戦いの後 ―ユユ―
「会いに来たよ、クロカゲ」
ユユは、藩都ジンドゥの城門を見上げた。初めて見る遊牧民の都は、どこかよそよそしさを感じさせる。
皇族が属領を訪れるのは珍しい。特にユユは、皇族として公務で他国に足を運ぶことなどほとんど無い。極めて異例だが、それも仕方の無いことだ。
勇者の武力は軍隊にも匹敵する。受け入れ側が、帝国による恫喝とも捉えかねない。暗殺を警戒され要人との面会を拒絶される可能性も考えられる。
ユユが他国を訪れるだけで、外交摩擦が生まれるかもしれないのだ。
それでもユユは来た。
難色を示す皇帝を説得し、東方藩王国へ建国の祝賀使としてやって来たのだ。戦乱の余韻を残す東方平原を刺激しないよう、周りにはわずかな文官を伴っているだけだ。
「遠路遥々、ようこそお越しくださいました。藩王近侍兵が筆頭のサンサと申します。藩都ジンドゥにおけるユユ様の警護と案内を任じられております」
城門で衛兵らに出迎えられた。その先頭に立つ女戦士の振る舞いからは、厳とした規律を感じる。
先導されて進む街の大通りも、健全な賑わいを見せていた。
石畳の大通りには、商家や飲食店などが軒を連ねており、そのどれもが客で溢れている。そしてユユの一行が通りかかると街の人々は傅いて(かしず)いて道を譲る。
時おり、ユユの長い銀髪を見て驚く人もいる。少しの恥ずかしさと後ろめたさから、自然と早歩きになってしまう。
たどり着いた藩王邸は、石造りの帝国風だった。クロカゲから聞いていた遊牧民の生活とは、少し印象が違う。盟主であっても天幕を愛用していると思っていたのだけれど、思い違いだったのかもしれない。
彼との会話をなぞれないのは少し残念だった。
そのまま案内された謁見室は、床や壁こそ彫刻とモザイク画が豪奢だが、飾り付けは質素だった。大きな毛織物や刺繍を施した絹織物などが飾られているくらいだ。
カ・エルが弓王として君臨していたときには、帝国から絵画や彫刻などの美術品を買い入れていると聞いたものだが、それらの気配はない。
現在の支配者の好みが見てとれる。
質実剛健を象ったような室内には、新生した東方藩王国の重鎮が左右に整列している。
その最奥では、藩王国の主にして盟王の称号を持つアイセン・カアンが、牛革を張った杉材の椅子に腰かけている。艶のある長い黒髪と、白く透き通るような肌が特徴的な美人だった。
ユユが入室すると、優美に立ち上がり微笑みを浮かべた。
「愛しき我が東方平原へようこそ、ユユ・シルバーバウム皇女殿下。東方平原の全氏族を代表して歓迎いたします」
「歓迎に感謝します、盟王アイセン・カアン殿下」
ユユは弾むような足取りで近づくと、手を差し出した。
皇帝の実子であるユユは、外交儀礼上、藩王の同格として扱われる。この振る舞いも、非礼には当たらない。
だが盟王の臣下らが息をのむ様子が分かる。後ろで帝国の文官たちも驚いている気配がある。
ユユは勇者なのだ。勇者は強い。もし害意を持って振る舞えば、何の力も持たないアイセンなどひとたまりもないだろう。折しも東方平原では、狩人の勇者であったカ・エルの反乱があったばかりである。勇者というものへの警戒は、並みではない。
だがアイセンは、ユユの手を取ってしっかりと握った。
「皇女殿下の気さくで心安いなさり様を、大変嬉しく思います。この友情が末永く続かんことを祈念して止みません」
ユユの目を見つめ返すその瞳には、不安の影は微塵もない。全くの澄んだ眼差しだ。
(この女が盟王アイセン・カアンかぁ……)
ユユは以前から彼女の名を知っていた。銀月帝国と対立する東方五氏族同盟の盟主として、当然に耳に入る名前だ。
しかしその名声は、決して高いものではなかった。
前盟主の急逝を受けて老臣らに担ぎ上げられた傀儡であるという評価が一般的だった。
愚鈍や放埒、暴虐といった振る舞いは無い。
だが歴代の盟主と違い、戦場で武張ることもない。領土を拡げることもなく、内治に終始している。失政こそ無いものの、その配下の方が軍事や経済、外交などで華々しく活躍し、名をあげていた。
だが今回の争乱を経て、国際社会の認識は大きく変わった。一度は反乱軍に敗北しながらも、寡兵を率いて逃げ延び、東方平原の支持を固めて再戦し、狩人の勇者を破った。その後に東方五氏族同盟の再結成を宣言すると、素早く銀月帝国と関係を構築し、その属領たる藩王国として安定を確保したのだ。
優れた臣下の活躍があってこその逆転劇だが、アイセン自身の手腕と声望が決め手であったことは誰の目にも明らかだ。
今現在、一時的に東方平原の力は落ちているが、今回の一件で膿を出しきった。更なる結束を得て、東方平原はこれまで以上に飛躍するのではないかという観測すらある。
(すごく頭が良さそうだし、しっかりしてる。すごい人だ)
ユユがまじまじと見ていると、アイセンは思い出したかのように口を開いた。
「皇女殿下に私の弟を紹介させていただいてもよろしいでしょうか。不肖の弟ですが、王太子として立てましたので、ご挨拶をさせていただけるならば幸甚に存じます」
(きた!)
