「天使【後編】」
すると雉姫の登場で、上空のヘリから傍観したままのネネボアが突如として声を荒げた。
『【夜薙】……! お前、なぜわたし達に歯向かう!』
雉姫の恐ろしく澄ました顔からは人の心が感じ取れない。透き通るだけ虚無だった。
不敵で底なし。そんなネネボアでさえ感情的にさせた。
『お前はわたし達〈エヴァンジェリン軍〉が檻から解放したんだ!』
【夜薙】改め雉姫は、スピーカーに対して随分と細やかな声で応えてあげた。
「なぜって、誰も助けてとは言ってないからです」
雉姫の冷たい表情からは何も伝わってこない。
自身の丈よりも長い日本刀を鞘に納めると、長すぎて帯刀できない刀を携えたままトラックの屋根から降りた。艶めかしい黒髪がなびいて美しい。
同じく黒髪のネネボアだったが美しさでなぜか負けた気持ちにさせられた。同じく汚れた罪人なのに。雉姫は清らかに澄んで見える。
可憐にツインテにして愛らしく装っても、雉姫の二つ結びにして下げた黒髪は清楚さと幼さの破壊力が強烈だった。自然と劣っていると錯覚させられる事が耐えがたい気持ちだ。その髪を引き千切ってやりたかった。
スピーカー越しに会話は続く。
『わたし達と交わる気は無いのね?』
ネネボアの不毛な問答に雉姫が呆れ顔で首を振った。
「わたし、格下には従いたくないんです」
『……っっ!』
雉姫も自分の方が優位だと認識してるようだった。ネネボアは憤慨した。どんなに力でねじ伏せて巻き付いても、するりと逃げられてしまう。締めごたえの無い奴だ。毒牙を浴びせてもけろりとしてる。
その涼しい顔に弾丸ぶち込んでやる!
『ドドゴリラ!』
ネネボアはコックピットで操縦するドドゴリラに命令を飛ばした。
ババババ……とローターの風を切る音がけたたましく聞こえる。巻き上げるような突風が辺りを吹き飛ばした。
機体には機銃ポッドやガトリング砲を装備した装甲ヘリ。
今しがた打ち込んだガトリング砲は、機体の左右に張り出した短翼に懸架したランチャーからだろう。
『ここで醜く肉塊になれ!』
砲身はすでに雉姫を捉えている。コックピットのドドゴリラが射撃の操縦桿を握った。
瞬間、ガガガガ……と機関銃が火を噴いて甲高い音が響く。
猛烈な弾丸の雨が降って来るが、雉姫は再び抜刀した日本刀で全ていなして弾き返した。
その超人的な動作にドドゴリラは前のめりになって驚いく。
「ミンチにならねぇ……。どんな動体視力だ」
その時、うずくまっていたペアが静かに立ち上がった。
どうやらか弱い女子とでも考えられているようだ。それに、あらゆる兵器を駆使すれば勝てると踏んでいるらしい。随分見くびられたものだ。科学に置き換わった世界は随分と人を驕らせる。
「……虎さん」
ペアに呼ばれた虎太郎は彼女の強気なつり目に気づいた。
いつも優しい彼女の気迫に一瞬だけぞくっと背筋が凍った。
「……なに?」
ペアは小さく応える。
「わたしも戦います……」
「おお……そうか」
力強い言葉がきけて安心したが荒々しく戦えるイメージが無い。あまり無理しちゃペアの清楚な天使のイメージが崩壊して堕天使になってしまわないかと心配だった。誰かの為に戦う事でダークサイドに堕ちると言うのは鉄板だ。
そんな不安気な虎太郎の手をペアは両手で包み込んだ――
――「……!」
誰も何も破壊しないで降り注ぐお日様のように温かい。優しい――
「彼らがカビが生えた伝説と蔑む『精霊族』の魔法を見せてあげまます」
瞬間ペアのネイティブ柄のパレオが翻りいつもは隠れてる足を露出。セピア色の長髪が風も無く浮いた。
