魔法使いと幼馴染と憧れの舞踏会 ~偶然出会った彼は異国の王子様~①
銀月帝国の帝都。
皇帝の居城と百万人の住民を擁する巨大都市で、政治、経済、文化、芸術、宗教の中心地。 それがサンの暮らす場所だ。
荘厳な皇城周辺の一等地には貴族街が広がっており、特に四大貴族が作り上げた広大にして豪華絢爛な邸宅は、帝国の繁栄をまざまざと見せつけている。その一つであるペイライエウス邸が、花も恥じらう十七歳の乙女を自称するサンの職場だ。
建国の忠臣として四大貴族に数えられていたペイライエウス家は既に没落しているので、伝統と豪華を象徴する屋敷の主人は、新興貴族プルケラ家の女当主マルケラに変わっていた。剛腕と辣腕でのし上がったマルケラ・プルケラ夫人の使用人として、大邸宅に住み込みで働いてもう一年が経とうとしている。
サンの朝は早い。
まず、壁の隙間から差し込む微かな光で目を覚ます。別に、明り取りの窓があるわけではない。ぼろっちいだけだ。
「おふぁようごじゃます……」
寝ぼけ眼をこすりつつ、物置の中に雑然と積まれたガラクタが崩れないよう気を付けながら、ちゃっちゃと寝床を片付ける。そう、物置で寝起きしているのである。それも、いくつもある物置の中でも一際みすぼらしい一棟だ。
手早く顔を洗って口をゆすぐと、髪に櫛を入れる。この父親譲りの赤みを帯びた金髪と、母そっくりなしっとりとした白い肌だけが、自分の外見で気に入っているところである。
それ以外は、低い鼻、そばかすの散った頬、つつましい胸などが並んでいる。そう、大したことのない見た目なのである。
分かっていても、一抹の寂しさとちょびっとの悔しさはある。今後に期待も出来るはずだけれど、ここ数年は何故か色々と成長が止まっている。何故だ、ちくしょう。
ひとしきり生まれの不幸を呪った後は、爽やかな明け方の陽光を浴びながら大邸宅に入る。由緒ある貴族の広大なお屋敷は、その規模の割に人は少なく静かだ。
まずは台所でかまどをかき回して、燃えさしに息を吹き入れる。そこへ乾かしておいた杉の葉や細い薪などを入れて火をよみがえらせる。炎が安定してきたところで、見計らったようにパン屋が配達に来た。
「おはようございます! いつもありがとうございますー」
サンがニコニコの笑顔であいさつすると、不愛想な配達のおじさんは「まいど、どうも」と少しだけ笑い返してくれる。最初は返事もくれなかったけれど、毎日、目一杯の挨拶をつづけた成果が出て来ている。ちょっと嬉しいかも。
そしてパンを蒸し器に入れて火にかける。毎朝焼き立てのパンが届くのだが、どうしても配達の途中で冷めてしまう。だから主人の食卓に並べる前に、ふっくらと温めなおすのだ。これを怠ると、厳しい折檻が待っているので気が抜けない。
屋敷の使用人たちも食事をするけれど、こちらは届いたパンをそのまま齧るので、山盛りにしておけばよい。温めなおさなくても十分に美味しいもんね。
その他、牛肉と野菜を香辛料で煮たスープや切り揃えた果物などを盛り付けて、主人の居室に向かう。
ここで間違っても正面の両開きの扉を使ってはいけない。使用人は居室の後部扉以外は使ってはならぬという伝統がある。
片開きの扉をノックしようとしたところで、突然内側から開かれた。ドアノブを握っていたのは掃除婦の女の子だ。思いつめた表情で、サンと入れ替わる様に足早に出て行ってしまった。気にはなったが、両手で朝食の盆を持っているので追うわけにもいかない。
「サンです、お食事をお持ちしました」
室内には、サンの主人である女性――マルケラ・プルケラ夫人がいた。長い赤髪を持つ若い女性で、サンが見てもドキッとするほどに豊満な体つきだ。それでいてお腹まわりなどは細く締まっているのが不思議でならない。その恵まれた体を無防備に寝椅子へと投げ出して、夜会服の商品案内を眺めている。
(新作のカタログかな。うわあ、気になる!)
ドレスに夜会、豪華な宝飾品。どれもサンの大好きなものだ。もちろん買うことも身に着けることも参加することも出来ないのだけれど、キラキラとしたものや綺麗なものは、見ているだけで心が躍る。嬉しくなってくる。楽しくなってくる。
だが今は、そんなわくわくを越える懸案事項が視界に入っている。
マルケラの横で、執事が屹立しながらこちらを見ているのだ。まるで、サンを待ち受けていたかのように。
(やめて、やめてよね!)
