盗賊の勇者クロカゲは弓王カ・エルを殺し、命を落とす
「くそ……っ!」
クロカゲは、悔しさに歯噛みをした。
ジンドゥの西側城壁の上からは、藩都から逃げ去る騎馬の軍勢がよく見えた。その中心にはカ・エルがいる。
だが追いかけることができない。
急所こそ守ったが、体中を矢に射抜かれ、手足は満足に動かない。傷口からは今も血が流れ出ている。僅かでも気を抜けば意識を失いそうだ。
実際に、先ほどまで前後不覚になっていた。意識を取り戻した時には、カ・エルは遁走しており、劇場の中に人の姿は無かった。街中では、東からアイセンの手勢が攻め寄せ、カ・エルに従う者たちは反対側へと逃げている。その人の流れから、西だろうと当たりをつけて城壁に登ったのだ。
「逃がすもんか。絶対に、殺してやる」
大勢の前で悪事を暴露した。自慢の弓を散々に撃ち破った。頼みの神弓を奪い去った。けれど、まだ足りない。奴を殺さずして、復讐は終わらない。失意のどん底にいるカ・エルの命を、絶対に奪ってやる。そんな狂気を孕んだ渇望が、クロカゲの中に渦巻いている。
しかしカ・エルは既にジンドゥを脱出しており、馬を駆って西へと逃げ出そうとしている。
一方のクロカゲは、受傷と失血で死に瀕している。こうしている間にも、腕を赤い雫が伝って落ちる。足元では、水音を鳴らすほどに血だまりが出来ている。
怪我さえなければ全速力の馬にも負けない脚力だが、今は立って歩くことすら覚束ない。そして手元には邪剣ベンズがあるのみだ。
(せめて弓があれば……)
そんな思いで今まさに逃げ去ろうとしているシカ族の軍勢を見下ろしていると、背後に人の気配があった。
「クロカゲ、生きていたのか?! ああ、よかった……!」
黒髪を振り乱して駆け寄ってくるのはアイセン・カアンだった。上半身に纏った鎧は首元から手首までを覆っており、鉄の脛当てまで着けるという普段の彼女の印象に合わない厳めしい格好だ。後ろにはサンサがぴたりと付いており、ゼ・ノパスも従っている。
ジンドゥの外で大軍に守られているはずの彼女がなぜここにいるのかという疑問はあったが、クロカゲの目はサンサに奪われた。正確には、サンサが持つ弓にだ。
「……その弓を、貸してください」
「傷の手当が先だ。そのままでは、死んでしまう」
痛ましげな顔でアイセンが手を差し伸べてくる。その手を振り払って、クロカゲはサンサに手を伸ばした。
「このままじゃ、カ・エルに逃げられる。弓を……!」
クロカゲがまっすぐにサンサと弓を見つめると、サンサはクロカゲを見て、その後に横へ視線を向けた。クロカゲの横でアイセンが頷く気配があり、サンサは黙って弓と矢を差し出してくれた。
それを受け取ると、邪剣ベンズは足元に放り出し、引きずるように体を胸壁の狭間に乗せ、矢をつがえた。視線の先では、シカ族の軍勢が陣容を整えようとしている。ジンドゥの西側に配されたアイセン軍の別動隊と遭遇し、一戦を覚悟したようだ。豆粒のように小さい騎馬兵が必死に駆け回っている様子が見える。
「本当にあそこカ・エルがいるのか? 俺には分からん。それに、あんな遠くまで矢が届くわけがないだろう」
ゼ・ノパスが目を細めて遠くに霞む軍勢を見ながら、いら立ったようにこぼす。
それを無視して、クロカゲは弓を弾き絞った。サンサの弓は、強弓というわけではないが、それでも目一杯に引くとなると力が要る。腕や胸の傷口から血が吹きこぼれる。
「クロカゲ、無茶をしなくてもいい。西側にも兵を置いてある。討伐隊も既にジンドゥに入っている。君がここで命を削らなくても、カ・エルは私が必ず討つ」
アイセンが顔を寄せて静かに語りかけてくる。それを一瞥もせず、クロカゲは言った。
「それじゃ駄目だ。あいつは僕がやる。この一矢で命を絶つ。そうすることで、この復讐は完成する!」
