魔法使いと幼馴染と憧れの舞踏会 ~偶然出会った彼は異国の王子様~⑥
「なんですか? なんなんですか、これ?」
サンが着ていたドレスはそのままに、汚れやほつれが消え去っている。色合いは蘇り、スカートのひだは一つ一つが美しく形を保っている。のみならず、金糸の刺繍が増え、銀糸の飾りが付いている。着ているだけで無限の活力が湧いてくるような錯覚さえある。
髪は半日以上ブラシをかけたように、艶やかに光を反射している。いつの間にか細やかに編み込まれ、真珠と宝石の髪飾りがその上に載っている。
首にかかる金の首飾りは、その重さから純金であると分かる。指輪には大きなルビーやサファイア、エメラルドが鎮座している。
どこからどう見ても、最上級の貴族の令嬢の着飾った姿だ。皇族と言っても通用する。
「せめてもの恩返しさ」
ヘポヨッチが指先をひょいと動かすと、地面から馬車が生えてきた。黒檀で作り上げたかのように美麗な黒い箱型で、十二頭の白馬が曳いている。
「さ、どうぞ」
そんな声が聞こえたかと思うと、気が付いた時には馬車に揺られていた。門内に乗り入れている馬車は少ないとはいえ、それでも列が出来るほどにはいる。
「恐れ敬え、矮小なる人間どもよ。本日の主役の登場だ。道を開けよ」
ヘポヨッチが居丈高に宣言すると、馬車の列が割れて、道が出来る。
「あの、それはちょっと困りますよう」
「人間なんて困らせておけばいいのさ」
「いえ、そういうことではなくてですね……」
イオニア邸の正面に乗り付けると、ぴたりと止まった。
「さ、お姫様。主役をかっさらうといいよ」
ヘポヨッチはサンの手を取って馬車から連れ出し、ぐいぐい進んでいく。居並ぶ貴族たちも、明らかに格の違う馬車とそこから降りてきたサン達を遠巻きに見ている。
それらを前に洟もひっかけずに振る舞うヘポヨッチは、どこか超然としている。
道化師だの魔法使いだのという人は、どこか考え方が違うのかしら。悪い人ではないんだけれど。
そんな風に考えながらも引っ張られていると、ふと、足が止まった。イオニア邸の大広間の前だ。
「さあ、麗しのお姫様。君はこのヘポヨッチの最推しの令嬢だ。矮小なる人間どもに、ガツンとかましてやるがよい」
いたずらっぽく笑いながら、サンの背を押す。
「うわっ、ちょ……」
流されるまま、押されるままに大広間に足を踏み入れてしまった。
広間の天井は高く、壁には大きな絵画がならび、向こう側が見えぬほどに人が溢れている。シャンデリアや燭台が全体を明るく照らし、観葉植物や生花が会場を彩り、活気に満ちている。
――これが、舞踏会。私、ついに来たんだわ。
こうして舞踏会の場に立った以上、礼節を守らなければいけない。
貴族の格は、家名で決まる。家ごとに許された振る舞いがある。与えられた権を越えるのは無礼であるし、特権を行使しなければ、それもまた失礼だ。
会場の入り口では貴族たちが帽子を取り、中に入っていく。
弱小規模の貴族は、壁沿いに立って様子を伺うことになる。次々と客が入るものだから、押し合いへし合いしている。足を踏まれた紳士が、若い貴族へすごむ場面も見られた。
中流貴族は中ほどまで進み、仲間を見つけて歓談などをしている。互いに近況を伝えあい、衣装を褒め合ったりしている。けれど友誼を深める者たちに混じって、「その長丈上着は以前にも見たが、よっぽどお気に入りなんだな」とか「素晴らしい伝統的上衣だ。時代遅れ過ぎて、逆に斬新じゃないか」といった皮肉の応酬がされてもいる。
そして大貴族たちは肩で風を切るように奥へ進むと、椅子に腰かけたニカルノへ挨拶をしている。さすがに四大貴族イオニア家の当主だ。周囲には帝都高等法院の最高評議員や枢機卿、元帥などが当たり前のように集っている。
