第27話 呪いの風
真壁 明
我が学園は、長く“スポーツ強豪校”として名を馳せてきた。
私自身、かつて甲子園の土を踏んだ身だ。
校長に就任してから十数年、野球部には人一倍の情熱を注いできた。
そして今年。
一年生は例年になく粒ぞろいで、優勝旗に手が届く——そう確信できる才能が揃っていた。
夕暮れのグラウンドを見下ろすたび、胸が熱くなった。
「今年こそ、本間君と頂点を——」
夢は、確かに現実になろうとしていた。
だからこそ、あの出来事が分岐点となった。
——棚橋修也が、空谷陸斗を階段から突き落とした。
そんな噂が、SNSを通じて一瞬で“事実”として拡散された。
自宅に戻ると、高校生の娘がスマートフォンを差し出し、不安そうに尋ねた。
「……お父さんの学校、大丈夫なの?」
画面に映し出されていたのは、目を覆いたくなるほど歪んだ言葉の洪水だった。
その多くが、棚橋修也に向けられたものだった。
——突き落とした?
私が受けていた報告とは、明らかに違う。
だが、あの時の私は——
SNSに、囚われてしまっていた。
世間の視線、学校への影響、立場としての責任。
それらを盾に、本間に厳しい言葉を向けてしまった。
数日後。
朝の光が、校舎の壁を冷たく灰に染めた。
校門前には報道陣が集まり、ざわめきとフラッシュが波のように押し寄せていた。
耳を刺すその音は、現実のものとは思えなかった。
——棚橋修也、岩谷優愛。
二名が、昨夜交番で亡くなった。
警察の説明は、頭を通り抜けていった。
ただひとつ、自分の中で繰り返される言葉があった。
——「全てを失う。覚悟しておけ。」
かつて吐き捨てたその言葉が、ブーメランのように胸に突き刺さった。
校長室へ戻ると、机の上に一通の茶封筒が置かれていた。
見覚えのある筆跡。
【真壁先輩へ】
震える手で封を切る。
一枚の紙に、滲んだ文字が並んでいた。
≪私の言葉が棚橋を壊したように、
あなたの言葉も、私を壊しました≫
その瞬間、足元から世界が崩れ落ちた。
急いで職員室の扉を開けたが、そこに本間の姿はなかった。
胸騒ぎに突き動かされ、私は走った。
辿り着いたのは、野球部室だった。
扉を開けた瞬間、時間が止まった。
差し込む光、宙に揺れる影。
そして、そこに昨夜まであった“気配”。
私はその場に立ち尽くし、崩れ落ちた。
——学生の頃。
白球がミットに吸い込まれた、あの日。
「ナイスピッチ」
そう言って笑い、ボールを投げ返してきた本間の姿が、鮮明に蘇る。
胸が、裂けるように…音を立てた。
夜。
事情聴取を終え、静まり返った校舎へ戻る。
机の上に置かれた手紙が、冷ややかに私を見上げていた。
そこに書かれた一文が、すべての答えだった。
窓ガラスに映る自分の顔は、
もはや“教育者”のものではなかった。
夜風が吹き込み、書類が静かに舞う。
私はゆっくりと歩き出し、屋上へ向かった。
一段ごとに響く靴音が、やけに大きく感じられる。
手すりに触れた指先に、冷たい感覚が伝わる。
背中を押す風。
スマートフォンが震え、妻の名前が浮かんだ。
その光だけが、かろうじて私を現実につなぎ止めていた。
——教育者として。
——先輩として。
——人として。
取り返しのつかない過ちを犯した。
悔いは祈りにもならなかった…
雲の切れ間から覗く月が、私を嘲笑うように薄く照らしていた。
汗で張り付いたシャツが私を止めたが、その重さすら、もはや意味を持たなかった。
ゆっくりと目を閉じた。
「和美。本間君にもっとビールを持ってきてくれ」
「本間さん。いつもごめんなさいね」
「いいんですよ。こちらこそいつもすみません」
「今年は優勝旗をプレゼントしてくれるんだ。
もっと飲めよ」
「これだけじゃ足りないですけどね」
「いつまで経っても生意気だな」
「本間さん。毎日この人にいい店に連れて行ってもらってくださいよ。」
「はい。そうします。でも、和美さんの料理が好きなので毎日通ってもいいですか?」
「この人をお願いしますね。」
「本間さん。来てたんだ。あとで英語教えてよ」
「おっ、真奈ちゃん。いいよ。一応英語の教師だからね。」
「ホントにお前は…」
目を開けると、街が光で呼吸をしていた。
「和美……真奈……すまない……」
その言葉は、夜に溶けて消えた。
翌日。
校舎の前と、野球部室の前には、白い花が静かに手向けられていた。
沢山の報道陣が風を引き連れて…
そして——
学園に吹いた風は、"呪いの風"へと姿を変えた…




