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ぼくらの冒険譚  作者: 蒼井七海
後日譚
20/21

便利屋のある朝

 カーテンの隙間から、うっすらと曙の光が差し込んだ。少し遅れて、鳥のさえずりが聞こえてくる。

 朝の訪れを告げる音。薄暗い家の中で、自らの机に突っ伏した青年は、しばらくの間ぼうっとそれを聞いていた。だが、カーテンから差し込む光が強くなると、緩慢とした動きで顔を上げる。半開きの寝ぼけ眼を人差し指でこすった。

「朝か……」

 青年は、重苦しい声で呟く。それからようやく、机に寄り掛かっていた体を反動で起こすと、大きく伸びをする。彼はカーテンを開けることもせず、ただ、先程まで額のあたりでつぶされていた紙束をぼんやりと見た。

「ああっ、くそ。やっとできた……」

 すべてを呪うような声音でそう言った彼は、のろのろと紙束を持ち上げ、とんとんと端を揃える。ここで彼は立ち上がり、やっと薄いカーテンを開けた。朝の光は、徹夜の身には堪える。彼は大きく欠伸をして、おぼつかない足取りで顔を洗いに外へ出た。


 ヴェローネル市で便利屋をやっている、魔術師の青年。そこまで言えば、指し示す人物は一人しかいない。今、寝ぼけ顔で桶をのぞきこんでいる人物こそがその張本人、ロトであった。

――彼は、数日前に、二人の子どもからの依頼を受けた。とはいっても、お金をとっていないので正式な依頼ではない。ただロトが、仕事をこなすついでに彼らの面倒を見ただけである。

 内容は、簡単に言ってしまえば、遺跡の探検だった。結果として、遺跡近辺の魔物の大量発生を調べるという仕事をこなした彼は、悪くない気分で子どもたちを見送り、家に戻った。

 だが直後、市職員の訪問を受けたのである。いつもちくちくと厭味を言う彼は、この日もいつも通り、嫌な態度をとった。しかも、ロトが件の仕事をこなしたと知ると、三日以内に五十枚を越える報告書を提出しろ、などと要求してきたのだ。

 仕方なくロトは、二日ほど通して徹夜をし、死にそうな思いで報告書をまとめ上げたのである。


 ヴェローネル市は、忌避されがちな魔術師にとって、比較的住みやすい街だ。それはここの市長が、分け隔てなく人に対して接するお人好しだからである。しかし、かといって、市長の周りの人までそうとは限らない。


 厭味や無茶な要求だけなら、ロトは素知らぬ顔で突っぱねる。それだけの度胸があった。けれど今回の場合、言われた通りにやらないと返ってくるものは悪口だけに留まらない。あからさまな仕事減らしや無視などが起きる。ひどいときには、脅迫文まがいの依頼書が送られてきたこともあった。