サンは会場に入ると、まっすぐ奥へと進んだ。その美貌と抜きんでた品位に、誰もが目を奪われていく。サンを中心にざわめきが広がっていく。
「おい、あのご令嬢はだれだ?」
「知らん。お前、聞いてこいよ」
「いや、イオニア家の賓客なら馬鹿は出来んぞ」
「でも気になる」
そんな会話を耳にしながら、サンは微笑みを浮かべて会場を歩き、夜会の主の前に立った。ニカルノの取り巻きたちは、正体不明の客に戸惑った様子だが、椅子に座ったままのニカルノは、動揺を見せずに微笑んでいる。
「ごきげんよう、皆さま」
そっと片足を引いて腰を折る。その見事な所作に、周囲から「ほう」とため息が漏れる。四大貴族家の当主を相手に対等な礼を取ったのだけれども、咎める者はいない。皆が圧倒されている。
だがイオニア家の当主ともなれば、見かけだけでは押し切られない。艶のある髭をいじっていたニカルノは、笑みを浮かべたまま、力強い眼光でサンに尋ねた。
「娘の友人ですか? お名前を伺っても?」
ここでサンなどと名乗るわけにはいかない。正式な社交の場で名を問われたからには、本名を伝えるべきだ。
貴族の名に意味を持たせることが出来るのは、その実力が備わっているときだけなのだとサンは考えている。力も持たずに伝統だけで権威を主張し虚勢を張ることに、何の意味もない。ただの自己満足だ。力あるときは人々に施しを与え、しかし身を引くときに引いてこそ、貴族たる資格がある。
だけど今日だけは――今だけは家名を名乗ろう。
「アレクサンドラ・サロニコス・ペイライエウスと申します」
一瞬、咀嚼するように黙ったニカルノが、慌てて立ち上がった。
「ペイライエウス家のご令嬢で……」
「ええ。ご無沙汰しております、ニカルノ様」
最後に会ったのは、サンが五歳か六歳のころだろう。父がペイライエウス邸の所有権を手放す直前だ。
ニカルノが足元に跪いた。サンに当時の面影を見つけたらしい。周囲の大貴族たちも、それに倣う。
零落したとはいえ、名目の上ではペイライエウス家は四大貴族の筆頭だ。皇族以外は、どのような大貴族であっても頭を下げ、挨拶をする許しを請わねばならない。
――ペイライエウスは別格である。
ペイライエウス家が既に没落したとはいえ、貴族を自称する者であれば、誰もがその念を抱いている。
例えばイオニア家は、その源流は帝国東方に存在したイオニア王家にある。二百年ほど前にイオニア王国が帝国に併呑された後は、交易で財を成し戦争となれば真っ先に槍を取り、長い年月を経て今では押しも押されもせぬ帝国の重鎮となっている。
だがペイライエウス家は、そもそも銀月帝国創成期からの忠臣であった。領土が今より遥かに小さいころから、帝国南方に位置する軍港であり商港でもあるペイライエウス港を支配し、イオニア征伐やサツマ攻略戦、イオス王国との戦争や外交に大きく貢献した。ペイライエウスが無ければ、今日の帝国はない。そして皇族との婚姻を重ねもした腹心中の腹心である。帝国内の序列で言えば、皇族に次ぐ第二位である。
臣下の首座である。
「ご挨拶をさせていただいても?」
「ええ、どうぞ」
ニカルノの問いに、サンはスカートを持ち上げて答えた。ニカルノはその裾を恭しく持つと、儀礼上の接吻をした。ペイライエウス家の者の肌に直接触れるなど、イオニア家をもってしても恐れ多いことだ。
「サンドラ!」
声に振り向くと、チトスがいた。傍流とはいえ四大貴族ヴェスパシアス家に連なる家の当主だ。それにふさわしいきらびやかな衣装を纏っている。金糸をふんだんに使った上着の飾りが、特に見事だ。
「あら、チトス。その恰好、素敵ね」
