第十三話 現れた赤い災厄
葵が診察を終えた後、わたし達2人は別行動をとっていた。
昨日の今日で疲れているだろうし、検査で色々と動き回らされただろう。
今日の夕飯の買出しは、わたしがかって出ることにしたのだ。
葵からは買い物のメモを預かっている。今日の夕飯はわたしのリクエストで生姜焼きだ。
葵から目を離すのは不安だったけれど、学校が始まれば四六時中一緒なのは困難になるかもしれない。その予行演習でもあった。
車で送られた葵はもう部屋に戻っているだろう。
買い物を終え、その帰り道、わたしは食料を買い込んだ袋を遊ばせながら歩いていた。
護衛の目はさらに強化され、常に彼女についている。でもやはり、不安だった。
きっと大丈夫だと思いたい。だが敵の正体が不明な以上、その不安が拭い去ることが出来なかった。
そしてなにより、静観を続けている赤犬の存在が気にかかる。
もういっそ、一生現れないで欲しい。
だが、そんな私の願いを打ち破るかのように、遠くで悲鳴が聞こえてくる。
また、装甲獣か。それとも……。
だがどちらにしてもおかしい。なぜ、警報がどこからも鳴っていないのか。
わたしの携帯が着信を告げる。
善治からだ。
最高にやばい予感がする。
『凛音! 出たぞ! 今そちらに向かっている。女性が一人追われているようだ。相手は……』
だがその通話は、何故か途中で切れてしまう。
携帯の電波表示が圏外を指し示していた。
犬のリードを持ったおばさんが、逃げてくる。
「誰か! 助けてえ! 怪物が!」
おばさんが上を指差す。そこには8階建てのマンションが見える。
そしてその壁面に、何か赤い人型の存在が張り付いているのが見える。左手で何かを持っているためか、右腕と両脚でどのようにか身体を支えていた。
瞬間、そこから赤い影が飛び降りてくる。
こいつは装甲獣ではない。
着地の瞬間赤い火花が飛び散る。
いや、装甲獣はいた。
そいつが左手で捉えているものの正体は、茶色の犬型装甲獣だった。
左手の爪が装甲獣の後ろ首の装甲に食い込んでいる。
装甲獣が激しく暴れ、黄色と赤の火花が混ざり合う。
赤い怪物は自分の右腕をもたげると、分厚い鉤爪を備えた指を揃える。
そして左手を持ち上げて、犬の口をそれと水平に合わせた。
唐突に、犬の開いた口に右手をねじ込む。
くぐもった声を上げながら、唾液と血液を撒き散らして装甲獣は絶命した。
だが、それだけでは終わらない。
そいつは死んだ犬を地面にたたきつけ、その頭を執拗に踏みつける。
地団太でも踏んでいるかのようだ。
頭部は完全にミンチとなっていた。
強烈な憎悪を感じる。
こいつが
こいつが赤犬か。
動画などで確認していたが、実際に明るいところで見るのは初めてだ。
まったく、こいつに犬なんて名前を付けた奴の顔を見てみたいもんだ。
そいつは、牙の塊だった。
確かに、犬のような耳と、尻尾を備えていた。
だが、その顔面は噛み合わされた長大な犬歯によって完全に覆い隠されている。
顔全体が剥き出しになった御伽噺の怪物の歯列のようだ。
身体の表面はいたってシンプルなデザインだ。単純に毛皮のような赤い装甲で覆われている。全体からは、細身である印象を受けた。
だが、ところどころに牙をモチーフにしたであろう凶気染みた装飾がある。
あごの下、膝、肘の先など、牙のようなそれらは、禍々しい鋭さを湛えていた。
赤犬が叫ぶ。顔面の巨大な牙が上下に開いて、中の顔が見える。
その顔にも、牙を備えた口らしき物が見える。目は、鮮やかな赤色の光を放っていた。
その目はわたしの後ろに倒れるおばさんに向けられている。明らかな殺気を感じる。
「あんた! とっととここから離れろ!」
わたしは後ろで腰を抜かしているおばさんに向かって叫ぶ。
それに反応して逃げようとするおばさんだが、立ち上がることが出来ないでいるようだ。
心の中で舌打ちをすると、わたしは赤犬に向かって叫んだ。