「……ったく。そんなに魔術師が嫌いなら、市長の下で仕事すんのやめろよ、って感じだよな」

 顔を洗い、苦労して髪を整えた青年は、低い声でぼやく。

 だが、こう言いながらも律儀に仕事をしてしまうあたり、彼の生真面目さも大概である。

 身支度を一通り整え終わって、さあ中に入って飯でも食おう、とロトが踵を返しかけたとき。背後から、彼を呼ぶ声があった。

「おはようございます」

 ロトは驚いて振り返る。こんなにも爽やかに、朝の挨拶をされたことなど、この大陸に渡ってきてからはなかったことだ。

「……おはようございます」

 挨拶をしながら、彼は声の主を観察した。

 三十代後半の男だ。短い黒髪で、目はやや垂れている。見る人を安心させそうな、穏やかな顔立ちをしていた。

 そんな人が自分になんの用か。ロトは怪訝に思ったあと、訊いた。

「依頼ですか?」

 男は目を瞬いた。しかし、すぐに「ああ」と呟くと、顔の前で手を数回振る。否定の仕草だ。

「依頼ではありません。お礼を言いたくて、伺いました」

「……お礼?」

 ロトが思わず反問すると、男は柔らかく微笑む。

「はい。私、ヴェローネル学院で『戦士科』の教師をしています、ハリスと申します。アニー・ロズヴェルトさんの担任、といえばお分かりになりますか」

「アニーの?」

 思いもよらぬ名前が出てきて、ロトは呆然としたが、すぐに納得した。教師だという男の、「お礼」という言葉の意味を悟り、目を細める。

 だが彼は、とりあえず話だけ聞くことにした。

「そうですか。まあ、ここではなんですから、上がってください」


 ロトはハリスを居間に通すと、手早く茶を淹れた。

 机を挟んで向かい合って座ると、さっそくハリスが丁重に頭を下げる。

「このたびは、私の教え子がお世話になりました」

「ああ、いえ。しかし、どうして俺だと分かったんです?」

「アニーさんとフェイくんから聞きました」

 青年の疑問に対する、教師の答えは簡潔だった。

 ロトは、わずかに表情を曇らせる。

 当然、アニーたちは課題に関わった自分について、ある程度は教師に話しているだろう、とは踏んでいた。しかしまさか、「ヴェローネルの便利屋」であることまで明かされているとは思わなかったのである。

 ロトの複雑な心境を察したのか、ハリスが笑顔で付け加えた。

「まあ、彼らも最初は言いたくなさそうでしたけどね。私が、無理に頼みこんで、教えてもらったんです」

「はあ……」

 魔術師の青年は、二の句が継げずに困惑した。わざわざお礼を言うためにそこまでするか、と呆れたのだ。

 それから二人は、ぽつぽつと話をした。当然、話題は今回の課題についてである。探検中の彼らの様子や、二人のその後など。いくつかそんな情報を交換しあったところで、ハリスが突然、ロトをまじまじと見てきた。青年は少したじろぐ。

「あの、何か?」

「いえ……」

 ハリスは考え込んだように言うと、それから、こう続けた。

「魔術の研究をしている、とは二人から聞いていました。が、それどころか本当に魔術師だとは思わなかった」

「っ――!」

 ロトは目をみはった。反射的に飛び退きそうになり、どうにか堪える。

 これまで、自分が魔術師であることは、一度もこの教師に明かしていない。なのに彼は、あっさりと彼の素性を言い当てた。

「なぜ、それを」

 ロトがうめくように言うと、ハリスは「しまった」というような顔になる。

「すみません。魔術師だからどうこうしよう、というつもりはないです。つい、反射的に、といいますか……」

 男は苦しげに弁解すると、一拍おいて続けた。

「私、教師になる前は、国軍本部配属の軍人をしていまして。といっても、下級兵士もいいところだったんですがね。なので、魔術師は見慣れているのですよ」

 言われて、ロトは納得した。改めて椅子に座り直す。

 グランドル王国軍の中には、魔術師が軍人として配属されている。特に王都には、対魔術犯罪のために設立された、魔術師部隊があるのだ。ちなみにその部隊は、王国軍の管轄下にはあるものの、ほとんど独立した集団として動いている。

 ロトは息をひとつ吐いて、ハリスに問いかけた。

「――ひょっとして、魔術師部隊の隊長から、俺のことを何か聞きましたか」

 訊いてはみたものの、ハリスの反応は薄い。彼は少し首をひねり、考えた。結局、首を振る。

「いいえ。彼の隊の隊長殿と、直接話したことはありません。何度か見かけてはいますが。――面識がおありですか?」

「まあ、一応」

 ロトは答えて、茶をすする。あの女とつながりはなしか、と心の中で呟いた。

 そう思うと、寂しいような、ほっとするような、微妙な気持ちになる。ロトはかぶりを振って胸中の靄を追い払うと、再びハリスと話し始めるのだった。


 ロトとハリスが話をしたのは、わずか二十分ほどである。その後ハリスは、慇懃な態度でお礼を述べ、しずしずと帰っていった。

 再び一人になったロトは、カップを片付けながら、教師の顔を思い出す。

「あれがアニーの担任ねえ……。苦労してそうだな」

 青年の独断と偏見で述べられた言葉は、しかし事実を言い当てていた。

 片づけを終え、机を拭き終わった青年は、手を洗ってから部屋に戻ると、報告書の束に目を留める。それから、気合を入れるように手を叩いた。

「さてと。報告書、出しに行きますかね」

 ひとりごととは思えない大声でそう言うと、青年は報告書を抱え込む。

 便利屋の忙しくも平和な一日が、始まろうとしていた。


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