小さな鬼たち
三人はひとまず、早々と野営の相談をした。そのとき、アニーが不安そうに問いかける。
「こんな広いところで休んで、大丈夫なの? 襲われるんじゃない?」
「確かに危険はある」
ロトはあっさり認めた。呆気に取られている二人を順繰りに見た後、素っ気なく続ける。
「だから、寝ている間は交代で見張りをする。
――けどな、案外広い場所の方が襲われにくいときもあるんだ。さえぎる物が何もないからな。こちらも隠れられないが、向こうも陰から隙をうかがうことはできない」
「な、なるほど」
アニーも、フェイも唖然としつつうなずいた。ロトの言っていることは恐らく正しいのだろう。きちんと意味が分かっていなくても、そう思わずにはいられない。それほど、彼の口調は強かった。
簡単な話し合いで、やることは決まった。火の準備と、寝袋を整えること。それが終わってからご飯を作ろう、ということになる。作るといっても、持参したものに少し火を通す程度だが。
だがその前に、傷の手当てをしなくてはならない。自分の荷物の中から、薬屋で買ったものを取り出す。
アニーは、冷たい風が吹くのを感じて、鞄を探る手を止めた。何気なく辺りを見回して、言う。
「ここは、穴がたくさんあるんだね」
「横穴だな。ま、ある方が自然だろう。それにほとんどが行き止まりだと思うぞ」
素っ気なく答えたのは、ロトだった。彼は誰よりも早く薬を取り出す。子どもたちもそれぞれに入れ物を見つけた。
ロトが二人の方を向いた。薬の使い方を彼らに教えるつもりだったのだ。だが、いざ口を開く前に、彼は動きを止めた。
ちり、と肌に痺れが走る。ロトは身を固くして、咄嗟に辺りの気配をうかがった。
アニーも遅れて嫌な予感を覚える。自然と、全身が緊張した。
「……どうしたの?」
フェイの怪訝そうな呟きも、ほとんど聞こえていなかった。
「まだ、いる」
何かがいる。群れの生き残りだろうか。走り抜けることを優先したから、ロトもアニーも仕留めそこなった魔物がいたのかもしれない。ほんのかすか、それも一瞬だが殺気を感じた。
しかし殺気は、一時だけ二人を緊張させた後、ふっと消えてしまった。まるで、蝋燭の火が吐息で吹かれて消えるように。アニーは目を瞬いて、物騒な気配の余韻が残る辺りを見回した。
何もいない。
少女は首をかしげながら、鳥肌の立った腕をさすった。
「え? 何、今の。気のせい?」
「気のせい、ならいいんだけどな」
すっかり困惑しているアニーの隣で、ロトが渋い顔をする。彼はどうも、単純に納得できないようだった。重い空気を漂わせる二人の横でひたすら首をかしげていたのが、フェイである。
「……何か、あったの?」
目をいっぱいに見開いてそう問いかけるのが、限度だった。フェイはアニーのような武人気質でも、ロトのように物騒なことに慣れているわけでもないから、わずかな気配には鈍感なのである。
アニーとロトは視線を交差させた。どう言おうか、と悩んでいたのだ。結局、先に口を開いたのはアニーだった。
「魔物がまだいた……ような気がしたんだけど。殺気が一瞬で消えちゃったから、よく分からなくて」
「ええっ? 全然気づかなかった」
フェイが言いながら、きょろきょろと辺りを見回す。
その瞬間、ロトが顔をこわばらせた。きっと振り返ると同時に、叱声を叩きつける。
「後ろだ!」
二人の子供たちは、最初、ぽかんとした。だが、背後から音が聞こえてくると、アニーが真っ先に動いた。フェイの腕を掴み、自分の身体ごと強引に引きずり倒す。フェイが短く悲鳴を上げていたが、アニーもロトも構わなかった。
ぶおっ、と鈍い音を立てて、何かが空を切る。
「小鬼か……」
ロトが呟いた。
一見、人間のようにも見えるいで立ちに、尖った耳。飛び出そうなほどにぎょろぎょろとしている目玉と、しわくちゃな顔面。そして、粗末な布を纏い、棍棒のようなものを持っている生き物が、五匹ほどいた。
小鬼、と一般的には呼ばれている魔物だ。地域によってはゴブリンと呼ぶこともあるらしい。小鬼たちは目をぎらつかせて、屈みこんでいるアニーたちを捉えた。
「ひっ」
二人分のか細い悲鳴が響く。反して小鬼は、楽しそうに笑った。
だが、小鬼たちがそれ以上何かをする前に――ロトが動いていた。目にもとまらぬ速さで魔方陣を描き上げると、小さな火の球を間髪入れずに五度、飛ばす。勢いよく飛んだ火球はすべて小鬼たちの顔や手に命中した。熱くて痛い思いをした小鬼たちは、甲高い怒りの声を上げる。
「こ、小鬼……。生で見るの初めてだけど、ああして鳴かれると気持ち悪いわね……」
ロトの攻撃の間に立ち上がっていたアニーは、剣の柄に手をやりながら呟いた。だが彼女は、何気なく足元を見ると、目を瞬いた。