サンの願いも空しく、白髪交じりの紳士は丁寧に頭を下げると、嫌な知らせを投げてよこした。
「じつは掃除婦が一人、今日限りで暇をいただくこととなりまして……」
うげげ。
この十日で三人目だ。このプルケラ家はもともと従者や使用人の入れ替わりが激しいのだけれど、最近は辞める人が多すぎて欠員が埋まっていない。そのしわ寄せは、主にサンに回って来る。そもそもサンが朝食を用意しているのも、主人に愛想を尽かした料理人が出て行ってしまったからだ。
皇帝のように肉焼き専門の職人や葡萄酒専門の準備役、野菜に特化した調理師など食事だけで数百人の使用人を持つというのはなかなかに難しいけれど、それなりの貴族家であれば専属の料理人や給仕を幾人も雇っているものだ。
それをこの家ではサン一人がやっている。もちろん、それ以外の仕事も抱えている。これ以上は無理だ、断ろう。そう決心するも、主人は非情だった。早朝からたっぷりと紅を塗った唇から、艶のある声が漏れだす。
「その分の仕事、サンにやってもらおうと思うのよ。これは命令なんだけど、いいわよね?」
うひー。
どうしよう、一応抵抗してみようかな。
「あの、マルケラ様……」
その名を呼ばれた女主人の顔が憤怒にゆがむ。
(しまった、やばいっ!)
サンの主人であるマルケラ・プルケラ夫人は、本名で呼ばれることをひどく嫌う。本名が古臭くて嫌いとか、魔名で呼ばれると魔力が高まるとか、いろいろと理由はあるそうだ。
なので外では本名を使い、家中では避ける。そこに気を付けていたのだが、今はしくじった。
「……じゃなくて、メイプル様! 魔法使いの勇者として名高いメイプル・ハニートースト様!」
汗をかきながら慌てて必死に訂正すると、マルケラ・プルケラ夫人にして魔法使いの勇者であるメイプルは、わざとらしくにっこりと笑った。
「何かしら、私の可愛いサン?」
「えっとですね……私、もう料理と給仕と買い出しと経理に加えて、二人分の掃除をやっていまして……さらに増えるとなると……」
「とっても忙しくなるわね。頑張ってね」
女主人は、情けも容赦も無い自信満々の笑顔で言った。こうなったらもう、断れるわけがない。
「……はい、頑張ります」
「私もお手伝いいたしますので……」
執事の優しさが身に染みる。彼だって仕事が増えているに違いない。新たに割り当てられた掃除箇所を確認すると、くたびれたエプロンを着けて早速掃除を始めた。
台所の灰を始末して、数ある部屋にはたきをかけ、廊下を掃き清めていく。階段の手すりなどは厄介で、きつく絞った雑巾で拭いたあとに特製の油を塗り、さらにテカりが出るまで乾いた布でこするのだ。これがけっこう重労働で、思わずひいひいと悲鳴をあげてしまいそうになるけれど、そこをぐっとこらえるのが淑女だぞと自分に言い聞かせる。
「ひい、ひい……」
「お疲れ様です。大丈夫ですか?」
白目をむきながら必死に磨いていたら、いつの間にか執事が横に立っていた。ふさふさの眉毛が申し訳なさそうにゆがんでいる。
「サン嬢は仕事が速くて的確なので、つい頼ってしまいます。まだ奉公から一年ほどなのに、まるでこの家のことを隅から隅まで知っているようです」
「ま、任せてください。頑張ります。……お給金が上がると、もっと頑張れるかもですけど」
「そのあたりはマルケラ様……メイプル様に折を見てお話しておきます。ひとまずお礼に良い仕事をお持ちしまして……」
執事は懐から、紙の束を取り出した。
「メイプル様の弟様が社交界の初舞台を踏む時期が近いようでして、衣装の発注を考えていらっしゃいます。ついては商談の下準備のために織物商へ行かなくてはならないのですが、私は欠員の補充に忙しいもので、誰か代わりに……」
「行きます!」
サンはヒュパっと手を挙げた。
貴族が衣装を注文するとなれば、織物商や仕立屋を屋敷に呼び、見本を手元に打ち合わせるものだ。どの布を使うか、色はどうするか、襟の意匠と袖の柄は何にするか。そのためには、事前に打ち合わせをして、こういう見本を持参してほしいと伝えておく必要がある。
つまりお役目にかこつけて、織物商の見本布などが見放題だし、触り放題なのだ。以前から機会があれば頼み込んで、この手の仕事を斡旋してもらっていたから、執事としてもサンが喜ぶと思って持って来てくれたのだろう。
もちろん飛び上がって喜んだ。うひょー。
伝統の柄から最新の布まで、見て触ってほおずりできるのだ。こんなに楽しい仕事が他にあるだろうか。いや、ない。あってたまるか。
「行ってきますっ!」
執事から注文内容が縷々記載された紙束をひったくると、汚れたエプロンを放り出して駆け出した。
メイプルもといプルケラ家が懇意にしている織物商兼仕立屋は、貴族街に店を構えている。当然ながら庶民向けの小売りの店舗などではなく、上等な邸宅に見本の布を所狭しと並べた商談の場であり、常駐している経験豊富な裁縫師や糸商なども相談に乗ってくれる。