ペアの全身を包み込む未知のエネルギーが、いくつもの星々のような光体のオーラとなった。
虎太郎は宇宙空間のような無重力の体感を覚えると、ペアが纏っていたオーラが自分の体も巻き込んで包みだしたのに気づく。
「……っ!」
「わたしの魔力を虎さんに渡します」
体力や精神力、それらを超越した全く新しい感覚のエネルギーはたちまち虎太郎に満ちていく。
ペアは目を閉じて集中しながら続ける。
「わたしの魔法は……『合体』――」
「が、合体……?」
不安そうにペアを覗き揉む虎太郎。
弾けそうな笑顔で虎太郎に返すペア。そして――
「一緒に戦いましょう? ――」
儚げに言葉を残してペアの姿は光と共に消えた。セピア色の少女が思い出だったかのように虎太郎の目の前で消滅した。
ペア――――――
心で叫んだ時には包まれてたペアの両手の温もりは全身へと巡った――
爆発的な力を胸の内で感じた。
その衝撃のせいなのか服が全て吹き飛んでしまい全裸になった錯覚。DNAの二重螺旋のような構造式が少女化した虎太郎の肉体を駆け巡る。
エネルギーがある一点で集約してるのがわかる。背中だ。自分の背中に未知の力を体感すると、やがて純白の羽毛のような寝心地のいいものに包まれる――
「……っ!」
束の間の事だった。
自分を包んでたものは背中に生えた大きな白い翼――
――それはペアの天使の羽であるがそれよりも大きくて、立派な骨格に鋭いシルエットを形成する真っ白な翼に成長してる。
体をまさぐったが全裸にはなってない。元のジャージにスカートをしっかり着用してる。あの脳内での不健全なイメージはなんだったのか。
「……ペアの翼か?」
キュートだったペアの羽とは別格だった。よく見れば美麗な白い羽が一枚一枚重なって四重構造。顔をうずめたくなるモフモフ感! 大きく広げた翼はこの空間を支配してしまうようで圧巻!
「「な、なんだああああああああああああ?」」
その神秘的で圧倒的な虎太郎の新しいフォルムに、ブラックと頬白は目をひん剥いて驚愕。
それが格下だと侮っていたペアの力だと理解するまでに時間がかかった。
「ど、どうすれば……」
突然頂いた立派な翼に戸惑う虎太郎。そりゃあ翼が欲しいと願ったことくらい何度もあるだろう。だがいざ背負った翼につい弱気になっていた。
――――大丈夫です。虎さん。
「っ!」
不意にペアの声がした。しかも自分の体の中で発せられてる。怖い!
――――わたしは今、魔力になってるから姿がありません。
「おれの中にいるの?」
――――そうですよ?
イヤだな。見た目は生まれ変わっても元クズ男。前世の記憶とか見ちゃだめだよ! 心の部屋に勝手に入るのは厳禁!
――――虎さん。翼を動かしてみてください。大丈夫! 自分の腕や足を動かす気持ちでやってみてください。
腕や足と同じ……? 確かにオレの背中から生えた翼だ。意識してみると翼が微妙に動く。重さは感じない。それこそ腕を持ち上げる感覚だ。
よし、これならできるかもしれない。
虎太郎に覚悟が決まった途端、翼がより一層羽根を広げて大きくなって周囲のヤクザ共が後ずさりした。
「何してるお前達!」
その不甲斐なさに頬白が怒声を上げる。
「戦え! 早く潰してしまえ!」
豪気な奴だ。人を超越した姿にも臆しないお前は魚のくせにさすがだよ!
子分達は「しかし……」と弱音を吐いて使い物に成らなそうだ。
「どけっ! この雑魚!」
頬白はそんな腰が引けた子分達をどついだ。お前らは熱湯風呂に突き落とされるのを待ってるリアクション芸人か? どいつもこいつも役立たずめ!
