望みが断たれた勇者
ユユは馬車に揺られていた。
もう一年以上、帝国北方の魔王軍残党を駆逐して回っている。その生活には、剣を振るか、食事をするか、馬車に乗るかの三つしかない。
周りには少数の近侍兵がいるだけだ。皇帝が軍を率いて多数の魔獣を戦っており、ユユは皇帝の指示によりほぼ単騎で移動して強敵に当たるという戦法を採っている。
「ユユ様、もうすぐ町に近づきます。立ち寄ってお食事になさいますか?」
「いいよ、いつもどおり走りながら摂ろう」
皇帝の指示は、過密だった。
戦って移動して、戦って、食事をして、また移動して戦って、馬車に揺られながら少しの仮眠をとる。そしてまた戦って、戦う。
ユユには特に強力な魔獣の討伐命令が下される。ユユが遅れれば、それだけ人々が危険にさらされる。だから休むわけにはいかない。
今も帝国北方の都市タルペイアの要請で馬車を走らせている。もし町が襲われれば一万を超える人々が危地に立たされてしまう。
「お待たせいたしました」
「ありがとう」
食事が用意された。といっても、保存食を取り出すだけだ。大抵は、固く焼いたパンと乾燥果実、それと干し肉だ。時々は、巡った土地で手に入れた物が出ることもある。
今日は魚が出た。それも発酵させているのか、臭いが強い。
「これは北方の伝統食で、魚を熟成させたものです。クセは強いですが、北方民の活力の源だそうです」
「へえ」
パンに載せて齧ってみる。魚醤のような香りが鼻を抜け、口の中に濃厚なうま味が広がる。
「美味しいね!」
思わず声が漏れてしまった。
帝都にいるときには、こんなことはしない。誰も雑談には応えてはくれないからだ。だがこうして旅をしている間は、昔を思い出す。七勇者と旅をしていた時のことだ。気の置けない仲間たちと、気安い会話があった。楽しい時間だった。
特にクロカゲなどは、皇女という立場などを気にすることなく接してくれた。
――君がいたら、なんて言うだろう。
ついそんなことを考えてしまう。
沿岸の都市を訪れた時には生魚料理に舌鼓を打って互いに「美味しいね」と言い合った。東方の食材が手に入ったときには「これが東方平原の料理だよ」と言って自ら鍋を取り、振る舞ってくれたこともある。本当に楽しい時間だった。
そんな記憶の残滓が、ユユに何かを期待させた。
だが現実には、「お気に召しますれば、幸いでございます」と、折り目正しく頭を下げられただけであった。
些細な事だがユユは胸には、錆びた短剣で抉られたような痛みがあった。もう心を通わせた仲間はいないのだ。お前は一人なのだ。そう言われたような気がしてしまう。
けれど寂しさや悲しさを感じている暇などない。
「前方の林に小鬼がいます」
その声にユユは、大剣を掴んで馬車を飛び降りた。ユユが走れば馬より速い。たったの二歩で全速力に達すると、馬車を置き去りに林に飛び込んだ。木々の間に小鬼がちらほらといる。それらをさらりと斬り捨て奥へ進むと、びりっとした邪悪な魔力を感知した。小鬼の比ではない。
林を奥へと進むと、すぐに見つけた。多頭蛇だ。その周りを帝国槍兵たちが逃げ惑っている。
「やあっ!」
気合と共に跳躍し、多頭蛇を斬り払った。魔力を込めた一閃に、多頭蛇が消滅する。
「皆、もう大丈夫だよ!」
努めて明るい声で宣言した。皇女は泣かない。勇者はくじけない。くよくよと悩む姿を、みんなに見せるわけにはいかない。希望と笑顔を振りまく義務がある。
そしてみんなを守る使命がある。
ユユは多頭蛇の現れた先を見つめ、大剣を構えた。
小鬼だけなら群れていてもおかしくない。そこへ大鬼が混じるくらいのこともあるだろう。だが多頭蛇などは、絶対に交わらないはずだ。
魔獣は、種族が変われば生態も体躯も全てが違う。かつては魔王が、異形の大群を結び付けていた。魔獣の集団を維持するには、種族を越えて従属させるほどの圧倒的な存在が必要だ。ならばここにも、必ずいる。
ユユの視線の先に、可愛らしい幼女が現れた。まっすぐな金色の髪と白い肌を持つ、人形のような外見だ。くすん、くすんと悲しそうに涙を流しながら歩み寄って来る。街中で見かけたなら、もしかすると油断していたかもしれない。そんな愛らしさがある。
だが多頭蛇が残した瘴気をものともせず、小鬼の死骸を踏みつけながら、まっすぐに歩み寄って来る。
「……哀しい」
少女がぽつりとつぶやいた。
魔王にはかつて四人の名の知られた配下がいた。ある者は七勇者が討ち、ある者は魔王が討伐されると姿を消した。しかし今もしぶとく抵抗を続ける者がいた。