ユユの心臓が飛び跳ねた。
先の争乱で、首謀者たる狩人の勇者カ・エルを討ったのは、かつて帝国への反逆で討伐された盗賊の勇者クロカゲだったと言われている。二人の勇者は、戦いの果てに、ともに命を落としたとされている。
しかしクロカゲの名は再び表舞台に登場した。
弓王を名乗ったカ・エルの死と共に、彼が打ち立てた東方藩王国は消滅した。その後にアイセンが新たに東方藩王国を建国し盟王を名乗った。そして王太子として自らの弟を据えた。その王太子の名が、クロカゲだったのだ。
東方藩王国は、帝国に対して同名の別人だと説明し、帝国はこの釈明を受け入れた。帝国の官僚たちが手を尽くして確認したのはもちろんだが、皇帝ガイウスが持つ勇者級の技王眼を用いても確かめたのだ。間違いはないと判断した。
だが東方平原の市井では、この王弟こそ、盗賊の勇者クロカゲであるという噂が絶えないらしい。
逆賊カ・エルを討ったクロカゲは、東方平原では英雄だ。だが皇帝に刃を向けた者を生かしておくことなど、帝国が許すわけはない。
そこで別人としての地位を作り、王太子として遇することでその戦功に報いたというのだ。
その証のひとつに、これまでアイセン・カアンにクロカゲという名の弟がいることなど、公にされたことがないという事実がある。また、藩王の重臣から「盗賊の勇者クロカゲは死んだことになっているが、実は生きている」と直接に聞いたと吹聴する者さえいた。
この噂もあって、盟王アイセンと王太子クロカゲの二人は磐石の支持を得ている。強さを重視する東方平原にあって、アイセンの示した粘り強さと指揮統率能力は、強い憧れを抱かせるに充分であった。狩人の勇者カ・エルを倒したという一事は、多くの崇拝者を生む快挙であったのだ。
だからユユは来た。
ユユの知るクロカゲが生きているのであれば、会いたい。その思いで東方平原へと、はるばるやって来たのだ。
「クロカゲ、皇女殿下にご挨拶を」
アイセンが合図をすると横合いから黒髪の少年が現れる。
刺繍された絹の衣服を着けた、遊牧民の少年はユユの前に立つとゆっくりと頭を下げた。
「初めまして、皇女様」
それはユユの見知らぬ顔と聞き覚えの無い声だった。
「あの、えっと、初めまして、ユユです」
何とか挨拶しながら手を差し出すと、クロカゲという名の少年は、柔らかく握り返してくれた。その手は、まるで白魚のように綺麗だった。戦いに明け暮れ、傷の絶えないあの手とは違う。
何より匂いが違う。いつも嗅いでいた、あの甘く優しい匂いではない。帝国風の薔薇の香油の香りだ。
何から何まで、まるで別人だった。
盗賊の勇者クロカゲには、自らの外見を偽る偽装という技がある。最初はその可能性も疑ったが、ユユには違うと分かってしまった。勇者の勇者ユユならば、偽装すら看破する。ユユの知覚には一切の不審点は見つけられなかった。
目の前の少年は、見たとおりの人物なのだ。
ユユの知る黒髪の少年は、本当に死んでしまったのだろうか。その思いがユユの心を冷たくする。
「あの、ところで、盗賊の勇者クロカゲは……」
「ああ、帝国に反逆した挙げ句に命を落とした、憐れで下らない人間のことですね」
王太子が笑顔で応じる。
「あ……えっと……あの……」
「皇女様は、あれを知っていたんですよね。ジンドゥの外れにある犯罪者向けの墓に入れられたはずなので、気が向いたら寄ってみては?」
そこから先、ユユの記憶は曖昧だった。型どおりの祝辞を述べて祝賀使の役目を果たすと、逃げるように帝都へと帰った。
墓になど、怖くて立ち寄れなかった。
けれど王城も心休まる場所ではない。
ユユが帰るとすぐに次姉のララが会いに来た。焦燥した表情で、かつての柔らかな雰囲気はない。
「東方平原の様子は……どうだった……?」
乱れた髪を整えることもせずに、血走った目でユユを見る。
「うん……平和そうだったよ」
「平和?! カ・エル様を弑逆したくせに、自分達は安穏と暮らそうだなんて許せない……! ユユもそう思うでしょ?」
「……そうだね」
「東方平原を支配するのは、カ・エル様かその血を継ぐ者でなければならないのよ……! この子が成人するまでには、陛下がきっとジンドゥを攻め落としてくださるわ……‼」
大きくなりつつあるお腹をさすりながら、ララはぶつぶつと独り言を垂れ流している。
その目は、既にユユを見ていなかった。
いつも感想などありがとうございます。
嬉しくて嬉しくて毎度鼻血を垂らしています。