頬白は虎太郎と対峙した。
その姿、まさに天の使い。美しいじゃねぇの。一度天に召し損ねたゴミ人間が随分偉くなったもんだ。天使が堕天使になる事はあってもゴミ人間が天使になる事はない!
頬白は毛ほどにもビビってはいなかった。今一度どっちが格上か教えてやらなけりゃならない。取り立てに怯えていた日々を震えて思い出しやがれええええええ!
「こい! こたろ……」――
――――走って!
頬白が血走った魚相……いや、形相を虎太郎に向けた瞬間だった。
虎太郎の脳裏に響いたペアの声……。まるでもう一つの意識が虎太郎の肉体を動かす感覚だ。蹂躙ではなく魂の共存――
虎太郎はペアに促されるまま地面を軽く蹴ると、その姿は空間からふっと消滅した。
――? どう言う事だ? 頬白が目を疑う。
ゴミ人間に不釣り合いな大それた翼を持つ虎太郎の姿がどこにも捉えられん。
「消えた――」
頬白がぎょっと間抜け面を晒すと、すぐ近くの子分達が吹き飛ばされた――
「……っ?」
群を形成してた黒スーツのヤクザ集団が、あれよあれよと上空に突き飛ばされてるではないか。
そこを目にも捉えきれない光の筋が高速で移動してるのが辛うじて見えた。
虎太郎だ。大きな風切り羽が空を切って推進力を補助。爆発的で猛烈な速度を生み出して疾走してる。
瞬きも許されないスピードで走り抜ける虎太郎は、頬白が引き連れたヤクザの軍団に蛇行、突撃を繰り返して次々と吹き飛ばしていく。
「「「ぐあああああああ……っ!」」」
雑魚組員の断末魔だけが虚しく聞こえた。
飛ばないあの天の使いは風を纏って地上で暴れまわってる。牙を折られた鮫共は虎太郎の激突を受けてほぼほぼ壊滅。残る頬白に向かって直進し始めた。
「……っこのぉ!」
頬白は俊足で動く虎太郎を逃がさない。筋肉質な剛腕を振りかぶって拳を放った。
――だが、虎太郎が頬白の懐に到着する前に拳は空を切っただけ。
肝心の虎太郎の姿はまた影も形も無い。捉えきれん――
「どこ行ったこたろー!」
頬白は辺りを見回して虎太郎を探した。姿を消したゴキブリこそ最も平穏を脅かす。俺はこたろーにビビってるのか? ありえない。格下に気後れするなんて許されない!
すると、今度は上空で羽音がした。
バサッと広げた大きな翼の影が頬白の真下に落とされたのだ。
見上げれば空に華が咲いてる――いや、スカートを大胆に大輪咲かせた虎太郎が眼下にいる頬白を捉えていた。
宙で振り上げた片足が今にも裁きを下さんと構えているではないか――
「頬白――――」
「こたろ――――」
互いに睨み合う。
その幻想的な姿に雉姫は見惚れる様に眺めていた。
懐かしさを含む感情に高ぶりが昨日の出来事のような記憶を蘇らせる。
――しなるその脚、鞭の如し
「回し蹴り――――」
宙で大きく開脚してたわむ片足が弧を描いて空を切りつける。
「がっ……はっっ!」
頬白の首をから蹴りつけた時、バチンっと鞭を打ち付けたような打撃音が響いた。強靭な頬白の筋肉を切り裂いた遠心力。
気迫か、魔力か。ビリっとスタンガンをのような電流が肉体を走った。
だが女体化して体重が軽い今の虎太郎では頬白を一撃ではさすがに沈まない。
しかし電撃の追加効果でニ、三秒の隙が生じ身動きが取れない頬白に、立て続けに虎太郎は攻撃を続ける。
――その強靭な脚、神の鉄槌の如し
穿った片脚は天を貫く勢い。
「踵落とし――――」
気合と共に発声すると、鮫の背ビレのような頭を容赦なく粉砕してやった。
「だ、あああああぁぁぁぁっっ……!」
カッと目を見開く頬白。踵が捉えたのは頬白の悪意に染まった脳天。かち割ったのはお魚と共存して人の道を外した男の頭蓋。これは神に代わって天誅。
全体重を叩きつけられて衝撃が骨の髄まで伝わった。
「……っ」
白目を剥いて意識が飛びかけたその時、頬白は憤りと憎悪だけで地獄から這い戻ってきた。
まだ着地しきれてない無防備な虎太郎の両腕を掴みかかった。その執念たるや半魚人と言う名の妖怪だ。お前はこの世のものじゃねええええええ!