「もう、お前の出る幕じゃない! お前がどんな理屈でこんなことをしているかは知らん
がな! 暴れればそれだけ葵が傷つくだけだ!」
通信が遮断された以上、敵はこちらの状況を確実に把握している。
戦えば、赤犬の力が、相手にばれてしまうかもしれない。
だが、戦わずに済む状況では決して無い。
何故、このおばさんが襲われているかは分からないが、赤犬が放つ殺気は本物だ。
今までこいつが起こした事件を考えるならば、殺される事は無いにせよ、ただで済むはずがない。
赤犬の牙が閉じていく。
擦り合わされる牙の間で赤い火花が巻き起こっている。
本来の変身強度では、分解寸前を示すはずの赤色の火花だ。それがまるで血を噴出しているかのようだ。
この時点で、敵にかなりの情報が渡っている。
こいつと衝突するのだけは絶対にまずい。
だが、わたしのそんな思いとは裏腹に、赤犬は猫背の姿勢のまま、脚の爪を地面に食い込ませ、それを後方に蹴り飛ばした。
一気に距離を詰めてくる。
その勢いのまま、奴が右手を背中側から振り被る。
大上段からの、右手の振り下ろしだ。
おぞましい鋭さを秘めた鉤爪がわたしの頭上めがけて振り下ろされる。
「問答無用か……!」
私の頭の奥で、何かのスイッチが入る感覚がする。
その刹那。ワイヤーフレーム状の青い光が身体の表面に展開し、それがわたしの装甲を形作る。
力がその場に満ち溢れる。
アニマトゥーラ、発動。
変身ポーズも掛け声も、やっている暇は無い。
瞬きほどの間に、わたしは装甲を身に纏っていた。
幸いにして服装は身体にフィットしているものばかりだった。
破れたりせず、その内側に格納されている。
変身を終えたわたしは振り下ろされる右腕の手首を狙って、左脚で真っ直ぐ蹴り上げる。
狙い通りの場所へ命中した蹴りは、相手の攻撃をわずかに上へと弾く。
濃い、青と赤の火花が撒き散らされ、中空で消えた。
普通ならば、限界間際の光を放つ赤犬の装甲はこれだけの強度差の激突には耐えられるわけも無い。
だが、結果は互角。
いや、わたしの方が押されていた。
衝撃で左脚が大きく弾かれ、体勢が崩れる。
その隙に赤犬はさらに左足を一歩踏み込んで、今度は左手を突き出す。
貫手。
だが、鉤爪を備えている以上。指は外側に曲がっている。
爪の先端が、わたしのわき腹に向かって伸びてくる。
舐めるな。
わたしは崩れた体勢を、各部からの噴射によって支える。
お前の一歩の踏み込みを利用してやる。
左手、左足が前に出たことで、左胸もが前に出ていた。
身体に捻りを加えながら、右脚の蹴りを斜め下から繰り出す。
わたしの両脚が共に地面から離れる。
さらにそこからの噴射。直線の軌道の貫手よりも速く、わたしのつま先が赤犬の左肋骨付近に突き刺さった。
赤犬の鉤爪は、先ほど身体を捻ったことによって狙いの位置から外れていた。
僅かに遅れて、わたしの右肩の装甲表面を削っていく。
二回目の火花の応酬。だが前回と違うのは、今回はわたしの方が勝っていたという点だ。
わたしの右脚に、装甲を破る感触が伝わってくる。
赤犬はその衝撃で後ろに下がる。僅かに呻くと、右手で損傷箇所を押さえた。
やはり赤い火花が、そこから断続的に溢れ出ていた。
わたしは噴射でさらに体勢を戻すことも出来たが、節約のためそのまま落下し受身を取る。補充に時間を取れなかった以上、もう空気残量が心もとない。
確かに装甲を貫いた手ごたえはあった。だが、有効打にはなっていない事を、わたしは確信していた。
貫いた感触は、一枚だけだった。
赤犬が右手を離す。
本来、砕かれた装甲の下には、生身の部分が存在しているはずだった。
だが奴は違った。
貫かれ、砕かれた装甲の下から覗くのは、生身の肌でも、着ていた服の色でもない。
それは、奴が身に纏っている装甲同様の『赤』。
二重に展開された装甲。
それこそが、赤犬が持つ、世界で唯一の特性だった。