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ぼくらの冒険譚  作者: 蒼井七海
第三章 交わらぬ思い
12/21

衝突

 アニーがフェイを突き飛ばして、視界の端から消えた。ロトは咄嗟に、彼らの転がっていった方向を目で追う。

 二人は無事だった。だが、すぐに小鬼に見つけられてしまっている。隠れたわけではないから、当然だろう。

「まったく、世話の焼ける……」

 小声でぼやいた彼は、小さく指先を踊らせ始めた。この辺りは多数の穴のおかげで風通しがいい。風を集めて矢を作り、射る。それだけで、小鬼たちを瓦解させられるはずだ。自分の魔力に頼った「力技」が使えないロトでも、どうにかなるだろう。

 だがそう思ったロトがアニーたちに合図をしようとしたとき――彼は、嫌なものを見てしまった。

 小鬼たちはアニーめがけて飛びかかっており、彼女は剣を抜こうとしている。

 そして、小鬼たちが何をしようとしているのか、ロトはすぐに見抜いた。

 群れから躍り出た一匹がアニーを引きつけ、その隙に残った者らが二人まとめて仕留める気なのだ。他の魔物に比べて知能が高い小鬼なら、やりかねない。

 ロトは咄嗟に叫んだ。

「アニー、動くな!」

 ありったけの力をしぼった。その甲斐あってアニーの耳に声は届いたようだ。

 しかし、こともあろうに彼女はロトの警告を無視した。素早く剣を抜いて、構えている。

 ロトは唖然とする暇もなく、悪態をつく。

「――んの、馬鹿!」

 彼はすぐさま描きかけの魔方陣を打ち消した。さっと辺りを見回して、フェイの荷物の中から顔を出していた、予備のランタンを見つける。小鬼に襲われる前までのところで火を入れたのか、硝子の奥で赤い光が揺れている。

 彼はフェイの荷物に駆けより、ランタンを引っ張り出した。

 金属音が聞こえる。焦りで手に汗がにじむ。無我夢中でランタンに火を入れたあと、足元に転がっていたとがった石であえてランタンを叩き割る。硝子にひびが入り、中に揺れる灯火がはっきりと見えた。ロトは空いている右手で素早く魔方陣を描きながら、割れたランタンをかざす。

 火の力の抽出。熱と光エネルギーの分解。「擬似的な雷」への変換――「自然への命令」を、方陣という形で描き出す。

 その作業には五秒もかからなかった。たちまち、複雑な魔方陣が白く輝くと、ランタンの火は青い雷へと姿を変えた。電撃が爆ぜ、小鬼へ殺到する。

 雷撃は、アニーへ飛びかからんとしていた小鬼をまとめて焼き払った。

 衝撃を顔に焼きつけたまま地面に落下する小鬼たち。彼らの姿と、その先の子どもたちを見て、ロトは思わず息をつく。

 どうやら、間にあったようだな、と。



 二人はしばらくの間、火花を散らして焦げている小鬼を見て呆然としていたが、やがてアニーが動いた。慌ててフェイを振りかえり、剣を収める。仕切り直しとでもいうように、彼女は再び手を差し出した。

「だ、大丈夫? フェイ」

「う、うん……」

 気の抜けた返事をしたフェイは、それでもしっかりとアニーの手を取って立ち上がった。アニーはそれを確認すると、どこかばつが悪そうな顔で彼から目を逸らす。

 幼馴染の態度に少年が首をひねったのだが、その幼馴染は彼の反応に気付いていなかった。

 微妙な空気を漂わせる二人の元に、ロトが歩み寄ってくる。呆れ顔をアニーへと向けていた。彼女と視線が合うと、真っ先に悪態をつく。

「この大馬鹿が! 二人いっぺんに死ぬ気だったか!?」

「うっ……」

 アニーは半眼になって、すぐにロトから目を逸らす。自分が犯した失態を彼女は理解していた。自分の気持ちが先走った結果、まんまと小鬼たちの罠に嵌ったのだ。

 アニーの隣では、フェイがおろおろと視線を泳がせている。一方、ロトは大きなため息をついていた。わざとらしさはなかったが、どうにも少女の癇に障った。

「魔物との戦闘経験が少ないおまえだ。小鬼どもの連携を読んで動けとはいわない。ただ……なんであのとき、俺の声を無視した?」

 声が、一段低くなる。

 アニーが顔を引きつらせ、フェイも自分が叱られているわけではないのに、苦々しく身じろぎしている。アニーはだが、答えなかった。やや顔面をこわばらせつつも、口をつぐんだままだ。ロトは怒らなかった。急かしもしなかった。ただ、淡々と続ける。

「あのときおまえは、俺の声を確かに聞いていた。そして、それを理解して、行動する程度の余裕はあったはずだ。なのに、無視して小鬼の攻撃を受けとめただろう。なぜだ」

 厭味も激しい感情もない。青年の声は、ただただ低く冷たかった。こんなロトの声は、アニーもフェイも初めて聞いた。

 やがて、アニーがぽつりと答える。

「――あいつらの攻撃を受けるのが、一番いいと、思ったから」

「一番いい、ね。まんまと誘導に引っ掛かったのにか?」

「そ、そんなの! 偶然、結果的にそうなっただけじゃない!」

「だったら、今おまえたち二人が生きているのも、『結果的に』そうなっただけだ。俺が動かなきゃおまえたちは死んでいた」

 ロトの冷たい瞳にねめつけられる。睨まれた少女の顔が、かあっと赤くなった。

 二人ともが、それぞれの理由で、怒っていた。表し方が違うだけで、二人がこのとき互いに抱いた感情は、似たようなものだった。それが穏やかなものなら「仲が良い」とも言えるのだろうが――今はそんな状況ではない。

