復讐するは我にあり
夜会の場から立ち去る道化師の後姿を見ながら、クロカゲは隣に座るニレハの腕に触れた。
「少しだけ、外しますね。すぐに戻ります」
「はい、承知いたしましたわ」
貴婦人のようなに気取った振舞いのニレハを置いて、広間を出た。
既に姿は見えない。
だがクロカゲの鋭敏な感覚は、道化師の気配を追っている。なんともか細く、ともすると見失ってしまいそうだ。
その気配は、とある一室に入ると、まるで待ち構えるようにそこに留まった。
部屋の前までゆっくりと歩くと、扉越しに中を伺った。室内にはたった一人の気配しかない。意を決して、扉を開いた。
そこにいたのは、先ほどまで夜会の広間を沸かせていた道化師だ。のんびりと長椅子に腰掛けながら窓外を眺めている。
その姿は、誰かに似ているような気がする。だが彼女がここにいるはずがない。呼吸を整えて目に力を込ると、錯覚を追い出した。
クロカゲが室内へ足を踏み入れると、道化師は無垢な笑みで振り返った。
「やあ、久しぶりだね、クロカゲ。逢いたかったよ」
「……ヘポヨッチ」
「そう、正しく余の名はヘポヨッチ」
そこにいたのは、七勇者が力を合わせて倒したはずの存在だ。
銀月帝国と東方平原が五万を超える兵を動員し、七勇者が死力を尽くし、クロカゲが不滅を奪い取り、ユユがとどめを刺した。
不死の魔王ヘポヨッチだ。
「何で……生きている?」
「うふ。なんでだろうねぇ」
顔が裂けたかのように、広く薄く口を開けて笑う。討伐戦の時に見た表情そのままだ。
「ところで君には、余の姿がどのように見えている?」
おどけたような仕草で立ち上がると、手のひらで自ら体をぺたりぺたりと撫で回す。
「ちょっとした工夫を加えた幻惑魔法を使っていてね。見る者が心から恋愛をしていたり、大切に思っていたり、強い親愛の情を抱いている者に似て見える。そんな幻術だ。君には、余が誰に見えている?」
答えるわけがない。弱点を晒すわけにはいかない。
「何で、生きている?!」
クロカゲの剣幕も気にせず、楽しそうに口をゆがめたヘポヨッチは、勿体つけるように口を開いた。
「なあに、簡単な答え合わせだ。余の二つ名を知っているかな?」
「不死の魔王……」
「正解」
わざとらしくぱちぱちと手を叩く。
「魔王職固有の技は不滅だが、余の二つ名は不死だ。この違いは何だろう? 分かるかい? え? まさか、分からないのかい?」
「不死と不滅の違い……だと?」
沸き上がる困惑の念を押さえつけ、クロカゲは必死に考えを巡らせた。が、わかるわけもない。
「百年に満たない生の人間ごときには理解が及ばぬか。ちなみに、余は魔王職に就く前は不死のヘポヨッチと呼ばれていた」
「ま、まさか……」
「そう、不滅は魔王職固有の技だ。だがそれとは別に、余は個人的に不死でもあるのだ。不滅を奪われても、不死が消えるわけではない。先の戦いでは、そもそも死んでいない……ってコトさ」
驚くクロカゲを見て、ヘポヨッチがにんまりと笑う。目を細めて口の端を持ち上げる表情から、心からの愉悦を覚えているのだと分かる。
「どうだ? 今、どんな気分だ? 人類が力を合わせ、勇者たちが集い、ようやく倒したと思っていた魔王が、生きていた。まったくの健在だ。今の気持ちを教えてくれないか? なあ、頼むよ」
喉の奥でクククと笑い、クロカゲの目を覗き込む。
長い戦いの果てに、ようやく倒したはずの魔王が生きていた。その絶望に、膝から崩れそうになる。
「クロカゲ、君は復讐をして回っているんだろう? 自分を殺した者たちへの復讐だ。ならば余も復讐を考えても良いんじゃないかな? 何せ君達に一度コロされたんだから、余の復讐こそは正義だろう?」
「仕返しを……しようというわけか?」
「そう、魔王からの復讐だよ」
ぞわりと肌が粟立った。
もし魔王が再び侵攻を開始したら、どうなるか。もう七勇者が力を合わせることはない。各国が協調して軍を起こすことも難しいだろう。現在の世界情勢は、魔王がいないという前提で形成されている。
終わりだ。
世界は破滅する。
クロカゲは短剣を取り出した。白刃が、月の光を受けて煌めく。
「おや? やる気か」
もう問答は終わりだ。今ここで、やるしかない。
