レオとドナ
秋の爽やかな陽光と心地よい風の下、イオニア家の庭園では屋外舞踏会が開かれていた。
楽団が軽快な楽曲を鳴らし、若い男女が華やいだ声を上げながら踊っている。彩り豊かな衣装をはためかせる姿は、整えられた庭木や草花と相まって、目にも楽しい。
「随分と賑やかね」
その会場でドンナーは座っていた。当主のニカルノほど豪奢な椅子ではないし、そもそもがいつもより形式と作法を重く見た会ではない。だが、それでも格の違う扱いである。
「皆がはしゃいでいるのを見るだけで、楽しくなっちゃうね」
隣では同じように腰かけたレオンが笑っている。
――レオンが笑顔だから、あたしはそれだけで楽しいわよ。
そんな言葉が頭をよぎったけれど、口にはしなかった。公衆の面前で言うのは恥ずかしいし、なにより負けたような気がしてしゃくだからだ。けれど、無駄な葛藤だと思い知らされる。
「それに、ドンナーが楽しそうだから、僕はそれだけで満足だよ」
先を越された。しかもなんの屈託もなく言われた。悔しいし頬が赤くなっている気がしたので、そっぽを向いて「あ、そ」と答えた。
こっちばっかり気にしたりドギマギしたり、バカらしくなっちゃうわ。
そんな八つ当たりのような甘えのような、嫌じゃないイライラがこみ上げてくる。それに、いい歳のおばさんが、小娘の初恋みたいに胸を高鳴らせているなんて、それだけで恥ずかしさがある。
なるべく不機嫌に見えるように顔をしかめていると、演奏がひと段落した。そして踊りの輪を抜けた幾人かが、こちらに歩いてきた。年若い少年少女たちだ。
最初に可憐な少女が声をかけてきた。
「ご無沙汰をしております。レオンナトス様におかれまして、ご機嫌麗しゅう……」
「……久しぶりだね。今日は肩肘張らずにいつもどおりで大丈夫だよ」
レオンが愛想よく答えると、少女は安心したように笑った。
「本当に? よかった、レオン君がイオニア家になったって聞いて驚いたけど、変わってないから安心したよ」
気安く話し出した。それを見て、遠巻きに様子を伺っていた同年代の子女たちがさらに集まってきて、次々と口を開いた。
「レオンがお高く留まってなくて安心したわ」
「……あはは、次までに偉そうな高笑いを練習しておくよ」
「元気そうでなによりだ。レオンが困ってないか心配してたんだぜ」
「……ありがと。今のところ元気いっぱいだし、楽しいよ」
「ね、ね、今度口利きをお願いしてもいい? イオニア家のレオンなら簡単でしょ?」
「……ええっと……今度ゆっくり話そうか」
「実は俺も婚約したんだ。今度レオンにも相手を紹介するよ」
「……ほんとに? おめでとう」
レオンも楽しそうに対応している。
そうよね。あの年ごろなら、家柄とか政局とかも関係なしに、気ままにおしゃべりできるわよね。
納得しながらもちょっとだけ腹立たしかった。自分以外と仲良く話すレオンにイライラしたし、よく知らぬ少女たちが気安くレオンに話しかけるのも嫌だった。
引き続きむくれたように顔をしかめていると、今度は大人の男女が何人かこちらに歩いてきた。
「ちっ」
思わず舌打ちが漏れた。かつての恋人が何人か混ざっているからだ。
彼らのうちの何人かとは付き合ったが、決して後ろ指を指されるものではない。交際の期間が重なることはなかったし、次の相手のために今の相手を袖にするということも無かった。間隔が短いことを非難する者もいるかもしれないが、ドンナーとしては誠実なものだったと考えている。
だけど、気になってしまう。昔の男をレオンに見られると思うだけで、言い様の無い焦りがじりじりと背中を焼く。ドンナーの不機嫌も意に介さず、彼らは親し気に話しかけてきた。
「よお、ドンナー。お前がイオニア家に入るだなんて、神が奇跡を起こしたかってくらいに驚いたぜ。どんな策略を使ったんだ?」
「別に。その場その場で流されて生きてたらこうなっただけ。踊りの輪に入ったら踊らなくちゃならないのよ」
ドンナーの投げ捨てるような物言いに、皆がげらげらと笑いだした。その雰囲気に、レオンの友人たちは少し引いたようにこちらを眺めている。
「それでこそ俺たちのドンナーだよ。四大貴族様だぞって気取られたら、やりにくくてしょうがないからな。ところでお相手は随分と若いけど、満足してるか? なんだった久しぶりに俺が……」
「気持ち悪いこと言わないでくれる? あたしは結婚してるのよ? それにあんたなんて全く好みじゃないわ」
追い払うようにしっしっと指先を振るが、しつこく食い下がられた。
「お前、筋肉の多い男が好きだっただろ?」
「それは昔の話でしょ」
「じゃあ今はどんな男が好きなんだ?」
「好きな男性ねえ……。偉ぶることなく物腰柔らかくて、でもいざというときは芯の強いところを見せてくれる人。それと、あたしのことを心から愛してくれること。……年の差は関係ないかもね」
答えながらレオンを見ると、にこりと笑ってくれた。惚気に気付いてくれたらしい。
「おやおや。お前のことはよく知っているつもりだったけど、半分しか知らなかったみたいだ。それも下側の」
「うるっさいわね。死ぬよりは臆病でいたほうがいいわよ」
じろりと睨みつけてやった。するとようやく一歩引いてくれたが、今度は別の女が横に立った。
そういえばこの女とは昔、男の取り合いをしたことがあったな。こんなところで嫌がらせをしようって肚かしら。汚いわぁ。
ドンナーが、なんでも言ってきなさいよという気合で女を睨むと、意地悪そうに笑った女はレオンを見た。
「旦那様もドンナーが妻じゃ大変でしょう? 恋人だっていたんじゃない? 本当はどんな女性が好みなの?」
こいつ!
