20話
サロンでの騒動から一時間後。
帝都宮殿の黒曜の謁見の間には、凍りつくような重苦しい空気が満ちていた。
玉座に座る皇帝フリードリヒは深く腕を組み、眉間に深い皺を刻んでいる。
その隣には皇太子ユリウスが、氷のように冷たい眼差しで床を見下ろしていた。
冷たい大理石に手をつき、がたがたと震えていたのは、第二皇女クラウディアと、共に連行されたエルトリア公国からの留学生たちだった。豪奢なドレスは乱れ、先ほどまでの傲慢な態度は見る影もない。
「……クラウディア。貴様、留学先で何をしていたのか、余に説明できるか?」
皇帝の地鳴りのような低く重い声が、広間に轟いた。
「ち、父上……! 誤解ですわ! わたくしはただ、帝国の皇女として他国の貴族たちと親睦を深めていただけです! すべてあの小国の成り上がり宰相が、わたくしを陥れるためにでっち上げた嘘ですの!」
クラウディアは必死に縋りつこうとするが、ユリウスが一歩進み出て、手元の書類の束を絨毯へ叩きつけた。
「でっち上げだと? 愚か者が。シルフィードの【万象の記録庫】が抽出した通信ログと銀行記録を、近衛情報部が照合した。一字一句、寸分の狂いもなく事実だったぞ」
ユリウスの冷徹な声が、逃げ道を容赦なく塞ぐ。
「エルトリアの高級宝飾店へ支払われた金貨十六万枚の領収書。試験官への贈賄の証拠。そして、帝国が極秘開発していた新式魔導機関の図面を横流しした売国契約書。貴様が親睦と称して行っていたのは、国家反逆罪そのものだ」
「ひっ……!?」
クラウディアの顔面が絶望で白く染まる。
そこへ、黒銀の長袍を纏ったシルフィードが静かに歩み出た。
「皇帝陛下。クラウディア皇女がエルトリアへ横流しした魔導図面ですが、先ほど【解析】で逆探知を行い、エルトリア公国側の保管庫の魔導結晶を遠隔消去いたしました。相手方の諜報網にも偽の欠陥図面を上書きしておきましたので、機密漏洩による被害は皆無です」
「……さすがだな、シルフィード」
皇帝は感嘆の息を吐き、改めてクラウディアを睨み据えた。
「クラウディア。本来ならば皇籍剥奪の上、永久幽閉に相当する大罪だ。……だが、シルフィードから寛大な処遇案が出されている」
「え……?」
顔を上げたクラウディアに、シルフィードが冷徹な事務官の顔で宣告した。
「不正に費消した留学費用、金貨二十万枚の即時全額返還。さらに、皇女としての特権および遊興費の向こう十年間の凍結。そして、貴女にはこれから帝都で設立される第一平民初等学校にて、無償奉仕の助教務係として勤務していただきます」
「へ……? へ、平民学校の……雑用係……!? 皇女たるこのわたくしが、泥臭い豚どもの世話をしろとおっしゃるの!?」
絶叫するクラウディアに、ユリウスが容赦なく言葉を叩きつけた。
「嫌なら今すぐ地下牢へ放り込み、極刑の沙汰を待つか? 貴様が豚と見下した民の税で贅沢を貪っていたのだ。民のために汗を流し、一から出直せ!」
ぐうの音も出なくなった第二皇女は、床に泣き崩れるしかなかった。
数ヶ月後。
帝都の外縁区に、真新しい白壁と温もりのある木造校舎が完成した。
没収された汚職資金とクラウディアへの返還請求金によって建てられた、『帝都第一公立初等学校』である。
開校日、校門の前には何百人もの平民や職人、そしてその子供たちが不安と期待を胸に詰めかけていた。
演壇に立ったのは、可憐な制服姿のセリアだった。
「皆さん、ようこそ! 今日からここでは、身分や家柄に関係なく、誰でも文字の読み書きと計算、生活に役立つ基礎魔導を学ぶことができます! 授業料は一切かかりません。分からないことがあれば、私や先生たちに何でも聞いてくださいね!」
セリアの春風のような笑顔と神聖魔力の温かな波動に包まれ、子供たちから「わぁっ!」と歓声が上がった。
親たちも「本当にタダで字を教えてくれるのか……!」「これで騙されずに商売ができる!」と涙を流して手を取り合っている。
校舎の裏手では、粗末なエプロンを着せられ、バケツとモップを持たされたクラウディアがぶつぶつと愚痴をこぼしていた。
「なんなのよ、この泥臭い仕事は……! わたくしが床掃除だなんて……!」
「クラウディアさん! 廊下の水拭きが終わったら、次は二階の窓拭きをお願いしますね!」
「ひぃっ!? は、はい、ただいま行きますわセリア様ぁぁっ!」
すっかりセリアの威光とシルフィードへの恐怖に調教された元皇女は、慌ててモップを握り直して走っていった。
校舎の屋上から、活気あふれるグラウンドと教室を見守る二つの影があった。
大宰相シルフィードと、皇太子ユリウスである。
「見事なものだな、シルフィード」
ユリウスが校庭で子供たちに囲まれて笑うセリアを見つめ、目を細めた。
「貴殿の作った図解ドリルと最適化カリキュラムのおかげで、子供たちが目を見張る速度で字を習得している。……文字が読める民が増えれば、産業の効率も跳ね上がり、魔導事故も激減する。クラウディアの処分も含め、すべて完璧に収まったな」
「教育は国家百年の計ですからね。……それに、民の中から既存の貴族を凌駕する本物の天才が現れれば、帝国はさらに強固になります」
シルフィードは淡々と答えながら、校舎の一室に視線を向けた。
そこでは、配られたドリルを夢中になって読み耽り、すでに基礎数式を独自に組み替え始めている、一人の平民の少年。トビーの姿があった。
(……原石は、至るところに眠っている。セリアが蒔いた学びの種が、どんな大樹に育つか……見ものだな)
平民に光をもたらした教育改革は、帝国の旧弊を根底から覆す、新たな奇跡の幕開けとなったのだった。




