レオンとドンナー
「暇ね」
我知らずドンナーは呟いていた。
今日は事が少なかった。
ここのところは、新居をあれこれと整えたり来客を迎えたりで忙しかったのだが、昨日でそれがひと段落してしまった。家具は揃ったし召使たちも新たな仕事場に慣れたようで、あれこれ指図する必要がなくなってきた。手こずっていた馬車用の馬も、イオニア家を通したら簡単に手に入ってしまった。今ごろ庭の厩舎では、東方平原産の良馬が草を食んでいるはずだ。
都合の付く友人もひと通り招待してしまったので、しばらくは予定が無い。
「……旦那様は何をしているのかしら」
気が付けば、レオンナトスの私室へと足が向いていた。何かにつけて好意を告げられ、まるでお姫様のように扱われるので、まあ悪い気はしない。若い男にありがちな熱病のようなものかなと割り切りつつも、少しだけ気分は浮ついていた。
レオンナトスの私室につくと、扉を叩きながら無遠慮に開けた。
「あ、ドンナー。いらっしゃい」
何やら書き物をしていた夫は、顔を上げると笑顔で迎えてくれた。
「忙しかったかしら?」
そう言いながら机の上を見ると、どうやら手紙を書いていたようだ。宛先を見れば女の名前だった。それも「今までの親しいお付き合いに感謝を申し上げますが、今般婚姻をいたしましたことから、今後は手紙の回数も減ろうかと存じます」などと書いている。見ようによっては、恋人に別れを告げる手紙に見える。
「あんた、女がいたの?」
つっけんどんな言い方になった。
「姉さんが勝手にあちこちの貴族の娘と縁付けようとしていたんだ。僕としては友人づきあいのつもりだったけど、妻を迎えたから他の女性とやり取りするのは止めようと思って」
「ふーん」
なるべく興味なさそうに返事をしながら机の上を見ると、既に書き上げた手紙がいくつも置いてある。インクを乾かすために広げてあるから、内容は丸わかりだ。
「あんたも大変ね」
意味の無いことを呟きながら、何気なく盗み読んだ。確かにどれも硬く短い文章で、これからはやりとりが減ることを丁寧に伝えている。
そしてその横には、レオンナトスに宛てられた手紙が重ねられていた。きっとこれまでの手紙を確認していたのだろう。今度はそれらを盗み見ると、折り目正しく交際をしているらしい硬質な手紙から、明らか若い文体ではしゃいだ内容のものまで、色々だ。興隆するプルケラ家との縁を喜ぶ家もあったかもしれないし、レオンナトスに好意を抱いている女の子もいたかもしれない。
そんなことを考えつつ眺めていて、ひとつ気になったことがある。
「あんた、レオンって呼ばれてたの?」
「うん。親しい人からは」
手紙でそう書かれるくらいだから、きっと面と向かっても呼ばれていたのだろう。
「じゃあ、あたしもレオンって呼んでいい?」
「もちろん。……嬉しいな」
呼び方を変える。たったそれだけの事なのに、にこにこと笑っている。なんだ、こいつ本当に私のことが大好きじゃない。今から手紙で振られるであろう娘たちに対して、ちょっとした優越感を覚える。
「ちなみに今、手紙を書いている相手は、どんな娘?」
「この人は、貴族には珍しく料理が好きで、訪ねるたびに色々と振る舞ってくれたよ。とっても上手で美味しかった」
「……ふーん。ま、あたしには関係ないわね」
やっぱり興味ない風を装って冷たく応えた後、ドンナーは厨房に向かった。
あいつ、あたしのことが大好きなんだし、料理の一つも振る舞ってやったら大喜びするんじゃないかしら。ちょうど昼食も近いことだしね。
そんな悪戯心にも似た気持ちが湧いてきたのだ。
厨房に立った経験なんて無いけれど、料理が趣味という友達もいる。大した官職もなく出世の意欲も無い貴族の中には、そういう者が現れる。料理以外にも、詩作に励んでみたり鉄床にかじりついてみたりと、いろんな変人がいる。
料理などは、一般的ではないけれど、目を見張るほどに珍しいことでもない。きっと難しいものではないだろう。
そんな楽観で厨房に足を踏み入れると、さっそく料理番の召使が飛んできた。小太りの若い娘で、年齢の割に経験豊富で腕が立つ。騒がしいのが玉に瑕だが、ドンナーも人のことは言えないので、それくらいで咎めたりはしない。