レオンを攻めるのはやり過ぎだ。一線を越えた。ひっぱたいてやる。そんな思いでドンナーが腰を浮かした瞬間、さらに強烈な一撃がその場の全員を襲った。
「……僕の好みの女性ですか? ドンナーです」
レオンが飄々と答えたのだ。
あっさりと答えるレオンに、質問者は「そうじゃなくて、どういう女性が好きかってことですよ」と再び尋ねる。けれどレオンの答えは簡素なものだった。
「僕は、ドンナーが好きです」
きっとこちらをまっすぐに見ながら言っているんだろう。そう分かっていても、顔を上げられなかった。赤面している顔を見られたくなかったからだ。
「年かさの妻鳥は若鳥四十羽分の価値があるとは言うけど、ずいぶんと愛の技法が役に立ったみたいね」
「何とでも言いなさいよ。全く、うちの旦那ときたらしょうがないんだから」
「そんなに嫌なら別れたら? 離縁してもイオニア家の養子っていう立場は変わらないんでしょ?」
「はあ? 別れるわけないでしょ。あの人の妻にはあたししかいないし、あたしの旦那にはあの人しか考えられないんだから」
ドンナーが全力で惚気ると、さすがに周囲は少し引いてきた。そこへちょうどよく演奏が再開されたので「さ、あんたたち踊ってらっしゃい」と周囲を追い立てた。二人の周りからちらほらと人が減る中、ドンナーはレオンを見て言った。
「あたしのこと、もっと好きになったんじゃない?」
「……いいえ」
「あ、ふーん。そういうこと言うんだ」
「……ドンナーのことは、もうこれ以上に無いくらいに大好きだよ。そういう意味だからね」
「ふ……ふーん。そ、そういうこと……こういう所で言わないでよ」
どぎまぎとしてしまったので、恥ずかしさを紛らわせるために精一杯の抵抗をしてみた。
「こういうところって?」
「あたしのことが大好きなのは分かったけど、そういうのは二人っきりのときに言うべきじゃない? ほら、皆が見てるわよ」
「……皆に見せるためにやっているんだよ? 僕が愛する女性が誰なのか、どれほどに素敵な人か、皆に知ってもらいたいんだ」
「……あぅ」
完全にやり込められて言葉を失ったドンナーは、しばらく口をもごもごと動かしながら周りを見ていた。そして演奏に合わせて踊るレオンの友人たちを遠くに見ると、唐突に言った。
「あたしのことドナって呼んでいいよ」
「え? でもそれは大切な呼び方じゃ?」
「別に。それにあんたが大切じゃなかったら、他の何が大切だっていうの? あたしのこと分かってないの?」
「ごめんね」
「レオって呼んでいい?」
「もちろん。もしかして、特別な呼び方が欲しいって思った?」
「……うん」
結局ドナは真っ赤になった顔を覆って下を向くことになった。
こののち、激動の世界情勢の中、銀月帝国と東方五氏族同盟は消滅する。混迷を極める国際情勢のなか、ロクサーヌを失っていたイオニア家は、レオンナトスが長となる。年若く確たる後ろ盾も持たぬ少年が、魑魅魍魎が跋扈し騙し合いの横行する生き馬の目を抜くような混沌の海を、一族を守りながら進まねばならなくなったのだ。
卑怯にも騙されることもある。不意に攻められることもある。あるいは一族を守るために、日ごろの友情や交友に眼をそむけた決断を迫られることもある。それでもレオンナトスは、重要な約束事をするときには「愛する妻の名に誓って約す」という言葉を使った。
そしてこれを用いた時、その約束は必ず守られたのだった。
次話から本筋に戻ります。