サンが近寄ると、チトスは顔を真っ赤にしている。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。サンドラも、その、綺麗だな」
「ありがとう」
「……っ!」
微笑みかけると、チトスは顔を赤くしたまま横を向いてしまった。
「どうしたのかしら。変なチトスね」
首をかしげていると、足早にこちらに歩み寄る貴族のご令嬢が目に入った。ロクサーヌだ。
「貴女、待っていなさいって言ったでしょう!」
怒ったように顔を赤くして、足音荒く近寄って来る。引き連れた侍女たちは、手にドレスや靴、ティアラなどを抱えている。
「せっかく貴女に相応しい衣装を用意したっていうのに! 随分探したわよ!」
サンの間近に立ってしげしげとドレスを眺めると、うっとりとため息を吐いた。
「……それも無駄になったみたいね。でも、無駄になってよかったのかもしれないわ。そのドレス、とっても素敵だわ」
そう言って跪くと、サンの手を取り指先に接吻をした。
「それでこそ、アレクサンドラだわ。ペイライエウス家のご令嬢ですもの、そうでなくっちゃいけないわ」
頬を上気させ、潤んだ目で見つめて来る。
「ロクサーヌ……私のこと、覚えてたの? すっごく冷たくてあたりが厳しいから、てっきり忘れているんだと思ってたよ」
四大貴族家の子弟で年の近いサンやチトス、ロクサーヌは、顔を合わせることも多かった。けれどペイライエウス家が事実上消滅してからは、すっかり縁遠くなってしまった。だから先日再会したときには、きっと忘れられているんだろうなあと考えていたのだ。
「忘れられるわけ、ないじゃない! 貴女は自分の価値を分かっていない。あんなぽっと出の女の侍女だなんて、本当に役が不足している。許せない! 貴女にはもっと大きな価値があるの。もっともっと広い世界で活躍すべきだわ」
ロクサーヌは「ああ、本当に美しいわ」とサンの肌を指でなぞりながら、熱に浮かされたような瞳で熱く語りかけてくる。まるで崇拝する神に向けるような熱心さには、内心でちょっとたじろいだ。でも、嬉しくもある。
久しぶりに幼馴染の三人が揃った。そこへ一人の貴公子が近づいてくる。
クロカゲだ。
身に着けている衣服は、さっきと違う。衣装替えでもしたのだろうか。
でもサンが選んだ服を身にまとっている。少し大人しめの意匠だけれど、東方平原風の腕輪などが、気品高く調和を保っている。どこからどう見ても王子様だ。
「アレクサンドラお嬢様、よろしければ踊りのお相手をお願いできますか?」
「え?」
舞踏会の主催者はニカルノであるし、それに次ぐ立場にあるのは、娘であり初めて社交界に顔を出すロクサーヌだ。主賓のクロカゲがロクサーヌを差し置いてサンを踊りに誘うのは、ロクサーヌを蔑ろにしているともとられかねない。
けれど当のロクサーヌに気にした様子はない。むしろ何故か喜んでいる気配まである。
「本当は私がアレクサンドラの相手を務めたいところよ。今日こそ、自分が男じゃないことを恨めしく思ったことはないわ」
そう言ってロクサーヌは、サンの手を取ってクロカゲへと歩いた。彼の隣では、黒髪の絶世の美女が、少し悔しそうに唇を尖らせている。それを気にも留めることなく、サンの手を取り、熱く見つめて来る。
「とても美しいです。まるで神話の女神のように」
「え? ほんとですか? うっひひ」
思わずはしたない笑いが漏れたけれど、「やべやべ」と口元を引き締めた。
「こほん。ありがとうございます。王太子殿下も、とても素敵でいらっしゃいますわ」
ふと見ると、何やらチトスがぎりぎりと奥歯を噛んでいる。クルミでも齧っているのだろうか。食いしん坊だなあ。
この夜、サンは夢のような時間を過ごした。
そして次の日から、世にも恐ろしい魑魅魍魎たちに狙われることとなる。




