蠢動する魑魅魍魎
銀月川を越えて、東方平原側に帝国の都市を建てる。
帝国からそんな要求を突きつけられており、更にはそれを受け入れる方向で検討が進んでいると知ったサーキは、主君に目通りを願った。サーキは帝国に対する外交政策の提言を許された役職に無い。明らかな僭越だ。
(だが、やむを得ない)
アイセンの執務室を訪れると、机上に地図を広げ、まさにその都市の建設について配下から意見を求めているところだった。入室するサーキを見つけたアイセンが、気安い口調で呼んだ。
「ちょうどいい。サーキ、お前の意見も聞かせてほしい」
「はい」
主人の下へと歩きながら、さりげなく室内に目を配る。地図を囲んでいるのはアイセンの腹心ばかりだ。外交官のゼ・ノパス、南方修好担当のヒモン、万騎将に上がったサンサ、他にジュチ族の正絹査官とフラグ族の将軍がいる。
だがその輪から一歩離れて、帝国の官吏がいる。形式上はアイセンに仕える文官だが、帝国が送り込んできた獅子身中の虫である。唾棄すべき相手からアイセンへと視線を戻して見ると、彼女はサーキを見つめていた。
「喉が渇いたな。ルキウス、すまないが何か取って来てくれないか」
アイセンが、サーキから目をそらさずに言った。心中をことごとく見抜かれているのか。サーキはわずかにぎくりとしたが、やましいことはないのだと自分に言い聞かせる。
帝国の官吏は「では白湯などをお持ちします」と言って退室していった。これで執務室には東方平原の民しかいない。
「僭越ながら、申し上げます」
サーキは卓上の地図や図面、計画書を指さして言った。
「これらを直ちに破棄していただきたいのです」
アイセンに驚いた様子はない。ゼ・ノパスらも静かに聞き入る様子だ。
想定が外れた。主君からは強い否が、側臣からは賛同があると思っていた。だがサーキはいささかも臆することなく弁舌を振るった。
そも、銀月川以東は遊牧民の支配する世界である。かつてこの地に帝国が侵攻を目論んだ例は、雨後に蝮が這い出るがごとく数多ある。その中には、当然ながら都市の建設や砦の構築といった企てもあった。そして我々東方平原の民は、そのことごとくを打ち破ってきた。
たしかに今は苦難の時である。魔王の出現と討伐戦、勇者の反乱、帝国の侵略と一時的な属国化。史上最も努力と忍耐を要するときである。しかしながら都市の建設という行為は、忍従できる一線を越えている。
そしてまた、歴史と感情を超えた部分でも受け入れがたいことである。銀月川を越えて、東方平原内に帝国の拠点が作られるということは、すなわち東方平原の危機である。侵攻の橋頭保が築かれるということであり、喉元に刃を突き付けられるようなものである。
断固拒否すべきである。
サーキの論を最後まで聞いたアイセンは、満面の笑みを浮かべた。
「サーキは学があり世才に優れ故事や典礼にも通じている。人柄にも秀でているし人望も厚い。一方で必要と考えれば諫言を恐れない。抜群に優れた器量だ。私は極めてよく信頼している」
「あ、ありがとうございます」
「さて、褒めた後には苦い言葉が続くものだが……」
ごくりと唾をのむサーキに、アイセンは笑いながら言った。
「お前は真面目過ぎる」
「は……」
意味が分からない。生真面目は美徳にも短所にもなるが、今のこの会話とどう結びつくのだろうか。
「お前の眼前にいるのは、天下の大悪党アイセン・カアンだ。邪知暴虐の徒だ。そんな私が、帝国の言葉に諾々と従うと思うか?」
「まったく思っていません。ですので、今回の件では僭越ながら進言させていただいたのですが、ではつまり……?」
「うむ、この黒い腹には案がある」
アイセンが下腹を叩いて笑った。邪悪な企みどころか贅肉の一つも見当たらない細身である。ゼ・ノパスならばともかく、あまり説得力のある腹ではない。
「今回、計画されている都市は、人口二万人規模で、四方を城壁と堀に囲まれた帝国式城塞都市だ。場所は、銀月川に架かる大橋からほど近い東方平原側。街道沿いでもある。さて、この都市が完成したとき、東方平原側にどのような影響が生じるか。ゼ・ノパス、経済の面から答えよ」
突然指名されたゼ・ノパスだが、よどみなくすらすらと答えを紡ぐ。
「経済においては得が多いでしょうな。周囲に農地を拓くとしても、すぐに二万人の食糧は賄えません。日用品も必要だ。それらが売れる。加えて、東西をつなぐ交易拠点が増えることになります。拠点の増加と安全の確保によって交易路が充実し、それが交易額に反映されるのは間違いないですな。もしかすると銀月川の水運利用も促進されるかもしれない。そうなれば南北の交易もますます盛んになるという算盤が立ちます」
アイセンは満足したようにうなずいた。
「ではヒモン、外交の面ではどうか」
