
「だまれだまれだまれだまれ!
キサマに何が分かる!」
「!」
もはや隠す意味は無いと悟ったか、ドルギヌスは頭巾までもむしり取って、剣を片手に地を蹴った。刹那、間を詰める。持ち前の俊敏さを最大限引き出した、突撃だ。咄嗟の反応が遅れていたら、構える間もなく胴を真っ二つにされている。辛うじて受けた両の腕が痺れた。
何が気に触ったのか。ドルギヌスは形振り構わず耳にうるさい声でわめき散らす。
「魔族でありながら! こんなケモノじみた形をした私が、これまでずっと、どれだけ蔑まれてきたか! ほとんど魔力も持たず、どれだけ剣を磨こうと侮られ続けた!
その惨めさが! キサマに分かるのかッ!」
猛烈に剣を振るう。
激昂し、過分な力が加わっていると分かるのに、技は少しも鈍らない。前のような荒さが無い。勇者の技を持ってしても、それをなんとか捌くだけで精一杯だ。ドルギヌスの話を聞いてやる余裕など、無いのだが……。
----理解する。
魔物の、価値観。
あらゆる生物の中で最も優れていると自負する魔物は、他の生き物と一緒にされるのを嫌うのだ。魔物にとって獣と変わらぬ容姿というのは、他のどんな体の特徴より低く見られる。高い魔力は言うまでもなく、他に類を見ない容貌や特徴こそがもてはやされるのだろう。
それからすれば、ドルギヌスは確かに、普通の獣をそのまま二本足に立たせたような見てくれだ。ここで見た他の魔物はもう少しごてごてしていた----ように思う。つまりこやつは、魔物の基準からすると不細工なのだ。それだけで嘲笑の的となるほどに。
いくら腕を磨いて地位を高めようと、それは変えられない。
だから笑われる前に面で隠す。
あの面は、こやつにとって盾だった。
己の自尊心を守るための。
そんな魔物の価値基準など、知ったことではないが----。
それこそ、我には理解し難い感覚だ。
我は徐々に下がらされながら、合間になんとか声を絞り出す。
「……尻尾があるだけましだ」
「なんだと?」
「下らぬ。他人の目など、気にしなければいい」
「ッ! 黙れと言っているッ!」
ドルギヌスが吠えた。
いつの間にか、露台の縁にまで追い込まれていた。
大振りの一撃を、我は腰の下に石の硬さを感じ----受ける。重い衝撃が腕から肩、全身に伝わった。全体重を掛けて押し込まれ、体が沈む。合わせた刃が、目の前で耳障りな音を立て擦れる。
刃の向こう側に、鼻面に皺を寄せた金の瞳があった。
我は息を詰め、対峙する。
「だからキサマが嫌いなのだ。
キサマは弱いではないかっ。それなのに、どこまでも偉そうで、余裕ぶって。
見ているだけで、腹が立つ。
なんなのだ、いったい!」
ざらつく低い声が、苦渋を吐き出すように口の中で叫ぶ。
そんな事を言われても困る。そっくりそのまま、返してやりたい言葉だった。こっちに来てから、態度に文句ばかり言われている気がする。
支える刃が、小刻みに揺れる。
「勝てる見込みなど無かったはずだ。
今だって、追い込まれている。
なのに! 何故! まだ笑っていられる!」
眼前にある瞳の奥に、我は畏れの影を見た。追い詰められ、焦っているのは、むしろこやつの方であるかのように。
自覚する。
我は笑っていた。それも楽しげに。
至極、愉快な気分だった。
押し負ける。ドルギヌスの剣が振り抜かれる瞬間、我は体を横にずらした。多少体勢が崩れるのもかまわない。刃が右の腕を掠める。ドルギヌスの剣が石を強かに叩いて弾かれる音を聞く。その隙に、我はすばやく距離を取った。
腕を伝って、手の甲にまで血が流れた。
「----……」
これが、笑わずにいられるか?