失神を免れた頬白は醜い顔面で虎太郎に迫ると恨めしく叫ぶ。
「こたろーのくせに生意気な……!」
苛めっ子か! 誰かの物はお前の物じゃねぇ。奪っていいわけが無い!
だけど……お前の魚成分だけはお前の物だよおおおおおおお!
頬白に体を押さえつけられてしかも接近された。モーションが著しく限定されて生まれたての翼で巨体の頬白ごと飛ぶのにはまだ不安もあった。
そこで今度は、頬白の脳天に振り下ろして浮いたままの片足を折り曲げて構えた。
――その貫く脚、槍の如し
膝を折り畳んでむっちり余分な肉が膨張した脚は、わずかな空間しかない頬白と虎太郎の間合いにぴったりと納まった。
二人の領域を分かつ脚の膝頭は上を向いてる。膝蹴りか? 頬白は警戒した。多彩な足技を使ってきやがる。まるでゲームだ。おれはサンドバック用のNPCか? 組み手か?
虎太郎の体は頬白ががっちり押さえて浮きもしない。ここから接近で有利な膝蹴りと言えどモーションは限定。かけれる体重も威力も知れてるだろう。これは殺し合いだ! 稽古じゃねぇ――
頬白が勝機を探ってる時だった。
「前蹴り――――」
虎太郎が叫ぶ――
ドンっと太鼓を鳴らしたみたいに空気が震えた。畳んで引き上げてた脚は前方で立ちはだかる頬白の腹部に射貫いたのだ。
「っおおぁぁぁぁ…………!」
もう片方の足で跳ねた事で頬白に飛び乗るように突き刺さった強烈な前蹴り。腹筋を破り内臓まで衝撃が貫通して臓物が口から飛びでそうだった。
また体重が乗っかり頬白はたまらず後退。虎太郎を手放してしまいそのまま遠くまで突き飛ばされてしまった。
「おえっ」と嗚咽が止まらない。生まれ持った大きな体は倒れることは無かったが前かがみになったまま頬白の動作が止まった。
頬白から解放され自由になった虎太郎はもう誰にも止められやしない。
今なら空をも飛べそう。そんな幻想が、夢が現実となった――
「と、飛んだ――」
ブラックは目を剥いて叫んだ。
立派な翼を持ちながら飛ぶ事を恐れてた虎太郎が跳躍――空を歩くように疾走し、そのまま翼を羽ばたかせると頬白目掛けて滑空してる――
風も光も切る天使の翼が駆動する。何もない空を蹴って滞空時間をうんと稼いだ。
前門の虎に後門の狼だ。陸に上がった魚ごときにもう勝機を見出させやしない。
散々馬鹿にして虐げて来たファンタジーの力を思い知りやがれっ。
――その膝蹴り、虎狼の牙の如く
「飛び膝蹴り――――!」
凄まじくエネルギッシュな発声は大気を振動させた。猛烈な気合を込めて猛虎が猛進するのは鮫野郎の猛烈にしゃくれた顎だ――
禍々しく纏うオーラの魔力が一体となり、破壊的に頬白の突き出た顎をえぐり取りに行く――
「くぅぅぅああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ……!」――
膝蹴りをダイレクトに顔面でキャッチする頬白の顔は歪んだ。空間が歪んでるせいか。次元がねじ曲がる威力か。いや違う、元から歪な魚相がさらに醜く歪んだ間違いなくお前の顔だ。
爆発的な脚力と魔力、そして推進力が作り上げた傑作の美蹴が尊大な象徴と言える顎を挫いた――
全てのエネルギーを纏う膝蹴りを真正面から受けた頬白はひとたまりも無く撃沈。
失神して抜け殻となった頬白の巨体はそのまま傍観してたブラックへ迫る。
