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ぼくらの冒険譚  作者: 蒼井七海
終章
19/21

新しい日々

 アニー・ロズヴェルトは前を見た。

 自分の足元には、肩幅ほどの白線がある。少し離れたところにも、同じ白線が引かれていた。

 そこに立っているのは、ひとりの少年である。名はクレマン・ウォード。ことあるごとにアニーを馬鹿にしてくる、六回生『戦士科』の、悪ガキの一人だ。

 特別課題を受けたその日も散々けなされた。あの課題が終わってからきちんと会うのは、初めてである。

「久し振り、クレマン」

 わざとふてくされた顔で、アニーは言う。すると、向かいのクレマンはにやっと笑った。

「ああ、久し振りだな。お仕置きは終わったのか?」

 あからさまに、こちらをあざ笑う口調。だが不思議と、アニーは苛立たなかった。

「ええ、終わらせたわ。二週間前に」

「ふーん。そりゃよかった」

 クレマンは、やや鼻白んだように言う。アニーが噛みついてこなかったことを不審に思ったのかもしれない。

 だが、今のアニーは、悪ガキの反応など気にかけていなかった。今は戦いの前だ。意識を相手の全身に向ける。彼女の心はどこまでも静かだ。

 緊張感はある。しかし、宝を守る番人と戦ったときほど、張りつめたものではない。心地よいそよ風を浴びている程度のものだ。

 向かい合う二人の横に、教師が立っている。教師はしかつめらしく二人を見た後、旗を握った左手をゆっくり上げた。そして。

「それでは、試合を開始する。――はじめ!」

 掛け声とともに、旗を振りおろした。

 それと同時に動いたのは、クレマンである。手にした木剣を大上段に構えながらアニーの方へ突撃してきた。対してアニーは、右足を前に出し、左足を少し下げ、くっと顎を引く。やや腰を落として両足を踏ん張った。

 相手を受けとめる姿勢だ。

「やああっ!」

 大きな気合の声とともに、木剣が振り下ろされる。アニーはそこで初めて剣を構えた。剣腹をわずかに横に倒し、あいている左手を傷つけない程度に刀身に沿わせる。

 刃と刃が当たった。乾いた音が響き渡る。クレマンが驚いた顔をした。今までのアニーを考えていたから、受けとめられるとは思っていなかったのだろう。アニーはふんっと鼻を鳴らして、相手の剣を弾き返した。

 全力をこめたからか。少年は体勢を崩した。彼はたたらを踏んで、それでも精一杯踏みとどまった。けれど、出来た隙は大きい。

 アニーは、目ざとく彼の心と動作の隙を見つけると、手元で剣を持ち替えた。脇で構え、刃ではなく柄を前にする。そして、クレマンが構えなおすより早く、その懐へ飛び込んだ。

「なっ」

 焦る声が間近に聞こえる。少女は、一瞬のためらいもなく、少年の鳩尾に柄頭を叩きこんだ。

 ドン、と鈍い音がする。少年は顔を引きつらせ、うっとえずいた。柄頭が鳩尾から離れてアニーが距離を取ると同時に、その場に崩れ落ちてしまう。

 審判役の教師が、旗を上げた。

「そこまで! 勝者、アニー・ロズヴェルト!」

 小さな演習場内が、ざわめきに満ちる。潮騒のような声の中には、驚きと動揺と感心がないまぜになっていた。だが、アニーは浮かない顔だ。

「うーん……つばぜり合いがぎりぎり……。相手がこいつだから良かったけど、先生相手だったら多分負けてたなあ……どうしよ」

 少女は頭をかきながら、青い顔で倒れている少年を見やった。大嫌いな悪ガキではあるが、ちょっとやりすぎたかな、と反省してしまう。けれど、それはほんのわずかな間のことで、彼女はすぐに、元の思考に戻った。