皇族や四大貴族が使うような超一流どころではないけれど、立派な高級店だ。
街路に面したガラス張りの飾り棚には、見本の布や刺繍、夜会服に帽子などが並んでいる。それらが目に入っただけで、ワクワクが止まらない。入口の扉も木彫りの彫刻とガラスで装飾されていて、とってもおしゃれだ。サンが近づいただけで、扉番の男性が恭しく開いてくれる。
「……こんにちは~」
高鳴る鼓動を抑えつつ、淑女を意識して努めて控えめに入店した。
広い店内には、何やら良い香りが漂っている。壁には商品の布が整然と並び、天所からは豪華なシャンデリアが下がり、床には一面の絨毯が敷かれている。これほど大きな敷物となれば、何人もの職人が数年をかけて作り上げるはずだ。家の二、三軒は建つ値段だろう。
お使いで何度か来店したことはあるけれど、いつも入った瞬間から圧倒される思いだ。
いくつか置かれているテーブルはほとんどが埋まっている。左の卓では髭のおじさん同士が布を並べて商談しているし、右の机ではレースの見本を見比べる女性客に対して裁縫師らしき若い男が一つ一つ丁寧に説明をしている。
奥の個室からは、上客のおじいさんが孫らしき娘を伴って出て来た。店員も含めて皆が笑顔なのは、良い取引が決まったのだろう。
そんな様子を何とはなしに見ていると、馴染みの店員が優しく微笑みながら近寄ってきた。
「プルケラ家のお客様ですね。本日はどういった御用でしょうか」
「魔法使いの勇者メイプル様ことマルケラ・プルケラ様が、弟様の社交界への準備を考えていまして……」
「男性用の衣装でございますね。いくつか見本をお持ちいたします」
そう言って奥に引っ込むと、すぐに見本用の端切れを山のように持って来てくれた。
「東方属領との交易が順調ですので、東から多くの商品が入ってきております。綿や毛ほど値段が下がってはいないのですが、絹織物は種類は驚くほど増えていますよ」
店員が少し自慢げに見本を広げていく。どれも素晴らしかった。美しい黒地に、草花が白や赤、緑で可憐に刺繍された生地。生き生きとした黄色と緑が層をつくる様に編み込まれた布。東方の神仏が微細に織り出された珠玉の逸品。
至福の時間だった。
何度か昇天しそうになったけれど、ぎりぎりのところで踏ん張って主人の意向や好みを伝えて候補を絞ると、何とか本商談の日付を取り付けた。ふう、致命傷で済んで助かったぜ。
店員さんが見本の布を片付ける様子を名残惜しんで見ていると、「実は古くなった見本布の束があるのですけれど、よろしかったら持って行かれますか?」と聞いてくれた。
「え……い、良いんですか? ぜひ!」
「ええ。交易が盛んになって商品が増えたおかげで、流行の移り変わりも早くなっていまして。一年前の意匠が、もう通用しないのです。処分品でよければ、差し上げますよ」
夢ではなかろうか。心臓が止まってしまわないように胸を叩くと、ちゃんと痛い。店員が笑いながら「どうぞお持ちください」と渡してくれた端切れ束を手にすると「いっひひひ」と笑いが漏れてしまう。店を出ようと扉に向かって歩いていると、ふわふわと地に着かない足がもつれて転んでしまった。
「うわらばっ!?」
つんのめって顔から着地するかというところで、ちょうど入店してきたお客さんが抱きとめてくれた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうございます、大変な失礼をば……」
恩人は若い男性だった。黒髪で素朴な顔立ちながら、気品を感じる。けれどどこか世間知らずな雰囲気もある。田舎の貴族の三男坊あたりかな。
「いえ、僕もちょっとよそ見しながら歩いていました。急に舞踏会に出ることになりまして、衣装を作りたいんですけど、こういう所はあまり来ないから、物珍しくって」
左右をきょろきょろと見ている。本当に不慣れな様子だ。受けた恩は必ず返せと父親からは口を酸っぱくして言われていた。低い鼻がさらに潰れてしまうところを助けてくれた恩人だ。力になろう。
「あの、衣装を注文されるのなら、お手伝いしましょうか? 私、こう見えてもけっこう詳しいんですよ」
「ありがとうございます。僕は、クロカゲと言います。先日、帝都に来たばかりなんです」
そう言って彼は優しく微笑んで手を差し出してきた。
というわけで魔法使いへ復讐をします。
章タイトルを「魔法使いへの復讐、○○からの復讐」にします。
なお章タイトルの後半はまだ伏字ですが、勿体つけているわけではなく、単にネタバレがひどいから一応隠しているだけでございますです。5章5話目くらいで出て来まする。章タイトルは簡潔な方が良いかなと思いつつ、一応リアルタイムで追ってくれている方のためにネタバレ回避のライブ感を優先してみました。