「ん? んあああああ?」
気づいた時には遅い。巨大な肉塊が虎太郎の必殺技を受けて勢いが盛んなままブラックへ激突――
「だ……あああぁぁぁぁぁ……!」
鯛奈の真横を素通りして二人は道連れ。
勢い余った鮫は海上の船に身を乗り上げてしまう事があるようだ。
頬白と言う陸の暴れ者。こんな威勢のいい肉の塊を全身で受け止めたブラックも共に吹き飛んでしまい巨躯の下敷きとなった。
共倒れた二人は天を仰いできゅーと伸びてた。
美しく華麗な蹴りの応酬に雉姫はうっとりと呟く。
神へを称える脚、神域へ到達しうる芸術的な足技の数々。
「……エアロ様」
何かを確信したように雉姫は虎太郎を眺めた。
因縁を絶ち切る様に虎太郎が小悪党共を制圧すると辰美が叫ぶ。
「兄ちゃん! 上! 上!」
弟は上を促して指示して来る。
そうだ。上空にはまだ武装ヘリがギラリと兵器を抱えて待機しているのだ。
翼が無い事を呪っていたが、今の虎太郎ならば空よりも高く飛び上がりヘリとも戦えるだろう。
悪魔に魂を売ったあの蛇女にも天誅下してやる!
「どりゃあああああああ――」
虎太郎は跳躍した。空に階段があるが如く駆け上って、ネネボアへと迫った――
――――……だが、
「……あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
突如として虎太郎の体は失速した。
ふわりと軽かったのに飛ばない人間達と同じように重力を受けて地へと引き釣り戻された――
――ドシンっと大地に叩きつけられた虎太郎。
あっれぇえええええええ? なんで? 授けてくれた翼が言うことを聞かない!
すると、脱根の内で魔力の温もりを感じると脳裏でまたペアの声が響いた。
――――すみません、虎さん……。もう魔力切れです……
消えかける声と体を巡る魔力。
飛ぶ武装ヘリも落とす勢いだったのに、また空飛ぶことを夢見る少女に逆戻りだ。
ついでに天使の翼も光子となって虎太郎の背中から消えた。同時にどこからともなくペアが現れると地面に尻から着地。どうやら虎太郎から放り出されてしまったみたいだ。
「ごめんなさい……」
「え――――!」
強打した尻を摩りながらしょんぼりと謝るペア。君が謝る事ではないがもう少し夢を見させて欲しかったな。三分間だけですか? 魚よりも蛇を先に始末すべきだったと後悔する虎太郎。
そう言えばペアは『生まれつき魔力が少ない』って言ってたな。
夢に浮かれてたよ。パワーアップしたおれはてっきり無敵。魔力も『無限』だと軽率だったがどうやら『夢幻』だったようだ。
さて、夢のファンタジータイムも泡影となって消えたが敵の影は消えない。
ヘリのキャビンからは相変わらずネネボアが高みの見物して眺めている。突然翼が生えたり突然消えたりなんとも忙しい。夢だったとしてもうなされそうである。
ネネボアはヘッドセットのマイクに唇を近づけて囁く。
『あら? もう終わりなの虎太郎君……? 神々しくてかっこよかったのになぁ~』
挑発的な口調だった。さらに柴紺色の目が悪戯に虎太郎から〈ダンジョン亭〉へと向けられる。
『〈エヴァンジェリン軍〉は破壊の存在そのもの……。立ち上がるのならまとめて何もかも吹き飛ばしてあげるわ』
これが脅しではないから怖い。蛇のくせに天空からものを言いやがって偉そうに!
