一話 英雄の背信、神の土下座、そして理不尽なる夜会
プロローグ
背中に突き刺さった冷たい感触よりも、遅れてやってきた灼熱の痛みのほうが、思考を現実へと引き戻した。
「が、はっ……」
吐き出された鮮血が、黒焦げになった魔王の玉座を汚す。
眼前に倒れ伏す魔王は、すでに絶命していた。死力を尽くした決戦だった。全身の魔力回路を焼き切らんばかりに酷使し、千にも及ぶ迎撃術式を並列処理で編み上げ、魔王の絶対障壁を解析し、尽くして撃ち抜いた。その直後だった。
振り返る視界に映ったのは、黄金の聖剣を握りしめた男。
勇者、レオン。
「……レ、オン……? 何を……」
「すまないな、アレン」
レオンの顔には、魔王を討ち果たした安堵も、戦友への感謝もなかった。
そこにあったのは、どす黒く歪んだ劣等感と、冷酷な嘲笑だった。
「お前がいる限り、俺は真の英雄になれないんだよ。どの戦場でも、勝利の立役者はいつだって不敗の大魔術師アレン。誰も彼もがお前を称え、俺は神の剣を持たされただけの飾りだと陰口を叩かれた……魔王を倒した今、お前が生きて凱旋すれば、世界を救ったのはお前ということになる」
「そんな、くだらない嫉妬で……」
「くだらないだと? 俺は選ばれし勇者だぞ! 世界の頂点に立つべきは俺だ! ……安心しろ。お前の死は魔王との死闘の果てに散った気高き犠牲として、俺の栄光の礎にしてやるよ」
聖剣がさらに深く抉り込まれる。
傷口から聖なる光が逆流し、俺の魂そのものを焼き焦がしていく。
(……ああ、そうか。私は、こんな男のために、全てを捧げて戦ってきたのか)
視界が急速に暗転する。
薄れゆく意識の最後、不快な高笑いを上げるレオンの顔を、俺は網膜に焼き付けた。
許さない。
もし次があるのなら、お前が欲した栄光も、偽善も、その傲慢な首も、全てこの手で引き裂いてやる。
意識は、完全な暗闇へと落ちていった。
「本当に、申し訳ございませんでしたぁぁぁっ!!」
意識が浮上した瞬間、耳朶を打ったのは、どこか情けない絶叫と、鈍い打撃音だった。
目を開ける。
そこは上下左右の感覚すら曖昧な、純白の空間だった。
そして俺の目の前で、後光を背負った豪奢な法衣姿の美女――いや、その神々しいオーラからして、この世の最高神であろう存在が、床(らしき白い平面)に勢いよく額を叩きつけていた。
いわゆる、完全なる土下座である。
「……は?」
「アレン様! 本当に、本当に申し訳ございません! この世界を救うため、貴方様がどれほどの血を流し、知恵を絞り、献身してくださったか、私は天の座より具に見ておりました! それなのに……あのような下劣極まりない裏切りで命を落とさせてしまうなど、神として、世界の管理者として、弁解の余地もございません……!」
神は涙目で顔を上げると、両手を握りしめて激しく震わせていた。
「あの男……レオンに授けた勇者の加護が、あそこまで彼の傲慢と嫉妬を肥大化させるとは見抜けませんでした……! 今すぐ天罰の雷でも落として消し炭にしてやりたいところなのですが、愚かにも世界の民草があの男を唯一の救世主として崇め始めてしまい、信仰の理のせいで神の手からは直接裁けないのです……!」
あまりの勢いに、俺は呆気にとられそうになったが、思考を瞬時に立て直した。
前世で培った冷静さが、即座に状況を分析する。
「……なるほど。状況は理解した。神よ、頭を上げろ」
「は、はいっ……!」
「お前を責めるつもりはない。だが、私の怒りは収まっていないぞ。私はあいつに、己の犯した罪の重さを骨の髄まで思い知らせてやりたい」
神はコクコクと何度も頷き、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「もちろんです! 貴方様には、あのような結末で終わる筋合いなど微塵もありません。ですから、私にできる精一杯の償いをさせてください。貴方様の魂と記憶、そして前世で培った技術をそのままに、現世へと転生させます」
「転生……。だが、前世の私の強さは、偶然手に入れた解析と並列処理のシナジーによるものだ。肉体が変われば、魔力回路も変わる」
「ご安心ください。貴方様の類稀なる魂に刻まれた解析と並列処理の適性は、そのまま引き継がれます。そしてお詫びの特典として、これを貴方様に授けます」
神が掲げた手から、無数の金色の文字と幾何学模様が溢れ出し、俺の胸へと吸い込まれていく。
「それは万象の記録庫の閲覧権限。この世界の過去から現在に至るすべての事象、失われた古代魔導の英知、人々の行動や交わされた言葉のログ……そのすべてを閲覧・抽出できる権限です」
「……世界の全ログ、だと?」
俺の脳内で、スキルの歯車が噛み合う音がした。
世界に満ちる無制限の情報など、常人が触れれば一瞬で脳が焼き切れる毒でしかない。だが、
「膨大な記録を【並列処理】で選別し、【解析】で必要な真実だけを瞬時に引き出す……か」
「はい! 世界最高の頭脳を持つアレン様だからこそ、完全に使いこなせる権限です。あの偽りの英雄が隠蔽した悪事も、偽装した手柄も、貴方様の前では一切の嘘が通じません」
神は立ち上がり、慈愛と、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべて手をかざした。
「転生先は、現世でも屈指の権威を持つ名門公爵家。本来なら魂が摩耗して目を覚まさぬはずだった、若き当主の肉体をご用意いたしました。……さあ、アレン様。貴方様の正当なる報いと、偽善者への鉄槌を、思う存分下してきてください!」
視界が眩い光に包まれる。
落ちていく感覚の中、俺の意識は新たな肉体へと接続されていった。