「善きところが多いと思案しますぞ。これまでは帝都へ人を遣わすか、ジンドゥへ受け入れて交渉の席を整えることが多くございました。この町が出来れば、中間地点におあつらえ向きの席が出来上がりまする。色々と手間が省けることでございましょう。懸念すべきは帝国からの浸透工作でございますが、平原西側はシカ族とクォン族の地。先の紛争の影響から、容易には進まぬことでしょう」
こちらもさらりと答えて見せた。
「さて、良い面は聞けた。ではサンサ、軍事の面からはどうか」
アイセンの問いに、サンサは簡潔に答えた。
「最悪です」
そして机上の地図を示しながら説明を始めた。
「これまで東方五氏族同盟は、不断の努力によって銀月川の西側にさえ、砦などを築かせませんでした。これにより帝国は、より中央に近い位置に拠点を設け、大きな負担と危険を抱えて遠征をおこなう必要がありました。しかし状況は変わります」
地図上で、砦に見立てた石を川の横に置く。その周囲に、帝国軍を示す赤い陶片を置いていく。
「軍事拠点に活用できる街が出来れば、兵の移動や兵站の確保が容易になり、東方侵攻の難度は大きく下がります。そして、防御の拠点としても使われるでしょう。東方平原から帝国へ攻撃する際には大きな障害となります」
東方平原の軍勢を示す黒い陶片を押し進め、砦の手前で止める。
「そして先ほど話題に上がりましたが、銀月川の水運の利用も懸念点です。この新都市を盾として銀月川を帝国の支配下に置くことで、南北の属領などから兵を動員することができます」
北から白い陶片を運び、南から青い陶片を持ってくる。味方を示す黒い陶片は、すっかり囲まれてしまった。
「これは困ったぞ」
ちっとも困った風の無いアイセンが、顎に手を当てる。それを見透かしているゼ・ノパスが、丸い腹を揺すって笑った。
「もう結論が出ていらっしゃるんでしょう? 迷ったときは戦うべきだ。困難な道であっても臆さず進むべきだ。その信念が揺らいでいるようには見えませんからな」
「うん、そのとおりだ。私の信念を今更あれこれ語る必要はない。この都市は作らせる」
「しかし……!」
なおも言い募るサーキを、アイセンは手を上げて制した。
「確かに不利は多いし、感情的にも我慢はならん。だがここに都市が出来ると、戦略上、極めて有用だ。それを向こうから言い出してくれた。使わぬ手はない」
そして先ほどまでサンサが使っていた地図を指す。
「さて、この地図を見て、最初にどこへ目が行く?」
答えは、皆の視線が雄弁に物語っている。
「そう、この新都市だ。長大な銀月川は、長い国境線を形成している。大石橋こそあるものの、その他の場所でも渡河は不可能ではない。だがこの都市が出来ることで、侵攻の方策はここに絞られるだろう。各国、諸侯、諸将の目が、一点に集中する。戦略を練るうえで、これほどありがたいことはない」
敵の動向予測が、極めて簡単になる。その一点で、新都市を認める価値があるというのだ。
「もちろんこの都市を陥落させる手は、いくつか考えてある。惨たらしいものから、奇手奇策まで、一通りだ」
アイセンの言葉に、サーキは自らを恥じた。ここまでのことを考えたうえで、検討を重ね、結論を出しているに違いない。サーキの出る幕など、最初から無いのだ。
「とはいえ、サーキの反対はありがたい」
美貌の君主がにやりと笑う。邪悪というには美し過ぎるし、茶目っ気というにはあくどさが強い。
「ルキウス」
アイセンが呼ぶと、先ほど退出したはずの官吏が当然のように戻ってきた。水瓶や杯を持った者を連れているのが心憎い。外で様子をうかがっていたようでもあるし、頼まれごとを果たして、たった今、戻ってきたとも取れる。
「帝国への返答を口述する」
「はい」
返事をする手には、すでに筆記具が握られている。
「都市建設について認諾する。だが東方平原内には、本件に係る強力な反対派がいる。これを慰撫するためには、東方平原の負担を減ずる必要があるだろう。ついては都市建設の資金を当方に求めず、全て帝国で持ってもらいたい。もちろん相応の対価があれば、建設資材を売却することについての反対は出ないだろう。金さえ用意するならば、石材や木材、人手の確保は尽力させてもらう。加えて、交易施設の設置を必須の条件とすること。新都市の建設は、あくまでも両国の友好と通商の為なのだからな」
アイセンが「それで清書しろ」と言うと、帝国の官吏はすぐに退出した。が、すぐに戻ってきた。その取り澄ました顔には、隠しきれない緊張の気配がある。
「帝都からだそうです」
そう言って一枚の羊皮紙をアイセンに手渡した。一読したアイセンは、ほんの少し不愉快そうに眉を曲げた。
「新都市に関する追加の情報が届いた。町の名はカエリア。太守の名はカエリオン。元弓王妃である皇女ララが生んだ、カ・エルの遺児だ。まだ一歳だというのに、ずいぶん早く使ってきたな」
次話から第5章です。