大地を這いずり回り塵を食べ続ける動物なのにこの蛇だけは別格である。逆に大地にひれ伏して塵と化しそうな虎太郎はネネボアを呪った。
「くそっ! どうすることもできねぇのかよ!」
ヘリに装備された兵器の類は〈ダンジョン亭〉に全て向いてる。宿内にはまだたくさんの客人を装った人々が残ったままだ。ズルをした天罰か? いや、それならあのテロリスト共はもっとどでかい罰を与えなけりゃ公平じゃないじゃないか!
手の届かない場所で牙を向けるヘリになす術がなく悲観してしまう。そもそも平等なんてものが無いのがこの異世界――〈カイン帝国〉なのだから。
『君達の『友情』も『歴史』も『命』も……『夢』諸共儚く砕け散るがいいわ……!』
シューとネネボアの噴気音だ。一際色の濃い殺意を剥き出しにして蛇が鳴いた――
虎太郎も辰美も、地上にいるみんなが目を閉じて身を縮めた。もう止められない。無残な肉塊になる少し先の未来から目を背けるようにだった。
ネネボアが「ふふふ」と愉快そうに笑った。恐怖で締め付けられる弱小動物が愛おしい。これからその命を踏みいじるのが狂おしい。でも楽しい。邪悪に口の端をつり上げて一思いに闇に飲み込まれる者達の面を瞬き許せず拝んでいた――
――その時、射撃桿を握っていたドドゴリラの手が止まった。
悲鳴に聞こえた高い音……眼下の哀れな子供達のものでは無かった。
虎太郎もぎゅっと閉じてた目を恐る恐る開けた。その『音』は地上の者達全てにも聞こえてた。どこか――歌声にも聞こえた。
ネネボア達も殺戮を制止したまま辺りを見渡した。いや違う。もっと遠く、もっと高くから……。
ネネボアの視線が夕暮れの空へと変えた。
やがて深い青みがかってくる暮れた空は、漆黒の闇夜への知らせのようだ。
寂しげな空からは風の音とは違う轟々と反響して騒がしかった。そして――
空を切って高速で飛来する強大な『何か』――
突然吹いた嵐――地上にいた虎太郎達は吹き飛ばされそうになって大地に張り付いた。
飛翔体は大きな皮膜の翼を鳥のように羽ばたかせて、武装ヘリの周囲をぐるんぐるんと旋回して飛び続けた。
「こ、こいつは……!」
ネネボアが震える声で漏らした声は怯えていた。
自然界の強風とは次元が違う。それをあの生物だけで起こしているのだ。
「な、何事だ……!」
巨躯を誇るドドゴリラもこれにはたまらず動揺を隠せないでいた。天空を自在に飛び回るあの飛翔体によって発生した烈風にヘリの操縦すらままならない。
ヘリはぐわんぐわんと揺れて大きく煽られた。
風圧の抵抗できないのはヘリだけではなく地上の虎太郎達もだ。
すでにあっけなく煽られて転倒してた辰美は、上空の巨大な生物に自分の目を疑った。天使が迎えに来たのではない。
「ドラゴン……!」
雄々しく吠えて空に轟く生物。風来の正体は辰美も直接邂逅したばかりの白い竜だった。この国にどれだけの種類がいるのかはわからない。だけど、辰美には一目でわかった。