「奥様! わざわざお越しいただかずとも、お呼びいただければ……」
「あんたに用があるわけじゃないの。ちょっと料理してみようと思ってね」
「えっ奥様がですか?」
「そうよ。愛する旦那のために、お昼のお食事を作ってあげようかなって」
「え? そ、それはなんて素晴らしいことでしょう!」
料理番が何やら嬉しそうに「仲睦まじい方々にお仕え出来て幸せです」とか言い出したので、「別にそんなもんじゃないわよ」と返して包丁を握ってみた。思ったよりも重くて大きい。
「奥様はご料理の経験が?」
「ないわよ」
「そ、それでは私めがお手伝いいたしましょうか?」
料理番と相談しながら結局は豚肉の蒸し焼きと牛肉の煮込みを作ることにした。どちらも帝国では一般的な料理だし、それほど難しくはない。豚肉は魚醤で味を付けて野菜や果物と一緒に柔らかく蒸せば完成だ。牛肉なんて他の具材と一緒に煮込むだけだ。失敗なんてするはずがない。
「そう思っていた時期が私にもあったんだけど……」
そもそも、肉や野菜を切り分けるだけでも難しかった。いくつか歪に切り分けたところで、料理番に包丁を取り上げられてしまった。そして彼女がきれいに下ごしらえをした食材を火にかけたのだが、こちらも見事にやらかした。
「失敗したわね」
火にかけ過ぎた豚肉は、水気と脂気の無い堅固な繊維の塊になっている。牛肉の煮込み汁は、拭きこぼしては水を足したせいで、味気の無い汁になってしまった。隣をじろりと見れば、同じ材料と同じ道具を使った料理番が、ぷるぷるの豚肉と香り芳しい牛肉汁を作り上げている。
「は、初めてにしては大変お上手かと……」
「何よ、いやみ?」
「いえいえ、まったくとっても滅相も無いでございます」
「これ、捨てといて」
ドンナーが怪作に見切りをつけると、料理番は困ったようにあわあわとしている。
「よ、よろしいのですか? 御夫君様への愛の証たるご料理ですのに」
「そんなんじゃないわよ。気まぐれでやってみただけなんだから。こんなの出されても、レオンも困っちゃうでしょ」
「いえいえ、そんなことはないですよ。愛する奥様の手料理となれば、きっと大喜びされますよ」
「ほんとにぃ?」
料理番に散々なだめすかされ、ほめそやされて、悩んだ挙句にドンナーは二つの膳を用意することにした。料理番と給仕係を連れてレオンの私室の目に立つと、化粧を確認して髪を整え、頬を軽く叩いてから扉を開いた。
「そろそろお昼だし、お仕事は切り上げたら?」
「あ、うん。そうしようかな」
レオンが机を片付けるうちに、卓が運び込まれは以前が進んでいく。しっとりと柔らかい豚肉や牛肉のスープのほか、パンや果物が並べられていく。そして食卓の隅に、見栄えの悪い皿がちょこんと置かれた。
「……それは?」
「なんでもないわよ。どこかのへなちょこ女が分不相応に頑張ったけど、分相応なものが出来上がっただけ。後で捨てておくから」
ドンナーの悪い癖が出た。時折、へそを曲げたようなことしか言えなくなってしまうのだ。
「……そういう言い方、可愛らしくて僕は好きだよ。でも、僕の妻をへなちょこ扱いするのは、許せないな」
そう言いながらドンナーが作ったみすぼらしい料理に手を伸ばすと、ためらうことなく口にした。
「まずいでしょ? 止めておきなよ」
「……そんなことないよ。とってもおいしい」
「嘘ついた」
「……上達する余地はあるかも。でも、ドンナーが僕のために作ってくれたんでしょ? 嬉しいな」
不味そうな料理をにこにこの顔で食べている。今までに見たことが無いくらいの笑顔だ。それを見ているうちにドンナーの頬も何故だか上気してきた。それを押し隠すようにわざとらしくしかめっ面をした。
「なによ、あんた。私のこと大好きじゃないの。困っちゃうわ」
「……妻ですから。愛していますよ、この世の誰よりも」
「……ほんと、困っちゃうわ。夕食にしておけばよかった」
「なんで?」
「だってほら、まだ日が高いから」
そっぽを向きながら、そんなことを呟いた。