「稽古をしてくれる人が、先生しかいないからなあ。ロトも剣はやってたみたいだけど、つきあってくんないし」


 ううむ、とうなるアニーを眺めていた教師たちが、ひそひそと会話を交わす。

「なんだか彼女、変わりましたね」

「成績は相変わらずですけどね……あ、でも、実技の評価は上がってますか?」

「ええ。前より真剣にやってますからね。技や態度に切れが出てきたのも、そのおかげでしょう」

「特別課題効果ですね。ハリス先生、何をなさったんです?」

 右から二番目に座っている女教師が、右端の男性教師を見る。だが彼は、ふにゃりと笑うだけだ。

「何もしていません。私は課題を提示して、その結果を聞いただけです。

――ときには、教師や親が手を出さない方がいい結果を生むことも、あるみたいですよ」

『アニー・ロズヴェルトの説教係』と、あまり嬉しくない渾名をもらっている教師はしかし、説教対象の成長を嬉しそうに見ているのだった。


「へえー。じゃあ、模擬試合で優勝しちゃったってこと? すごいじゃんか」

「まあねえ……優勝は、優勝だけど」

 ヴェローネルの大通り。騒音の中で、少女と少年が会話をしていた。

 彼らはいつも通り、授業について報告しあっていたのである。少年は、少女の実技授業の成果を聞いて、目を輝かせていた。

 一方、少女――つまりアニー・ロズヴェルトは、むっと言いながら拳を握る。動きに合わせて、尻尾のような三つ編みがぴょこんと揺れた。

「まだまだ! って感じかしらね。ちょっと危ない試合もたくさんあったし。だいたい、戦士科は怪力馬鹿が多すぎるのよ!」

「……アニーだって、ちょっと前までは同じようなもんだったじゃん」

「何か言った?」

 青い瞳が、威勢よく彼女の幼馴染を睨む。フェイは、慌てて両手を振った。

「い、いやあ、なんでも」

 引きつった顔で取り繕ってから、少年は無理矢理話題を変える。

「それにしても、難しいね。アニーは女の子だから、どうしても体格とか筋力とか、男子に比べるとないし」

「うん。だから、力に頼らない剣術が知りたいのよ。けど、同じような戦い方をする人がいないから」

「ある人を除いては、ね」

 フェイが半眼で指摘する。アニーはうむ、と偉そうにうなずいた。

「肝心の『ある人』は、稽古してくれないし」

「俺の剣は人に教えられるようなもんじゃねえって、何度も言ってるだろ」

 背後からいきなり声をかけられて、アニーとフェイは飛び上がった。尻もちをつきそうになるのを何とかこらえて振り返ると、青年の渋面が見える。

「ロト!」

 二人が名を呼ぶと、彼はため息をついた。

「甘いな、アニー。後ろにくっついてる人間の気配が読めないと、いつかさっくり()られるぞ」

「っ、相変わらずむかつくわねー」

 ぐるる、と喉を鳴らしながらアニーが言う。だが、ロトはどこ吹く風、というような態度だ。

「だいたい、俺は勉強を見てやる、とは言ったが、剣を教えると言った覚えはない」

「いーじゃない、少しくらい。魔術を教えてって言われるよりいいでしょ」

「どっちもやだ」

「だー!」

 取りつく島も無し。アニーは、頭を抱えて絶叫した。フェイが隣でため息をつく。このような論争は、二週間の間に何度も展開された。そして、同じような結果になっている。

 およそ女の子とは思えない顔でうなるアニーをよそに、フェイがロトを見上げた。

「じゃあロトさん。代わりに大陸貿易の歴史を教えてください。ぼくら二人とも、同じところをやってるんですけど、理解できなくて困ってるんです」

「大陸貿易? あー……。ま、いいか。分かった」

 珍しく、ロトは煮え切らない態度をとる。けれど結局は折れた。そうしてすたすたと歩きはじめてしまったので、フェイは慌ててかたわらの少女の腕をつかんだ。

 アニーはまだ悶えていたが、フェイに引きずられながら、便利屋の家へ向かって歩き出す。

 黄昏が広がり始めた街に、三人の影が伸びていた。


(完)


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