クロカゲは狩人職の技である隠蔽で、気配を消した。
たとえ目視で捉えていたとしても、まるで空気にでもまぎれたかのように気配が希薄になる。ぼんやりと輪郭を知覚できたとしても、指先の動きや足運びなどは漠然としか見えないはずだ。
存在を曖昧模糊として、戦士の脚力で跳躍した。接近戦最強の職の力で疾駆すると、盗賊の技で短剣を振った。
勇者三人分の力を乗せて、魔王を討つ。その気合を乗せて魔王の首元を狙った。
魔王の華奢な顎と浮き出た鎖骨を間近に見た。その肌と刃の間の距離が、髪の毛一本ほどに迫ったところで、短剣がぴたりと止まった。
「おいおい、乱暴はよしたまえよ。こちらは元魔王とはいえ魔法使いの系統なのだから、物理の肉弾戦は不得手も不得手。大嫌いなのだよ」
ヘポヨッチの細い人差し指と親指が、短剣の切っ先を優しくつまんでいる。小指を立ててさえいる。
「おお、怖い怖い。危うく死ぬところだったじゃないか」
ヘポヨッチがふっと息を吹きかけると、鋼の短剣は一瞬で錆びつき、砂となって崩れていく。
武器を失ったクロカゲが急いで飛びのこうとするが、無造作に伸ばされた右手がクロカゲの首を掴み、その体を軽々と持ち上げた。
「ぐっ……」
「魔法を主体とする相手に接近戦を挑むのは実に理に適っている。おかげで余は一つも魔法を使えない。困ったなあ」
クロカゲを掴み上げたままのんびりと窓を開くと、おもむろに投擲した。
音を超える速さで窓から投げ飛ばされたクロカゲは、屋敷を飛び出し、皇城を越え、都市の城壁に激突した。
猛烈な破砕音が響き、大きく穴が開く。その中心には、まるで壁に咲く薔薇のような赤いしみがある。クロカゲだったものだ。
四肢が粉微塵になった直後から、魔王職の技である不滅が、猛烈な勢いでクロカゲの肉体を再構築していく。
「……くっ……そ……っ!」
血を吐きながら、必死に城壁の穴から這い出ようとする。が、いつの間にか隣にヘポヨッチが座っていた。
「君も随分強くなったようだけど、まだ足りないなあ」
慈愛に満ちた目でクロカゲを見つめ、優しく頭を撫でる。
「盗賊職を修め、魔王職と狩人職と戦士職を奪い、奪取に加えて不滅と神弓と必殺を手に入れた。だが、たったその程度で、このヘポヨッチに勝てるとでも? 余を倒すには、聖神か邪神でも連れてきてもらいたいものだ」
手遊びのように指先に闇魔法を練り上げ、弄んでは消している。その一つ一つが、クロカゲを殺すには十分な威力を持っている。
例え不滅があったとしても、殺され続けてしまえば勝ち目はない。百年間でも二百年間でも、十万回でも百万回でも、クロカゲを殺し続けることが出来る。
それが魔王ヘポヨッチだ。
「うふふ。それに、いくら強くなろうとも余の不死をどうにかしないと、無駄な努力になるだろうねえ。うふふふ」
心の底からの愉快を覚えているのだろう。その笑い声は無邪気で無垢だ。
「……それなら、不死も……奪取してやる」
「うむ、その心意気やよし。だが、無理だ。余は奪取の弱点を知っている」
「弱点……だって?」
「うむうむ。クロカゲ、君は余の手のひらの上にある物を奪取できるかな?」
そう言って、ヘポヨッチは左の手を開いて見せた。手のひらには何も乗っていない。
「どういう、ことだ?」
「そう言う事さ。盗賊職の奪取は、奪うべき対象を認識していなければ発動できない。つまり君は、どうして余が不死であるのかを理解し、その根源を突き止めなければ奪取できないというわけさ。別に不死という技を持っているわけではないのだからね」
ヘポヨッチは、余裕たっぷりに笑う。
「さて、クロカゲ。世間話はここまでにして、本題に入ろう。余は君に会うために舞踏会に出たのだけれど、色々と苦労をした。特に衣装を合法的に手に入れるのが大変だった。この幻術を使っているせいで、衣服を魔法で誤魔化すことが出来ないからね」
そう言って、身に着けている服を自慢げに見せつけてくる。
「そこまでして、わざわざ君に会いに来たのには理由がある。そう、二つほどお願いがあってね。聞いてくれるのなら、復讐を少ぅしだけ、お預けにしてもいいのだけれど、どうだろうか?」
「お願い……だと……?」
「そう。かわいい女の子を二人、助けてやってほしいのだ」