「ソニア――――!」
さっき虎太郎が見せた大きな翼の比ではない。空を覆うが如の巨躯に皮膜の翼――雪のように純白だが温もりに満ちてた事を忘れない。
〈ウトウト湖〉でソニアが変身した――否、正体を見せた白いドラゴンだ。
来てくれたのか……。
辰美は嬉しそうに天を仰ぎ続けた。
虎太郎はそんな親し気にドラゴンを見つめる弟に目を丸くした。え? 友達なのあの竜? 異世界に来てドラゴンと友達になれただとおおおおお? 異世界に来て多くの敵ばかりと遭遇する虎太郎は弟の境遇が妬ましそうだった。
『何しにここへ来た……!』
ようやく捉えた飛翔体の姿にネネボアはぎりっと奥歯を噛んだ。
ドラゴンは八メートルほどの巨体に、隆々とした筋肉が盛り上がって逞しかった。
白い体躯には全身を覆う硬い鱗は爬虫類を思わせる。ワニに似た長い口には鋭い牙がずらにと並ぶ。そして牛のようにな幅の広い頭には太い角が伸びる。そう、人間体の時のソニア同様の形のだ――
予期しないドラゴンの降臨。ネネボア達は目を剥いて硬直した。体がまともに動かないのは目の前の巨大生物への恐怖。気づけば自分達が恐怖に歪んだ顔をしてるではないか。
ドラゴンは旋回を止めて上空の一点でホバリングした。蝙蝠のような皮膜の翼を巨躯を持ち上げて忙しそうに羽ばたいてる。
眼下を定めると、ドラゴンは大きな口を開けて吠えた。さっき遠くから聞こえた遠吠えと同じだ。
この距離では耳をつんざく咆哮だった。ネネボアはヘッドセットの上から耳を押さえて耐えた。
ビリッ、ビリっと衝撃と畏れがヘリから自身の脚を伝って全身へと走ってる。
自然界の生態系全てを崩しかねない暴力に満ち溢れた巨大生物。空を覆い尽くす巨躯。天高く見下すは遺伝子レベルで感じた事のない災害そのもの。
まさしく東洋圏で語られる神なる『龍』と違う、西洋の悪魔『竜』であった。
『撃て!』
ネネボアが命令を出すとドドゴリラともう一つの射撃手席の構成員が操縦桿を握った。
ガガガガ……と再びヘリの期待に搭載した機関銃が火を噴いて弾丸を連射した。
大抵のものは銃撃によって砕け散るのだが、鱗状の体表のドラゴンは銃弾を全て弾き飛ばして無傷であった。
「効かない……!」
ドドゴリラが弱音を吐いて集中砲火を止めた。
キャビン内の構成員の一人が呟いた。
「そう言えばドラゴンの鱗は鎧のように硬くて普通の武器では効かないってゲームで……」
「黙れ! ゲームだ!」
ファンタジー脳の部下を制してネネボアが叱咤する。
三十ミリ口径の機関銃だ。生き物ならばミンチにして鉄骨であっても粉砕する威力だぞ。
あらゆる修羅場を潜り抜けて来た武闘派組織のネネボアが挫けかけた。
ドラゴン――ソニアは上空で静かに辰美を眺めていた。
このヘリ、撃墜してもいい?