引き絞った弦のキリキリという音を聞きながら、目を凝らした。クロカゲには、カ・エルが見える。
馬上のカ・エルは、満身創痍だ。左腕はだらんと垂れて動く様子はない。手綱を握る右腕も、大きく切り裂かれている。もう弓も槍も持てないだろう。それでも声を嗄らして兵を叱咤している。
まだ、足掻いているのか。まだ、自らの栄誉のために人を殺そうとしているのか。そんな生き方、僕は認めない。終わらせてやる。
「死ね」
クロカゲが呟くと、その殺意を感じ取ったかのように、カ・エルがこちらを見る。常人であれば人の区別もつかぬ程に遠く離れているが、確かに二人の目が合った。その瞬間、クロカゲは矢を放った。
風を切って矢が飛んでいく。その矢は、高度を落とすことなく、速度を落とすことなく、飛び続けた。そしてシカ族の軍勢の上空にたどり着くと、カ・エルのいる方向に軌道を変えた。
カ・エルが驚愕の表情を浮かべる。その額に、矢が突き立つ。するとカ・エルは、一度、左右に体を揺らすと、ゆっくりと馬からずり落ちていった。絶命していることは、近くに寄って確認しなくても分かる。
間を置かず、アイセンの軍勢がシカ族へと襲い掛かった。初手から重騎兵が突撃し、草を薙ぐようにシカ族を駆逐していく。
それを遠くに眺めながら、クロカゲは満足感を胸に、弓を取り落とした。もう体を支える力は残っていない。胸壁から降りると、そのままうずくまった。
「今のは、神弓か……?!」
ゼ・ノパスが戦慄きながら問いかけてくる。答える必要も気力もない。そのまま黙っていると、ゼ・ノパスは邪剣ベンズを拾い上げた。
「何を考えている、ゼ・ノパス」
アイセンが鋭く問うと、ゼ・ノパスは躊躇う事無く言った。
「クロカゲは、殺すべきです」
呪われた短剣を握りしめながらの主張に、アイセンとサンサは静かに聞き入っている。
(ああ、やっぱり……)
クロカゲは内心で呟いた。諦めと怒りのない交ぜになった感情が沸き起こるが、黙して目の前の会話に耳を傾けた。
ゼ・ノパスは前のめりに話し出す。
「今なら、帝国の考えが完全に理解できます。そもそも勇者など、毛ほども信用してはならんのです。特にこいつは、強すぎる。奪い取った神弓まで使ったんです。第二のカ・エルどころではない。必ず、もっと始末が悪くなる。それならば、この場で将来の危険を摘み取るべきです」
「本気か」
アイセンが念を押すと、ゼ・ノパスは強く頷いた。
「俺はアイセン様に忠誠を誓っています。この言葉に、嘘偽りありません。ですが、唯々諾々と従うのが務めではないと考えています。諫言を恐れませんし、必要とあれば独断で行動もします。アイセン様がクロカゲを助けるとお決めになったとしても、俺はそのお考えに背いて行動します。東方平原のため、アイセン様のため、必要とあれば何でもやる覚悟があります」
ゼ・ノパスは、柳眉を逆立ててアイセンを見つめている。その確たる決意を秘めた眼差しを見て、クロカゲは、銀月帝国の皇帝ガイウス・シルバーバウムを思い出した。帝国の繁栄のためならば何をしても許されると臆面もなく言い、クロカゲを殺そうとした。ゼ・ノパスとガイウスに何の違いもない。ただ僕が僕として居るだけで殺そうとする。それがまるで正しいことのように言う。そんな奴らだ。何が、覚悟だ。ただの人殺しだろう。
そんな憤りはある。悲しくもある。けれどクロカゲの胸に去来する一番の感情は諦観だった。僕の居場所なんて、もうどこにも無い。
ゼ・ノパスが右手に邪剣を握り、一歩一歩近づいてくる。アイセンがその右手を掴んだ。
「私の覚悟を示そう。ゼ・ノパス、剣を貸せ」
するりと短剣を掴み取ると、逆手に持つ。そしてゼ・ノパス、クロカゲ、サンサの顔を順に見た。
「すまん。許してくれ」
アイセンは、サンサ見ながらそう言うと剣を降り下ろした。邪剣のいびつな刃が肉を裂くと、鮮血が飛び散る。
「ああぁ!」