 アニーが歯をむき出しにして、ロトに食い下がる。

「あんた、何がしたいのよ。昨日は『自分の身は自分で守れ』みたいなこと言ってた癖に」

「話を逸らすな」

「いいから答えてよ! わけわかんないじゃない!」

「確かに、自分のことは自分でどうにかしろと言った。けど、それがあまりにも出来てないから、さっきからいろいろと助言してるんじゃないか。それとも何か? 何もできないまま魔物に食い殺されたいのか?」

「何よ、偉そうに!」

 一言一言、重ねていくごとに、二人の周囲の空気が重くなる。彼らの物言いは次第に乱暴になっていっていた。それに、フェイが困ったように見比べている姿も見えていなかった。

 二人は厳しい目で互いを睨みあう。両者の間に、見えない火花が散った。

――数秒の後、先に冷静になったのはロトである。彼は、ゆるゆると首を振ると、しばらく目をつぶった。そして、改めてアニーを見た。彼の瞳から冷たい怒りは消えていて、代わりに濃い疲労が浮かんでいる。

「とにかく、この探索中は、後先考えずに行動するのはやめてくれ。目的を果たすどころか、守れるものまで守れなくなるぞ。冷静になれ」

 静かな声に、答えはなかった。アニーはむっつりと、フェイは怯んだように、黙りこんでいる。ロトは、その目は、ただ少女を見た。

「力だけでどうにかしようとすんじゃない」

 アニーははっと目を見開き、うつむいた。自然に拳が固く握られる。

 怒鳴られたわけではない。非難されたわけでもない。だがなぜか、少女の胸にはふつふつと耐えがたいほどの怒りがわいてきていた。

『あんなに暴力的では……先は見えてるな』

『もう少し、みんなと協力することを考えなさい』

『いいよな。暴れん坊には悩みがなくて』

 囁かれる声に、怒りもいじけもしなくなったのは、いつの頃からだっただろうか。自分が彼らに対して感情的にならなくなったのは、慣れたからだと思っていた。もう平気だからと思っていた。

 だが違う。

 平気なんかではない。

 ただ、耳をふさいで、聞かないようにしていただけだ――

 全身がかっと熱くなり、心の中の堤防が切れたように、感じた。


「うるさいっ!!」


 気がついたときには、アニーは叫んでいた。最初の忠告のことなど、頭から追いやっていた。

 フェイが耳をふさいで後ずさりし、ロトはかすかに眉を上げる。しかしアニーの目に、その光景は映っていなかった。涙目で青年を睨みつけ、怒りの炎を爛々と燃やす。

「なんで……なんであんたに、私のやり方をあれこれ言われなきゃなんないのよ! 私だって好きであんなことしたんじゃない! 死にたくてあんなことしたんじゃないわ!」

 甲高い声を上げた彼女は、喉が痛んでいることにも気付かず、ひたすら青年をにらみつける。だが彼はほとんど動揺していない。むしろ、どこか穏やかな目で彼女を見ていた。

 普通だったらそんな態度に違和感を覚えることだろう。けれどこのときのアニーには、ただ、すごく腹立たしかった。歯を食いしばって拳を握りしめると、体をひるがえして走り出す。

「あ、アニー!」

「知らないっ!!」

 叩きつけるような大声を発した彼女は、無意識のうちに横穴の方へと走っていった。何も考えず、ただ感情に任せて走っていった。

――遺跡へやってきた本来の目的すら、束の間、忘れていた。



 アニーが走り去っていくのを呆然と見届けた後、フェイが涙目でロトに抗議をしてきた。

「も、もう! ぶち切れさせてどうするんだよ!」

 だが、ロトはろくに聞いていなかった。眉間にしわをよせて、低くうなっている。その様子にフェイはまた怒っていたが、それでも反応がないと、今度は首をかしげていた。

「あの……ロトさん? どうかしたの?」

「うん?」

 フェイに呼ばれて、ロトはようやく我に返る。それから、うーん、とまたうなって、やがて言葉をひねりだした。

「いやな。さっきのあいつが、どうも俺以外の誰かに怒っているような気がしてならなかった」

「――ど、どういうこと? それ。言い訳とかじゃ、ないよね」

「言い訳なんかしねえよ。……さすがに、ちょっと言い過ぎた」

 ロトは渋い顔でひらひらと手を振り、それから「けど、あの態度は気になるな」と繰り返した。彼が真剣だと、ひとまず判断したのだろう。フェイも真面目に考え込む。

 そうしてしばし思考して、突如「あっ!」と叫んで目を見開いた。青年の青い瞳が、少年を見る。

「どうした。何か心当たりでもあるのか」

「うん。ただの、予想だけど」

 フェイは、簡単に自分の「予想」を語った。ロトはそれを静かに聞いた。聞いたうえで、思ったのである。

 こいつら二人は、どうして妙なところが俺に似てるかね――

 彼の意識がふと、過去へ飛びそうになる。だがすぐに、少年の声で現在に引き戻された。

「ロトさん。ぼく、行ってきます」

 ロトはちらりとフェイを見た。彼は、強い眼差しを青年へと向けている。

 何が、とは聞かない。魔術師はただ鷹揚に、うなずいた。

「任せた。多分、俺が行っても意固地になるだけだから。その間、俺は野営の準備でもしておこう」

 彼がそう言うと、フェイは嬉しそうにお礼を言って、アニーの後を追いかけていった。ロトは苦々しく背中を見送ってから、準備のために動きだした。

 痛む頭を、無意識のうちに押さえながら。


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