息が、切れる。胸が激しく上下する。なによりもう、体力がついて行かない。顎から垂れる汗を袖で拭う。ドルギヌスが鋭く振り返った。あやつも叫び続けた分、呼吸を乱している。
楽しくて、仕方なかった。
本当に久方ぶりなのだ。
己よりも強い者と戦うのは。
その者を力を尽くして討ち倒す、そんな楽しみを味わうのは。
元の世界でそれをやろうとすれば、少なからず地形が変わる。故郷の天地を破壊してまで強者と戦いたいと願う程、我に争いを好む趣味はない。だからこそ、貴重だった。
汗で滑る柄を握り直し、呼吸に合わせてぶれる切っ先を上げて、
我は再び、剣を構える。
「おまえには、感謝している。
こちらに来られて、良かった」
堪えきれない微笑を、なんとか引っ込める。それにはまだ早い。
ドルギヌスが虚をつかれて、一寸目を丸くした。そして怪訝に我を見る。
広場を埋め尽くしていた白い煙は、晴れた。そこにぼつぼつと魔物の兵士が見える。ルートが杖を片手に見上げている。淡い光を放つ煙がなくなっても、それまでのように暗くはない。空の暗雲が、消えようとしていた。薄絹のような日の光を透かす程に。所々淡い青色が見えている。
これで、終わる。
ドルギヌスが奥歯を噛む。奴も気付いている。眼差しが、強く変わる。
構え直すが早いか、
「ほざけ!」
地を蹴った。
我はそれを、待ち構えて受ける。
それまでよりもさらに疾く、鋭い、渾身の突撃。
その力を全て乗せた、磨かれた一刀。
集中する。
描くのは、あの勇者が得意としていた技。
さて、あやつはなんと叫んでいたのだったか。
そう。
「必殺----」
我は小さく口にする。
構えた剣の先まで、我が身の一部のように感覚を研ぎ澄ませる。
その刀身が内から光を発し、刃自体が膨れ上がるように輝く。
一歩。
迫り来る魔物の隊長に向かい、足を踏み出した。
「一閃、袈裟十字斬り!」
空間に白い線を引く輝く刃が、
ドルギヌスの最後の一撃ごと、その勢いまでも打ち崩す。
その威力は格別だった。
我は止まらない。
率直過ぎる名の通り、さらに剣を振る。
斜めに走る斬線が二本。
ドルギヌスの体に刻まれた。
無名の剣が金属の鎧さえものともせず、斬撃を身の内にまで貫かせる。その鋭さは戻す刃で擦った石の床を、すっぱりと斬り裂くほど。
「……、……!」
二歩分駆け抜けた我の背後で、落ちた剣が音を立てる。
ドルギヌスが膝を付き、崩れる。
そんな物音に、我は振り返った。
その時----、
一筋の陽光が降り注いだ。
薄闇に慣れた目に少々染みる。手をかざして振り仰げば、散り散りに消えた雲が、朝日に淡く染められていた。なんとも美しい。爽快だ。
今度こそ、はっきりと、笑った。
「我の勝ちだ」
足下でドルギヌスが呻いて身を捩った。
まだ意識があったらしい。なかなかにしぶとい。初めてやった技だ。加減を違えたか。
うつ伏せに倒れた姿勢のまま、ドルギヌスは恐る恐る顔を上げ空を見た。そうして明るい日差しの下で目にして初めて、我はこやつの体毛が薄桃色をしていたのだと気付いた。魔物の隊長は差し込む光に眩しそうに目を細め、そして怯えるように背けた。
我はその様に首を傾げる。
周囲に目をやれば、そこにいる他の魔物共も光を恐れて身を縮め、また早々に屋内に避難している。まだ朝の弱々しい光だというのに、だ。どうやら我が考えていた以上に、魔物は太陽の光が苦手なようだった。人間が闇を嫌うくらいのものかと捉えていたが、ドルギヌスは光に痛みを感じるかのように己の身を庇おうとする。
しかし再び顔を地に伏せて、口の中で呻くのは、体を走る痛みや光への恐怖からではなさそうだ。敗北の、悔しさ。それが体の内から身を灼く。ドルギヌスは顔の横で握り締めた拳で大地を叩き、のろのろと隙間から視線を上げて我を睨んだ。当て付けのような眼差しだ。乱れた呼吸を繰り返す口から、言葉を絞り出す。
「キサマ……なんだ、今のは、いったい……」
「む? これか?」
我は光の消えた剣をちょっと持ち上げた。
実に良い気分だった。つるっと口を滑らせる。
「これは我が世界の人間の技術だ。我に敗れた勇者どもが使っていた。
幾度となく見せつけられ、またこの身に受けたものだが……。
見様見真似でも、できるものだな」
気功だか波動だかいうものを、手にした得物に注いで強度や威力を高め、また技として放出する。鍛錬を積んだ手練の使い手ならば、その斬撃を遠くに飛ばし、ありふれた木の棒を鋼の刃と同等の鋭さにすることさえできるという。
人間は時々、驚くような器用さを見せる。
こんなもの、幻獣は使わない。人間固有の技術だ。
見ただけの我に、その原理など知る由もない。
できるかどうかさえ危ぶんでいたが、なんとかなったようだ。
「我が世界の戦士はほとんどが身に付ける技術だが、この世界の人間は使わぬようだ。
これもこちらでは無いようだが、「必殺技」といって、強力な技に一つ一つ名を付ける習慣が----」
気が付くと、床のドルギヌスがぽかんと口を開けて我を見ていた。
む。調子に乗って、何か妙な事でも口走ったか。
分からない。が、まあいい。こやつ以外には恐らく聞こえていない。
我はドルギヌスをひと睨み、念の為、釘を差す。
するとドルギヌスは大きな瞳で瞬きしてから、顔をしかめた。床に垂れた細い尻尾が、石畳を撫でるようにくねる。