悲鳴を上げたのはサンサだ。今までに見たこと無いくらい取り乱している。
ゼ・ノパスも恐ろしい顔で邪剣を見つめている。
アイセンが降り下ろした邪剣は、アイセンの太ももに突き刺さっていた。
「これでこの短剣は、私が抜くか、私が死なない限り抜けない。この場では、クロカゲを傷つける手段は失われたということだ。邪剣などというが、今はそれが有り難いものだな」
平然と言い放つ。そしてそのままクロカゲの傷の手当てを始める。その表情は凛としているが、クロカゲには違いが分かる。痛みをこらえているからか、出血のためか、その顔はわずかに青ざめている。しかし苦痛を口にすることなく、自らの服を裂いて包帯を作り、クロカゲの矢傷を縛っていく。
「ア、アイセン様! 早く傷の手当てを! 貴女の血の一滴は、私の命より重いのです!」
サンサが邪剣を抜こうとするが、当然ながらびくともしない。
「クロカゲより先に治療を受けるつもりはない。もしクロカゲを守るという私の意思を尊重するのであれば、医者でも神官でも構わない、手当を出来る者を呼んできてくれ」
「ですが、私はアイセン様のお側を離れるわけには……」
「ではゼ・ノパス、頼めるか?」
アイセンが、ゼ・ノパスを見つめて言った。
ゼ・ノパスは、アイセンを見てからクロカゲに視線を移し、再度アイセンを見つめると「分かりました」と呻くように言うと、走り去っていった。
「ありがとう……ございます……アイセンさん」
クロカゲは、微笑んでいた。アイセンは、将来の危険などという得体の知れないものに惑わされることなく、今のクロカゲを信頼してくれた。アイセンの信頼が心の底から嬉しかった。七勇者への怒りと憎しみを覆い隠すほどの、喜びと安堵に包まれていた。
「礼は後でゆっくり聞かせてくれ。今はしゃべらない方が良い。傷に障る」
「……もう手遅れですよ。これじゃあ、助からない……」
アイセンが巻いてくれた包帯も、既に真っ赤に濡れて重い。どんどんと意識が遠のいていく。
「大丈夫、君は死なない。君は七勇者に復讐するんだろう? 私も、東方平原も、共に戦うぞ」
アイセンの力強い言葉がクロカゲの耳を打つ。それを最後にクロカゲの心臓は動きを止めた。
―――
ジュチ族の軍勢五万は、ジンドゥから逃げ出すカ・エルの軍勢を待ち構えていた。
「さあさ、後片付けの時間だ。草を薙ぐように片付けるよ」
配下を叱咤するのは、ジュチ族長ラーナールーだ。
ジンドゥを東側から攻撃をしたのは、クスサスク率いるフラグ族を主とする軍勢であり、その間にジュチ族はジンドゥの西側に回り込み、準備を万端に整えて待ち構えていたのだ。
「もう小細工もいらないだろうね。さ、行きな」
長い赤髪を雅に結ったラーナールーは、自らは屋根のある輿に乗ったままで攻撃を命じる。命令に応じたのは、重騎兵隊だ。
重騎兵は、鉄兜や金属鎧を身にまとい、馬も防具を着ける。そして馬上槍やこん棒、曲刀などを手に敵へ突撃して蹂躙する。しかし乱戦になるため、使いどころは難しい。
そもそも遊牧民の戦いは、弓騎兵による射撃から始まるのが常だ。遠距離からの攻撃で、自軍の被害を抑えつつ、敵の消耗と混乱を誘う。その後に重騎兵が突撃し、敵を蹂躙するものだ。
だが今回は初手で重騎兵を使う。
損害や消耗を極端に嫌うジュチ族が、気にせずに最初から重騎兵を突っ込ませる。ラーナールーの目の前にいる軍勢とも呼べない烏合の衆は、その程度なのだ。
重騎兵が突進すると、カ・エルの軍勢はひと当てで瓦解した。散り散りに逃げる者どもを追いつつ弓を射かけると、反撃も無くばたばたと倒れていく。それだけだった。戦闘と呼ぶには躊躇われるほどの、一瞬の一幕だった。
この後の首実検で、カ・エルの死体が発見された。その眉間には、矢が突き刺さっていた。
ここに、カ・エルの反乱は終わりを告げた。