「魔王配下の四大悪魔の一人、落涙のアルフェルニュンフォムだね?」
ユユの問いに応えず。少女は涙をこぼし続けている。一見すると戦意が無いように見える。だが油断はできない。伝説上の存在である妖精人とも言われる強力な魔法使いだ。事実、多頭蛇を容易く使役していた。
「あたし、哀しいのよ。もう魔王はいないの。それだけで、この世界には存在する価値が無いって、そうは思わないかしら?」
アルフェルニュンフォムが、右手を腰に当て、左手を軽く持ち上げる。その手にはいつのまにか細剣が握られている。指揮棒の如く小気味よい拍子で振ると、その針のように尖った剣先から黄金の獅子が飛び出した。
「みんな、離れて!」
整然と走り去る帝国兵たちを横目に、ユユは迫りくる獅子に向けて剣を振った。だが刃は獅子の毛皮に弾かれて、通らない。獅子は軽く身を振っただけで、再び飛びかかって来る。
「それなら、こうだ!」
剣を地に突き立てると、素手で獅子の首を抱え込んだ。そのままぎりぎりと締め上げる。獅子の目は血走り、口からは泡を吹いている。それでも鋭い爪を振り回し、ユユの戒めを解こうともがいている。だがユユは、腕に込める力をさらに強くした。獅子の首の骨が、音を立てて砕け始める。
その時、アルフェルニュンフォムの細剣が再び振られた。
「クバンタ・ヘイルヤ・ナビルタイヤ、冥界におわす高貴にして邪悪なる御方々、命の水甕のお恵みを」
詠唱を終えると、アルフェルニュンフォムの嫋やかな足の下から膨大な水があふれだした。それも白く濁って悪臭を放つ、不快な濁流だ。可憐な少女は、洪水を生み出しながらも続けて呪文を使った。
「ブータ・ブータナ・ヘイレイタ、地を這う下賤な精霊ども、飄々と誄言せよ、疾く凍て謹め」
濁流が見る間に凍り付いていく。一面が白い世界に変わっていく。
「えいっ!」
ユユは力を込めて獅子の首をぼきりと砕くと、その巨体を投げ捨てた。そして素早く大剣を拾い上げると大木を半ばで切り倒し、倒木を足場に凍てつく濁流から離れた。だが水は意識を持った蛇のごとくユユに迫る。魔力を込めた剣で、水で出来た大蛇を払っていく。だが弾き飛ばされた水が、水しぶきとなってユユにまとわりつき、そのまま凍り付いていく。水の蛇を払うごとにユユに絡みつく氷は大きくなっていき、その身の自由を奪っていく。
「無敵の勇者でも、氷漬けにされたらお仕舞じゃないかしらって考えたのよ。中身が生きていようとも、出てこられなければ同じじゃない?」
見る間にユユの体は氷に覆われ、身動きが取れなくなった。そして氷はさらに厚さを増していき、城ほどの巨大な氷塊に成長していく。
「どうかしらね? 無敵の勇者はこれでも平気なのかしら。このまま死んでくれると嬉しいのだけれど……あら、ずいぶん早いじゃないの」
山ほどに成長した氷に、一筋の亀裂が入る。亀裂は瞬く間に数を増やし、氷が砕けていく。雪崩のように零れ落ちる大小の氷塊の中で、銀色の光がはじけ、ユユが飛び出した。
光の速さで飛来するユユの手には、聖剣が握られている。
ユユが突き出した大剣は、アルフェルニュンフォムの胸に吸い込まれていく。鋭利な切っ先が、少女の心臓を貫いた。
アルフェルニュンフォムは口から血を吐き、苦痛からかわずかに顔をしかめる。が、どこか諦観したように呆然と言った。
「……ああ、やっぱり負けるのね。でも、あたしには、お似合いの最期かも、しれないわ」
「もしかして、負けるつもりで挑んできたの?」
「当たり前、じゃないの。さっきも……言ったでしょ、魔王の……あいつのいない……生きていても……ヘ……」
そのままアルフェルニュンフォムは、くたりと倒れ込んできた。既に息はない。
「なんで、ただの悪者でいてくれないんだよう……」
アルフェルニュンフォムは、この少女は魔王に心酔していたのだろうか。強い愛情を抱いていたのだろうか。真実はもう分からない。
けれど、そこには強い絆があったのだろうと感じられた。それを壊したのは、他ならぬユユなのだろう。
「ただの邪悪な化け物でいてくれよう……」
ユユはぽろぽろと涙をこぼしていた。
――勇者が泣くわけにはいかない。皇女が折れるわけにはいかない。
目元をごしごしとぬぐうと、ユユは歩き出した。
「次、行かなくちゃ……」
戦いの日々は終わらない。ユユが助けなければならない人が、待っているのだ。戦って、戦って、戦い続けなければならない。勇者だから。皇女だから。人々を救い、希望をもたらすためにも。
だがユユ自身には、もう何の救いも残っていなかった。
あの、いつも誤字報告ありがとございます。すみませんです。