「----……奇妙な、奴だ……」
いくらか気の抜けた、ため息混じりの声音に聞こえた。言葉の途中で下を向き、腕の中に顔を隠してしまったので、力無く垂れる三角の耳以外はその表情が見えなかった。そうして声を出した途端、突き抜ける痛みに見舞われたか、ドルギヌスは再び呻いて背を丸めた。
そこに、頭上から声が降ってきた。
「無様だな。ドルギヌス」
聞き覚えのない声だった。嘲りを含む低く抑えた声。
我は顔を上げる。
青緑色の魚に似た姿の魔物が、朝焼けに染まる空を背景に浮かんでいた。
「レザ……クダ……」
声にはっとしたドルギヌスが頭を持ち上げる。痛みを堪えて肘を突き、無理にも上体を起こす。床に手を付いて体を支え、反対の手で血に染まる肩口を押さえる。三角の耳が神経質に上向き、立った。
苦々しく呼んだ名からすると、それが噂にあった副官だ。その魔物は魚だというのに空を飛んでいた。水の中にいるように、ふわふわと漂っている。
「あいつ、簀巻きにしてやったのに、もう抜け出したのか」
そう呟いたのはアルドだ。〈あかし〉を壊しに行ったドルギヌスの部屋で遭遇し、交戦したのか。レザクダは既に傷を負っていて、血の滲む腹に手を添えていた。高みからこの場を見渡して、最後に空を見上げると、忌々しく顔をしかめた。
「もうこの城に留まる意味は無い。
皆に伝えろ。全軍、撤退だ!」
広場に響き渡る声で号令を下す。
命令という許可を得た魔物の兵士共は、それを聞いた途端、我先にと正門に急いだ。目の前の人間も眼中にない。日頃の行いとはいえ、隊長であるはずのドルギヌスにさえ見向きもしない。それほどに、こやつらにとって太陽は恐怖なのだ。
その騒ぎは直ぐに城の内部にまで波及する。
閉ざされたままだった重い鉄扉に殺到すると、のろのろと持ち上がる扉に焦れて、隙間ができるなり一目散に逃げて行く。日が高く昇っても影の多い森に、退却するつもりなのだ。そんな魔物共を、広場にぽつんと残ったルートが、少々呆気にとられて見送った。
逃げ去る者に興味は無い。
レザクダが床に座り込むドルギヌスに目を戻した。
「この失態は貴方の責任だ。
勇者の出現と合わせて、そう報告させてもらう。
故国に帰ったところで、お前の居場所は無いものと思え」
「……言われるまでもない」
半ばうつむくドルギヌスは、レザクダと目を合わせようとしない。萎縮した態度は仮面が無いせいか。まるで立場が逆転している。レザクダが、ごみ溜めでも見るような眼差しでせせら笑う。
----水を差された気分だ。
我の頭上を素通りして交わされる会話。気に食わない。
我は魔物二人の間に割って入った。
高い位置にいるレザクダを、薄青の目を細めて睨み据える。手にした剣を持ち上げ、腕を伸ばして真っ直ぐに、その切っ先を魚の魔物に向ける。
レザクダは鼻を慣らして笑った。
「勇者か。
それを庇うのか?」
「帰ってズィーマとやらに伝えろ。
この世界を手にするのは我だ。おまえの座もいずれ貰い受ける。
首を洗って待っていろ、と」
レザクダの顔色が変わった。怒りに目付きが険しくなる。
「身の程知らずが。図に乗るな!
所詮お前は人間ごときに担ぎ上げられただけの存在だ。
精々、束の間の勝利に酔いしれるがいい!」
吐き捨てると、魚の副官は身をひるがえし城壁の向こう側へ飛び去っていった。その頃には、城の内部にいた魔物も退却したようだ。走り、また飛び去る魔物共の背中が遠ざかる。城に静けさが戻った。
「----……殺せ」
そこに、小さな呟きが落ちる。
我は声の主を見た。
背中を丸めたドルギヌスが、見えるようになった口元を刀傷の痛みに歪めながらも、ぎこちなく顔を上げて我を見る。長い尻尾が床を撫でて、その体に寄り添う。ぴんと張っていた両の耳が萎れて下を向く。
「さっさと殺せ」
そこだけは未だ力を残した金の瞳が、我の目を正面から見据えた。
我は無表情にそれを見下ろした。
「つまらぬ事を言うな」
さっと腰に剣を納める。
体ごと視線をそらせた我に、ドルギヌスはあの耳に障る低い声で唸るように言った。
「憐れみか。こうなっても私は誇り高き魔族だ。
妙な情けをかけられるくらいならば、この場で自害する」
「……」
----この我が、そんな生易しいことを言うと思ったとは。
我は口の端を吊り上げ、高みからドルギヌスを見下ろした。
これもしばらくぶりか。それは見る者を奈落へ突き落とす、冷酷な笑みだ。
「おまえは殺さぬ。
おまえは捕虜だ。
魔物の内情を、たっぷりと吐いてもらうぞ」
「……、……、……」
ドルギヌスが言葉を失った。顔色がみるみると青ざめる。短い毛に覆われていても、それがはっきりと分った。
それを見届けてから、我は尻尾を払って----そんな心持ちで、背を向けた。
そこにはシーカルド城がある。
暗雲の名残無く、すっかり晴れたまだ淡い空がどこまでも広がり、いくらか明るさを増した朝日に照らされて、高くそびえる二本の塔が影を引く。石造りの壁が薄い紅に染まる。
これはもう我が城。
ここが第一歩。
鼻から新鮮な空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
清々しい。
心地よかった。