「ちょっと、フェイ! 早く立ちなさいよ! 危ないよ!」
フェイは、未だ床に這いつくばった状態で震えていた。アニーは目を丸くして彼を急かす。てっきり、一緒に体勢を立て直したものとばかり思っていたのだ。
檄を飛ばされた少年はしかし、言われた通りにすることができなかった。
「で、で、でも……なんか、動けなくなっちゃって……」
膝を中心として全身が震えている。フェイ自身、涙目だ。彼を近くで見ていたアニーと、少し離れたところにいるロトが、同時にため息をつく。
アニーはかぶりを振ってから、剣にかけていた手をフェイの方へ差し出した。彼の方に歩み寄って、声をかける。
「ほら、早く。小鬼たちの餌になりたかないでしょ?」
「う、うん――」
フェイが震える手を差し出そうとしたとき――
小鬼が、にやりと笑った。
それに気付いたのは、彼らを注視していたロトだけである。そして、この場の者の中で最も戦闘経験が豊富な彼は、小鬼どもの心情も分かっていた。
しかし肝心のアニーとフェイは気付かなかった。小鬼たちが、とっくにフェイを「襲うのが楽な弱者」と見定めたことに。
先程の声とは違う、喜びに満ちた甲高い声。ネズミの鳴き声を思わせるそれが、何重にも重なって聞こえた。小鬼たちが、一斉に前へ躍り出る。
アニーが異変に気付いたのはこのときだった。彼女は目をいっぱいに見開く。
奴らが来る。このままだとフェイが後ろから襲いかかられる。けれど彼をこの場から離すのは無理だ。剣を取るのも間に合わない――
アニーの頭の中で、瞬間的に思考が弾けた。だが、決断は一瞬である。そんなことを自分が考えたとも気付かないまま、彼女は咄嗟に幼馴染へ飛びかかった。
「えっ」
驚きの声が最後まで終わらないうちに、少女の体は少年を横へ突き飛ばす。二人はそのまま一緒になって、岩壁まで転がった。
棍棒が地面を砕く嫌な音がする。それでフェイも事態をのみこんだらしい。茶色い瞳がアニーを見上げた。
「あ、ありがとう!」
「ほんっと、フェイって鈍いよね」
「ご、ごめん」
突然浴びせられた非難に、フェイが謝る。が、アニーはもうフェイを見ていなかった。体を起こして小鬼のいる方を見る。
小鬼たちは、ひどく戸惑っていたようだった。けれどすぐに獲物の姿を見つけると、こぞって方向転換し、襲いかかってくる。その素早さたるや、瞠目に値した。同時に火の矢が飛来し、小鬼のうち一匹は矢に貫かれてその場に倒れたが、同族たちはそんなことには気づかずに突進をしていた。
アニーは硬直した。魔物の群れが迫ってくる。醜悪な小鬼たちの巨大な群れ。ぎらついた目と、裂けそうなほどにつり上げられた口元。人の形をしているとは思えない鳴き声。すべてが、少女の耳を覆い尽くす。やがて、そのうちの一匹が勢いよく躍り出てきた。ほかの小鬼たちは走りながらわずかに互いと距離を取っている。
――来る!
アニーは直感して、気付いたときには剣を抜いていた。そう遠くないところから青年の声が聞こえた。アニーを止めようとしていたのだ。だが彼女は、わざとそれを無視して、剣を構えた。
前に飛び出た小鬼が棒を振りかざす。空気の鈍い音とともに降りおろされた一撃を、アニーは自分の剣の腹で受けとめた。ざらついた金属音が鳴る。棒と剣の間から、わずかに火花が飛び散った。
アニーは、夏の海のごとき真っ蒼な瞳で小鬼を睨みつける。渾身の一撃を防がれた小鬼は――しかし、笑っていた。いや、嘲っていた。
罠だと、少女が察したのはこのときである。だが、遅かった。彼女が何かをする前に、棒を振りかざした者の頭を飛び越えて、数匹の小鬼がアニーめがけて殺到する。一匹に気をとられていた彼女は、逃げることも、剣を引くこともできずにいた。
少女の体は、わずかな震えをともなって固まった。耳障りな鳴き声がすぐそばで聞こえる。吸い寄せられるように迫ってくる棒ととがった爪。アニーはすべてを、他人事のように感じていた。
「アニー!」
後ろから、フェイの引きつった悲鳴が聞こえる。
だがもう間に合わない。アニーが思わず、ぎゅっと目をつぶったとき。
目の前で青が弾け、小鬼たちの断末魔が響いた。
「なに――」
アニーは驚いて目を開け、さらに絶句した。
目の前を光が走っている。雷を思わせる鋭い青光だ。細い光に焼かれた小鬼たちの群れは、獣のような声とともに崩れ落ちていく。
光は間もなく消えた。粒のような残滓が、ぱちぱちと音を立てながら散っていく。アニーも、フェイも、呆然としたままにある方向を見た。
そこには黒髪青眼の青年が立っていて――片手に、ひび割れたランタンを持っていた。