そんな言葉が聞こえてきた気がした。意思疎通ができるわけでもない。ドラゴンに変身してる間は人語さえ使えないソニアと辰美はテレパシーのようにリンクした――
とんでもなく物騒な相談であった。
だが蛇女のストーキングにはうんざりだ。それにみんなまとめて殺そうとする狼藉。許せる理由が見つからない。
辰美は考えを止めると力強く頷いて一言応えた。
「いい」
良い返事をもらったドラゴンの顔は口元を緩ませてとびきりの笑顔で返した気がする。
初めは最悪の出会いだった二人の関係に細やかな日差しが降り注いだ。
雪のように音もなく降り積もった後悔や憎悪を、少しずつ解かして消してくれる光に温もりを感じた。
ドラゴンはごつい手を掌握して拳を作った。
岩のような拳が振り上げらるとコックピットのドドゴリラの視線も天高くへ。
死線をくぐってきたテロ集団の野性的勘が教えてくれていた。
もう終わりだ。と――
ドラゴンの異常に発達した腕の筋肉は自然界においても不自然極まりない。それをただ力任せに振るった。
たったそれだけで風圧が発生してヘリのローターが狂い出す。
ネネボアはヘッドセットを頭から外して投げ捨てた。そして叫ぶ――
「脱出っ!」
絶叫して青ざめた搭乗員達の顔。ネネボアの号令で全員が機体から飛び降りる準備をした。
だが巨大な拳はプロペラをへし折って機体に到達。防弾装甲の強化ボディは何の意味もなく簡単に破られてしまった。
装甲板を破壊されて燃料がエンジンルームで漏洩した。高い濃度で混じった空気は僅かな火花であっても引火してしまう。
その火種は破損したローターヘッドに、複雑に取りつく配線が起こした火花だった。
ドンッ――――――!
全身を突き抜けて大気を振動させる爆音が響き、機体は引火爆発してしまった。
ロケット弾などの搭載した火薬も巻き込んでの大爆発。
強い衝撃を受けても押し潰れない硬い構造。防弾ガラス。空の戦車と言わしめる軍用ヘリが残骸となって辺りに飛び散った。
至近距離の爆破にも無傷なドラゴンは突に吠えた。野太い声は地鳴りを思わせる。大気が揺れるのを目視できそうだった。
空を覆う爆煙の中からネネボアとドドゴリラが吹き飛ばされるのを確認できた。
救済をもたらしてくれたドラゴンはまさに天の使いに見えた。
窮地を脱した虎太郎達は紙一重で天に召す寸前だった。
ドラゴンが巻き起こした嵐で瑠香も椎野もみんな転倒してた。
たくさんの武器を装備したヘリが手も足も出なかった。夢でも見てる光景。こんなに強いファンタジーの住人が科学に置き換わった世界で迫害されてる事が信じられない。
辰美が上空のソニアへ向けて呟いた。
「……サンキュー。ソニア」
すると、ドラゴンは両翼を大きく広げると再び空を独占した。自分の体程大きい皮膜の翼は大気をたっぷりと抱きしめ、一度羽ばたけばさっきの突風が再び巻き起こった。
続けて羽ばたくと災害レベルの風圧を思わせる旋風に乗って、ドラゴンの巨大な体がはるか天空まで登る。
一言も交わさずに行っちまうとはソニアらしい。辰美の元気な姿を見れて安心したか。
辰美は〈ハーレー・クイーン〉に復活できる。積もる話しは後でいいか……。
相してる内にぐんぐんと浮上してもはや人間の手も声も届かぬ場所にいた。
全員がしかめた顔を腕で隠して風を防いだ。
上空のドラゴンは忙しそうに上下に羽ばたかせてた翼を安定させながら、風に乗って滑空を始めた。
辰美達は大気を切る巨躯をどこまでも目で追いかけた。『ファンタジー』ではない『リアル』ということを目に焼き付けるように。
「みなさん!」
唐突にペアが声を張って注目を集めた。
ペイントされた顔は今しがたの爆発で煤まみれだった。ペアがとびきりの笑顔を向ける。
「一緒に戦ってくれてありがとうございます」
改めて礼を言われ照れ臭そうに気取る一同にペアが続ける。
「おかげで……『夢』は守られました!」――
夕陽に照らされセピアカラーの少女がより儚げに映える。
ペアは嬉しそうに告げると鼻の煤を手でごしごしと拭ってはにかんだ。鳶色の瞳が夕陽にキラキラ乱反射する。純白のキュートな背中の羽根は茜色に染まる。
天使のラッパの音は災いの終焉を知らせてくれた。
本日も読んで頂きありがとうございました!
第四話はこれにて終幕です。




